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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

明石市 人丸花壇でのランチ on 2025-4-18

2025年04月30日 10時05分00秒 | 神戸市以外の兵庫県
2028年4月18日、明石市の人丸花壇でランチをいただきましたので写真紹介します。

人丸花壇の基本情報  
住所:明石市大蔵天神町21−22   TEL:078-912-1717
営業時間:ランチ11:00 - 14:00  ディナー17:00~21:30
定休日:年末年始
創業:1950年

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


当日は「かけはし御膳」6,600円(税込)を注文しました。

上の写真は最初に出てきた御膳



上の写真は上記御膳の拡大版


上の2枚の写真は2回目の料理 天ぷら、ご飯、お吸い物


上の写真は1回目、2回目の配膳のラインナップ
上の写真はお茶の急須と食事場所

上の写真は当日食事をした場所の飾りつけ

上の2枚の写真は完食後の様子

上の写真は食後のデザート



上の写真はメニュー表の一部と価格表



上の写真は玄関 出典:リーフレットより
松平家の家紋が目立ちます
上の写真は徳川宗家18代当主 徳川恒孝と人丸花壇社長夫妻 松平本家610年祭
人丸花壇の女将の小谷恵子さんは松平家、松平信廣のご子孫です。

上の写真は明石焼、舞子焼などの展示


上の2枚の写真は料理旅館「人丸花壇」の建物外観

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明石市 柿本神社のロウバイ on 2025-1-28

2025年02月06日 04時04分08秒 | 神戸市以外の兵庫県
一昨日(2月4日)の神戸新聞明石版で柿本神社のロウバイの記事が掲載されていました。
これに触発されて明石市 柿本神社のロウバイの記事を書くことにしました。
柿本神社のロウバイの写真は基本的に2025年1月28日に撮影したものです。

まず、ロウバイについてWikipediaより解説を引用紹介します。
ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は、ロウバイ科ロウバイ属の
落葉低木。
1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。
名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。

唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。
本草綱目によれば、花弁が蝋のような色であり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くから
この名がついた。花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。
ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)
などの栽培品種がある。よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。
ロウバイの基本種は、花の中心部は暗紫色で、その周囲が黄色である。




上の2枚の写真は柿本神社拝殿右手のロウバイの遠景


上の写真はロウバイの近景 撮影:2019年1月27日

ロウバイは1月に黄色の花を咲かせる代表的な季節の花で蝋細工で創った様な風合いを
持っています。良い香りがするということですが臭覚の鈍感な私(近くまで鼻を近づけ
なかったのですが)あまり香りを感じることができませんでした。
ここの品種は中国原産のソシンロウバイ。

次に当日(2025-1-28)撮った柿本神社の写真を紹介します。

上の2枚の写真は柿本神社の拝殿を中心とした境内の近遠景

上の写真は柿本神社の由緒書き


上の写真は明石市指定文化財の説明板


柿本人麻呂を敬仰すると共に歌道の隆盛を願った第6代明石藩主松平信之が寛文4年(1664)
10月に建てた人麻呂の顕彰碑。(上の写真)
上の写真は橋本海関(子六)が書いた紀巧碑
明治22年(1889)に書かれたものです。 
上の写真は鎮座400年奉賛者芳名碑と柿本人麻呂像
令和2年(2020)に鎮座400年となりました

柿本神社の基本情報
住所:明石市人丸町1−26 TEL:078-911-3930
主祭神:柿本人麻呂朝臣  創建:伝・仁和3年(887) 
境内社:五社稲荷社、天神社(菅原道真公)、三宝荒神社(竈神)
元和6年(1620)明石城築城にあたり楊柳寺(後の月照寺)と共に現在地に遷座

887年和歌を好んだ楊柳寺(後の月照寺)の覚証和尚が寺の背後に柿本人麻呂を祀る祠を
建立したのが柿本神社(人丸社)の始まり。


公式サイト:柿本神社 - 明石市 

次に柿本神社の古写真などを添付して筆を置きます。

明治期の柿本神社

上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の柿本神社の図です。

戦前の柿本神社の絵葉書

上の写真は柿本人麻呂に所縁の柿本神社(戦前の絵葉書)

柿本人麻呂像

上の写真は柿本人麻呂の画と歌が書かれた絵葉書です。
 歌は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に  島隠れゆく舟をしぞ思ふ」と詠まれています。
 古今和歌集の「題しらず、詠み人しらずの歌」ですが
 「この歌は、ある人の曰く、柿本人麿が歌なり」という脚注あり

万葉集にも柿本人麻呂が明石について詠んだ歌があります。
 天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見
(あまざかる ひなのながぢゆ こひくれば あかしのとより やまとしまみゆ)
【現代語訳】
 遠く隔たった地方からの長い旅路に、ずっと故郷を恋しく思いつつやって
 来たら、明石海峡から懐かしい大和の山々が見えてきた。

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明石市 串焼処 鶏膳 総本店でのランチ on 2025-1-28

