御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

石崎ひゅーい、ってしってるかい?

2013-05-06 22:59:11 | 時評・論評
深夜の番組で「みんな!エスパーだよ!」という、下ネタ満載の、というか男の目からみたらとても率直なというべき、学園SFものをやっている。監督が園子温、主演に染谷将太、助演に夏帆、真野恵理菜、マキタスポーツというのはなかなかすごい。更にどう口説いたのか栗原類と茂木健一郎がなぜか登場している。物語は下ネタ満載で好きなようにやってくれてとっても楽しい。そのなかで、僕が一番動かされたのは高橋優のオープニングのテーマと石崎ひゅーいのエンディングテーマだ。特に石崎のはすごい、と思う。今日はそれで頭が一杯だった。疾走するような音楽に乗って次の歌詞が歌われる。

ああきみのこと かんがえるへやのすみで
洗濯物はたまってゆくだけ世界は滅亡へのカウントダウン
テレビは見たくない顔うるさいな救急車
ごめん僕はこの夜空を飛べることなんかできない
今すぐ君を抱きしめたいけど終電は過ぎた
コンビニで生ぬるいコーヒーと適当な雑誌2冊
眠れない天井をさまよっている

なんとリアルに若い男の切ない気持ちを歌っているんだろう。
洗濯物~救急車は要はノイズだ。若い男の生活を囲み、それなりに気持ちを乱すノイズである。
そして、そのノイズたちから逃れられないのだ。夜空を飛ぶことができないのだ。そうではなくてコンビニで生ぬるいコーヒーを買い、適当な雑誌をぺらぺらとめくるだけの夜。そして、暗に示されるのは、せいぜいただ片思いの彼女がいるだけ、という事実。今すぐ抱きしめられる君、抱きしめられることを待っている君、はいない。そんな人が居るなら夜空を飛べなくても、終電が終っても、タクシーなり走ってなりして行けばよい。ごめん、ってだれにいっているのかなあ?自分自身なのかもね。
まあ、ある意味つらい歌だけどね。でも、このように歌うことで、なにやら「君だけじゃないんだよ」と言ってあげているような暖かさがあるね。

彼の声はストレートに歌詞を語ったり叫んだらそのまま歌声になったようなとても素敵な歌声だ。この含みが多い多義的な感じのする詩をそのまんまの多義性を込めて歌うにはすごく合っているとおもった。

黒田バズーカ、なんていっているが所詮コップの中の嵐

2013-04-20 22:35:47 | 時評・論評
またテンプレートを変えられた。メールに至っては半年更新なしで全削除された。まあただのサービスはしょうがないのかなあ。

それはともかく黒田バズーカである。4月4日の日銀の政策決定会合は大規模な国債の買い入れを決定し、市場にインパクトを持って迎えられた。ETFやReitも積み増しされたが、これは恐らく白川さんでもやってた程度の規模で、本来たいした話ではない(たいしたことではあるが、それは白川さんの時代に始めた時点で既にたいしたことであり、今回の増額、というか予定に沿った自然増というべき増額はインパクトは少ない)。

さて、国債の買い入れである。範囲を長期国債まで広げ、新発をほぼ吸収する規模の買い入れは確かにインパクトが大きかった。黒田バズーカといわれるゆえんである。ただ、僕はちょっと疑問がある。国債の買いオペをやったところで結局銀行の資産勘定にある国債が減り日銀当座預金が増え、その日銀当座預金の過剰準備部分には0.1%付利される。ならば銀行としては0.5%のリスク資産を0.1%の無リスク資産に振替えることなので、リスクも考えれば等価とは言わないまでも大きな違いがあるわけではない。0.1%の付利をやめればまだ話は違ったのかもしれないが。なんで、銀行にとっては単に国債が日銀当座に変わるだけの話である。

更に別の言い方をすると、黒田政策は日銀と民間銀行の内部だけの話である。日銀と民間銀行のバランスシートを合算した、と考えると、今回の政策で実はその合算バランスシートは何も変わらない。この「大銀行勘定」と外の世界、特に民間企業向けの貸付が変わっていかなければどうしょうもない。しかし過剰準備は前からあってジャブジャブだが、借入需要がないのでマネーストックは増えなかった。これは黒田政策以降も同じである。

黒田政策はいまのところ「大銀行勘定」のありようを変えるものでは一切なく、その意味ではコップの中の嵐である。しかしそれを見ておもしろがるとか自分に関係するとか勘違いする人は数多く居るわけで、そこにプラシーボ効果を与え円安と株高を生じさせた。その期待なり楽観が景気を好転させるのならばそれはとてもいいことであるし、安部ー黒田は名医であったといえよう。この先は名医らしくプラシーボ効果を持続させつつ、機を見て投薬自体をじわじわ引っ込めて欲しいものだ。ま、コップの中の嵐を終わらせるに過ぎないことだから、僕としては一部の論者が言うほど難しいことではないと思っている。

