CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

兵庫県立考古博物館で企画展「ひょうごの遺跡2021」が開催中です。

2021年01月22日 03時57分39秒 | 神戸市以外の兵庫県

播磨町にある兵庫県立考古博物館で企画展「ひょうごの遺跡2021」が開催中です。

開催要項は以下の通りです。

 開催日 :2021年1月16日(土)~2021年3月14日(日)
 開催場所 :兵庫県立考古博物館
 開催時間 :午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
 定休日: 月曜日
 アクセス: JR土山駅南出口から「であいのみち」を徒歩15分
      山陽電車播磨町駅から喜瀬川に沿って徒歩25分
 料金: 大人 200円 大学生 150円 高校生以下無料 高齢者(70歳以上)割引あり
 問い合わせ先: 兵庫県立考古博物館
 TEL: 079-437-5589

私は初日の1月16日に観覧しました。

 古代の世界に興味のある方は是非、ご観覧ください。

展示遠景

上の2枚の写真は展示遠景です。

上の写真の右手は令和元年度調査報告書刊行遺跡

 (1)原田西遺跡(伊丹市、弥生時代) 加工用の石斧が出土

 (2)竹の前遺跡(姫路市、弥生時代) 広域的な交流

 (3)塚口山廻遺跡(尼崎市、古墳時代)家形埴輪?の破片が出土

 (4)志染中梨木遺跡(三木市、古墳時代)謎に包まれた古墳集落

 (5)前島・検上田遺跡(西脇市、奈良時代)土石流との格闘

 (6)喜多・城山城遺跡(西脇市、室町時代)武具の金具が出土

上の写真の正面には令和2年度の発掘調査速報

 (1)玉津田中遺跡(神戸市、弥生時代)弥生時代の墓地

  ブログを作成していますのでリンクしておきます。

  玉津田中遺跡から弥生時代前期のお墓の跡見つかる - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 (2)登り田遺跡(姫路市、奈良時代)播磨国風土記の継潮(つぎのみなと)か

 (3)柏原旧城下町(丹波市、江戸時代)筆頭家老の屋敷跡

 (4)兵庫津遺跡(神戸市、江戸時代) 焼失した町屋

  ブログを作成していますのでリンクしておきます。

  兵庫津遺跡発掘調査現地説明会 on 2020-11-13&2020-11-14 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

下の写真は加西分館(古代鏡展示館)出張展示「干支 丑」

  千石コレクションの中から、十二支が描かれた古代中国鏡3面が展示されています

企画展のリーフレット

上の写真は企画展「ひょうごの遺跡2021」のリーフレットの表面

上の写真は企画展に関する発掘調査速報会(リーフレット裏面に記載)

 

登り田遺跡の墓から土馬

 飛鳥時代の墓とみられる穴から2体の土馬(どば)が出土(下の2枚の写真)

 

土馬は通常、水の祭祀に用いられた土製の模造品で古墳時代から使用され飛鳥、奈良時代

以降も継承された祭祀具です。土馬は川などから出土するケースが多く、墓の跡から

見つかるのは全国的にも珍しいという。発掘調査は2020年7~9月に実施された。

昔、馬は病気をもたらす疫病神の乗り物と考えられていたため、病気を広めないよう

土馬の脚を折って水に流した説があります。今回出土した土馬は、全長が29cmと24.4cm

手綱や鞍などの馬具も表現されています。

上の写真は土馬に関する写真パネル展示

上の写真は出土した土馬に関する説明パネル

上の写真は登り田遺跡(姫路市)の説明パネル

上の写真は平成29年(2017)神戸市埋蔵文化財センターの春季企画展「遺跡のどうぶつたち」

で展示の土馬3体 会期:2017年4月15日~5月28日 5月13日に観覧

 1)二宮遺跡(神戸市中央区、奈良時代)

 2)田井野遺跡(三木市久留美 古墳時代後期)