2025年02月04日 04時52分09秒 | 神戸市以外の兵庫県
2025年1月28日、明石駅構内のピオレ明石にある串焼処 鶏膳でランチを頂きました
ので写真紹介します。2023年1月4日以来、久しぶりの訪問です。
当日は姫路からの帰りで2024年5月に亡くなった妻の墓参りの為、明石に寄りました。
ピオレ明石の食事処はどこも混んでいました。

串焼処 鶏膳 総本店の基本情報
住所:明石市大明石町1丁目1−23 ピオレ明石 TEL:078-912-1055
営業時間:通常時は金・土11:00~22:00 他の曜日は21:00まで
     ランチメニューは11:00~17:00
定休日:なし(不定休)
 
ピオレ明石の西の端にあります。
ランチのメニューは鶏天定食、串カツ定食、親子丼、おでん定食、焼鳥丼、チキン南蛮定食など
種類も多くどれも手ごろなお値段でした。
 
当日、串揚げが5串入った串カツ定食850円(税込)を注文しました。(下の写真)



上の写真はお昼の定食のメニュー表です。

上の写真は2023年1月4日訪問時のお昼の定食のメニュー表です。
値上がりしていないで頑張っておられます。感謝!

上の写真はお店の外観です。撮影:2023年1月4日

過去の訪問記



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明石市材木町の與五郎食堂でのランチ on 2024-11-19

2024年11月23日 05時19分22秒 | 神戸市以外の兵庫県
2024年11月19日、明石市材木町の與五郎食堂でランチをおただきましたので写真紹介します。
当日は5月9日に亡くなった妻の墓参(月照寺)を終え浦正に行く予定であったが
浦正が定休日だったので與五郎食堂に変更して入店した。

與五郎食堂へは前に入店したことがあるがブログを作成するのは初めてです。

與五郎(よごろう)食堂の基本情報  
住所:明石市材木町17-17 TEL:078-911-4564
料理ジャンル:麺類、丼物、寿司
営業時間:11:30 〜15:00 18:30~ 21:00 
定休日:月曜日? 変更となる場合があるようなので要確認

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


上の写真は当日、注文した鰆(さわら)の煮付け 時価で2,585円(税込)
味はまあまあでしたがもう少し安い定食にすべきであったと思いました。
当方、年金暮らしで贅沢はあまりできない。

明石の昼網で揚がった旬の魚(当日は鰆(さわら))を塩焼き、煮付け、天ぷら、フライ
などお好みの調理方法がリクエストできます。但し時価で値段は高い。
上の写真は鰆の煮つけのアップ写真
上の写真は壁に貼り付けてあったメニュー表
次回はかきフライ定食1,350円、いかさしみ定食1,350円が候補





上の4枚の写真は冊子となったメニュー表

関連サイト


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養父市の明延鉱山跡訪問記 on 2023-9-28

2024年10月04日 05時14分45秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年9月28日に養父市の明延鉱山跡を訪問していますので写真紹介します。



上の2枚の写真は養父市の明延鉱山探検道の入口と坑道内 撮影:2023-9-28
奈良・東大寺の大仏に銅を献上したと伝えられる「明延鉱山」明治42年(1909)に錫の鉱脈が発見され、スズの生産では日本一を誇ったが昭和62年(1987)3月に閉山した。
明延鉱山探検道は平成元年(1989)5月より鉱山学習の教材として活用するため
明延鉱業株式会社の協力を得てオープンした。650mの坑道を見学。
坑内は9月でも13℃位で上に羽織るものが必要でした。
上の写真は坑内の運搬に使用された2T畜電池式機関車

上の写真は日曜坑道見学会の案内
上の写真は堅額関連の注意事項掲示

見学する場合は「あけのべ自然学校」0796-68-0258へ連絡
住所は兵庫県養父市大屋町明延1184 
所在地のGoogleマップを添付しておきます。





上の2枚の写真はあけのべ自然学校の施設の外観
昔の小学校跡を施設として利用されています。
こちらの施設で弁当をいただきました。
上の写真は当日いただいた弁当


上の2枚の写真は明延小学校の開校記念碑と校歌の碑


上の写真は明神電車の展示



上の2枚の写真は明神電車に関する現地説明板

上の写真は明延鉱山に関する展示場

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弥生の御朱印巡り 兵庫県播磨町 大中遺跡の御朱印 on 2024-3-6

2024年09月23日 04時52分14秒 | 神戸市以外の兵庫県
2024年3月6日、播磨町の県立考古博物館に隣接してある播磨町郷土資料館で
標題の大中遺跡の御朱印を貰いましたので写真紹介します。

上の写真が2024年3月6日にいただいた大中遺跡の御朱印

全国の著名な弥生遺跡関連の施設で御朱印が貰えます。
下の2枚の写真がそのリストです。

 関連サイト:




弥生時代関連26遺跡29施設の連携企画「弥生の御朱印巡り〈全国版〉」は
令和5年(2023)10月7日(土)より始まっています。


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宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」の散策記 on 2024-3-6 その6 (最終回) 弥兵衛塔・観月碑

2024年08月09日 05時09分41秒 | 神戸市以外の兵庫県
2024年3月6日、JR宝殿駅で下車し宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」を散策してきました。 