ご無沙汰です

2012-09-16 02:45:55 | 時評・論評
ちょっとピンチだったんでしばらくお休みしていました。いやあしかし、ピンチだとフィクションって結構どうでも良くなるようなところありますね。
一旦解決したのでまたぼちぼちと更新しますね。村上龍とか奥田民生なども読んでおもしろく思ってますのでフィクションも含め是非。

それにしても留守が続くとテンプレートが変わるって何かの警告? あんまりやんないで欲しいなあ、と思う次第。

ともあれ近々また。


日本数学会調査報道に見る思考の貧困

2012-02-25 15:10:13 | 時評・論評
日本数学会の発表した「「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言」が新聞で話題になっている。原文をあたってみると、社会科学系があんがい理科系並に出来がよく、社会科学出身の僕は少々気をよくしたりして。

いや、そんなことはともかくとして、これをもってやいのやいの言うのは間違っているな。日本数学会がただほざいただけならいいけど、それをそのまま、或いは誇張・盛り込みをして報道している連中はいかがなものか。
率直に言うと、記者連中もどこまで正解できたものやら。文章問題2題で論理性を問うているが、そこで正解するようだったらあれこれのことを決め付けたようなできの悪い報道をしたりはしないだろう。
数学問題3題はまあこんなものかとは思うが、これは問題にちょっと難があると思う。数学の「卒業者」から見れば奇数・偶数の証明方法はいかにも黴臭い(数学数学している)物言いの証明だ。線分3分割の問題では、相似を作るところまではわかっても、定規とコンパスだけで平行線を作れないとダメだ。そのことって常識といえるんだろうか?これら2問は広く数学リテラシーを問う精選された問題といえるんだろうか? ただし残る二次関数はまあ素直な問題だね。数学やったっていうなら解けなければなるまい。

大体、学校でやったからってできると思ったら大間違い、というのは昔からのことだ。記者も知ってるだろうに。高校まで古文をやったなら最低方丈記や徒然草ぐらいは原文で読めるはずだし、ほかの科目も相当のレベルに達しているはずだ。英語だってかなりの程度できるようになっていなきゃいかん。しかし多くの人がそうはならないのだ。多分これは日本だけではない。そうした「横比較」(他教科比較)が十分できていない一方で、以前はどうだったかという時系列比較もなくて、数学が好きな人たちが「これはいかん」といったらそのまま無批判に報道する。英語については今までも言われてきた。今度古文のひとや物理の人が言い始めたらそのまま報道するのかね? ちゃんと大局をみて咀嚼してちゃんと報道しなさいよ。そういう地頭のある解釈をへた言説を我らは報道に望んでいるのだ。
まあちゃんと数学なり論理学をしっかりやって、地頭を鍛えなおすのもいいんじゃないかな? ま、がんばってね。僕はもうしばらくは新聞をとるとは思うから、その間に鍛えておいてください。

野田さん、案外やるじゃん

2011-11-17 00:20:48 | 時評・論評
というべきか運がいいというべきか。
TPP参加をせっかく表明したのに9カ国会議には呼ばれない、とか、アメリカが早速野田さんの発言を曲げて流してくるなど、ありゃりゃ、案の定いいようにやられているワイ、と思ったが、その後がそうでもなかったね。カナダメキシコが参加表明してくるし、中国やロシアも多少興味をあらわす(少なくとも否定はしない)発言をしてきた。さらにアメリカの勝手な発言に関しては外務省がちゃんと否定をして抗議した。アメリカに取り消させるには至っていないが、これだけメディアにも報道させ、少なくともアメリカの言い分を中和するところまではいった。アメリカはこういうことをやる国だ、という印象を与えることもできたといえよう。
結果オーライだったかもしれないが、なかなかやるね。アメリカへの抗議なんぞは歴代の自民党政権でもちゃんとはできていなかったのではなかろうか。また、TPPもなだれが始まればこっちの思う壺だ。関係国が増えればそれだけ米国ルールというかアングロサクソンルールを押し付けるやり方には抵抗が増して、それほどドラスチックに米多国籍企業を利するあり方は通らなくなる。そうしてごちゃごちゃさせながらAsean+3だったか6だったかも並行して進めればよいのだ。両方に顔が利く日本はそれなりのポジションを得られるのではなかろうか。
なんて思っていると今度は「温暖化、東アジアで新会議」という見出しが今日の日経夕刊に出た。東アジア首脳会議でCO2の問題を討議するイニシアチブを日本がとろうというのである。ヨーロッパ主導に大きな対抗馬を出現させる野心的な試みだと思う。
なにやらここ3-4日で野田さんへの見方はちょっと変わったね。これが本物なら、外務省をはじめ各役所の人たち、しっかりと支えてくださいよ。もしかしたら久々の大局観と交渉センスを持った宰相の登場かもしれないのだから。
ちょっと期待しすぎかな。でもたまには痛快にして老獪な外交をしてほしいもんだね。力はまだまだある国なんだから。