 3)住吉宮町遺跡(神戸市東灘区、奈良時代)

 

また兵庫県立考古博物館の特別展「古代祭祀の世界」平成21年(2009)10月3日-11月29日

の展示から数点の土馬の写真を添付しておきます。

 

 

最後に兵庫県立考古博物館の見張り台と梅の写真を添付して筆を置きます

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三菱重工 神戸造船所 最後の船出 500人見送り on 2012-6-29

2021年01月21日 05時31分05秒 | 神戸情報

現在、資料を整理処分している過程で神戸新聞の記事で表題の見出しの記事の切り抜き

が出てきました。

そこで、歴史的な出来事を記憶として残す目的でブログ記事を書きました。

まず、神戸新聞が作成した動画をGooで共有させていただきます。

三菱重工業神戸造船所で最終船が出航

さらに、共同通信社が作成した動画についてもGooで共有させていただきました。

歴史乗せ最後の船出 三菱重工神戸、海運支えた100年

 

三菱重工業神戸造船所の最後の商船「エメラルドエース」は2012年6月29日14時すぎ

従業員ら関係者500人の見送を受けゆっくりと岸壁を離れた。

進水式(命名式)2012年3月9日に行われています。

 「1296番船」は「エメラルドエース」と命名されました。

 進水式には従業員の他、地域住民やOBら約6,500人が最後の進水・命名式を見届けた。

 神戸新聞では2012年3月3日と3月10日の朝刊で報道しています。

 

自動車運搬船「エメラルドエース」は商船三井が発注し、総トン数6万1千トン、全長約200m

世界最大の太陽光発電とリチウムイオン電池を搭載した最新鋭のハイブリッド船で、イベント

終了後、名古屋港や横浜港で車を積み込み中東や欧州に向かった。

太陽光発電とリチウムイオン電池については開発したパナソニックグループ エナジー社

のサイト詳しく書かれていますのでリンクさせていただきました。

 「HIT(R)太陽電池」「リチウムイオン電池」で研究開発に参加 “自然エネルギーを利用したハイブリッド自動車船 EMERALD ACE”の進水式実施 | プレスリリース | Panasonic Newsroom Japan

明治38年(1905)7月20日に三菱合資会社神戸三菱造船所として創業して以来、100年余

の歴史に幕を閉じた。

三菱重工神戸造船所の造船部門は潜水艦など防衛省からの発注及び深海調査船など

特殊用途の船に特化されることになっています。

尚、商船建造機能は長崎・下関の2造船所に移管

三菱重工神戸造船所(神船)は現在6千人超の従業員が在籍し、原子力や航空・宇宙の

関連機器を中心に年間4千億円台規模の売り上げを維持しているそうです。

最近の事業状況の現状について神戸新聞NEXT(2020年7月25日)で纏めておられますので

リンクさせていただきました。

 ひょうご経済+|経済|商船事業撤退表明から10年 三菱重工神戸、原発、航空拠点に (kobe-np.co.jp)

 

2020年に神船に関して神戸新聞が取り上げた記事を2件紹介します。

 潜水艦「たいげい」進水  神戸新聞NEXT2020年10月15日

  三菱重工神戸造船所 戦後29隻目 記事にリンクを張らせていただきました。

  ひょうご経済+|経済|新モデル1隻目は大クジラ 潜水艦「たいげい」進水式 (kobe-np.co.jp)

 三菱重工業神戸造船所で海自潜水艦「たいげい」進水式(神戸経済ニュース)

 

 リニア通る地下トンネル掘削へ「鉄のモグラ」威容徐々に三菱重工神戸造船所制作

 直径14メートル、搬入進む 神戸新聞 2020年8月29日夕刊

 記事の内容要約は以下のとおり。

  東京・品川駅近くのリニア中央新幹線建設現場「北品川非常口」で、地下約80mの

  立て坑にトンネル掘削用のシールドマシンを運んで組み立てる作業が本格化している。

  三菱重工神戸造船所が制作した「鉄のモグラ」シールドマシンである。

  9月末までに組み立てを終了させる。

  建設工事では約5キロ間隔の立て坑に、シールドマシンを下ろして掘削する。

  1日当たり約20メートルを掘ることが可能という。(共同)

