CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

揚げたて 天ぷら定食 まきの 西神中央プレンティ店でのランチ on 2023-6-21

2023年06月30日 03時28分44秒 | 神戸情報
2023年6月21日、揚げたての天ぷらで人気の「まきの 西神中央プレンティ店」で
まきの定食と天ぷら定食を頂きましたので写真紹介します。
久しぶりの訪問でした。

まきの 西神中央プレンティ店の基本情報
住所:神戸市西区糀台5-2-3 二番館 2階608区画 TEL:078-992-3778
営業時間:11:00~22:00 定休日:なし(不定休)
オープン日:2019年9月25日 運営会社:トリドール
トリドールの公式サイト:https://www.toridoll.com/

上の写真は当日、私が注文したまきの天ぷら定食 1,199円(税込)
最初に出てきた天ぷらは海老、イカ、キス 全部で六品

上の写真は奥様が注文した魚介天定食 1,089円(税込)
最初に出てくるのはまきの天ぷら定食と同じ海老、イカ、キス 全部で五品
上の写真はご飯のおかずに頂いた「イカの塩辛」と「ゆず大根」
食が進みます。
ご飯のお替りは自由です。今回は2人ともお替りしませんでした。
上の写真は私の2回目に揚がってくる「とり」と「かぼちゃ」の天ぷら
奥様は「かぼちゃ」と「舞茸」が揚がってきます。奥様はこれで終了。

上の写真は私の3回目の「かぼちゃ」の天ぷら
上の写真は主な定食のメニュー表です。

上の写真は新しく加えられた「ちょい蕎麦」の案内

11時の開店と同時に入店したのでスタンド席ではなく数少ないボックス席に座ることができました。
落ち着いた雰囲気でゆっくりと食事を楽しめました。

食後、双日が企画オープンさせたエキソアレの2階にある「エクセルシオールカフェ (Excelsior Caffe)
でティータイムとなりましたのでその写真も添付しておきます。 
エクセルシオールカフェ (Excelsior Caffe)はドトールの別ブランドのお店です。

上の写真は私が注文したアイスコーヒー380円(税込)
上の写真は奥様が注文したHC(キリマンジャロ)530円(税込)



過去の訪問記

 

 








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2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のモデル 蔦屋重三郎

2023年06月29日 03時56分26秒 | Weblog
NHKは2023年4月27日、2025年に放送予定の大河ドラマ(第64作)が
べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に決定したと発表した。
主演は俳優の横浜流星さん(26)が務める。
江戸時代の版元で浮世絵師の喜多川歌麿や葛飾北斎を世に出したことで
知られる蔦屋重三郎の生涯が描かれます。
脚本は森下佳子さんが担当されます。制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典 演出:大原拓

2024年8月からクランクインするそうです。森下佳子さんがどの様に描かれるか
今から楽しみです。
NHKからの案内にリンクしておきます。

最近のNHKの大河ドラマと主演者は下記のとおりです。
2012年『平清盛』松山ケンイチ
2013年『八重の桜』綾瀬はるか
2014年『軍師官兵衛』岡田准一
2015年『花燃ゆ』井上真央
2016年『真田丸』堺雅人
2017年『おんな城主直虎』柴咲コウ
2018年『西郷どん』鈴木亮平
2019年『いだてん~東京オリムピック噺~』中村勘九郎&阿部サダヲ
2020年『麒麟がくる』長谷川博己
2021年『青天を衝け』吉沢亮
2022年『鎌倉殿の13人』小栗旬

2023年『どうする家康』松本潤 現在放送中
2024年『光る君へ』吉高由里子 2024年放送予定

そこで、蔦屋重三郎(1750-1797)について調べるため兵庫県立図書館から下記の
4冊の本を借りてきました。

1)別冊太陽 「蔦屋重三郎の仕事」平凡社(1995.4)


2)倉本初夫「探訪 蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人」(1997.6)

3)松木寛「蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者」(1988)

4)鈴木俊幸「新版 蔦屋重三郎」平凡社(2012)

これらの中から気になる事項について記述していきます。
本題に入る前にWikipediaより蔦屋重三郎の基本情報と年譜を記載しておきます。

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)(1750-1797)
 基本情報:
 生まれ:寛延3年1月7日(1750年2月13日)
 死去: 寛政9年5月6日(1797年5月31日)
 父:丸山重助 吉原で遊郭の勤め人であった 
 母:津与 
 出生地:江戸吉原 略称:蔦重
 のちに喜多川氏の養子になった。名前は喜多川柯理(からまる)
 「蔦屋」は喜多川氏の屋号。
 吉原の茶屋といわれる。また、「耕書堂」とも号した。
 蔦屋の商標は富士山形に蔦の葉 
 年譜:
 安永2年(1773年)、重三郎は吉原大門の前に書店を開き、
 はじめは鱗形屋孫兵衛に独占されていた吉原細見
 (店ごとに遊女の名を記した案内書)の販売、出版から
 出版業に関わっていった。

 安永3年(1774年)、遊女評判記『一目千本』を出版
      
 安永4年(1775年)、吉原細見『籬の花』を出版

 安永9年(1780年)、売れっ子作家・朋誠堂喜三二の黄表紙
  を出版したのを手始めに本格的に出版業を拡大。
  かねてから付き合いのあった狂歌師たちや絵師たちを集め、
  それまでにない斬新な企画を統括し(プロデューサー業)
  洒落本や狂歌本などでヒット作を次々に刊行した。

