1―「雛鶴三番叟」
長唄がその体裁を整えたのは、「傾城道成寺」(1731・享保16年・中村座)
あたりからだ。
その頃は、まだ江戸の爛熟期に至っておらず、歌詞であそぶということが
慣習としてなかったのか、あまり見られない。
ちょっと見られるようになったのが、宝暦5年(1755)の「雛鶴三番叟」あたりからだ。
作詞は狂言作者、金井三笑。
『座元の名にし生い茂る
竹は櫓の幕の紋 御贔屓頼み揚幕や…』
名にしおう、と櫓の紋に描かれている、竹を「生い茂る」といいかえて、
中村座の繁栄を匂わせ、
御贔屓を頼み上げます、と花道の揚幕をかける。
『澄むなり 澄むなり 音も住吉の』
浪の音、松風の音が清らかに澄み渡る、住吉神社。
この曲の舞台は住吉神社だ。
初春狂言の序開きに中村仲蔵が踊ったもの。
〓 〓 〓
tea breaku・海中百景
photo by 和尚
長唄がその体裁を整えたのは、「傾城道成寺」(1731・享保16年・中村座)
あたりからだ。
その頃は、まだ江戸の爛熟期に至っておらず、歌詞であそぶということが
慣習としてなかったのか、あまり見られない。
ちょっと見られるようになったのが、宝暦5年(1755)の「雛鶴三番叟」あたりからだ。
作詞は狂言作者、金井三笑。
『座元の名にし生い茂る
竹は櫓の幕の紋 御贔屓頼み揚幕や…』
名にしおう、と櫓の紋に描かれている、竹を「生い茂る」といいかえて、
中村座の繁栄を匂わせ、
御贔屓を頼み上げます、と花道の揚幕をかける。
『澄むなり 澄むなり 音も住吉の』
浪の音、松風の音が清らかに澄み渡る、住吉神社。
この曲の舞台は住吉神社だ。
初春狂言の序開きに中村仲蔵が踊ったもの。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