関連記事にリンクしておきます。

 ひょうご経済+|経済|リニア用トンネル工事の掘削機 JR東海が公開 (kobe-np.co.jp)

 JR東海、リニア中央新幹線 品川駅至近で進める「第一首都圏トンネル」進捗を公開。シールドマシン組立は9月完了、2021年度発進へ - トラベル Watch (impress.co.jp)

 

 JR東海 リニア中央新幹線 北品川非常口へのシールドマシン・カッターヘッド投入 - トラベル Watch -

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明石港の旧波門崎(はとさき)燈籠堂

2021年01月20日 05時01分42秒 | 神戸市以外の兵庫県

昨日(2021-1-19)の神戸新聞の夕刊1面で「最古石造り灯台113年前の姿 江戸初期

築造 明石・旧波門崎燈籠(はとさきとうろう)堂」という見出しで紹介がありました。

これに刺激され表題のテーマでブログ記事を書くことにしました。

以前に同じテーマでブログ記事を書いていますのでリンクしておきます。

 明石港の旧灯台 on 2012-10-26 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

旧波門崎(はとさき)燈籠堂は通称「明石港旧灯台」。明暦3年(1657)5代藩主の

松平忠国が建てたとされ、現存する石造りの旧灯台としては日本最古で平成26年(2014)

4月25日に国の登録有形文化財(その他工作物)に指定されています。

旧波門崎灯籠堂は明石の水運と商工業の発展に貢献した。

上の写真は神戸新聞で紹介された写真と同じ物で113年前の「明石名所写真帳」に

掲載されていた旧波門崎灯籠堂。

神戸新聞でも記載されているように笠部が木製になっています。

このような形式になったのは1845年(弘化2年)以降です。

出典は2020年10月31日~12月6日明石市立文化博物館で行われた企画展示

発掘された明石の歴史展「明石の港津」の冊子Page61

上の写真は上述の企画展のリーフレット表紙に使用された133年前の旧波門崎燈籠堂

2020年11月14日に観覧しました。

上の写真も2020年10月31日~12月6日明石市立文化博物館で行われた企画展示

発掘された明石の歴史展「明石の港津」の冊子Page61より

上の写真は燈籠堂のおおまかな変遷を纏めたもの

石の台の上に平屋の建物が載っているいる所謂、燈籠堂の形式になったのは

Ⅲ期の1657年以降。

さらに詳細な資料が下記の冊子Page57-59に記載されていますが説明を省略します。

出典:明石市立文化博物館企画展示、発掘された明石の歴史展「明石の港津」の冊子Page60より

 

上の2枚の写真は淡路島への連絡船ジェノバラインより撮った旧明石港灯台

撮影:2020-10-30

旧波門崎灯籠堂は改造されながら残存し、沖合に新しい灯台ができた1993年には

その役割を終え。1999年に明石市へ所有権が移されました。

上の写真は明石港の新しい灯台 撮影:2020-10-30

明石市は2020年度の予算で、新たな観光資源とするため復元費を計上し、文化庁

からのアドバイスも受け113年前の写真などを参考にして復原される予定。

上の2枚の写真は明石駅前の観光案内板の旧波門崎灯籠堂の説明

撮影:2021-1-9

文化庁のデータベースで解説されている旧波門崎灯籠堂の主要項目

 ・所在地:兵庫県明石市港町2-9地先

 ・構造及び形式等 : 石造及び鉄筋コンクリート造、面積27㎡

 ・年代 : 江戸前期/昭和28改修
 ・西暦 : 1615~1661/1953改修

 ・登録番号 : 28 - 0586

 ・登録年月日:平成26年(2014)4月25日

 ・解説文:明石港の南西隅に位置する。表面叩き仕上げの花崗岩を用い、隅角を算木積

      としながら層状に精緻に積み上げ、北面に階段を取付けた石積躯体と、

      鉄筋コンクリート造の灯籠からなり、総高七・三メートルとする。

      藩政時代から残る明石港のランドマーク。

 