登石判決は「画期的判決」である

2011-09-30 04:18:50 | 時評・論評
9月26日の元小沢氏秘書石川議員以下3名の有罪判決については多くの皆さんがすでに書いておられるのでよいかと思ったが、まあ一言だけ言っておこう。

この判決はある意味画期的だと思う。これまで冤罪事件などが多く言われ、不十分ながらそれなりの解決をしたものも散見された。最近になって菅谷さんや村木さんの罪が晴れ、冤罪を晴らす動きが加速してきているようにも見受けられた。ただ、そこで論じられてきたことは常に警察や検察の強引さであった。ストーリー、自白強要、証拠捏造(或いは隠蔽)の3点セットで罪を作るとんでもないやつら、というのがパターンである。

でも、それだけではないのである。もっと大きな問題は裁判官だったのである。冤罪の事例を見ると、どう見ても無理があったり不十分だったりする検察の3点セットを裁判所が受け入れている。どう見ても怠慢としか思われない。3点セットが素通りするから検察や警察はせっせと3点セットを作り続けてきた。裁判官がぼんやりせずにちゃんと常識的な疑問を呈すれば冤罪の多くは起きなかったろう。菅谷さんもそうかもしれないし(自転車に乗れない幼女を自転車に乗せていたという証言の怪しさなど)、まだ晴れてはいないが高知白バイとか御殿場事件とかは裁判官は愚かを越えて明らかに冤罪作りに協力しているとさえいえる。東電OL事件の控訴審もそうだ。率直に言って素人の集まりである裁判員なら絶対これらの判決は出ていない。裁判という分野においてはどうやら専門家は素人以下らしい、ということだ。

これまで冤罪では警察や検察の問題に焦点が当たり、なかなかこういう裁判官の資質の低さが問題にされなかった。しかし今回はどういうわけか裁判官が自らその愚かさを示すがごときことをしてしまった。もちろんこの判決はとんでもない判決で、取り消せるものなら取り消してもらいたい。しかし、副作用としては、ようやく裁判官の資質の低さ(はっきりいって頭の悪さ、といってよいと思う)に光が当たるということで一定の役割を果たすのではなかろうか。

登石氏、或いはほかの裁判官はどう考えているのだろう?裁判官ネットワークというWebsite および随伴するブログがある。菅谷氏のやり直し裁判、村木氏の無罪判決以来ちょくちょく見ているが、自分たちが冤罪つくりに寄与してきたかもしれない、ということの意識は薄いね。当たり前かもしれないが。だがこういうご時世にそういう話題で論議が盛り上がるわけでもなく健康の話とかしているのを見るとホント腹が立つ。「あんたらもっとしっかり働いてよぉ! 高給取りなんだから。そしてその高給は僕らの税金から出てるんだから!!」といいたくなるね。仲間うちはかばいあう、ってわけかな。まるで白い巨塔だね。
裁判官は判決がすべて、とかいう美学もあるみたいだけどね。でもその判決文がろくでもないから困っているわけだ。例えば判決文に関する2時間の質疑応答に耐えられるかどうかをちゃんと考えて書いてよね。適当に「信用できる」とか「信用できない」だとか、よく言うよ。「何々のなにだから信用できる、とかちゃんと根拠を示せよ。え?これだから?そんなんじゃあ弱すぎるぞ!もうちょっと調べて、人を説得できる話に仕上げて来い!」って僕が上司だったら言っちゃいそうな判決がそこらじゅうにある。集団としては決定的に知的訓練に欠けていると思うなあ。説明責任、ってやつが無い世界はやっぱり馬鹿を量産するんだろうね。

ということで。改めて最後に一言。皆さん、問題は裁判官です。

花見をどうする? -以前の日常の是と非-

2011-04-09 15:16:23 | 時評・論評
震災で自粛を言う人々がまず現れた一方で、震災だからこそいつものとおり(あるいはそれ以上に)贅沢をしよう、という声があがる。

