CHIKU-CHANの神戸・岩国情報

神戸・岩国の最新情報を紹介していきます。また、最近のキーワード についてメモを作成していきます。

福源(その3)お昼の得々ふぐコース

2005年01月31日 06時11分35秒 | 岩国情報
今回で福源の紹介は3回目になる。
今日紹介するのは冬の時期限定のお昼の
得々ふぐコース(カニ付き)
お値段は3,800円である(要 予約)
連絡先は下記へ

山口県岩国市立石町1丁目5-6-101
電話:0827-22-5208

フルコースの全容はこちらに
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錦帯橋敷石復旧工事

2005年01月30日 06時30分51秒 | 岩国情報
2004年12月8日から2005年3月25日の予定で錦帯橋の
敷石復旧工事が進められています。
今回の写真(2005-1-29撮影)は横山側の第5橋付近
の908㎡の工事である。
その後第1橋の下約680㎡の工事になる予定です。
敷石は第3&4橋で使用された材料と同じ花崗岩で
東能美島産の花崗岩が使われる。
創建当時の敷石の形に合わせ60-70cm角のものを
使用する。その総数は約4400個。修復ではなるべく
古い敷石を再利用するが、敷石の多くが劣化しており
また撤去の時の傷みからほとんど再利用できない
状況である。
観光客が橋を下から見るところにあたるため目地は
コンクリートが見えないように工夫する。
工事は(株)カプセム 代表者中本晃 氏が請負。
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藤屋開作(南開作)---由宇町

2005年01月29日 05時22分24秒 | 岩国情報
由宇川が洪水時に、奥地から海へ運んでくる土砂は
秋から冬にかけて吹く北東風(きたごち)による
強い波の力由宇川河口の南側に州を形成します。
文化4年(1807)八軒屋土手の沖についた州を
埋め立てて3.3ha(3町3反3畝)の開作(干拓)事業
が行われました。
この開作事業は、当時由宇町で酒造業を営んでいた
藤井八郎兵衛の出資で行われたものでその「藤屋」
の屋号から藤屋開作と呼ばれています。
藤井八郎兵衛は藩よりこの功により永代町年寄の
家格を得ました。
   以上由宇町教育委員会立て札より引用

昭和51年(1976)
4月に 藤屋開作ポンプ場が完成しています


場所はこちらを参照下さい
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潮音山慈雲院---由宇町

2005年01月28日 06時09分26秒 | 岩国情報
慈雲院は、奈良時代の神亀元年(724)開創された由宇で
最も古い寺です。有名な行基菩薩により創建されたと伝え
られています。当時は法相宗潮音山法眼院と呼んでいたらしい。
約80年後の平安時代大同2年(807)空海上人によって再興され
真言宗不動院となり約560年続きました。
貞冶6年(1367)大内弘世により再再興され臨済宗天竜寺派
潮音山慈雲院とし25世の今日に至っています。
寺宝の涅槃図(釈尊入寂図)は南北朝時代の作と
いわれています。
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米村英雄翁---和木町出身の偉人

2005年01月27日 06時13分38秒 | 岩国情報
米村英雄翁(明治元年~昭和11年)は和木村の人です。
 青雲の志を抱いて上京し、苦学して法学院(中央大学)
に学びました。その後、明治・大正期の海運業界に身を
投じ、その盛衰とともに生き、生涯をわが国海運の発展
に捧げた立志伝中の人です。
また、翁は終生郷土を愛し、巨額の私財を抛って郷土の
発展に尽くした恩人でもあります。

和木町教育委員会の立て札より引用

翁の墓は安禅寺の観音堂の近くにあります。
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橘仙和尚の墓---安禅寺(和木町)

2005年01月26日 06時03分50秒 | 岩国情報
明治7年(1874)安禅寺に寄宿中死去した幕末の傑僧橘仙の墓
があります。弘化2年(1845)から吉川藩の菩提寺「洞泉寺」
の住職としてとどまること15年、後加賀100万石の前田侯
菩提寺「瑞竜寺」に迎えられました。
曹洞宗永平寺貫主日置黙仙禅師、島津藩無三和尚(西郷隆盛の師)
も橘仙の教えを受け、その学徳を深く尊敬していたといわれます。

和木町教育委員会作成の立て札より引用
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和木装束水道記(三分一源之丞父子碑)

2005年01月25日 06時21分52秒 | Weblog
正保元年(1644)に建設された用水路を、天保年間に瀬田口から
八本松まで延長し、開閉式堰堤とうぐろ樋によって小瀬川から
直接水を引き、和木・装束一帯の農地に活を与えた三分一源之丞
の顕彰碑です。源之丞はその完成を見ず亡くなりましたが嫡子
権四郎によって継承され見事に完成されました。
うぐろ樋(び)のうぐろはこの地方の方言でもぐらの意味。樋は
水門の意味です。
この疎水工事の中で最も難関だったのは瀬田川と小瀬川との交錯
で三分一源之丞が江戸赤坂の吉川邸を修理する際江戸の
噴閘(ふんこう=うぐろ樋と同じ意味)を見てこれを応用した。
三分一源之丞は天保11年(1840)4月22日没
三分一権四郎は明治4年(1871)7月16日没
墓は安禅寺の墓地にあります。

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東京出張

2005年01月24日 19時25分05秒 | Weblog
昨日日曜より本日東京に出張道に来ており携帯からのメッセージになります
昨日は西新宿をうろついていました真面目ですのでパソコンのヨドバシカメラ本屋の紀伊国屋京王百貨店などに寄っています
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クスノキ巨樹群---岩国市川下

2005年01月23日 05時45分20秒 | 岩国情報
錦川は、下流の岩国市街地で、
門前川と今津川に分かれ三角州を形成するが
錦川の分岐点川下デルタ(中津)の始端には、
10数本の壮観な楠の巨樹群がある。
正確にはクスノキとムクノキ
うち12本は山口県の天然記念物に指定されている。
江戸初期の万冶2年(1659)当時の領主
吉川広正公が隠居のための別邸を中津(現在の
楠町1丁目)に建設にあたり翌3年(1660)
門前川堤防改修工事を行った。
この際に植えられたかその後まもなく植えられた
と推定されている。
尚、延宝4年(1676)に中津の庄屋が植えたとの
説もある。
いずれにせよ350年近い樹齢である。
最も大きいもので目通り周囲5.65m
樹高は30mに達する。
川よりデルタの先端の1本がムクノキである。
2004年の台風18号でその内の一本が倒れたが
途中で幹を切断して植え戻し再生中です。

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願掛け地蔵---和木町

2005年01月22日 07時36分28秒 | 岩国情報
その昔、小瀬川の八幡山下(瀬田八幡宮)の深い淵から毎晩
得体の知れない怪物が現れるようになって、村の人達は、
日が暮れると恐がって誰一人として通る者がいなくなりました。
困った村の人たちは、相談して宮ノ下の道辺に地蔵さんを
お祀りすることにしました。ところがそれからというもの
怪物は全く現れなくなり、ありがたい地蔵さんと村人たちの
信仰をあつめ、以来、諸事の願い事が行われるようになった
と伝えられています。
現在でも信仰は厚く線香の煙が絶えないようです。
建物の中に59cmの石造の坐像地蔵尊が鎮座しており
造られた年代は台座正面に宝暦11年(1761)8月4日と
刻まれておりその頃だと推定されます。
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