     

最後の現地の説明文を添付して筆を置きます。

明石港旧灯台の沿革
明石港の灯台は1657年(明暦3年)に明石藩主松平忠国によって舟人の目標とする
燈明台(とうみょうだい)として造られたといわれています。
明治以前の「航路標識年表」(1968年 第五管区海上保安本部刊)によれば、
近畿で四番目に造られた灯台となります。
その当時は、江戸へ荷物を運ぶ菱垣廻船が活躍しはじめ、明石港も瀬戸内海の
物資の交易のため、潮流の速い海峡の潮まち港として、また淡路への連絡港
として重要な位置を占めるようになってきた頃です。
大正時代の写真には、港口を行き交う帆船とともに、木製の燈籠部も写っており、
昔の姿がしのばれます。
昭和7年(1932)に改修が行われて灯台となり、明石市が管理することになりましたが、
終戦後、連合軍の指令により、昭和26年(1951)5月明石市から国へ移管されました。
昭和38年(1963)3月、灯台としての機能が廃止され、照明機器などは撤去されましたが、
本体そのものは国有財産として残されていました。
その後、この灯台は港の歴史を示すシンボルであり、明石の貴重な歴史資産である
ということで、昭和60年代の初め頃から、兵庫県と明石市が国に対して譲渡の働きかけ
を行い、平成11年(1999)9月に明石市に譲渡されたものです。

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神戸ビエンナーレ2009

2021年01月19日 06時37分12秒 | 昔こんなものがあった 平成編

2009年10月3日~11月23日(52日間)の会期で神戸ビエンナーレ2009

が開催されていました。

主催:神戸ビエンナーレ組織委員会・神戸市

 

リーフレットよりピックアップした写真を添付しておきます。

上の写真はメイン会場のメリケンパーク会場の様子が判るイラスト

上の写真は4つの会場の紹介

上の写真はチケットの種類と料金

上の写真は参加作家の略歴紹介

上の写真はリーフレットの表紙

 

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究極ガイドTV「2時間でまわる高野山」を視聴して その1 壇上伽藍エリア

2021年01月18日 05時46分47秒 | 和歌山県情報

新年(2021年)の元日2:30~4:30にNHK総合テレビで標題の番組を録画して

視聴しました。この番組は2020年2月16日に放送された再放送番組であった。

高野山を下記の3つの地域に分けて2時間で要所を巡るもので判り易い解説であった。

 1.壇上伽藍

 2.金剛峯寺

 3.奥の院

【語り】篠原ともえ,眞島秀和

本日はその第1回で壇上伽藍について要点を纏めてみました。

このシリーズのIndex

 究極ガイドTV「2時間でまわる高野山」を視聴して その1 壇上伽藍エリア - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 究極ガイドTV「2時間でまわる高野山」を視聴して その2 金剛峯寺エリア - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 究極ガイドTV「2時間でまわる高野山」を視聴して その3(最終回) 奥の院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

Youtube動画

2時間で廻る高野山

 

赤枠で囲まれたところを巡って説明されました。

本題に入る前に「壇上伽藍」と「密教」の意味の解説がありました。

 壇上伽藍 壇上=道場 

      伽藍=僧が修行する静かな建物・場所

 密教=秘密仏教

1.金堂  

  空海により819年に建立 現在の堂宇は1932年に7回目の再建

上の写真は金堂の正面よりの外観 

上の2枚の写真は金堂内陣内の仏像(高村光雲作)

 