  天明1年(1781年)、喜多川歌麿 『身貌大通神略縁起』
  黄表紙 志水燕十作を出版

 天明3年(1783年)、丸屋小兵衛の株を買取り一流版元の
  並ぶ日本橋通油町に進出、洒落本、黄表紙、狂歌本、絵本、
  錦絵を出版するようになる。浮世絵では喜多川歌麿の名作を
  世に送ったほか、栄松斎長喜、東洲斎写楽などを育てている。
  鳥居清長、渓斎英泉、歌川広重らの錦絵を出版している。

 天明7年(1787)-寛政5年(1793)
  松平定信による寛政の改革により、娯楽を含む風紀取締りが厳しくなる。

 天明8年(1788年)、喜多川歌麿 『画本虫撰』 絵入狂歌本

 寛政3年(1791年)、山東京伝の洒落本・黄表紙『仕懸文庫』
  『錦の裏』、『娼妓絹?(しょうぎきぬぶるい)』が摘発され
  蔦屋重三郎は過料により財産の半分を没収、京伝は手鎖50日
  という処罰を受けた。

 寛政3年(1791年)‐寛政4年(1792年)頃
  喜多川歌麿 「婦女人相十品」 大判 錦絵揃物

 寛政5年(1793年)頃
  喜多川歌麿 「歌撰恋之部」 大判 錦絵揃物

 寛政6年(1794年)5月 - 寛政7年(1795年)1月
  東洲斎写楽の版画全作品役者絵を出版する

 寛政9年5月6日(1797年5月31日)、48歳で没。
  脚気であったという。

 寛政10年(1798年)
  北尾重政、葛飾北斎、鳥文斎栄之ほか 『男踏歌』 絵入狂歌本


蔦屋重三郎の人間像
石川雅望は墓碑に蔦重のことを次のように書いています
「志気英遇にして、細節を修めず、人に接するに信を以てす」
(人に抜きんでた優れた気性をもち、度量が大きく細かいことにこだわらず、人に対しては
 信義を尊重する)

狂歌師「蔦鳥丸」=蔦屋重三郎の画


山東京伝『箱入娘面屋人魚』寛政3(1791)年
出典:国立国会図書館デジタルコレクション。
蔦屋重三郎が口上を述べる姿が描かれている。左端の「蔦唐丸」は蔦重の狂歌師名。

吉原細見-創業
吉原の大門そばに小さな本屋を出し、吉原お遊びガイドブック「吉原細見(よしわらさいけん)」
の小売を始めた。
店の名前は耕書堂 とした。
当時吉原細見を出版していたのは老舗の版元鱗形屋孫兵衛であったが、
蔦重はその支援を受け、吉原細見の小売から編集制作、出版に手を広げていきます。
上の写真は新吉原大門口時代の蔦屋店頭 出典:3)Page34
江戸時代、享保年間(1716-1736)の版元は取り扱う本の種類によって
書物問屋と地本問屋の2つに分けられた。
 書物問屋:堅い内容の本(例:儒学書、仏教関係書、歴史書、医学書など)
 地本問屋:草双紙や絵双紙などえどの地で出版された書籍を扱う
  例として黄表紙(青本)、洒落本、読本、錦絵、浮世絵、一枚摺、吉原細見、長唄本、道中すごろく

蔦屋重三郎は小売り本屋から出発し地本問屋として商売を発展させていきます。

日本橋通油町へ
上の写真は日本橋通油町の蔦屋店頭 出典:3)Page8
安永9年(1780)、老舗の版元鱗形屋孫兵衛が破産したことにより売れっ子作家の朋誠堂喜三二
恋川春町がフリーになった。蔦重は彼らと手を組み、この年に突如15種もの書籍を刊行。
従来から付き合いのある朋誠堂喜三二北尾重政勝川春章なども出版に貢献しています。
それからも人気作家と組みヒット作を世に送り、地本問屋の中でも隆盛を誇る存在になっていきます。

黄表紙の出版
安永9年(1780)、蔦重は朋誠堂喜三二を起用して黄表紙(大人向け小説)の出版をスタート。
当初は恋川春町、市場通笑、芝全交、伊庭可笑などが代表的な作家であった。

その後、山東京伝(1761-1816)をはじめ下記の作家が活躍します。
下の写真は山東京伝の寛政3年(1791)作の黄表紙作品「仕懸文庫」の一部
出典:3)Page101


南杣笑楚満人、唐来参和、岸田杜芳、志水燕十、森羅亭万象、太田南畝、恋川好町など。


蔦重、狂歌に傾注する 
安永10年(1781)蔦重31歳の頃、狂歌ブームが起こります。天明3年(1783)頃がピーク。
時代の趨勢に敏感な蔦重は狂歌の世界に身を投じる(狂歌名:蔦唐丸 


蔦屋重三郎と浮世絵
蔦重が役者絵の浮世絵の出版を始めたのは寛政3年(1791)頃からである。
喜多川歌麿の美人画などの名作を世に送ったほか、栄松斎長喜東洲斎写楽などを育てている。
上の写真は東洲斎写楽の役者絵 寛政6年(1794)の作 出典:1)Page106
写楽作品は全て蔦重の店から出版されています。