どちらかを選択せよといわれるならば小生は間違いなく後者を選ぶ。喪に服する祈りの気持ちをぞけば、自粛というのは希少な物資をしかるべきところに優先して配分できるようにする行為である。たとえば千年とか二千年まえに同様のことがおきた場合において、近隣の村が年に一度の花見を自粛し、花見での蕩尽のために1年間蓄積した食料などを提供するのはもっともである。しかし、現在の高度化しまた「生活の必要」の範囲を大きく越えて発達した経済にはそうしたことは当てはまらない。 例えば関東在住者の自粛はおそらく何も生まない。関東在住者への供給者が震災地域への物資配分のため手一杯になっているということはないのだ。関東在住者の自粛は関東への財・サービス供給者の貧窮を招き、間接的に国全体の援助余力を減ずるだけである。 喪の気持ち、援助の気持ちは自粛ではない形で現そうではないか、とはもっともなことである。

しかし、反自粛派の立場をとるにせよ、少々の違和感は否めない。それは、「自粛前の生活に何の疑問もなかったのか?」という疑問である。 すごく象徴的にいってしまうなら、「あなたほんとに花見の宴会がしたい?」ということである。 正直言うと僕は昔から花見はあまりしない人である。年に一度きれいな花をじっくり見ながら宴席をしたいというのはよくわかるし、僕も昔は参加したものである。 しかしだんだんいやになった。ひとつは4月初旬の季節は外は寒いのである。単純に宴会に適さない。場所取りに何時間もかけ、寒くしばしば風も強い中で呑んだところで楽しくはない。もうひとつは、みんな花なんか愛でちゃあいない、ってことである。酔っ払いのどんちゃん騒ぎであればまだいい。会社の序列をそのまま持ち込んで酒を飲んで何が面白いのか。 さくらの枝ぶりなんて一言も話題にならない。 さくらは改めて別の日に眺めないといけない。

花見でえらく力んでしまったが、大なり小なりご賛同いただけるのではなかろうか。さっきも言ったように「生活の必要」の範囲を大きく超えて発達した現代社会の諸行為には、しばしば惰性で行われている大きな無駄、実はすきでもないのに(また稼ぎにもならないのに)やっていることがけっこう含まれている。そのことを大きく見直すよい機会であると思う。自粛といわず、生き方全体の再点検をしてみるのだ。

とまあこういうことがいえるのは、僕の住んでいるところが、致命的ではないにせよある程度の被害をこうむり、しばらくは被災地的生活が続いたためだと思うな。だから被災地外の人たちが相も変らぬ生活をすることを非難するつもりは全くない。 でも一言お伝えしておくと「2-3週間水道がとまりガスが止まるぐらいのことでも、生きるということへの見方が結構変わりますよ」と言っておきたい。


外国マズゴミを信じる愚か者たち

2011-04-08 15:06:35 | 時評・論評
日本の報道や政府・自治体・東電などの発表を信じず、海外メディアの報道を信じる傾向の一団がいる。こういう人たちはネットでも積極性が高いこともありかなり声が大きい。
結論から言うと、こういう人たちは陰謀説とか都市伝説のような話に簡単に絡めとられてしまう人たちだろう。

政府や東電はなにか隠しており日本のマスコミもグルだ、ということでネットと海外マスコミだけを信じるわけだよねえ。でもね、情報ソースが結構危ういのは読んでいるとすぐわかる。薄い情報と強い断定口調であればそっちを信じるというかなり民度の低い状態である。感情の沸点が低いから理性的に分析が整う前にすぐに感情的に言葉をぶつけてしまうんだよねえ。今回の件で言えばいかに米ソ及び中仏が大気を、海を汚染したのかということ、その程度がどのくらいだったか、ということに全く頭が行かない。大気中核実験500発の汚染はそりゃあ半端じゃないよねえ。そういうのもちゃんと見てから今の程度を見てほしいね。海外マスコミはそりゃそんなことは言わないよ。自国のほうがよっぽどひどいことをしたなんてね。

感情の沸点を高めに保ち、情報ソースの信頼性を吟味しつつ知識を深めてゆく。またいちいち白黒はっきりつけない必要もある。微妙な判断留保を重ねる。それでようやく「当面の結論」にたどり着く。こうした過程をとらない情報収集なり思考は単なるゴミである。ゴミは本来捨てるか自分の家にしまうかしておこう。公共の場所で撒き散らしてはいけない。