2.六角経蔵

回転部を押して1周廻ればここに収められて経典を全部読んだ功徳が得られるとされる

 

3.御社(みやしろ)

髙野山としては、いちばん大切な鎭守であって、丹生明神社、髙野明神社、総社の三棟

からなっています。今の建物は大永元年(1521)火災後のものです。

金剛峯寺山王院本殿(丹生明神社、髙野明神社、総社)として昭和40年(1965)国の

重要文化財に指定されています。

ここで、弘法大師さま空海が何故この地を聖地を開いたかの解説があります

奈良時代(710-784)の仏教は庶民とは縁遠いものであった。空海(774-835)は

延暦23年(804)31歳の時、仏教の極意を学ぶため中国に渡りました。

庶民を救済する今迄と違った新しい仏教の道を会得した空海は大同元年(806)33歳で

唐より帰国し全国を行脚します。(下の写真)

下の写真は弘法大師空海が31歳で入唐した804年から帰朝した806年の経路と
主な出来事を纏めたものです。
出典:奈良観光ガイドブック2018 なら温故知新 空海壮大なる旅路

番組では紹介されていませんが大同2年(807)34歳で真言宗を立教開宗

弘仁6年(815)空海42歳で四国八十八ケ所を開創しています。

弘仁7年(816)空海43歳で2匹の犬(黒と白)を連れた狩人(狩場明神の化身)

に出会います。(上の写真)

 

さらに、犬に導かれ丹生(にう)明神にも会い、この場所に三鈷を見つけ聖地を開創

(上の2枚の写真)

上の写真のように御社の狛犬は白と黒の対になっています。

「お大師さま」という小冊子より弘法大師の略年譜を添付しておきます。(下の写真)

4.三鈷の松

上の2枚の写真は三鈷の松と御利益

33歳で修業を終え日本に帰国することになった空海は、真言密教の道場を開くのには

どこがいいのかと願いを込めて三鈷杵(さんこしょ)という密教法具の一つを明州の

浜から日本の方に向けて投げました。

その後、帰国した空海がその三鈷杵を探して日本全国を旅をしていたところ、和歌山県の

高野山にあるこの松の木に引っかかっていたのでこの地に真言密教を広める道場を

開くことにしました。

 

5.御影堂

上の写真で右手の建物が御影堂です。弘法大師が住まわれていたとろ

毎月、弘法大師の命日の21日には朝9時頃からお祈りが行われます

現在の建物は弘化4年(1847)紀州徳川公が壇主として再建されたものです。

法印(高野山僧職の最高位)が空海のかわりに儀式の導師を務める(上の写真)

空海の教え「即身成仏」の解説(上の写真)

 

6.根本大塔

上の写真は昭和12年(1937)に完成した根本大塔(多宝塔)。高さ48.5m、23.5m幅

鉄筋コンクリートの建造物です。高野山のシンボル的な建物です。

7.立体曼荼羅

 

上の写真は根本大塔の内部の立体曼荼羅

中央に大日如来 手前右に阿閦(あしゅく)如来 手前左手には宝生(ほうしょう)如来

写真では隠れていますが右奥に不空成就如来 左奥に阿弥陀如来が鎮座

上の写真は立体曼荼羅の配置図

16本の柱には十六大菩薩が描かれています。

曼荼羅は胎蔵曼荼羅(知恵の世界)と金剛曼荼羅(悟りの世界)の2種類があります。

(上の写真)

必見の場所以外の見どころ

上の写真は高野四郎と名付けられた鐘楼

鐘の時間は午前4時、午後1時、午後6時(冬は5時)、午後9時、午後11時

上の写真は不動堂(国宝)の前で祈りを奉げる研修僧達

建久9年(1198)、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王が発願され、行勝上人

によって建立されました。鎌倉時代の書院造り様式の仏堂で国宝に指定されています。

現在の建物は14世紀前半に再建されたものです。

上の写真は高野山の紅葉

上の写真は蓮池と蓮池にかかる太鼓橋です。撮影:2009-10-21

 

