西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

雛鶴三番叟

2010-02-23 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
1―「雛鶴三番叟」

長唄がその体裁を整えたのは、「傾城道成寺」(1731・享保16年・中村座)
あたりからだ。
その頃は、まだ江戸の爛熟期に至っておらず、歌詞であそぶということが
慣習としてなかったのか、あまり見られない。

ちょっと見られるようになったのが、宝暦5年(1755)の「雛鶴三番叟」あたりからだ。
作詞は狂言作者、金井三笑。

『座元の名にし生い茂る
 竹は櫓の幕の紋 御贔屓頼み揚幕や…』 

名にしおう、と櫓の紋に描かれている、竹を「生い茂る」といいかえて、
中村座の繁栄を匂わせ、
御贔屓を頼み上げます、と花道の揚幕をかける。

『澄むなり 澄むなり 音も住吉の』

浪の音、松風の音が清らかに澄み渡る、住吉神社。

この曲の舞台は住吉神社だ。
初春狂言の序開きに中村仲蔵が踊ったもの。

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tea breaku・海中百景
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ちょっと河岸変え

2010-02-22 | よもやま話 (c)yuri saionji
杵屋六左衛門(9代目)のシリーズは、
三曲目になる「冬の山姥」が終わったところだ。

この後、「由縁の月」「大原女」「越後獅子」「相模蜑」
「かりそめの傾城」「三曲糸の調」「寿二人猩々」と7曲ほど残っているが、
ちょっと面白い事を思いついたので、
明日からはそちらの方へ河岸を変えてみようと思う。


古い歌謡曲に「有楽町で逢いましょう」というのがあるのを
ご存知だろうか。

「あなたを待てば 雨が降る
 濡れてこぬかと 気にかかる…」

あなたを待っていると、雨が降ってきた。
霧雨のような、こぬか雨が木に降りかかる。
あの人は濡れて来るのではないだろうか、
何だかとても気になるの。

たった二つの言葉、”こぬか”と、”きにかかる”に、別の意味を含ませて、
イメージをふくらませている。

これを掛詞というのだが、
日本人は何と掛詞が好きなのだろう。
一つの言葉を額面どうでりでは終らせない、という心意気。
それが、この曲の作られた昭和の時代まで確実に生きていたのだから、
そのDNAのたくましさたるや、大変なものがある。

庶民の音楽であった長唄の中では、今なおそれがのびのびと闊歩している。
こんどは、それを見てみようというのである。

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tea breaku・海中百景
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166-冬の山姥

2010-02-21 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋六左衛門(9代目)―16「冬の山姥」


そしてチラシ。
再び山姥の登場で終わりとなる。

『いとま申して帰る
 山の山はもと山
 水はもと水
 ちり積もって山姥となれり(塵も積もれば、山んば、と洒落る)
 春は花咲き 
 紅葉も色濃き
 夏かと思えば 時雨して(夏かと思えば、秋の時雨)
 四季折々を眺めつつ(四季の移ろいを眺めていると)
 万木千草も一時に白妙の(あたりの草木も、あっという間に雪化粧)
 面白や面白や
 鬼女が有様見るや見るやと
 峰をかけり 谷に響きて今までここに
 あるぞと見えしが山また山に
 山また山に山めぐりして
 行方も知れずなりにけり』

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tea breaku・海中百景
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165-冬の山姥

2010-02-20 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋六左衛門(9代目)―15「冬の山姥」


次は金太郎の踊りとなる。

『雪やこんこん 丹波の小雪
 小雪集めてころころころ…
 
 中略

 おんらが住家は足柄の山奥で
 でんぐりでんぐり杉の木の
 木の根を枕にころり寝もし
 寝間へ獅子でも熊でも来たならば
 ひん抱いてえらい目に遭わそえ
 船となり又帆となる
 人の気心知りゃせまい

中略

 乳房離れしその日より
 力だめしの ありゃ ありゃ ありゃ
 こりゃ こりゃ こりゃ
 松を引き合うその内に
 中よりほっとねじ切りしは
 目ざましや』

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tea breaku・海中百景
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164-冬の山姥

2010-02-19 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋六左衛門(9代目)―14「冬の山姥」


次は山姥の、山中の暮しぶりを描く。


『柳は緑 花は紅の色々(自然の中に住み)
 さて人間に遊ぶ事(人間であることを楽しむ)
 あるときは山賤の(ある時はきこりが)
 樵路に通う花のかげ(休む花の下に出向き)
 休む重荷に肩を貸し(荷物をかつぐのを手伝い) 
 足柄山へ分け入りて
 又天神へ誓いを立て  
 心尽くして育てし我が子
 数えてみれば 幾とせか(すっかり大きくなったものだ)
 松の緑も苔むして
 さざれ石 巌となりしを(小さな石も、苔むして大きくなるのに)
 見れども変わらぬ我が姿(私の姿はちっとも変わらない)
 ただ鬼女とのみ里人の(里人は鬼女とからかい)
 我を恐るる恥ずかしさ(恐れおののく、情けなさ)
 髪はおどろを頂きて(髪はくしゃくしゃ)
 我が子と共に力業 
 夫の菩提や我が子の為にのみ
 よし足引きの山姥を(ままよ、この山姥を)
 慕う我が子を呼子鳥』 

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tea breaku・海中百景
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