その他、蔦重が世に送った浮世絵師として北尾重政、勝川春章、山東京伝(北尾 政演 )、
北尾政美などがいます。
上の写真は喜多川歌麿の代表作の1つ「寛政三美人」1793年作 出典:1)Page93
上の写真は栄松斎長喜の作品「日の出美人」 出典:1)Page99

「TSUTAYA」と蔦重
レンタルビデオ・書店大手企業の1つである「TSUTAYA」は、創業者の祖父が営んでいた屋号が
「蔦屋」だったことに加え、写楽など有名絵師を世に送り出した蔦屋重三郎にあやかって
名付けられたともいいます。

菩提寺 日蓮宗「正法寺」
 正法寺の住所:東京都台東区東浅草1-1-15
 蔦屋重三郎(喜多川柯理)の法号「幽玄院義山日盛信士」
 寛政9年5月6日(1797年5月31日)没

正法寺の墓碣銘(いしぶみ)
喜多川柯理墓碣銘の起草者石川雅望(1753-1830)は宿屋飯盛という名の狂歌師で
天明狂歌四天王の1人である。
上の写真が石川雅望が書いた正法寺の喜多川柯理墓碣銘 出典:3)のPage39

正法寺の実母顕彰碑の碑文
上の写真は大田南畝(なんぽ)(蜀山人) が書いた実母顕彰の碑文

上述の喜多川柯理墓碣銘と実母顕彰の碑は正法寺で再建されています。
多くの方が現地を訪問して写真撮影されていますのでリンクさせていただきました。

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古代の東アジアで最長…2m37cmの「蛇行剣」 奈良・富雄丸山古墳から出土 初めて公開 (2023/06/27 20:20)

2023年06月28日 06時01分16秒 | Gooニュース
古代の東アジアで最長…2m37cmの「蛇行剣」 奈良・富雄丸山古墳から出土 初めて公開 (2023/06/27 20:20)

奈良・富雄丸山古墳から出土の2m37cmの「蛇行剣」が報道陣に公開されたYoutube動画です。
Gooで共有させていただきました。

蛇のように曲がった蛇行剣は発掘後、土やさびを取り除くクリーニングなどの処理をしていて
実物は非公開だった今回片側のクリーニング作業が終了し報道陣に公開された。
エックス線撮影や付着物の化学分析も併せて実施された。
その結果、さやは木製で、剣には漆を伴う装具の跡が残っていた。
漆の表面はさらに、水銀が主成分の鉱物「辰砂」を用いた赤色顔料による彩色があった。
剣は七カ所ほど曲がっているとみられる。
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今日は何の日 6月28日 「邦字新聞発行の日」

2023年06月28日 04時28分56秒 | Weblog
6月28日は「邦字新聞発行の日」。1864(元治元)年6月28日、横浜・居留地141番(現・横浜市中区山下町141)で、ジョセフ・ヒコ(ジョセフ彦=浜田彦蔵)が、外国新聞を翻訳編集し、日本初の邦字新聞『海外新聞』を発刊した。現在は道沿いに「日本における新聞誕生の地」碑が立っている。ちなみに日本初の日刊新聞は、1871年(明治3)年12月8日、「横浜毎日新聞」が創刊された。

新暦で元治元年(1864)6月28日 旧暦では1864年5月25日
ジョセフ・ヒコは岸田吟香、本間清雄らの協力を受けて英字新聞を日本語訳して発刊されました。
1号から4号は手写しの新聞誌として創刊されたが2-3か月で廃刊となった。
翌年の1865年5月の通算5号からは海外新聞(海外新聞第1号)と名称を変更して発刊された。
上の写真は1864年に発刊された日本で最初の新聞「新聞誌」 第1号
 出典:播磨町郷土資料館編 「ヒコの新聞と錦絵新聞」平成25年(2013)Page5

上の写真は日本における新聞誕生の地のモニュメントです。
撮影:2014年3月14日   説明板の文章は下記のとおり。
 日本における新聞誕生の地
  ここ, 横浜の元居留地141番は, 1864(元治元)年6月28日,
ジョセフ彦が, 「海外新聞」を発刊した居館の跡である。
  彦は, リンカーン大統領と握手した唯一の日本人であった。
リンカーンの民主政治が勃興期の米国の新聞の力に負うところ
大なるを体得し, 開国したばかりの祖国のため, 日本最初の新聞を創刊し,
「童子にも読める」新聞精神を提唱した。
読みやすく, 判りやすい新聞を, 創世記の日本の新聞界に植えつけた
新聞の父・彦の功は大きい。
さらに木戸孝允, 伊藤博文, 坂本龍馬など多くの人びとに 民主政治を
伝えた彦は, 民主主義の先駆者として, およそ新聞を読む ほどの人々の
心の奥に残る文化の恩人であった。
    1994(平成6)年6月28日
    「海外新聞」発刊130年記念日に
        ジョセフ彦記念会

詳細は下記ブログで書いています。

海外新聞発行は26号まで続いたが赤字であったため、数ヵ月後に消滅した。
海外新聞の定期購読者は4名でしかもすべて九州の人であった。
1部が500文 1年間の購読料にして1両はあまりにも高価すぎた。
拡販のため大半は寄贈された。
それでもジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の新聞は一部の知識人の間で筆写され回覧され
読まれたとのこと。慶応元年(1865)7月発行の第5号にはリンカーンの暗殺をいち早く
報じています。ジョセフ彦は1862年3月2日にリンカーン大統領と会見しています。





