御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

水谷 修 氏 夜回り先生のこと

2006-11-04 09:09:19 | 時評・論評
昨夜というか本日未明に半ば眠りながら1時間半の再放送を2本見た。
いやしかし、知らない世界だった。こんなことが今でもあるのだ。

水谷氏が「夜回り」の世界に入ったきっかけとなった少年。ヤクザを父にもち、その父はけんかかなにかで死に、母にほんとに苦労して育てられた。6畳一間トイレ共同風呂なしのところに母子で暮らした。そこで母が倒れた。たちまちお金に窮する。ガスも水道も止まった。その中で食事は、コンビニの弁当を(店が)捨てるのを話をつけてもらいに行くことにした。いいおじさんだった。午前2時にいただきに参上し、何度も頭を下げて包んでくれていた弁当を受け取った。 給食のおばさんにも「犬にやる」として、話をつけた。パンと牛乳ののこりをもらうことにした。しかし、悪ガキが真相を感づいた。公園で囲まれ、「犬にやるならこれでいいだろう」と、パンを踏みにじられた。それでも彼はめげず、集めて持ち帰った。隣の人にコンロとフライパンと砂糖を借りて、フレンチトーストもどきにして母親に食べさせた。「家庭科の実習で習った」と。ああ、すごいことだ。小学5-6年にしてこの根性、行動力そして心遣い。
最悪の状態は8ヵ月後、状態に気づいた教師が生活保護の手続きをとって脱することは出来たようだ。しかしその子は、同じアパートに住む暴走族の世話になった。悪がきどもを絞めてもらった。そしてシンナーを吸うようになったのだ。
シンナーをやめるよう水谷先生のところに寝泊りして、それで帰ってはまたぶり返すということを繰り返していた。そこで彼は薬物中毒の病院の紹介を新聞かなにかで発見し、水谷先生に紹介依頼をした。
水谷氏は自分のこれまでの対応を否定されたかに感じ、彼に冷たい対応をした。その夜、シンナーでラリッた彼は何かと思ったのかトラックのランプに飛び込み、即死した。火葬した骨はグズグズになって原型をとどめていなかったそうな。
後日死んだ彼が言っていた病院に事情を話すと歓迎とのことで訪ねた。2時間にわたり事情を話し、思いを語った。医者はこういったそうな。「先生、それはあんたが殺したんだ」と。そのこころは、愛情で病気や怪我が治らないように、薬物中毒も治らない。明らかに医者の助けが必要、ということだそうな。

水谷氏はこうして薬物中毒を中心に夜の若者の世界に入って行く。しかしその活動はいまや孤独に悩み続けるリストカッター・自殺予備軍まで広がってきた。本当に沢山いるのだ、ちょっと間違うと自分で死んでしまう子供たちが。。。。
自殺した引きこもりの話は本当にかわいそうだった。彼は小学校三年生の時にデブと言うことでいじめられていた。登校拒否をしようとするが親が許さず学校にひきずってつれてゆかれた。4年のとき新しい担任に意を決して話して見た。担任は全員集会のような話し合いを開いてくれ、いじめはいかんぞ、といってくれた。その帰り、悪がきにぼこぼこにされた。それ以来引きこもった。学校へつれて行こうとする親には今度は刃物さえ持って抵抗し、意志を貫いた。
精神科などにもいっていたようだ。水谷氏にはメールで接触してきた。まずは「死にたい」と。そしてやり取りをするうち、水谷氏の指示に応じて向かいのばあちゃんがごみ捨てをするのを手伝った。「ありがとうね」と言われた。これが立ち直りのきっかけとなった。毎朝おばあちゃんを手伝うほか、お父さんの靴を磨いたりもした。しかしである。ある日おばあちゃんを手伝いにいこうとしたら、昔自分をいじめた悪がきにあった。「お前、まだいきてたのかよ?」と言われたそうな。それから彼はおかしくなった。死への意志がどこまであったかはわからないが、医師から処方された薬を大量に飲み、再び目覚めなかった。彼は水谷氏の助けを求めてメールを42通出していたそうな。水谷氏はあいにく出張していた。帰ってメールを開くと新しい方から7番目に彼のお母さんから彼の死が伝えられていたそうだ。
こういうのを聞くとほんとに悔しい。彼はなぜ水谷氏の返事を待てなかったのか。それほどまでに悪がきのトラウマは大きかったのか。どうして人はしかるべきときにしかるべき強さをもてないんだろう。はあ、ほんとにかわいそう。

こんな話が山のようにある水谷氏。もちろん大変多くの救った命がある。活動には頭が下がる。殆ど宗教的情熱ともいえよう。ただし、ただしである。「おまえたち」「せんせいは」「やめろ、○○しなさい」といった言葉遣いには大変違和感があった。僕だったら反発したかもなあ、そういう上からの言い方をされたら。いまどきはああいういいんだろうか? むしろあれくらいの言葉遣いで迫ったほうがいいということなのか?ちょっと理解し切れなかった一面である。

11月5日 追記
・本の「夜回り先生」を読んだ。この人もかつて夜を徘徊した人であることを知った。そして大人となり、自らの救いを求めて夜回りをしていることを公言していた。世間的見方からすると「施す側」である氏の、「施される側」である子供たちへの依存がなんとも率直に述べられていた。テレビだけでなく本も読んでよかったな、と思う。
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私にとっては「夜回り」が生きがいだ。「夜回り」しないと、私は生きていけない。
理由を聞かれると、口ではいつもこう答える。
「子供たちが心配だから」
でも本当は違う。私はいつも子供との出会いを求めている。私も寂しいからだ。
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ところで、施す側の、施される側への依存というのは、本当にあると思う。むしろ、その依存がない慈善は本物としての迫力を持ち得ない気がする。中村哲氏のアフガンもそうだろうと思う。そのことが水谷氏や中村氏の偉大さを減ずることはいささかもない。むしろそのような依存を見せない慈善者の心情を疑う。