138-「勝三郎連獅子」(1861・文久元年)
”獅子の子落とし”というのがある。
強い子だけを残すために、
子獅子を谷に突き落として、その度量を試すという。
それを、河竹黙阿弥が書くとこうなる。
『かかる嶮岨の山頭より
強臆ためす 親獅子の
恵みも深き谷間へ
蹴落とす子獅子は
ころころころ
落つると見えしが 身を翻し
爪を蹴立てて 駆け登るを
又突き落とし 突き落とす』
これも意訳の必要はないだろう。
この曲は、花柳寿輔の長男の、二代目芳次郎襲名披露に作られたもので、
芸の伝承の厳しさを、獅子の子落としになぞらえた。
寿輔が振り付けて、親子で踊った。
それまでの獅子物は、女形の踊りとして定着していたものを、
能装束の立ち役二人の踊りに演出したのは、この時が初めてだ。
以来、すっかりこのスタイルが定着したのだから、
この時の連獅子が、いかに衝撃的で斬新だったのかが分かるだろう。
〓 〓 〓
tea breaku・海中百景
photo by 和尚
”獅子の子落とし”というのがある。
強い子だけを残すために、
子獅子を谷に突き落として、その度量を試すという。
それを、河竹黙阿弥が書くとこうなる。
『かかる嶮岨の山頭より
強臆ためす 親獅子の
恵みも深き谷間へ
蹴落とす子獅子は
ころころころ
落つると見えしが 身を翻し
爪を蹴立てて 駆け登るを
又突き落とし 突き落とす』
これも意訳の必要はないだろう。
この曲は、花柳寿輔の長男の、二代目芳次郎襲名披露に作られたもので、
芸の伝承の厳しさを、獅子の子落としになぞらえた。
寿輔が振り付けて、親子で踊った。
それまでの獅子物は、女形の踊りとして定着していたものを、
能装束の立ち役二人の踊りに演出したのは、この時が初めてだ。
以来、すっかりこのスタイルが定着したのだから、
この時の連獅子が、いかに衝撃的で斬新だったのかが分かるだろう。
〓 〓 〓
tea breaku・海中百景
photo by 和尚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/2c/13b9cb8c80dc76cc200ce69431e0dc58.jpg)