 

高野山には2009年10月20日~21日に1泊2日で訪問した1回のみです。ブログも

書いていますのでリンクしておきます。(宿泊は一乗院

番組で高野山には52の宿坊があるとの解説がありました。

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その1) : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その2) 女人堂とお竹地蔵 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その3) 準別格本山 蓮華定院 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その4)金剛塔 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その5)徳川家霊台 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その6)別格本山南院(浪切不動尊) : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その7)一乗院宿泊 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その8)高野山駅と橋本警察署高野幹部交番 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その9)一乗院の朝 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その10)普賢院 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その11)綱引弁財天と6町石 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その12)金剛峯寺 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その13)大門 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その14)壇上伽藍 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 高野山詣 on 2009-10-20&10-21 (その15 最終回)苅萱堂から一の橋 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

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阪神淡路大震災から26年 on 2021-1-17

2021年01月17日 07時29分13秒 | 神戸情報

本日(2021-1-17)は阪神淡路大震災から26年になります。

私自身は地震当時、神奈川県に在住していましたので被災の経験はありませんが、

神戸市兵庫区に在住していた義母が被災し、神奈川県の方に避難したことから

大いに関わりがあります。

さて、本日は東遊園地で阪神淡路大震災の追悼行事があり、サンテレビでLive中継を

観ました。また7時台のNHKのニュース報道でも視聴しました。

テレビ画面より1部を写真紹介します。

今年、初めて耐熱性の紙灯篭、約8,000本で「がんばろう」の文字が点灯されました。

「1.17のつどい」はコロナウイルス感染防止対策として初めて前日から点灯されました。

上の写真は代表して献花をする方々

上の写真は神戸市遺族代表の加賀翠さんのビデオメッセージの場面

Gooニュースにもリンクしておきます。

 gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kobe/nation/kobe-20210108001

遺族代表の女性が思い語る 震災追悼行事でメッセージ (サンテレビ)

追悼のことば全文は神戸市のHP(下記のサイト)で参照できます。

 神戸市:阪神淡路大震災1.17のつどい (kobe.lg.jp)

上の2枚の写真は北淡震災記念公園での阪神淡路大震災の追悼行事

(NHK総合テレビ7時台のニュースより)

NHKのサイトへリンク

 阪神・淡路大震災から26年 遺族などが黙とう 犠牲者を悼む | 阪神・淡路大震災 | NHKニュース

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本格的イタリアン Cucina Localeが新規オープン ランチ訪問記 on 2021-1-14

2021年01月17日 05時36分33秒 | 神戸情報

神戸市垂水区陸の町に本格的なイタリア料理を提供するCucina Localeというお店

が昨年(2020年)12月4日にオープンしました。

2021年1月14日にCucina Localeでランチを頂きましたので写真紹介します。

Cucina Localeの基本情報

住所:神戸市垂水区陸の町1-10 サンハイツ垂水2F TEL:078-747-0105

営業時間:ランチ 11:00~15:00 ディナー 17:00~23:00

定休日:水曜日   料理ジャンル:イタリアン

オープン日:2020年12月4日

公式HP:CUCINA LOCALE【公式】 (owst.jp)

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

当日、注文したのは前菜3種、天然酵母のバケットにドリンクブッフェがついた

お得なパスタランチを2人とも選択しました。

選択したメインのパスタは奥様が熊本県産アサリのボンゴレビアンコ1,100円(税込)

私は鴨肉とボルチーニ茸のラグーソース1,200円(税込)を注文しました。

上の写真は私が選択した鴨肉とボルチーニ茸のラグーソース1,200円(税込)

上の写真は奥様が注文した熊本県産アサリのボンゴレビアンコ1,100円(税込)

 

