CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

2018年10月31日 05時13分32秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第3回で宝寿山 西山寺を紹介します。
西山は「さいざん」と読むそうです。

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

シリーズの記事Index

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

第27回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

第28回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その28 海の駅しおさい市場「くいどうらく」でのランチ

第29回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その29 赤穂化成

第30回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その30 坂越の嫁入り

第31回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その31(最終回) 生島と秦河勝伝説 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 



宝寿山 西山寺の基本情報

住所:兵庫県赤穂市浜市160 TEL:0791-48-0955
宗派:高野山 真言宗 山号:寶寿山(ほうじゅやま)他に尼子山、天戸山の異説あり
御本尊:十一面観世音菩薩  開創:天平勝宝頃(749-757)行基が開創 中興:空海
再興:元文3年(1738)住僧 宥半(ゆうはん)


Goo地図を添付
 


地図:http://ako-kankou.jp/wp-content/uploads/2018/05/ako-sakoshi_history_201803.pdf



上の写真は宝寿山 西山寺の本堂

最盛期には東塔と西塔があったという。戦国期は尼子氏の祈願寺となっていたが滅亡後は
消失し元禄期(1688-1704)には勝田新左衛門と僧 堯性が精舎を建立。その後、
元文3年(1738)住僧 宥半(ゆうはん)が再興し現在に至っている。


上の写真は境内の神社 詳細は未調査
坂越地区では千種川の網状河川の自然堤防ごとに村が築かれ、夫々に社寺が築かれた
荒神社が地図で見る限りで5箇所は有ります。


上の写真は参道口の地蔵尊と石燈籠。
天明4年(1784)に奉納




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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

2018年10月30日 04時56分32秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第2回で赤穂鉄道砂子駅跡を紹介します。
砂子は「まなご」と読むそうです。

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

 

シリーズの記事Index

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

第27回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

第28回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その28 海の駅しおさい市場「くいどうらく」でのランチ

第29回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その29 赤穂化成

第30回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その30 坂越の嫁入り

第31回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その31(最終回) 生島と秦河勝伝説 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 





上の写真は赤穂市教育委員会が作成した赤穂鉄道砂子駅跡の説明板(右手)と北側の風景。
説明板によれば説明板の北側50mのところに赤穂鉄道砂子駅があったとのこと。

説明板には次のように書かれています。
播州赤穂駅から2.5Km北にある停車場で乗客がある場合のみ停車していた。
駅舎は待合所のみの簡便な建物であった。また裏山には保線用の土取場があった。


以下Wikipediaの引用で赤穂鉄道の概要解説です。
赤穂鉄道は、かつて国鉄山陽本線の有年駅から播州赤穂駅(現在の播州赤穂駅とは別駅)間の
鉄道路線を運営していた鉄道会社です。
明治43年(1910)に軽便鉄道法が公布されたことから、これを契機として軌間762mmの
軽便鉄道の敷設が決定され大正4年(1915)に会社創設、大正10年(1921)に開業した。
戦後、山陽本線相生駅と接続する国鉄赤穂線が開業することになったため、昭和26年(1951)
に廃止となってしまいました。
1950年(昭和25年)11月改正時の運行状況は下記の通りです。
旅客列車本数:日9往復
所要時間:全線44 - 45分


同じくWikipediaからの引用で赤穂鉄道12.7Kmに設置の9駅です。

駅名  累計距離 開設日      備考
有年駅  0Km   1921年4月14日

富原駅 2.3Km   1925年10月1日

真殿駅 3.8Km   1922年3月29日   当初は貨物駅

周世駅 5.7Km   1925年10月1日

根木駅 6.5Km   1921年4月14日  1925年9月1日に高雄村駅から改称

目坂駅 7.6Km   1925年10月1日

坂越駅 9.4Km   1921年4月14日

砂子駅 10.2Km   1925年10月1日

播州赤穂駅 12.7Km 1921年4月14日  赤穂線の播州赤穂駅より南側の位置
                  (現在のウエスト神姫赤穂営業所)にあった。



上の写真は赤穂鉄道砂子駅跡の説明板

説明板の設置場所は小山東谷川に架かる才崎橋の畔にあります。


上の写真はJR坂越駅のレンタサイクルの近くにある地図で
こちらに赤穂鉄道砂子駅跡の位置が示されています。

播磨孤道(はりまこどう)さんが赤穂鉄道の廃線跡を全部周って纏めておられます。
リンクをさせていただきました。
 https://harimakodou.capilano-fw.com/?p=4166