 
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ドトール 姫路みゆき通り店でのモーニング on 2023-6-23

2023年06月28日 03時35分50秒 | 姫路市
2023年6月23日、ドトール 姫路みゆき通り店でモーニングをいただきましたので写真紹介します。
ドトールはよく行く店ですが過去にブログで書いたことは無く初投稿です。
また、姫路駅周辺で過去に食べたモーニングも纏めてみました。

ドトール 姫路みゆき通り店の基本情報
住所:姫路市 駅前町 237  TEL:079-226-5330
営業時間:平日、日曜日 7:00~21:00 土曜日7:00~21:30
定休日 :無休
支払い方法: カード可(VISA、Master、JCB、AMEX、Diners)
 電子マネー可(交通系電子マネー(Suicaなど)、iD、QUICPay)
公式HP:株式会社ドトールコーヒー (doutor.co.jp) 

上の写真は当日注文したモーニングセットA (ハムタマゴサラダ)450円(税込)
飲み物はホットコーヒー(ブレンド)

上の写真は店頭に掲示のモーニングセットのメニュー表です。

ドトールのモーニングメニューは下記サイトで紹介されています。


上の2枚の写真は当日座った席の前の掲示物とUSB充電コネクター
スマホを利用しているお客さんが多い

姫路駅周辺のモーニング
(1)ガスト姫路駅前店 



(2)はまもとコーヒー 

  (3)ローゲンマイヤー 姫路店

(4)つるまる饂飩 ピオレ姫路ごちそう館店 


(5)カフェ ベローチェ JR姫路駅東口店 


その他、ブログを作成したことはありませんがマクドナルド、なごみCafeでのモーニングも何回かあります。

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姫路市 With carry ウィズキャリーでのランチ on 2023-6-16

2023年06月27日 03時52分15秒 | 姫路市
2023年6月16日、山陽電鉄姫路駅に近い忍町のウィズキャリーでランチをいただきましたので
写真紹介します。訪問は2回目のお店です。
山陽電車の情報誌「ESCORT 2023年6月号」で紹介されています。

Cafe-bar ウィズキャリーの基本情報
住所:姫路市忍町12 ミストラル101 TEL:0792-87-6529
料理ジャンル:洋食
営業時間:月曜、水曜~土曜日11:30~24:00(LO23:30)
     日曜日11:30~22:00(LO21:00)
定休日:火曜日  英文名:With carry

所在地のGoo地図を添付しておきます。

上の写真は当日、注文した日替わりランチ 990円(税込)
コロッケと鶏唐揚げがメインでボリュームたっぷりのメニューでした。
サブのおかずも丁寧に調理されておりどれも美味い。
大満足でした。
前回訪問時はビール付きでしたが今回は飲み物とデザート付きで+290円で合計1,280円(税込)でした。
上の写真はサブの料理のアップです。




上の写真は日替わりランチのメニュー一覧です。

当日はカウンター席だったのでカウンター席からの雰囲気が判る写真を撮りました。

上の写真は当日注文した飲み物(アイスコーヒー)とデザート(プリン)290円(税込)。

当日は特別にBBQの場所の写真を撮らしてもらったので添付しておきます。
下の5枚のメルフェンティックな写真をご堪能ください。






前回の訪問記に他のメニュー表を添付していますのでリンクしておきます。

女性に人気のお店だと思います。お奨めできるお店です


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今週の予定 2023年6月26日(月)~2023年7月2日(日)

2023年06月26日 15時31分39秒 | 有用な情報
2023年6月26日(月)~2023年7月2日(日)今週の予定をお送りします。

6月26日~6月30日は日本の七十二候の第29候、「菖蒲華さく(あやめはなさく)
菖蒲の花が咲く時期ということですが、実際にはもう少し早く咲いています。
もうじきやってくるであろう厳しい夏の暑さに心を準備します。

7月1日から7月6日までは日本の七十二候第三十候「半夏生ず(はんげしょうず)」
7月2日頃は半夏生です。(夏至から11日目が半夏生)
「夏至は外せ、半夏生は待つな」という言葉があるほど、農家の人々にとって半夏生は
「田植え時期」を見定めるために重要な日だったそうです。
「夏至の後、半夏生になるまでに田植えを終わらせるとよい」という言い伝えが存在し、
半夏生の後は天候がよくても田植えはしないという習慣がありました。 

先週の写真

 まず、先週(’23年6/19~’23年6/25)に撮った写真を何枚か紹介します。

上の写真は通常国会閉会(6月21日)以降の政治日程 出典:NHKニュース解説

上の写真は神戸市埋蔵文化財センターの企画展「お初にお目にかかります 」の展示遠景
(撮影:2023-6-21)
詳細は下記ブログで書いています。

上の写真は6/24(土)日本時間16:40頃ロシアのプーチン大統領が緊急記者会見
出典:6月24日、7時からのNHK総合テレビNews7
テレビ各社で大きく報じられています。
プリゴジン氏が進軍停止を発表 ベラルーシ大統領が仲介か(2023年6月25日)
ワグネルの創始者でプーチンの料理人としても知られるプリゴジン氏の軍部中枢に対して
明確に反旗を翻したことにに対する対応。
色々な情報がいきかっていますが、プリゴジン氏はベルラーシに亡命か?
Key words:Yevgeny Prigozhin、Vladimir Putin、Wagner、Moscow、Belarus、Alexander Lukashenko、Wagner
モスクワに向けて進軍していたワグネルの部隊はモスクワまで200Kmに進軍したところで
Uターンし宿営地に向かっているとのこと。
ウクライナへのロシアの軍事侵攻に影響を与えそうな事件である。

