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第829回 敦盛忌 in 敦盛塚 on 2014-3-8

2014年03月09日 06時33分17秒 | 神戸情報
下記要項で第829回 敦盛忌が行われました。


敦盛忌は寿永3年(1184)2月7日に、当時16才の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、
それを供養するために敦盛も命日(新暦換算では1184年3月27日)毎年3月の土曜日に開催
されています。今年は敦盛が直実に討たれて830年の節目でもあります。 

◆日時:平成26年3月8日(土) 13:00~
      13:00~ 清掃、準備
      14:00~ 法要(須磨寺)
           一絃琴演奏(須磨琴保存会)
           敦盛の舞(小松原盛太)
           講談「平家物語」(旭堂南舟)
           奉唱(長田高校 音学部)
      15:00~ 甘酒ご奉仕

◆場所:敦盛塚(山陽電車「須磨浦公園駅」下車、南西約100メートル) 



上の写真は当日の様子です。



上の写真は須磨寺の奉仕による法要です。

須磨寺の奉仕による法要(動画)


上の写真は須磨琴保存会の皆様による一絃琴演奏です。

一弦琴(須磨琴)演奏「青葉の笛」動画



上の写真は11歳の小松原盛太による舞で演題は謡曲「敦盛」


11歳の小松原盛太による舞で演題は謡曲「敦盛」(動画)


上の写真は講談「平家物語」(旭堂南舟)

講談「平家物語」(旭堂南舟)の動画


上の写真は長田高校音楽部の奉唱の様子です。

長田高校音楽部の奉唱の様子(動画)


過去の敦盛忌の記事(小生のブログより)

第827回 敦盛忌 in 敦盛塚 on 2012-3-10

第825回 敦盛忌 on 2010-3-6(土)

平敦盛の命日 2月7日

松瀬青々先生の歌碑

青葉の笛(敦盛と忠度)

須磨寺(福祥寺)の義経腰掛けの松と敦盛首洗いの池

須磨寺本堂と熊谷直実&平敦盛の像

須磨海づり公園と敦盛塚石造五輪塔

最後に敦盛塚について過去の記事に若干の補足をして再度掲載します。


上の写真は敦盛塚の五輪塔の各部名称です。


上の写真は五輪塔の4面に書かれている梵字です。

神戸市教育委員会の説明板より敦盛塚の説明書きを以下に引用する。

神戸市指定有形文化財 敦盛塚五輪塔
○総高:397cm
○製作年代:室町時代末期~桃山時代
○指定年月日:平成9年10月23日

 この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては
石清水(いわしみず)八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で第2位の規模を誇る。
法量は総高397cm、2石から成る地輪(ちりん)は幅126cm、高さ98.5cm、
水輪(すいりん)は、最大径130.4cm、高さ99cmで下部がすぼまり、火輪(かりん)
は軒幅126.4×119cm、高さ75.8cm(上部に径30cm、深さ20cmの柄穴(ほぞあな))
風(ふう)、空輪(くうりん)は一石彫成で、風輪の径73cm、高さ56cm、
空輪最大径69cm、高さ72.9cm、各輪四方にそれぞれ五輪塔四門の梵字(ぼんじ)
を薬研(やげん)彫りに配している。紀年銘はなく、梵字が大きいことや水輪火輪の様式に
やや古調がみられるが、風、空輪は明らかに近世塔やの先駆的様式を示していることから、
室町時代末期から桃山時代にかけての製作と思われる。
 この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、
当時16才の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するために
この塔を建立したという伝承から、"敦盛塚"と呼ばれるようになった。
このほか、鎌倉幕府の執権北条貞時が平家一門の冥福を祈って、
弘安年間(1278~1288)に造立したなどの諸説がある。
 昭和60年(1985)4月に、神戸市教育委員会が周辺整備のための発掘調査を
行ったところ、下半分が埋没した地輪の下に、四角に囲った板石とその中に2枚の
石から成る基壇遺構があることが分かった。
このため、基壇の上部を地表に現し、地輪部以上を完全に露出するように積み直した。

平成11年3月    神戸市教育委員会

Five storied stupa  Atsumorizuka
Five storied stupa is a tombstone consist of five different parts.
From the bottom ,the scquare part symbolises earth, the circular part,
wind and the flaming shape part, air.
In buddhism it indicates five elements which exist in the material world.
This stupa is made of granite with 3.97m height.
It is the second largest scale,that of next to Iwashimizu-Hachimangu
(in Kyoto)in medieval period(16th century)by the type of dyone stupa.
This area is well known as the battlefield of Ichinotani between
Gengi clan and Heike clan in 12th century.
It is said this stupa was dedicated to TAIRANO Atsumori,young knight
of Heike who was killed by KUMAGAI Naozane in 1184 at age 16.

March 1999 Kobe City Board of Education


敦盛が有名になるのは須磨寺の古い記録当山歴代の中に大永6年(1526)2月の条に
「10日間にわたり敦盛の御影や青葉の笛さらに須磨寺の御本尊の御開帳が実施」
上記イベントで多くのひとが須磨寺を訪問し人々に感動を与えたことに始まる。


敦盛塚は教育委員会の説明書きでは鎌倉幕府の執権北条貞時が平家一門の冥福を祈って、
弘安年間(1278~1288)に造立した説を紹介されているが五輪塔の形式から
室町時代後期とされていることから造粒年代はもう少しのちのことと思います。
しかし、少なくとも1526年には敦盛塚は出来ていたものと推定しています。




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