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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

2018年10月29日 05時57分41秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。

その時に散策した場所を紹介していきます。
その第1回として宝性(ほうしょう)山長楽(ちょうらく)寺を紹介します。

宝性山長楽寺の基本情報

住所:赤穂市砂子398 TEL:791-48-8060
宗派:天台宗 山号:宝性山 御本尊:聖観世音菩薩、不動明王、薬師如来
創建:聖武天皇の神亀年間(724-729)行基により創建
中興:正保元年(1644)円盛
播磨西国三十三所観世音霊場 第9番、播州薬師霊場 第19番
御詠歌:法の庭 名におう梅の匂うこそ 長く楽しむ寺居なりけり


Goo地図を添付
 


上の写真は山門。
鐘楼も兼ねており平成元年(1989)比叡山開創千二百年慶讃事業として改築されました。


上の写真は本殿。本殿は昭和47年(1972)に鉄筋、銅板葺の建物を建立して本尊などは
ここに安置されています。


上の写真は長楽寺の境内に入る入口で右手の「天台赤穂成田山」「波切不動明王」と
刻まれた板碑が目立ちます。
この石碑は日本で最初の「赤穂水道」に使用されていたもので昭和43年(1968)5月
明治100年を記念して建立されたものです。
当時の住職は河野道隆氏。石碑の裏側に経緯などが記載されています。

水切不動明王もこの時に奉納されました。


上の写真は裏山にかって伽藍があった跡地です。
礎石が置かれていました。最盛期には12坊及び上下の大門がったが、嘉吉の乱の兵火
により長楽寺の坊のほとんどが焼失した。


嘉吉の乱(1441)
嘉吉元年(1441)6月24日播磨、備前、美作3国の守護赤松満祐(あかまつ みつすけ)
は京都の私邸(京都西洞院二条)で室町幕府6代将軍足利義教公を殺害します。
さらに将軍の首級を奉じて播州河合(小野市)の堀殿城に帰ります。そこから
足利ゆかりの安国寺(加東市東条町)で盛大な法要を営んで葬ったと伝えられています。
この事件を嘉吉の乱と呼び「嘉吉物語」や「嘉吉太平記」に詳しく書かれています。
足利義教の首級は7月1日、季瓊真蘂が赤松満祐に会い、義教の首の返還を求めた。
赤松満祐は快く首を返還した。真蘂が京都へ首を持ち帰り、7月6日に等持院で
義教の葬儀が行われた。
室町幕府側の管領細川持之の要請で嘉吉の乱から2か月後に朝廷から赤松追討の綸言を得て
幕府軍として赤松勢と明石、塩屋で合戦し、小勢の赤松軍は敗れました。明石での合戦では
赤松満祐の弟の赤松祐尚が大蔵谷に陣を構え幕府軍と戦いました。赤松祐尚は中巌和尚を
敬慕していましたので、居城を三木に移すにあたり、陣屋の跡を寺院にしたと言います。
墓地には赤松祐尚夫妻の墓があり、夫婦の法号の「見江院」「大蔵院」が山号と寺名に
なっています。これが大蔵院のはじまりです。

赤松満祐は本拠地赤松村に帰り、城山城で戦ったが敗れて満祐は自害、子の教康も
逃げる途中で自害した。赤松満祐が将軍として擁立した足利義尊も殺されました。
この乱(嘉吉の乱)で播磨、備前、美作3国は没収され赤松氏の嫡流家は滅亡した。




上の写真は御本尊中央の波切不動尊像


上の写真は御本尊右手の聖観音像


上の写真は御本尊の薬師如来像



上の写真は長楽寺境内の蔵民露彰碑(大本重太郎)
大本重太郎は明治3年(1870)赤穂郡(上郡町)高田村に生まれる。
小学校訓導、高雄、高松、岩木の各学校の校長を務めた。
砂子(まなご)区長となり村道改修などに尽力した。
墓碑は昭和8年(1933)に建立された。






上の3枚の写真は長楽寺本堂横の墓碑(井関家、竹川家)