AOLのニュースサイトにリンク

朝日新聞のサイトにリンク
今週の予定

6月26日(月)
 ・国連憲章調印記念日昭和20年(1945)国際連合設立決まる
 ・京王線車内の放火の服部被告(ジョーカー男)の初公判(東京地裁立川支部)
 ・バスケットボール女子アジア杯(~7/2、シドニー)
 ・緊急避妊薬の市販化を議論する検討会議(厚労省)
 ・小笠原が日本に復帰(1968)してから55年
 ・大相撲名古屋場所番付発表
 ・6月15、16日の日銀金融政策決定会合の「主な意見」公表
 ・EU外相会議

6月27日(火)
 ・小田急線車内で乗客を刺すなど殺人未遂罪に問われている被告の初公判(東京地裁)
 ・NHKが2022年度決算発表
 ・松本サリン事件(1994)から29年

6月28日(水) 
 ・貿易記念日
 ・栃木県那須町で登山講習中に8人が死亡した雪崩事故の賠償訴訟判決(宇都宮地裁)
 ・世界ニュースメディア大会(~6/30,台北)
 ・東京電力、関西電力の株主総会(大手電力による不正閲覧の発覚で紛糾か)
 ・プロ野球マイナビオールスターゲームのファン投票最終結果発表
 ・第1次世界大戦の発端となったサラエボ事件(1914)から109年
 
6月29日(木)
 ・元陸上自衛隊の女性隊員への強制わいせつ罪に問われた元隊員3人の初公判(福島地裁)
 ・EU首脳会議。対中関係などが議論されます
 ・北朝鮮による拉致問題解決に向けた国連シンポジウム(オンライン)
 ・定期株主総会の集中日
 ・東芝の株主総会(経営再建のTOBに関して紛糾か)
 ・UNESCOを脱退した米国の再加入を協議する臨時総会(~6/30、パリ)
 ・広島平和公園と米ハワイ州パールハーバー国立記念公園が「姉妹公園」締結(東京)
 ・MLB オールスター戦先発メンバー決定

6月30日(金)
 ・大祓い(夏越祭)
 ・臓器移植法違反(無許可あっせん)に問われたNPO理事長と法人の初公判(東京地裁)
 ・香港の国家安全維持法施行から3年
 ・5月の有効求人倍率と完全失業率(厚労省)

7月1日(土)
 ・京都祇園祭(7/1~7/31)
 ・博多祇園山笠(福岡櫛田神社)
 ・あばれ祭(石川八坂神社)
 ・電動キックスケーターの新交通ルール始まる
  (時速20km以下は免許不要、16歳未満の運転禁止など)
 ・中国で改正反スパイ法施行
 ・政府が東電管内の家庭、企業に8月末までの節電を要請
 ・富士山山開き(富士吉田市)
 ・自転車 ツール・ド・フランス(~7/23,スペイン&フランス)

7月2日(日)
 ・半夏生(夏至から11日目)
 ・うどんの日 
 ・大月市(山梨)、刈谷(愛知県)の市長選

梅雨入りと梅雨明け&土用の丑
近畿地方の2023年の梅雨入りは5月29日でした。
梅雨明けが何時になるのか気になる時期になってきました。
6月25日、沖縄地方では梅雨明け宣言がありました
そこで近畿地方における過去の梅雨入りと梅雨明けのデータを拾ってみました。

2022年の梅雨入りは6月14日、梅雨明けは6月28日でした
2021年の梅雨入りは6月12日 梅雨明けは7月17日
2020年の梅雨入りは6月10日 梅雨明けは7月31日
2019年の梅雨入りは6月25日 梅雨明けは7月24日 
2018年の梅雨入りは6月6日 梅雨明けは 7月9日 
2017年の梅雨入りは6月7日 梅雨明けは 7月19日 
2016年の梅雨入りは6月4日 梅雨明けは 7月18日 
2015年の梅雨入りは6月3日 梅雨明けは 7月20日 
2014年の梅雨入りは6月4日 梅雨明けは 7月21日 
2013年の梅雨入りは5月28日 梅雨明けは 7月8日 

土用とは立春(2月4日)、立夏(5月6日)、立秋(8月8日)、立冬(11月8日)の「節分」
の前の18日間のことを言います。土用の期間中、十二支の丑の日にあたる日の事を
土用の丑の日と言い2023年の夏の土用の丑は7月30日(日)となります。

丑は「土の中の神獣」を意味しています。

Wikipediaの解説によれば
土用の丑の日(どようのうしのひ)は、土用の間のうち十二支が丑の日である。
夏の土用の丑の日のことを言うことが多い。夏の土用には丑の日が年に1日か2日
(平均1.57日)あり、2日ある場合はそれぞれ一の丑・二の丑という。
厳密には土用は四季の毎季それぞれに1回ずつあり、土用の丑の日は年に平均6.09日ある。
以下、夏の土用の丑の日のことを単に土用の丑の日と呼ぶこととする。
平気法では土用の定義が異なる(ただし丑の定義は同じ)ため土用の丑の日が異なる年もあるが、
ここでは天保暦以来普及している定気法での土用を使う。


