2019年6月15日の神戸新聞朝刊に舞子介類館の標本の記事が掲載されていました。
現在、昔の資料を整理処分作業中でその過程で出てきた。
これに刺激され矢倉和三郎について調べてみました。
舞子介類館の標本は貝類収集・研究家の矢倉和三郎氏(1875-1944)が垂水区舞子浜
の自宅に明治41年(1908)に開設されたもので昭和5年(1930)の閉館までの22年間
存在していました。
所蔵標本は約2900種に上り、年間5000人が訪れたが赤字のため閉館。
標本の一部は研究機関に一部売却されたものの他は行方不明となった。
2018年、樟蔭学園(東大阪市)が所蔵する貝類標本約500点について調査したところ、
舞子介類館から購入したものであることが判明しました。
これは、樟蔭高等女学校(当時)が1917(大正6)年に設立された際、理科の教材用に
揃えたものと思われます。舞子介類館由来の現存標本でこれだけまとまったものは
知られておらず、同館の活動や、当時の日本の生物相を知るうえで大変貴重な資料です。
上記の貝類標本は2018年に大阪市立自然史博物館に寄贈されました。
大阪市立自然史博物館では下記要綱で展示会を開催、一般公開されました。
1.名称 企画展示「標本を未来に引き継ぐ〜新収資料展2019〜」
2.主催 大阪市立自然史博物館
3.会期 2019年4月27日(土)〜5月26日(日)
※開館時間:午前9時30分~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
4.会場 大阪市立自然史博物館ネイチャーホール
(花と緑と自然の情報センター2階)
〒546-0034 大阪市東住吉区長居公園1-23
大阪樟蔭学園(下記サイト)に上述の詳しいいきさつが紹介されています。
学校法人樟蔭学園 :: 本学園が寄贈した貝類の標本(創立当時)が展示されました! (osaka-shoin.ac.jp)
矢倉和三郎氏は旧兵庫県博物学会の顧問を務め、介類研究家として著作も多い
「知る人ぞ知る存在」の有名な方です。
矢倉和三郎の著作
国立国会図書館のデジタルコレクションで矢倉和三郎著「日本貝類写真帖」大正2年刊
の内容を観れますので、リンクを張っておきます。
日本貝類写真帖 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
さらに同じく国会図書館のデジタルコレクションで「介類叢話 : 趣味研究」大正11年刊
の内容を観れますので、リンクを張っておきます。
介類叢話 : 趣味研究 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
尚、国会図書館の資料によれば舞子介類館は井上甫田によって開館されたとの記述
がありました。(矢倉亀三郎はかって井上甫田と名乗っていました)
矢倉和三郎氏の著作には上記の他、下記の著作があります。
「兵庫県産貝類目録」甲南貝類荘 1932年刊
「趣味研究介類叢話」成山堂書店 1994年10月
矢倉和三郎(1875-1944)の略歴
(出典:貝類学雑誌 19(3・4)1957 金丸:日本貝類学史 Page270-271)
明治8年(1875) 大阪北浜の両替商に生まれる
明治37-38年頃 舞子に転住
もとは古銭の収集家であったが平瀬介館(京都市下長者町)の趣旨に感銘し
貝類の収集家に転向。
当時、矢倉和三郎は井上甫田という名前を使っていました。
また別名で矢倉甫田という名前もあります。
明治41年7月(1908)7月 自邸んの一部を開放して舞子介類館を開設
舞子介類館は入場料は徴収せず貝類彫刻品の販売、絵葉書などの土産物を販売して
利益を得る程度であった。
宣伝に努め、しきりに同好者を求めて標本の供給交換を希望し、且つ学校方面
及び後進者に標本を販売して活動資金の補足に充てた。開館5年の大正2年(1913)
「日本貝類写真帖」を発行し、また絵葉書は「コンコロジー」と題し毎年1組づつ
を新たに出して前後10余集に及んだ。何れも優秀な写真で貝類の美観を世に紹介
するのに役立った。また大いに郷土産貝類の調査に力を注ぎ、その努力は鮮新層
の化石にも及び新種Pecten Yagurai Makiyamaを出し、その海岸の細砂中から
ミジンギリギリッツを択りだすなどの成績を挙げた。
大正5年(1916)「兵庫県産貝類目録」を編纂し720種を明らかにした。
この日本において地方目録を刊行した最初のものであった。
この目録は昭和8年(1933)さらに増訂され831種の掲載となった。
氏はまた文献の不十分な中にありながら常に耳目をそば立てて貝類に関する見聞を
求めて手記し、考究怠らず所見をまとめては地方若しくは中央の新聞雑誌に投稿した。
大正11年(1922)それら並びに未発表の手記を集成して「趣味研究貝類叢話」と
題して丸善書店から出版した。実に開館15周年記念出版であったである。
なお叢話以後も「兵庫県博物学会誌」等にしばしば貝類記事を投じて昭和16年(1941)
におよんでいる。舞子介類館の陳列品は分類標本2,500種におよび実に平瀬博物館に
次ぐ大収集で外に参考品も多々あったが、これらを維持するのは容易ではなく苦労は
絶えなかった。昭和5年(1930)10月農林省地質調査所の所望に応じ分類標本を挙げて
これに売却した。氏は多くの苦難を抱え最愛の標本をも手放さなければならなかった。
なおも貝を離るること能わず本山村の新居を「甲南貝類荘」と号し、副品を整理し、
知友に連絡して再興を計ったが、後にはそれをも宝塚昆虫館に譲渡し、昭和19年(1944)
2月病のため没した。年70歳。ヤグラギセル、ヤグラモシオガイ、ヤグラビョウブガイ
は氏の功績を記念するものである。(本誌13(5-8)Page320参照)
写真が無いと寂しいので矢倉和三郎の自筆と思われる標本ラベルと「カタヤマガイ」の
標本(旧宝塚昆虫館蔵)の写真を添付しておきます。
出典:2013年KECだより第9号 2013年12月26日発行 page8/8
写真撮影者の川上誠太氏は阪神貝類談話会で「宝塚昆虫館旧蔵の矢倉和三郎貝類
コレクションについて」と題して講演発表されています。
ラベルには舞子介類館標本の英文名「The Maiko Conchological Cabinet]が
印刷されています。
私立樟蔭学園旧蔵の舞子介類館標本の記事が神戸新聞に掲載されました(6月15日付)。
神戸新聞webサイトでもご覧いただけます。
神戸新聞NEXT|総合|100年前の貝標本520点発見 絶滅危惧種も
毎日新聞の報道では舞子介類館の外観写真も掲載されています。
舞子介類館:幻の貝コレクション、90年ぶり発見 神戸で22年だけ開館 大阪・自然史博物館で展示中 - 毎日新聞 (mainichi.jp)