墓所には砂子の出身で茶道と華道で活躍した山崎寅三郎先生の墓碑もあります。
先生は明治11(1878)年砂子生まれ。茶・華道師範。南山、茶道久田流師範代として
狐峰庵宗延と、また華道本法未生流第二世として叡昌斎南甫と号す。
息継ぎ井戸側に狐峰庵を構え、茶花を子女に教えた。墓碑は昭和25年(1950)に建立。


2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。
2018年4月24日の神戸新聞淡路W版で次のように紹介されています。
赤穂市はJR坂越駅前に4月24日レンタサイクル10台を置き運用を開始。1日300円
旧坂越浦会所や大避神社など散策モデルコースを記載した地図も設置

現地の写真を何枚か添付しておきます。








上の4枚の写真は2018-4-24に新規に設置されたレンタサイクルの自動配車システム
の遠景と操作説明など


上の写真は2018-4-24に設置された散策モデルコース

シリーズの記事Index

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

第24回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓 

第25回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その25 縮遠居

第26回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その26 忠魂碑

第27回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その27 黒崎墓所

第28回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その28 海の駅しおさい市場「くいどうらく」でのランチ

第29回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その29 赤穂化成

第30回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その30 坂越の嫁入り

第31回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その31(最終回) 生島と秦河勝伝説 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

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累計訪問者数 85万iPを突破 on 2018-10-27

2018年10月28日 04時12分39秒 | Weblog
2018年10月27日に累計の訪問者数が85万iPを突破しました。憶えの為、
記載しておきます。

本ブログも2004年に開設していますので約14年続けています。
あと何年生きれるか判りませんが死ぬまで継続出来たらと考えています。

直近の週間アクセス数(2018.10.21 〜 2018.10.27)4,506ip、21,705PV 761位
 
          (2018.10.14 〜 2018.10.20)4,963ip、15,482PV 726位

          (2018.10.7 〜 2018.10.13)5,187ip、15,871PV 685位

アクセスしていただいた方々に感謝致します。
これを励みに無理をしない程度に継続していきたいと思います。


尚、2018年10月27日(土)現在の累計閲覧数は3,460,292PVです。

過去のアクセス数に関するメモ

週間アクセス数 9918位に on 2011-7-10~7-16

累計訪問者数 40万iPを突破 on 2014-10-13
 
累計訪問者数 45万iPを突破 on 2015-9-24

累計訪問者数 50万iPを突破見込み on 2016-5-1

累計訪問者数 55万iPを突破 on 2016-10-31

累計閲覧数 200万PVを突破 on 2017-3-13

累計訪問者数 60万iPを突破  on 2017-4-1

累計訪問者数 65万iPを突破  on 2017-8-24

訪問者数、閲覧数に異変

累計訪問者数 70万iPを突破  on 2017-12-26

累計訪問者数 75万iPを突破 on 2018-4-28

累計訪問者数 80万iPを突破 on 2018-8-3

写真が無いと味気ないので最近撮影した写真を添付しておきます。



上の2枚の写真は兵庫県立美術館の海側に設置の「サン シスター」通称「なぎさ」
撮影:2018-10-26
平成27年(2015)6月28日にお披露目式があった新しいオブジェ「Sun Sister」
(サン・シスター)の作者は矢延 憲司(ヤノベケンジ)さん。 愛称「なぎさ」は
安藤忠雄建築の兵庫県立美術館の建物を背景に建っています。

摩耶大橋やたまに通る船の景色は心を和ませてくれます。

関連ブログ:「なぎさ」に関するもの
  兵庫県立美術館の新しいオブジェ「Sun Sister」(サン・シスター) on 2015-7-10
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有馬鉄道(国鉄有馬線)の有馬駅 

2018年10月28日 04時04分30秒 | 昔こんなものがあった 大正編
2018年10月25日、神戸文書館に調べものに行った時に偶然、表題の写真を見つけました。
そこでかって有馬町にあった有馬鉄道(国鉄有馬線)の有馬駅の写真を紹介します。


上の写真は有馬川に架かる乙倉橋の手前から観た国鉄有馬駅の駅舎を見たものです。
出典:上述の神戸文書館展示

国鉄有馬線の前身は有馬鉄道株式会社で片岡直温ほか29名の発起人で大正2年(1913)11月
資本金50万円の有馬軽便鉄道を計画して翌年、大正3年(1914)7月山脇延吉が社長となって
有馬鉄道株式会社を創立した。
大正4年(1915)4月16日、三田~有馬の約12.2Kmの単線が完成した。
駅名は次の通り、有馬-有馬口-新道場-塩田-三田
路線の完成と同時に鉄道院(後に鉄道省その後、運輸省になる)に路線を貸した。(10年契約)
借用料は年間23,000円。有馬鉄道は線路や駅舎などの施設を所有するのみで、運行は
鉄道院が行い、蒸気機関車や客車・貨車は鉄道院のものであった。
大正8年(1919年)、政府が買収し国鉄有馬線となりました。(昭和18年6月30日に廃線)
有馬線を手放した有馬鉄道の山脇延吉らは、神戸と有馬・三田を結ぶ鉄道事業に着手し、
神戸有馬電気鉄道(現:神戸電鉄)を開業させています。

神戸電鉄関連サイト
  神戸電鉄開業90周年と山脇延吉




上の2枚の写真は国鉄有馬線有馬駅の駅舎を含むものです。
出典:出典:鷹取嘉久 著「見て聞いて歩く有馬」(1996)Page69



上の写真は大正5年5月に実測された有馬町市街地実測図で国鉄有馬駅という名称で
記載されています。




上の2枚の写真はGoogle地図で見た国鉄有馬駅跡付近の地図とGoogleストリートビュー
で乙倉橋付近から観た国鉄有馬駅跡方面を見たものです。

国鉄有馬駅跡は先山クリニックとミント・リゾートイン・アリマの敷地となっています。
コメント (2)
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有馬温泉 ラジウム温泉

2018年10月27日 05時15分29秒 | 昔こんなものがあった 大正編
2018年10月25日、神戸文書館に調べものに行った時に偶然、表題の写真を見つけました。
そこでかって神戸市北区有馬町にあったラジウム温泉の写真を紹介します。


上の写真が昭和3年(1928)頃に撮影のラジウム温泉
ラジウム温泉は大正4年(1915)11月に開業しました。インドサラセン近世様式を混用
した洋館(建坪200坪、敷地500坪)であったが昭和13年(1938)の阪神大水害で流失した。
この間、神有電鉄(現在の神戸電鉄)に昭和4年(1929)から10年間無償で有馬町が貸した。


上の写真は大正6年(1917)に撮影の有馬温泉 ラジウム温泉
出典:鷹取嘉久 著「見て聞いて歩く有馬」(1996)Page22


上の写真は神戸有馬電鉄沿線名勝図に描かれたラジウム温泉の位置
神戸有馬電鉄沿線名勝図は昭和3年(1928)神戸有馬鉄道(株)により発行の鳥瞰図で
作者は吉田初三郎氏です。



上の写真は大正5年5月に実測された有馬町市街地実測図でラジウム新温泉という名称で
記載されています。
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広東小菜と点心 黄老 さんちか店 でのランチ on 2018-10-19&2018-10-25

2018年10月26日 04時10分54秒 | 神戸情報
広東小菜と点心 黄老 さんちか店 でのランチを写真紹介します。
訪問日:2018年10月19日(金)、10月25日(木)

広東小菜と点心 黄老 さんちか店の基本情報
住所:神戸市中央区三宮町1-10-1 さんちかレストランモール
TEL:078-391-1930
料理のジャンル:中華料理 広東料理
営業時間:11:00~21:30


10月19日のランチ
当日は兵庫県立美術館のエッチング(銅版画)の初日で出かけており三宮で奥様と
待ち合わせて食事(ランチ)をしました。
当日注文したのは楽華セット 1,300円(税込)



上の写真は私が選択した広東風酢豚と白ネギ入りのあっさり汁すば(ハーフ)及び
奥様が選択した旬の野菜入り八宝菜と白ネギ入りのあっさり汁すば(ハーフ)


上の写真は広東風ミニチャーハンが加わりメインが揃った状態。


上の写真は焼売せいろ蒸し


上の写真は本日のデザートと飲茶

10月25日のランチ

当日は午前中、後藤回漕店を調べる為に神戸文書館に出かけていました。
当日注文したのはワンコインセット。内容は「五目あんかけご飯」500円(税込)
10月19日から10月31日のさんちかグルメフェスタの特別メニューです。

上の写真がワンコインセット


上の写真は「さんちか夢広場」に設置の「さんちかグルメフェスタ」のプレゼント応募箱
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牛角 須磨パティオ店でのランチ on 2018-10-22

2018年10月25日 05時00分49秒 | 神戸情報
2018年10月22日、牛角 須磨パティオ店でランチを頂きましたので写真紹介します。
初訪問です。

牛角 須磨パティオ店の基本情報

住所:神戸市須磨区中落合2-2-3 須磨パティオ3番館1階 TEL:078-797-5829
営業時間:ランチ(平日のみ) 11:00〜15:00(LO 14:30)
     夜(日曜も営業)  17:00~23:00(LO 22:30)
定休日:須磨パティオに準ずる オープン日:2018年4月19日


公式サイト:http://www.gyukaku.ne.jp/




上の写真は当日頂いた熟成赤身ロースランチ 890円(税別)です。
次回はカルビを食べて見たいのですが・・・・
下記の理由で再訪問が叶うかどうか判りません。
基本的に奥様が焼肉やキムチを好まないのでめったに焼肉を食べていません。
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2017年日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に追加認定された神戸の7件の構成文化財

2018年10月24日 05時50分33秒 | 神戸情報

2018年5月24日、文化庁は地域の歴史遺産や文化財の魅力を伝えるストーリーを認定する
「日本遺産」に13道県の13件を選んだと発表した。

兵庫県からは2017年度の日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
〜北前船寄港地・船主集落〜」で5市町(神戸、高砂、赤穂、洲本市、新温泉町)を含む
27市町が追加認定された。

今回は、神戸のストーリーの7件の構成文化財を取り上げる。

北前船と日本遺産については神戸市が下記のサイトで纏められています。

https://www.kitamae-bune.com/travel/兵庫県神戸市/


1.神戸大学海事博物館
 北前船収蔵資料

  北前船の和船模型、和船部分実物、船大工の板図や大工道具類、航路図や海路図屏風
  絵馬などが展示されています。

  写真はすべて2011年12月9日の撮影




上の2枚の写真は北前船の模型


上の写真は徳川時代(江戸時代)の千石船の絵


上の写真は千石船模型(いさば作り)高砂市の曽根天満神社より寄託


上の写真は北前船の中で使用の箪笥など


上の写真は和船の製造に使用された大工道具類と船大工の板図




上の2枚の写真は塩廻船「住吉丸」の模型と説明書き


上の写真は展示室の遠景


2.敏馬神社「弁財船絵馬」
北前船の船主らが航海安全を祈願し敏馬神社に奉納された絵馬が残っています。


上の写真は三光丸の絵馬 奉納者:桝屋喜平次 延享3年(1746)元日に奉納 
平成19年(2007)4月神戸市の有形文化財に指定されています。
撮影:2011-11-25


上の写真は7号絵馬 撮影:2011-11-25


上の写真は13号絵馬 撮影:2011-11-25


上の写真は弁財船(樽廻船)の解説(現地説明板) 撮影:2011-11-25

3.神戸海洋博物館
北前船収蔵資料
 北前船の錨や船箪笥、ハカリ、筆箱など

 館内撮影禁止につき写真無し

4.高田屋嘉兵衛献上燈籠
北前船で財をなした高田屋嘉兵衛が海上交通安全を願って奉納した燈籠が現存




上の写真(2枚)が高田屋嘉兵衛の奉納の石灯籠。
奉納された時期は文政7年(1824)。
ちぢみ地蔵としても有名な鎮守稲荷神社の鳥居の外側に
高田屋嘉兵衛が奉納した石灯籠があります。

5.工楽松右衛門の墓


上の写真は工楽松右衛門の墓です。
所在地は神戸市兵庫区羽坂通2丁目1の八王寺(福昌寺)の境内です。
工楽松右衛門は北風家の番頭をしていた喜多二平の家に長年住んでいて、
研究を重ねながらついに帆の製造方法を発明した人物です。

工楽松右衛門の年譜を添付しておきます。Wikipediaの情報に修正加筆

1743年(寛保3年) - 播州高砂(現在の兵庫県高砂市高砂町東宮町)の漁師の
            長男として生まれる。姓は宮本 
1758年(宝暦8年) - この頃兵庫に出て、佐比江町にある「御影屋」という船主のもとで
          船乗りになる。その後、兵庫の廻船問屋北風荘右衛門に知己を得て、
          その斡旋で佐比江町に店を構え、船持ち船頭として独立。
          持ち船を所有する廻船問屋として全国的に活躍
1785年(天明5年) - 木綿を使った厚手で大幅な新型帆布の織り上げに成功。
          「松右衛門帆」として全国に普及。
          のちに帆の開発で得た収益で「御影屋」を買収、当主となる。 
           
1790年(寛政2年) - 江戸幕府より択捉島有萌に船着場を建設することを命じられ着手する。
1791年(寛政3年) - この年の夏、択捉島の埠頭が竣工。2つの人工島を造成
1795年(寛政7年) -このころエトロフ島のシャナの港が完成。
1799年(寛政11年)- 高田屋嘉兵衛、エトロフ島とクナシリ島の航路を開く
1802年(享和2年) - 幕府から功績を賞され、「工楽」の姓を与えられる。
1804年(文化元年) - 箱館にドックを築造。その後、択捉開発や蝦夷地交易に使った
           函館の地所を、高田屋嘉兵衛に譲る。
1808年(文化5年) -故郷高砂の港の船の往来を容易にするため、私費で浚渫工事実施
1810年(文化7年) -高砂に居を構える、高砂港の築港完成
  高砂湊の改築工事について「ひろかずのブログ」が詳しく記述されています。

1811年(文化8年) -鞆ノ津(広島県福山市)において大波止、明神波止の修増築を行う
1812年(文化9年) - 8月21日(新暦換算1812年9月26日)死去。墓所は高砂の十輪寺、
            供養墓は神戸市兵庫区八王寺(福昌寺)にある。


 年譜などのさらに詳細は工楽松右衛門の公式サイト

姫路藩の依頼を受け高砂の新田開発や港湾の修築事業を工楽松右衛門の2代目、3代目が
請負いその職責を全うした。

6.高田屋嘉兵衛本店跡地










上の5枚の写真は高田屋嘉兵衛本店の地記念碑(ポケットパーク)

下は説明板の記述です。
高田屋嘉兵衛と西出町のつながりは深く、寛政2年(1790)、淡路島から来住した
嘉兵衛は、当地で船乗りとしての頭角をあらわし、嘉兵衛が引退する文政5年(1822)
まで、高田屋の本店は西出町に置かれていました。
嘉兵衛は、津名郡都志本村に生まれ、22歳のときに西出町ん廻船問屋・堺屋喜兵衛の
もとに身をよせ、もちまえの勇気と努力によって、わずか4年後には、千五百石の
辰悦丸を建造し船持ち船頭になりました。やがて廻船問屋として独立し、蝦夷地(北海道)
の開発、日露間の紛争の解決などに活躍し、兵庫津の繁栄につくしました。
嘉兵衛が本店の地に定めた西出町は、ふるくは「佐比江の入り江」が深く入り込んだ
浜辺でしたが、江戸時代の前期に、兵庫津の出町として町場が形成され、北前船まどの
廻船がさかんに兵庫津へ寄港するようになると、「佐比江の入り江」は船入り江(北船入)
として活況を呈するようになりました。
この碑のすぐ西側には、明治中期まで船入り江がありました。
かつて船入り江をのぞんで高田屋の本店・倉庫などが建ち並んでいたと、
古老の話がのこされています。
 2003年3月 西出・東出・東川崎地区まちづくり協議会


参考として元禄9年(1696)9月、坂田又右衛門が尼崎藩に対して提出した絵図(部分)と
神戸市埋蔵文化財センター「兵庫津遺跡第52次発掘調査報告書」の地図を添付します。
(下の2枚の写真)



佐比江の入り江や川崎船入江さらに旧湊川が描かれています。

高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)

明和6年1月1日(1769年2月7日) 、淡路島
(現在の兵庫県洲本市五色町都志村)の農民の子として生まれる。
寛政2年(1790)22才で兵庫の西出町に移り船子。
       堺屋喜兵衛のもとで樽廻船の水主として活躍
寛政4年(1792)24才で船頭。
  江戸までの新酒輸送で一番乗りを競う新酒番船で優勝するなど優秀な船乗りであった
寛政8年(1796)辰悦丸(1,500石船)を酒田で建造し、船持ち船頭となる。
       当初は和泉屋伊兵衛との共同出資であったがのちに譲り受けた

上の写真は七宮神社奉納の辰悦丸の模型(上述「江戸時代の兵庫津」より)
  西出町に諸国物貨物運漕高田屋嘉兵衛の看板をあげていた。
  上方の塩、酒、綿糸などを積み込み日本海航路の阪田や越後でそれらを販売し
  米を買い入れ蝦夷地で売るという商売が当たり巨万の富を得る。
寛政10年(1798)函館に出店を開き、函館の基盤整備に私財を投じた
寛政11年(1799)近藤重蔵や間宮林蔵、最上徳内などの幕府役人と接触し、
            信を得て蝦夷地交易を許可される。
            幕命で蝦夷地御用船頭となり択捉島への航路を開く
寛政12年(1800)択捉島の漁場を開く
享和元年(1801)幕府より苗字帯刀を許されている
              (蝦夷地常雇船頭に任じられる)
文化3年(1806)箱館の大火の折、被災者の救済活動と復興事業を率先して行う

文化9年(1812)幕府によりロシア軍艦ディアナ号艦長ゴローニンが捕えられた報復として、
     高田屋嘉兵衛は国後島でリコルドにより捕えられた(ゴローニン事件)。
      注)P.I. リコルド(1776-1855)は当時ディアナ号副艦長
     ディアナ号でカムチャツカ半島ペトロパブロフスク・カムチャツキーへ連行されるが、
     ロシア側を説得して翌年(1813)帰国。
文化10年(1813)帰国後の嘉兵衛は松前奉行を説き伏せ、ロシア側に侵略の意図が無い
     ことを納得させ、人質解放に尽力した。
     日ロ双方に対し、献身的に折衝し、両国から賞賛された。
文政元年(1818)事業のすべてを弟の金兵衛に譲り、故郷の都志に隠居
           故郷の港湾改修などに協力

 文政10年4月5日(1827年4月30日)59歳で生涯を閉じる。



7.舞子延命地蔵
北前船で財をなした北風荘右衛門などが航海の安全を祈願して造営された地蔵尊。


上の写真は舞子延命地蔵を正面から撮ったものです。

舞子の浜の沖合いは、昔から潮の流れが速く航海の難所として知られていました。
文政8年(1825)年おきを通る船の安全と村の平穏を願って、明石藩の許可を得て
玉垣に刻まれているように多くの方の寄進を得てお地蔵様が御影の石工により
建設されました。
延命地蔵尊を製作した石工の名前は摂州灘石屋村長谷文左衛門で
地蔵尊は文政8年(1825)4月13日に御影から舞子浜に船で運搬された。
建設は同年の10月から11月にかけて明石の石屋六兵衛が中心となり行われました。
完成は同年11月24日で餅まきが行われたそうです。
建設にあたっては山田村の庄屋中津源左衛門が摂州西成郡難波村の四国二十一
行者返礼中祖恵心と大坂堂嶋住吉屋喜助の協力を得て文政7年(1824)3月
24日に当時の郡代に設置の願書を提出したことに始ります。


昔は松ノ木の枝にできる榴のところを切ってきてそれで台座を叩きながらお経や
御真言をあげていましたが、戦後あるときからタタキ地蔵などと呼び
お地蔵様を叩いて拝みなさいと間違った説明をした為、木槌で叩かれた部分が
剥げ落ちてしまっています。台座を叩くようにしてくださいと注意書きされています。


上の写真は宝篋印塔(一番左)と供養墓や地蔵群です。
真ん中の供養塔には文政10年(1827)の文字が刻まれています。


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ひょうご五国博 ふれあいフェスティバル in 東播磨

2018年10月23日 17時55分16秒 | 神戸市以外の兵庫県
<イベント>五国の魅力満載、フェスにぎわう 明石 /兵庫

2018年10月20日(土)と10月21日(日)に行われたひょうご五国博 
ふれあいフェスティバル in 東播磨の様子をレポートされています。



上の写真はきしろスタジアムエリアの「祝 日本遺産決定! 北前船寄港地」で
出展の神戸市:樽屋五兵衛
   高砂市:あきら food company
   赤穂市:坂越のまちなみを創る会
   洲本市:洲本市
   新温泉町:道の駅山陰海岸ジオパーク浜坂の郷






上の3枚の写真は第40回 兵庫県民 農林漁業祭におけるハタハタなどの干し物
(香住町)
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