上の写真は最初に出てくる前菜(三種)とドリンクビュッフェの飲み物

上の写真はお店のお手製の「天然酵母バケット」

感想としてはリーズナブルな価格で本格的なイタリアンが楽しめるお店で

一度、訪問することをお奨めします。

 

上の写真は店内の風景

上の写真はお店の入り口(お店は2階にあります)

上の写真はランチメニュー表

 パンの追加は+100円 デザートは+300円

 

上の2枚の写真はお店の入り口の看板より

 

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神戸市立図書館が11月10日に110周年を迎えます 新たな図書館像をもとめて

2021年01月16日 05時25分02秒 | 神戸情報

神戸市立図書館が明治44年(1911)11月10日に開館してから11月に110周年を

迎えます。そこで神戸市立図書館のあゆみを年譜形式で纏めてみました。

写真は2012年2月15日、神戸市立中央図書館を訪問した折に神戸市立図書館開館

100周年の展示がされていた時のものを利用しています。

明治44年11月10日 相生町の旧市庁舎にて「神戸市立図書館」開館

  (桃木書院の蔵書の一部分を寄贈される)

上の写真は開館当時の神戸市立図書館

桃木書院とは神戸市立図書館の開館に先駆けて明治35年(1902)1月に桃木武平氏

により建てられた私設の図書館です。設置場所は生田町2丁目だったようです。

上の写真が桃木書院の全景です。桃木書院の蔵書が神戸市立図書館の基礎となっています。

桃木武平 安政5年(1858)神戸村生まれ昭和4年(1929)台湾で死去については

平成23年11月20日 神戸市立中央図書館発行のKobeの本棚 第69号

神戸市立図書館開館100周年記念号に詳しく書かれています。

桃木武平の協力を得て住田正一氏(1892-1968)は海事関係の資料を収集、

現在は、神戸大学の「住田文庫」として神戸大学図書館に保管公開されています。

さて主テーマの神戸市立図書館の歴史に戻ります。年表で歴史を辿りたいと思います。

大正10年(1921)10月  大倉山に図書館を新築(下の写真)

大正11年(1922)3月  一般閲覧開始

昭和12年(1937)5月  須磨裏公園で出張文庫
 ~昭和13年(1938)5月

昭和23年(1948)7月  読書相談部を開設し、テレフォンサービスを開始

昭和24年(1949)8月  公開図書室を開設

昭和26年(1951)4月  図書館法の施行で閲覧料と館外貸出し料を廃止し無料となる

昭和33年(1958)6月  観音山公園に長田分館開設

昭和35年(1960)12月 神戸新聞センター(神戸新聞会館9階)に三宮分室が開館

昭和42年(1967)10月 王子分室が開館

昭和45年(1970)10月 西神文化センター内に西神分室が開館

昭和47年(1972)4月  王子、長田、三宮、西神図書館に名称変更

昭和47年(1972)10月 自動車図書館巡回開始

昭和49年(1974)2月  東灘図書館開館

昭和49年(1974)12月 北区民センター図書館開館(昭和57年に北図書館に)

昭和55年(1980)4月  (新)三宮図書館開館

昭和56年(1981)4月  神戸市立中央図書館の新館完成し開館(下の写真)

昭和56年(1981)9月  須磨図書館開館

平成元年(1989)4月  新西図書館、灘図書館が開館

平成2年(1990)4月  神戸ふるさと文庫開設 わが街再発見コーナー設置

平成3年(1991)3月   神戸ふるさと文庫だより「神戸の本棚」創刊

平成3年(1991)11月  垂水図書館が開館

平成3年(1991)12月  神戸市隣接6市2町在住者への図書貸し出し開始

平成7年(1995)1月   阪神淡路大震災の被害により全館臨時休館

平成7年(1995)9月   図書館ホームページ開設

平成7年(1995)12月  新長田図書館、北区北神分館開館

平成8年(1996)5月   兵庫図書館開設

平成13年(2001)1月  図書館のコンピューター化全館で達成

平成19年(2007)1月  インターネットによる予約受付開始(K-libネット)