最後に全国の週間天気予報を添付して筆を置きます。
今回は最高気温のデータを添付しています。
出典は6月25日(日)NHK総合テレビ 夜 ニュース7 





今週は梅雨空が戻ってくるとの予想です。
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高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その1 菜の花ホール

2023年06月25日 05時42分41秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第1回で「菜の花ホール(高田屋顕彰館・歴史文化資料館)」について書いていきます。
菜の花ホールはウェルネスパーク五色の一角にあります。

散策にあたっては菜の花ホールで入手した地図(下の2枚の写真)を頼りに訪問しています。



菜の花ホール(高田屋顕彰館・歴史文化資料館)の基本情報
住所:洲本市五色町都志1087高田屋嘉兵衛公園内  TEL:0799-33-0354
開館時間:10:00~17:00  
休館日:火曜日(休日の場合その翌平日)1月後半と6月に公園全施設の休園日あり
入館料:大人500円(400円)、高・大学生300円(200円)、小・中学生200円(100円)
    (  )内は団体料金
開館:平成7年(1995)

上の写真は菜の花ホール(高田屋顕彰館・歴史文化資料館)の建物外観



上の写真は高田屋顕彰館・歴史文化資料館のリーフレット



上の写真は高田屋顕彰館・歴史文化資料館の展示の高田屋嘉兵衛像と概略説明文

展示の内容(1階)
 1)1階 辰悦丸 1/2模型と300inchハイビジョン


上記ビデオでは嘉兵衛の生涯を解説すると共に下記ドラマの制作の様子などが紹介されていました。
NHKテレビドラマ 『菜の花の沖』 2000年(嘉兵衛役:竹中直人、ふさ役:鶴田真由)
館内を見学する前にこちらの映像を観ることで高田屋善兵衛の生涯の概要を理解する上で
大変役立った。

 2)1階 和船模型


このコーナーでは北前船、菱垣廻船、樽廻船などの解説パネルが掲示されています
 3)1階 江戸のあかり(菜の花と北前船)




 4)1階 寒さとの闘い(木綿と北前船)


 5)1階 高田屋都志邸宅模型




 6)1階 箱館市の発展に寄与




 7)1階 高田屋店先



 8)1階 企画展




 9)商人高田屋嘉兵衛


 10)1階 ゴローニン事件




 11)1階 嘉兵衛リコルド像


 12)1階 司馬遼太郎関連


展示の内容(2階)

 1)2階 嘉兵衛とふるさと


上の2枚の写真は展示の遠景

上写真は高田屋嘉兵衛が眠る墓の写真及び多聞寺図で描かれた現在の高田屋公園のスケッチ
上の写真は長林寺にある高田屋嘉兵衛の位牌(中央)右は三弟の高田屋善兵衛
左は六弟の高田屋喜十郎
上の写真は嘉兵衛が寄進した都志八幡神社の随神門に関する説明パネル
 2)2階 北の海へ(北前船関連)



 3)2階 アイヌモシリ(異文化との出会い)



 4)ラックスマン来航(1792年)



 5)ニコライ レザノフの来航(1804年)







 6)ゴローニン事件(1808年)







高田屋嘉兵衛の年譜
明和6年1月1日(1769年2月7日) 、淡路島 都志本村
(現在の兵庫県洲本市五色町都志)で農民の子として生まれる。
父親は弥吉 6人兄弟の長男  幼名は菊弥
安永4年(1775)7才で都志本村の医師小出氏から読み書きを習う
天明元年(1781)13才 都志浦新在家の親戚弥右衛門方に寄宿して漁業をさらに
      同浦の和田屋喜十郎(妻は嘉兵衛の母親の妹)方で商売の手伝い
寛政元年(1789)21才 この頃、都志浦新在家の網屋幾右衛門の二女ふさと知り合う

寛政2年(1790)22才で兵庫の西出町に移り船子。
     堺屋喜兵衛(和田屋喜十郎の弟)のもとで樽廻船の水主として活躍
寛政4年(1792)24才で水主(かこ)から表仕(船の進路を指揮する役)に出世。
  江戸までの新酒輸送で一番乗りを競う新酒番船で優勝するなど優秀な船乗りであった
  兵庫の津、西出町でふさと世帯を持つ
寛政5年(1793)25才で沖船頭(雇われ船頭)に出世する。
寛政6年(1794)26才、紀州熊野沖で大規模な鰹漁を行う。
寛政7年(1795)27才、和泉屋伊兵衛の船に乗り、初めて出羽の酒田に航海。
寛政8年(1796)28才で辰悦丸(1,500石船)を酒田で建造し、船持ち船頭となる。
       当初は和泉屋伊兵衛との共同出資であったがのちに譲り受けた
       箱館に交易。高田屋の屋号を公称
上の写真は七宮神社奉納の辰悦丸の模型(「江戸時代の兵庫津」より)
  西出町に諸国物貨物運漕高田屋嘉兵衛の看板をあげていた。
  上方の塩、酒、綿糸などを積み込み日本海航路の阪田や越後でそれらを販売し
  米を買い入れ蝦夷地で売るという商売が当たり巨万の富を得る。
寛政9年(1797)29才 兵庫の家で太陽が北海から昇る夢を見て、北海雄飛の決意を新たにする
寛政10年(1798)30才で函館大町に出店を開き、函館の基盤整備に私財を投じた
寛政11年(1799)31才近藤重蔵や間宮林蔵、最上徳内などの幕府役人と接触し、
            信を得て蝦夷地交易を許可される。
            幕命で蝦夷地御用船頭となり択捉島への航路を開く
寛政12年(1800)32才近藤重蔵とともに択捉島の17カ所の漁場を開く
        幕府から蝦夷地開拓用の官船5艘建造の命を受け兵庫に帰る
享和元年(1801)33才 兵庫津を出発して官船5艘を箱館に回航する
        弟嘉蔵らと共にウルップ島など幕府の蝦夷地巡察に従う
        幕府より苗字帯刀を許されている。3人扶持、手当金27両
              (蝦夷地常雇船頭に任じられる)
        官許を得て箱館恵比須町の浅瀬を埋め立て、一角に屋敷を建設
享和2年(1802) 34才 エトロフ島アリモイに築港する
享和3年(1803) 35才 淡路・兵庫から ハマグリ、シジミ、コイ、フナ、鰻などを箱館近郊に移植
        摂津の池田より松、杉の苗木を函館山や亀田に植林
文化元年(1804) 36才 箱館港の改築、造船場の建設
文化2年(1805) 37才 箱館の開墾(大坂、淡路より農民数十戸を移住)
            江戸、大坂に出店
文化3年(1806) 38才 箱館の大火の折、被災者の救済活動と復興事業を率先して行う
            幕府の直捌(じかさばき)制度実施に伴い蝦夷地御用取扱人(物産売捌方)に指名される
文化4年(1807) 39才 箱館大火に伴い、類焼した自店の代わりに新たに土地を下附され
           箱館大町に新店舗を建てる。
      この年、自費で大坂より井戸掘り職人を箱館に呼び9カ所に井戸を掘る
     ニコライ・フヴォストフ(ロシア語版)が樺太、択捉島を襲撃に対して
     幕府は奥羽諸藩に出兵を命じた。嘉兵衛は兵の輸送にあたる
文化5年(1808) 40才 箱館・恵比須町に蔵9戸を建て、米価下落時に越後や東北から買い入れ
            非常時用の備米(そなえまい)とする
文化6年(1809)41才 幕府から官船(45隻)の功績とロシア来襲時の兵輸送等への尽力を賞せられる
           自費で松前街道を修理
文化7年(1810) 42才 場所請合制を復活させようとする幕府からエトロフ島場所請合を命じられる
文化8年(1811) 43才 ロシア軍艦ディアナ号艦長ゴローニンら8人クナシリ島で捕らえられる。
        
文化9年(1812)44才 幕府によりロシア軍艦ディアナ号艦長ゴローニンが捕えられた報復として、
     高田屋嘉兵衛は観世丸でエトロフ島から箱館に向かう途中国後島のケラムイ沖で
     8月13日(or14日)、リコルドにより捕えられた(ゴローニン事件)。
     
      注)P.I. リコルド(1776-1855)は当時ディアナ号副艦長
     ディアナ号でカムチャツカ半島ペトロパブロフスク・カムチャツキーへ連行されるが、
     ロシア側を説得して翌年(1813)帰国。
    ペトロパブロフスクでの抑留生活で、嘉兵衛たちは役所を改造した宿舎でリコルドと同居
    リコルドに対して事件解決の方策を話し合いたいと声をかけた。
    嘉兵衛はゴローニンが捕縛されたのは、フヴォストフが暴虐の限りを尽くしたからで、
    日本政府へ蛮行事件の謝罪の文書を提出すれば、きっとゴローニンたちは
    釈放されるだろうと説得した。
    リコルドは嘉兵衛の提言に従い、みずからの官職をもってカムチャツカ長官名義の
    謝罪文を書き上げ、自ら日露交渉に赴くこととした 。
     
    
文化10年(1813)45才 帰国後の嘉兵衛は松前奉行を説き伏せ、ロシア側に侵略の意図が無い
     ことを納得させ、人質解放に尽力した。
     日ロ双方に対し、献身的に折衝し、両国から賞賛された。
     9月26日、リコルドは函館でゴローニンらの引き渡しを受ける
     9月29日、リコルド、ゴローニンらを乗せたディアナ号は箱館を出航(ゴローニン事件の解決)
文化11年(1814)46才 嘉兵衛、許されて再び幕府の蝦夷地定雇船頭となる
        ゴローニン事件解決の功を賞せられ、幕府より金十両を下賜

文化13年(1816)48才 根室場所、荒天続きで漁獲が無く請負の高田屋は大損害を受ける

文政元年(1818)50才事業のすべてを弟の金兵衛に譲り、故郷の都志に隠居
           故郷の港湾改修、灌漑用池建設などに協力
    嘉兵衛の弟の嘉嘉兵衛が無事帰国できた事を感謝して都志八幡神社の随身門を寄進
文政4年(1821) 53才 幕府の政策変更により蝦夷地定雇船頭を免ぜられ、手当として米70俵を賜る
文政5年(1822) 54才 大坂野田に別荘を建て、病身の妻ふさを養生させる
文政6年(1823) 55才 都志本村と宮村の灌漑用川池築造に際し、費用のほとんどを拠出
文政8年(1825) 57才 都志浦の波戸修築工事に際し、10年間にわたり多額の寄付をする
文政9年(1826) 58才 津名郡塩尾浦の港改修工事に際し、銀66貫目(金千両)を寄付
            阿波藩主蜂須賀氏より名字帯刀を許される
             小高取格(300石取りの藩士並)待遇
文政10年4月5日(1827年4月30日)59歳で生涯を閉じる。法号は高譽院至徳功阿唐貫居士 
        葬儀は真言宗の長林寺で執行、都志本村「茅生の隈(ちふのくま)」に埋葬
        墓碑は多聞寺に建てられる。