今回は第6回として「弥兵衛塔・観月碑」を紹介します。
田原家跡を目指して歩いている時、途中でみつけた場所です。
田原家跡の場所が見つからなかったので今回でシリーズ最終回とします。

過去の記事にリンクを張っておきます。





上の写真は弥兵衛塔。
弥兵衛塔は江戸時代の寛文3年(1663)、米田村の検地で便宜を図り、責任を感じて
切腹した姫路藩士の加藤弥兵衛を村人が顕彰した石碑。竜山石製。
高砂市ふるさと文化財に平成24(2012)年に登録されています。


上の写真は弥兵衛塔・観月碑の遠景
観月碑は石灯籠の右手にある石碑です。
観月碑は江戸時代文化年間頃(1804~1818)米田神宮寺の栗本玉屑(ぎょくせつ)らの俳人が
近くの川堤にあった観月亭で詠んだ句を刻んだ句碑。竜山石製。
上の写真は弥兵衛塔・観月碑の敷地に建つ祠


上の写真は現地説明板

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宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」の散策記 on 2024-3-6 その5 米田天神社の神宮寺(薬師寺)

2024年08月08日 04時18分38秒 | 神戸市以外の兵庫県
2024年3月6日、JR宝殿駅で下車し宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」を散策してきました。 

今回は第5回として「米田天神社の神宮寺(薬師寺)」を紹介します。

過去の記事にリンクを張っておきます。



上の写真は米田天神社の神宮寺(薬師寺)の本堂にあたる建物
建物の上部に宮本伊織が寄進した鰐口があります。
鰐口は 正保3年(1646)の銘が書かれています。

上の写真は境内の薬師如来の石像



境内の建物 大師堂?
境内の建物(住居?)



上の3枚の写真は境内で気にとまったものを撮りました


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宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」の散策記 on 2024-3-6 その4 米田天神社

2024年08月07日 04時42分19秒 | 神戸市以外の兵庫県
2024年3月6日、JR宝殿駅で下車し宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」を散策してきました。 

今回は第4回として「米田天神社」を紹介します。

過去の記事にリンクを張っておきます。



米田天神社の基本情報
住所:高砂市米田町米田503  TEL:079-422-4813
御祭神:天照大神、国懸大神、少彦名大神
創建:不明 改築再建:承応2年(1653)
例祭日:10月9日、10日

上の写真は米田天神社の拝殿と本殿
上の写真は現地説明板
説明板に書かれている内容を要約しておきます。
宮本武蔵・伊織の高砂生誕説を裏付ける棟札が残る泊神社(加古川市)の分社で、
承応2年(1653年)、宮本伊織が泊神社を再建時、その旧社殿を移築したゆかりの神社
棟札は伊織貞次(小倉、小笠原家筆頭家老 禄高4千石)が記しています。
宮本伊織とその弟小原玄昌によって甲田重信らの筆による三十六歌仙扁額三十六面が奉納
宮本伊織の一族、大山久太郎政次によって石灯籠が寄進されています。
かっては泊神社棟札同文の棟札、甲冑、田原家由緒書等も奉納されていたが現存しない。

上の写真は入口の遠景
上の写真は手水舎

上の写真は太平洋戦争の慰霊碑
上の写真は宮本伊織の一族、大山久太郎政次によって寄進された石灯籠か?

上の写真は天満宮の象徴である牛の石像

境内末社

上の写真は庚申宮
上の写真は住吉神社

上の写真は恵比須神社

上の写真は大歳神社

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宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」の散策記 on 2024-3-6 その3 「田原 宮本家父祖之地」の石碑

2024年08月06日 04時00分58秒 | 神戸市以外の兵庫県
2024年3月6日、JR宝殿駅で下車し宮本武蔵の生誕地候補「高砂市米田地区」を散策してきました。 

過去2回、記事を書いてきました。間が空きましたがシリーズを再開し記事を書いていきます。
今回は第3回として「田原 宮本家父祖之地」の石碑を紹介します。

過去の記事にリンクを張っておきます。


「田原 宮本家父祖之地」の石碑は第2回で紹介した「宮本武蔵・伊織生誕の地」碑の北側にあります。


上の写真は「田原 宮本家父祖之地」の石碑の遠景 撮影:2024年3月6日


「田原 宮本家父祖之地」の石碑の近景 撮影:2024年3月6日
碑文は宮本家第13代当主、宮本信男氏により書かれています。

上の写真は現地説明板

宮本武蔵(1584-1645)は播磨の守護職、赤松円心の二男、貞範を祖とし、その孫の時代に
高砂米田へ移り住み、田原と改め土着。6代目当主甚右衛門家貞の次男として生まれた。
名を玄信といい、美作宮本村(美作市大原町)の新免(のち宮本)無二之助の養子に出た。

無二之助は元は平尾姓でした。田原の縁戚に当たり、そのころは美作・竹山城主の新免宗貫の
家臣でしたが、その活躍により城主から新免姓を名乗ることを許されました。
後に、その居住地である宮本村からとって、宮本姓を名乗るようになりました。

ひろかずのブログではさらに詳細に調査され記載されています。


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