平成22年(2010)4月  須磨と三宮で指定管理者制導入

平成23年(2011)11月  神戸市立図書館開館100周年

平成25年(2013)9月   東灘図書館が移転

平成31年(2019)4月   北図書館北神分館が移転 北神図書館に昇格

 以下は予定事項

令和3年(2021)3月24日 大丸須磨店の4階に名谷図書館が開館予定

令和3年(2021)     西図書館が美賀多台1丁目に新築移転予定

令和4年(2022)     垂水図書館が垂水駅北側広場に新築移転予定

令和4年(2022)春    こども本の森(建物は建築家の安藤忠雄さんからの寄付)

            東遊園地に昨年(令和2年)11月に着工、来年12月に竣工予定

昨日(2021-1-15)現地の建築現場の写真を撮っていますので関連情報も含めて紹介します。

上の2枚の写真は建築現場と建築確認申請内容

上の写真は完成予想図

上の写真は安藤忠雄さんの想いを綴った文章

上の写真は神戸市が作製した文章

上の3枚の写真はKOBEうわさプロジェクトが作製したパネル

上の2枚の写真は神戸市出身の彫刻家、柳原義達氏の彫刻作品 愛「仔馬の像」

「れんらくちょう」の表紙に使用されていたとの噂(KOBEうわさプロジェクト)

令和7年(2025)     三宮図書館バスターミナル併設ビルの高層階に新装開館予定

明石市立図書館が駅前の人が集まる場所に設置され、成功している動きを受けて

神戸市でも便利な場所に図書館を設置するという動きとなっています。

また未来を背負う子供達のための図書館も新しい図書館の姿として注目されています。

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橘小学校のレンガ塀

2021年01月15日 05時41分15秒 | 神戸情報

神戸市男女共同参画センター あすてっぷ神戸の北側の通りに本日
紹介します旧橘小学校レンガ塀があります。

平成21年(2009)5月 橘小学校 昭和27年卒の古希記念に書かれた説明書きより
引用させていただきます。
このレンガ塀は、明治33年(1900年)橘尋常小学校開校当時よりの面影を
残す由緒ある記念物です。
レンガ塀には88年間の卒業生の一人ひとりの母校に対する懐かしい
思い出が、星の数ほど多く込められています。

上の2枚の写真は橘小学校のレンガ塀と現地説明板 撮影:2009-12-12

橘小学校は明治33年(1900)に橘尋常小学校として創立されました。

この頃の校舎は木造で、子供たちは着物姿で通学していました。

昭和13年(1938)には阪神大水害の被害を受け、学校に対策本部が置かれました。

初代の木造校舎は昭和20年(1945)3月17日のの神戸大空襲で全焼し、その後の

何年かは東川崎小学校に併設されていました。

昭和29年(1954)から元の場所に鉄筋の新校舎が復興して1万人以上の卒業生を

輩出してきましたが、社会情勢や産業構造の変化により校区内の児童数が減少し、

昭和63年(1988)に34人の最後の卒業生を送り出した後、近くの東川崎小学校

兵庫区の入江小学校とともにハーバーランドの地に現在の湊小学校に統合されました。

跡地には水道局中部庁舎と生活学習センターが建設され現在に至っています。

 

 

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神戸アーカイブ写真館オープン記念イベントのリーフレット

2021年01月14日 03時54分03秒 | 神戸情報

現在、終活の一環で収集資料の整理を行っています。

その中で平成24年(2012)にオープンした神戸アーカイブ写真館が企画した

オープン記念イベントのリーフレットが出てきました。

記録として残す為、リーフレットの写真を添付します。

オープン記念イベントは平成24年(2012)6月9日(土)~6月15日(金)に

実施されました。

 

ふたば学舎が神戸市立地域人材支援センターになっています。

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