(10月21日の続きです)
瀬川菊之丞の「風流相生獅子」は、古今無双の大当たりを取った。
その後、4年間を江戸の芝居で暮らした菊之丞は元文3(1738)年、
兵四郎を連れて8年振りに京へ戻った。
翌年、早雲座の初春狂言に菊之丞が用意したのが、
江戸で未曾有の評判を取った「相生獅子」。
菊之丞はそれを「夫妻獅子」と題して、京向けにアレンジして出した。
恐らくはかつて京で初演した「石橋」に近い物だったのだろう。
厳密にいえば、今日では「石橋」=「夫妻獅子」として芝居歌に残されているので、
両者の違いが歴然としないが、
この時代は、橋があってそこに獅子がでれば全部「石橋」だ。
だから「石橋」=「夫妻獅子」という、まことにおおらかな図式が成り立つ。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/03/c3d1eed0cdd5f3b8bf5115da4da61f96.jpg)
photo by 和尚
瀬川菊之丞の「風流相生獅子」は、古今無双の大当たりを取った。
その後、4年間を江戸の芝居で暮らした菊之丞は元文3(1738)年、
兵四郎を連れて8年振りに京へ戻った。
翌年、早雲座の初春狂言に菊之丞が用意したのが、
江戸で未曾有の評判を取った「相生獅子」。
菊之丞はそれを「夫妻獅子」と題して、京向けにアレンジして出した。
恐らくはかつて京で初演した「石橋」に近い物だったのだろう。
厳密にいえば、今日では「石橋」=「夫妻獅子」として芝居歌に残されているので、
両者の違いが歴然としないが、
この時代は、橋があってそこに獅子がでれば全部「石橋」だ。
だから「石橋」=「夫妻獅子」という、まことにおおらかな図式が成り立つ。
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photo by 和尚