横笛-9
「横笛」にはもう一曲、明治27年(1894)に
杵屋六四郎(3世)が作ったものがある。
こちらの歌詞は、菊園主人と号する木綿問屋の番頭で、
長唄囃子堅田流の重鎮、喜千治の弟子。
早稲田の専門学校を出ているだけに、文才がある。
菊園は兄弟弟子喜久の大浚い(大きな発表会)のために
「横笛」の歌詞を書き、六四郎に作曲を依頼した。
六四郎はこの時若干21歳だ。
菊園によると、
横笛は供も連れずに嵯峨野往生院を訪ね求め、
やっとたどり着いた往生院で滝口の読経の声を聞く。
扉越しに、
「時頼さま、横笛でございます。お変わりになったそのお姿を
一目見たさにここまで参りました」
と声をかけた。
〓 〓 〓
tea break・海中百景
photo by 和尚
「横笛」にはもう一曲、明治27年(1894)に
杵屋六四郎(3世)が作ったものがある。
こちらの歌詞は、菊園主人と号する木綿問屋の番頭で、
長唄囃子堅田流の重鎮、喜千治の弟子。
早稲田の専門学校を出ているだけに、文才がある。
菊園は兄弟弟子喜久の大浚い(大きな発表会)のために
「横笛」の歌詞を書き、六四郎に作曲を依頼した。
六四郎はこの時若干21歳だ。
菊園によると、
横笛は供も連れずに嵯峨野往生院を訪ね求め、
やっとたどり着いた往生院で滝口の読経の声を聞く。
扉越しに、
「時頼さま、横笛でございます。お変わりになったそのお姿を
一目見たさにここまで参りました」
と声をかけた。
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tea break・海中百景
photo by 和尚
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