念のため言っとくけど、僕は政府や東電を頭から信じろって行ってるわけじゃあないよ。言いたいのは、彼らは隠蔽的工作・世論操縦が出来るほど意思・行動が統一されているわけでもないしそれをやり遂げるほど有能でもない。ただ混乱して、その混乱をそのまま外に見せて不細工なことになっているということだ。隠蔽があったのではなく素の情報を適切な形でコミュニケートできずごたごたしている。 でもね、これって大事なことだと思うよ。これだけ素の混乱が表に出るってコトは隠したり操作したりという意思が働いていない(あるいは成功していない)ということだからね。 民主主義万歳、でいいんじゃなかろうか。

さらに念のため言っておくけど、政府や官僚の組織的隠蔽の類は一般論として存在しないわけじゃあない。例えば、検察のいい加減さとか冤罪の量産のされ方を見ると、どうも警察・検察・裁判所・マスコミがグルになっているとしか思われない。そこには長い間に形成・強化された習俗のようなものがあり、その強固さは容易に他者の攻撃を許さない。そうした習俗の形成を許す批判の欠如も大きい。そうした「壁」への攻撃としてはマスコミに頼らないネット世論や場合によっては海外マスコミが重要な役割を果たす。
しかし今回は違う。そんな習俗の形成を許すほどおっとりした事態ではないし、批判の空白があったわけではない。


福島原発のこと、世の反応のこと

2011-03-20 21:02:29 | 時評・論評
福島原発の話はここ1-2日少し沈静化してきたけど、これはのちの検証に値する問題であると思う。備えが十分だったかという問題、事故がおきてからの対応、対応を指揮するガバナンスなどは当然だが、それと同様というかそれ以上にマスコミの対応や一般人の反応の仕方は社会学・ジャーナリズム研究において格好の研究材料である。

論議の半分ぐらいはあきれるような話だ。起きようのないチェルノブイリ型事故を想定するなんざあ率直に言っておろかとしか言いようがない。燃料の余熱が続くことと核分裂の臨界がつづきさらに暴走することの区別をわかろうとしていない。大体ウラン235の濃度が5%にも届いてないのが核燃料だってことはわかっているのかわかっていないのか。むしろ危険は3号炉のMOX燃料にあるということはどの程度認知しているのか。明らかに少ない情報で断定的なことを言う海外の論調をえらく重んじてみたり。
もちろんいまより悪化しない方に組するとか東電の肩を持つとかそういう気はさらさらない。下手をすれば炉心溶融やさらにチャイナシンドロームだってありえない話ではない。最悪は三号炉のプルトニュウム燃料が外に漏れることである。でもね、プルトニュウム原爆でも爆発すりゃあともかくだが、あんな重金属が大量に空気にのって遠方に漂うことはありえず、東京圏は逆立ちしたって害は及ばない。
それくらいのことはちょいと研究すりゃあわかるだろうに、間違いや無知がかなりのインテリの間でも広範に存在する。愚かにも東京圏から逃げ出した人もいる。個人のいけんということならまあそれでも保守性の問題だとか認識の違いで片付けられないわけではないが(もちろん論議のオープンでない個人は僕の好きな個人ではないが)、マスコミとか学者の発言となると無知や歪みをそのままにして扇情的報道をするのは犯罪である。

いや、ネットなどで急速学習が出来るようになった現在、マスコミに限らず普通の人々であってもある程度冷静に学習して意見を決めるというのは必須じゃないかなあ。 あ、でもネット上の声は案外マスコミより冷静だし賢明に見えるね。マスコミが世に追い越されたことを如実に示す出来事であったといえるかもしれないね。

現代美術とファッションと言論のこと

2011-01-10 20:39:26 | 時評・論評
これはまだぼんやりしたアイデア。大学時代にミクロマクロ金融など一応みっちりやった小生から見ると、90年代半ば以降のちゃちなマネタリズムや乱暴な新自由主義は噴飯物としか見えずいずれ正されると思っていたら金融危機までなんと20年も続いちゃった。金融危機で多少修正されつつあるが、中央銀行に間接的に実物投資させるなんて荒業やってるんだからまあ聞いてあきれる。先進国に需要の伸びはないのだ、伸びのない中でいかに気持ちよく生きてゆくかが最大の課題である。なんて正論がまったく通じない。
で、もうあきらめていたんだけど、最近村上隆の言う現代美術の文脈の形成のされ方とこうした経済の言論というのが案外似た要素を持っているのかと気が付いた。いや、単なる気まぐれな移り変わりというわけではなくある種の創造された需要がありそれに対応する、或いはそれを仕掛ける仕掛け人がいて、その中で言説なり作品が浮遊する。そんな構造をともに持っているように思う。
経済論議のばかばかしさに腹を立てていたが、たとえば美術史を外から俯瞰するがごとく眺めて整理する必要があるかもしれないと思っているこのごろである。