CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

1月8日の新型コロナウィルス感染者数(全国)は7,882人(過去最多)、1月9日は7,790人(2番目)

2021年01月10日 06時05分27秒 | Weblog

新規新型コロナウィルス感染者数が連日、過去最高を記録している流れが止まりません。

2021年1月8日と1月9日のコロナ感染者数(全国)のデータを添付しました。

1月8日(翌日のNHK総合テレビニュースより)

全国で7,882人は過去最多です。

感染者0の県がまた無くなりました

上の2枚の写真は東京都の病床使用率の表と東京都医師会の猪口副会長のコメント

医療現場がひっ迫していることが、ひしひしと感じられます。

出所は6ch 1月8日放送のモーニングショーのパネル

 

1月9日(翌日のNHK総合テレビニュースより)

全国で7,790人で過去2番目の多さです。赤枠は過去最高

感染者0の県がまた無くなりました

緊急事態宣言が出ても勢いがまったく止まっていない危機的状況が続いています。

上の2枚の写真は東京都の感染者数のシミュレーション(By 西浦教授)と実効再生産数推移

出所は1月7日放送の朝10ch?or 8ch?

 

実効再生産数については下記ブログをご参照ください。

 基本再生産数(R0)、実効再生産数(Rt)について - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

世界の感染状況を知りたい方は下記サイトで調べてください。

 ジョンズホプキンス大学のサイト

 COVID-19 Map - Johns Hopkins Coronavirus Resource Center (jhu.edu)

 WHOのサイト

 Coronavirus Disease (COVID-19) Situation Reports (who.int)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勇士の慰霊塔 in 神戸市立外国人墓地 on 2008-8-18

2021年01月10日 05時10分46秒 | 神戸情報

2008年8月18日、神戸市立外国人墓地の中にある勇士の慰霊塔の写真を撮って

いますので写真紹介します。

上の2枚の写真が勇士の慰霊塔です。 

上の写真は現地説明板

そのまま説明の文章を添付しておきます。

勇士の慰霊塔

この像は、第一次世界大戦のとき阪神間に住んでいた、英国人及び仏国人が

祖国のために出征し戦死された19名の慰霊碑であります.  

 なお、この像は神戸外人団体により出征勇士の慰霊のため1921年(大正10年)8月 

春日の墓地に建てられたものを1961年(昭和36年)ここに移設したものです。

英文での説明文は下記のとおり

In HONOUR of NINETEEN MEN from KOBE who fell in the GREAT WAR 1914/1918
For peace they gave themselves to war, and left
To us who stay, of their strong help bereft.
The task to make of human life a crown
Of honour to the lives that they laid down.

台座には異人館建築家ハンセルの子息や洋服仕立商カベルドゥの子息、英字新聞

「ジャパン・クロニクル」社主ヤングの子息らの名前が刻まれています。

毎年、第1次世界大戦の終戦記念日(11月11日)には在阪の各国領事が集まって

戦死者を追悼しています。

慰霊塔に隣接して礼拝堂があります。

上の写真は神戸市立外国人墓地の現地説明板 撮影:2018-11-17

再度公園内に設けられた神戸市立外国人墓地は面積22,000坪。

慶応3年(1867)から現在までに約2,900人の方々が埋葬されています。

60か国の国々の人々で約20の宗教があり、宗派別に区画されています。

平成10年(2007)再度公園は再度山永久植生保存地とともに国の名勝に指定されました。

 

神戸市立外国人墓地
Kobe Municipal Foreign Cemetery

神戸の外国人墓地の歴史は、兵庫開港に先立つ慶応3年(1867年)5月の欧米外交団と日本政府との合意書調印にはじまります。その年のクリスマスに、当時外国人の居留していた地域に隣接する今のフラワーロード(旧 生田川尻)の東側、小野浜(現在の神戸市中央区浜辺通り付近)で最初の埋葬が行われました。翌明治元年(1868年)元旦には兵庫の港が外国貿易のため、公式に開かれ、外国人居留地が設けられました。その後、明治31年(1898年)に小野浜墓地は一杯になり、翌年閉鎖され、青谷付近の春日野、現在の神戸市中央区篭池通4丁目(旧 上春日野町)に外国人墓地が設けられました。昭和5年(1930年)に至り、現在の修法ヶ原に外国人墓地を移転する提案がなされますが、昭和13年(1938年)7月5日の阪神大水害や第二次大戦をはさみ、昭和27年(1952年)5月から8月にかけて、小野浜墓地666基をはじめ、歴史的記念碑や樹木が移されました。昭和29年(1954年)5月には春日野墓地が閉鎖され、昭和35年(1960年)10月に修法ヶ原へ移転がはじまり、1406基の移転が完了する昭和36年(1961年)10月11日に現在の墓地の開園式が行われ、現在に至っています。なお、春日野墓地移転にあたっては28基の墓が、横浜など神戸以外の土地へ移されています。
現在、この墓地には、明治以来日本とかかわりをもった外国人やその日本人妻など約2800柱が埋葬されています。そして、初代神戸港長J・マーシャルや造船など近代産業の発展に鉱石のあったE・H・ハンターはじめ、神戸の洋菓子の礎をつくったFDモロゾフ、フロインドリーブ、ハインリッヒ、私学振興に尽くしたE・タルカット、J・Wランバス、外国人スポーツクラブKR&ACを創り近代スポーツの振興に尽くしたA・C・シムなど多くの著名人も異国での眠りについています。

概要
面積 約14ha 墓碑数 約2,300基
慰霊碑 3基 記念碑 2基

2018年3月
神戸市

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする