CHIKU-CHANの神戸・岩国情報

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東神戸公共フェリーふ頭(東神戸フェリーセンター)

2018年08月18日 05時24分06秒 | 昔こんなものがあった 昭和編
本日は昭和46年(1971)から平成11年(1999)まで存在していた東神戸公共フェリーふ頭
別名、東神戸フェリーセンターについて記事を書いていきます。

住所としては神戸市東灘区青木1丁目付近で現在はサンシャインワーフ神戸、ヤマダ電機、
スポーツDepo、オートバックススーパーなどのショッピング街となっています。




上の写真は昭和46年(1971)に撮影の東神戸公共フェリーふ頭(東神戸フェリーセンター)
出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page4-5

ここで、Wikipediaより建設経緯と縮小廃止の経緯について引用紹介します。

東神戸フェリーターミナルは神戸港のフェリー発着拠点の集約により、運航会社の負担
軽減と利用者の利便性向上を図るため、神戸市が建設したフェリー専用の公共埠頭である。
神戸市の埋立地である東部第三埋立工区および東部第四埋立工区の約7.7ヘクタールの敷地に、
運輸省から半額の補助を受け約23億円をかけて整備された。建設工事は1970年から開始され、
1970年夏に第四バースが完成、第三バース、第二バースも順次供用され、1971年7月の
第一バース完成により、計画されていた4バースが全面供用
となった。管理運営のため、
株式会社神戸フェリーセンターが設立され、旅客サービス、ターミナルの運営、
港湾業務などを一手に引き受けた。
1971年10月時点では、10社(1日合計32便)が就航、1974年4月までに合計17社の就航が
見込まれていたため、東部第四埋立工区の東側に第五バースを新設、東京、鹿児島など
長距離航路専用バースとする計画が、1972年春に着工、年度内に完成のスケジュールで
進められた。工費約10億円は、神戸フェリーセンターが負担した。
阪神・淡路大震災で被災した後、復旧して運用を再開したが、対岸の六甲アイランドで
1988年から運用が開始された六甲アイランドフェリーターミナルや中央区の
新港フェリーターミナル(新港第三突堤)に航路が移転することになった上、
明石海峡大橋の開通により、ここを発着とする航路自体も減少したために
1999年3月閉鎖となった。
跡地はショッピングセンター「サンシャインワーフ神戸」となっているが、かつてフェリーが
発着していたバースの可動橋や、東西2つ存在した旅客ターミナルのうち西側のものは、
現在も残っている。
阪神電気鉄道青木駅が最寄り駅であった




上の写真はGoogleの地図より東神戸公共フェリーふ頭跡の位置を示したものです。


上の写真の手前は西の旅客ターミナルに使用されていた建物で現在は株式会社
神戸フェリーセンターの出資会社であるポート産業株式会社の建物になっています。
写真はGoogleストリートビューによります。

Googleの地図では東神戸フェリーセンター、加藤汽船、神紀フェリー乗り場などの表示が
ありますが、現地未確認につき現状どのようになっているか不明です。


昭和46年(1971)の供用開始当時に東神戸公共フェリーふ頭を利用していた運航会社と
航路は次のとおりです。 出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page5

関西汽船・加藤汽船(神戸~高松間)
日本通運・四国フェリー(神戸~高松間)
四国中央(神戸~川之江間)
ダイヤモンドフェリー(神戸~松山~大分間)
セントラルフェリー(神戸~東京間)
宮崎カーフェリー(神戸~宮崎間)
阪神バイパスフェリー(神戸~泉大津間)
共同汽船(神戸~徳島間)※共同汽船・共生汽船・関西汽船の共同運行





上の2枚の写真は現況。写真はGoogleストリートビューによります。



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神戸市長田区 駒ヶ林の左義長祭り

2018年06月24日 04時21分29秒 | 昔こんなものがあった 昭和編
以前、下記のブログの中で駒ヶ林の左義長祭りについて写真を添えて記事を書いた。
2018年6月の神戸市広報誌「KOBE」の長田区版「ながたを歩こう」の特集で
「思い出、さんぽ ”左義長祭り”」-駒ヶ林界隈-で昭和34年(1959)に行われた
「左義長祭り」の写真を中心に紹介されたこともあり、この記事を書くに至った。

神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その1 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑

神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その2 駒林神社


駒ヶ林の左義長は永延2年(988)年1月15日に始められ、1,000年以上もの
長い歴史を持つお祭りで、漁場を巡って毎年1月15日に左義長を行って地引網の
網入れ優先権を争ったそうです。この漁場争いは弘化2年(1845)以降、東と西の
夫々の派閥が左義長祭りで作ったお山を駒ヶ林港の砂浜の上でぶつけて倒しあうようになった

駒ヶ林の東西に分かれ、10mにも及ぶ高さの「お山」を100人ほどの漁師
たちが担いで浜辺で倒し合いを行うこのお祭りは、その年の漁獲が懸かっている
だけに壮絶を極め、流血の事態が起こることもしばしばであったために
「駒ヶ林のけんか祭り」とも言われていたそうです。

埋め立ての影響で天然の砂浜がなくなり昭和34年(1959)を最後にこのお祭り
は途絶えてしまいました。その後、平成5年(1993)に行われたアーバン・
リゾートフェアの中で久々に復活されたりしていますが、本格的な祭りの
復活までには至っていません。

左義長祭りとは

Wikipediaより左義長祭りについてピックアップし纏めてみました。

左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。
地方により「とんど(歳徳)焼き」、「どんと焼き」、「塞(さい)の神まつり」
などとも呼ばれる。
小正月(1月15日)に宮中、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)3本を結び、
その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事は
三毬杖(さぎちょう)と呼ばれこの行事が民間に広がったのが起源と言われる。


駒ヶ林公園には左義長祭りに関する説明版が掲示されておりそれを中心に写真紹介
していきます。駒ヶ林公園は神戸市長田区南駒栄町1番の住所で神戸市の西部下水処理場の
施設に離接する大きな公園です。公民館の「駒ヶ林会館」にも隣接しています。
夏の人気イベント「駒ヶ林ふれあいまつり」の会場でステージが利用されています。

昭和34年の左義長祭り


上の写真は昭和34年の左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)






上の3枚の写真は昭和34年の左義長祭り(2018年6月神戸市広報誌KOBE 長田区版


平成5年(1993)復活の左義長祭り

上の写真は平成5年(1993)に行われたアーバン・リゾートフェアの中で
久々に復活された左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)

明治43年以前の左義長

上の写真は明治43年以前の野田村左義長(駒ヶ林公園の説明板)
お山は幸吉兆と呼ばれるもので幸を呼ぶ神を表現しています。

左義長の制作絵図

上の写真は左義長の制作絵図で高さは13間半(約25m)(駒ヶ林公園の説明板)

駒ヶ林神社の左義長掛け軸

上の写真は駒ヶ林神社の左義長掛け軸(駒ヶ林公園の説明板)

駒ヶ林神社の「木版左義長神札」

上の写真は駒ヶ林神社の「木版左義長神札」(駒ヶ林公園の説明板)

学校での左義長祭り



上の2枚の写真は学校での左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)

左義長祭の絵画

上の写真は左義長祭の絵画(駒ヶ林公園の説明板)

駒ヶ林公園と西部下水処理場

上の写真は駒ヶ林公園の遠景


上の写真は神戸市の西部下水処理場を中心とした航空写真
工事中の北系水処理施設は完成後の姿。下の方に駒ヶ林公園も写っています。



上の写真は駒ヶ林公園に掲示の駒ヶ林の左義長の歴史と題した説明板の全体


最後に他の地域のとんど焼きの例として明日香村稲渕地区の幸吉兆のお山の
写真を添付しておきます。 撮影:2017-1-9

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開業時の元町駅

2017年09月09日 05時20分18秒 | 昔こんなものがあった 昭和編
大坂-神戸間の鉄道が開通し仮の営業を開始したのは明治7年(1874)5月のことだが
当初、神戸停車場があるので三宮停車場の設置は必要なしというのが当局の考えであったが
局長の井上勝氏に対して居留地周辺の将来性を考え神戸市街地のもう1か所停車場を建設
すべきと関戸由義が進言したことにより三宮停車場(現在の元町駅の場所にあった)は
開業当初より開設された。

時を経て踏切の閉鎖による交通の停滞を解消するために高架線が検討された。
大正10年(1921)12月13日鉄道省から都市計画神戸地方委員会に届いた諮問では、
貨物線新設、高架式工事と共に三宮停車場を加納町踏切付近に移転すると明記されていた。
このため旧三宮停車場(現在の元町駅)が閉鎖これに伴い停車場周辺地は衰退した。

旧三ノ宮駅復活に立ち上がったのは駅の南側に医院を開き神戸財産区の区長を務めていた
出水仁吾である。彼は昭和6年(1931)11月17日に駅の再開を求め神戸中央振興同盟会
を結成し鉄道本省に陳情活動をした結果、昭和8年(1933)6月5日大坂鉄道局から通知
がきて、新駅設置資金5万2千4百円のうち3万4千2百円の寄付があれば設置を承認
するという内容であった。

出水仁吾らは寄付活動に奔走し3か月後の9月5日には寄付金を納入できたのである。
新駅の工事が進められ元町駅は昭和9年(1934)7月20日に開業に漕ぎ着けた。




上の2枚の写真は開業当時の元町駅
出典:神戸元町商店街連合会「神戸の良さが元町に」(2014)Page74&79


上の写真は元町駅開設謝意広告 昭和9年7月21日付又新日報
出典:神戸元町商店街連合会「神戸の良さが元町に」(2014)Page78
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旧垂水警察署の庁舎

2017年09月07日 12時34分46秒 | 昔こんなものがあった 昭和編
旧垂水警察署の庁舎はかって海神社、海岸沿いの鳥居の西側に建っていた。建物は
赤いスレート瓦葺木造2階建の洋館で日本中を探してもこれ程洒落た警察署の庁舎は
見当たらないと思われる。


上の写真は「垂水区制70周年記念誌」より引用

この建物の西側には車庫と道場が建築された。

初めから警察署の建物として建築されたものではなく、大正6年(1917)当時の船成金
「四本萬二」の別荘として建設され、その後三菱電機神戸製作所の病棟に使用されて
いたのを昭和23年(1948)10月神戸市が600万円で買収、昭和24年(1949)2月8日
垂水警察署の発足と同時に使用された。
昭和61年(1986)神戸市垂水区本多聞3丁目12番1号の現在の庁舎に移転するまで
上述の地(神戸市垂水区宮本町)に存在していました。


上の写真は2017年12月上旬に出版予定の「神戸の150年」に掲載予定のもので
左端に旧垂水警察署の庁舎が写っています。(昭和33年撮影)


上の写真は昭和30年(1955)頃の垂水警察署
 出典:神戸市政120周年記念 「神戸 あのまち、あの時代」(2009)Page23



上の写真は山陽電車の情報誌の山陽ニュース 昭和45年(1970)9月号の表紙に
採用された垂水警察署と海神社の明神系両部鳥居

現在は篠山市のお菓子の里丹波で「ミオール館」として旧垂水警察署の建物は保存されている

近代建築Watchに現在の建築詳細が紹介されていますのでリンクさせていただきます。
 http://hardcandy.exblog.jp/17718455/
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