西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

百か日

2010-02-06 | プライベート
今日は母が亡くなって百日目にあたります。
普通ではあまりしないようですが、”百か日”(ひゃっかにち)の法要を、
実家の西園寺で行いました。


玄関に、供養のお花を飾りました。
母は花がとっても好きだったのです。
仏間の左奥の阿弥陀様の前に、白くて小さいものが見えますが、分骨した母の遺骨です。



法要のようすをスナップしました。
十数年前に古い本堂を立て直した時に、シンボルだけを残したこのような形になりました。
ご本尊の後は一面ガラス張り、
コンクリートと大理石造りで、しかも天井が高いので、
読経の声が天から降るように、ありがたく響きます。



法要のあとの食事の席で、親戚の方々に母の形見分けをしました。

遺品を整理していてしみじみ思ったことですが、
指輪とか、着物とか、形あるものは、娑婆でしか意味をなさない。
魂の入れ物である、身体もしかり。

母は10日ほど昏睡状態にあり、そのまま亡くなったのですが、
私は8日目の夜に駆けつけました。
私を見た(実際は目など開きませんし、意識もありません)母は安心したのでしょうか、
次の日に血圧が異常に下がり、心拍数がまばらになり危険な状態になりました。

あの寒がりだった母の身体には、薄い布団がかかっているだけで、
身体に装着している器具の関係もあって、肩はほぼむき出し、
いくらエアコンがついているとはいえ、いかにも寒そうでした。

でも私は何となく、母が
「そんなことはかまわんでいい、もう要らんのだから」
といっているように感じました。

肉体という入れ物に閉じ込められた魂が、
解き放たれる時が来たのでしょう。
翌日、母はすがすがしく娑婆を去りました。

抜け殻となった入れ物は焼かれ、人間界をおさらばです。