家の蔵書より高田屋嘉兵衛の年表を紹介します。
出典:五色町教育委員会編「高田屋嘉兵衛」(1960) 著作権消滅
出典:童門冬二著「物語と史蹟をたずねて 高田屋嘉兵衛」成美堂(1988)

高田屋嘉兵衛を中心とした家系図
最後に高田屋嘉兵衛を中心とした家系図を添付して筆を置きます
出典:五色町教育委員会編「高田屋嘉兵衛」(1960) 著作権消滅

出典:童門冬二著「物語と史蹟をたずねて 高田屋嘉兵衛」成美堂(1988)

シリーズ記事のIndexを作成 2023年10月2日
洲本市五色町都志の散策シリーズIndex
 












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今日は何の日 6月24日 嘉吉の乱

2023年06月24日 15時37分22秒 | Weblog
神戸新聞では2023年から小史というコラムに加えて「今日は何の日」のコラムを掲載しています。
本日(6月24日)のコラムでは嘉吉の乱を取り上げています。
そこで嘉吉の乱について簡単に書いていきます。

嘉吉の乱(1441)
嘉吉元年(1441)6月24日、新暦換算では1441年7月21日
播磨、備前、美作3国の守護赤松満祐(あかまつ みつすけ)は京都の私邸(京都西洞院二条)で
室町幕府6代将軍足利義教公を殺害します。
さらに将軍の首級を奉じて播州河合(小野市)の堀殿城に帰ります。そこから
足利ゆかりの安国寺(加東市東条町)で盛大な法要を営んで葬ったと伝えられています。
この事件を嘉吉の乱と呼び「嘉吉物語」や「嘉吉太平記」に詳しく書かれています。
足利義教の首級は7月1日、季瓊真蘂が赤松満祐に会い、義教の首の返還を求めた。
赤松満祐は快く首を返還した。真蘂が京都へ首を持ち帰り、7月6日に等持院で
義教の葬儀が行われた。
室町幕府側の管領細川持之の要請で嘉吉の乱から2か月後に朝廷から赤松追討の綸言を得て
幕府軍として赤松勢と明石、塩屋で合戦し、小勢の赤松軍は敗れました。明石での合戦では
赤松満祐の弟の赤松祐尚が大蔵谷に陣を構え幕府軍と戦いました。赤松祐尚は中巌和尚を
敬慕していましたので、居城を三木に移すにあたり、陣屋の跡を寺院にしたと言います。
墓地には赤松祐尚夫妻の墓があり、夫婦の法号の「見江院」「大蔵院」が山号と寺名に
なっています。これが大蔵院のはじまりです。

赤松満祐は本拠地赤松村に帰り、城山城で戦ったが敗れて満祐は自害、子の教康も
逃げる途中で自害した。赤松満祐が将軍として擁立した足利義尊も殺されました。
この乱(嘉吉の乱)で播磨、備前、美作3国は没収され赤松氏の嫡流家は滅亡した。

上述した安国寺について2012年9月16日に訪問してブログを書いていますので概略を再掲載します。
兵庫県加東市にある安国寺(播磨安国寺)は、足利尊氏、直義が後醍醐天皇と
戦没者を弔い及び国家安泰を願い全国一国一寺の安国寺68ヶ寺を1338年
に発願し、1339年開創されたお寺である。 

安国寺(播州安国寺)の基本情報
住所:兵庫県加東市新定851  TEL:0795-46-0455
宗派:臨済宗妙心寺派 開基:固山和尚 山号:東渓山
本尊:十一面観音

詳細は下記ブログを参照してください。


上の写真は斑鳩寺三重塔。永禄8年(1565)再建。伽藍内最古の建物。重文(国)。
赤松政秀が、天下泰平を祈願して発願した、との銘文あり。
撮影:2018年4月18日



上の写真は斑鳩寺(兵庫県太子町)の鐘楼(中央)と講堂(左手)
撮影:2018年4月18日
鐘楼は天正3年(1575)、赤松広秀により再建

 
上の写真は赤松正秀(1510?-1570)とその子、赤松広英(秀)=斎村政広の供養塔
龍野城主で斑鳩寺の再建の功労者です
元兵庫県知事 金井元彦氏などが発起され昭和38年(1963)10月に建立
撮影:2018年4月18日
この供養塔の裏面に赤松正秀と赤松広秀を顕彰する文章が刻まれています。
「龍野城主赤松政秀文武の誉高く、その子広英亦文雅の才あり。藤原惺窩と善し、朝鮮の役
に捕虜となりし大需姜沆の三人、伏見の赤松邸に於て慶長三年九月より一年有半、四書五経
の訓点刊行を企て、戦乱の世にはじめて文芸復興の烽火(のろし)をあげ、但馬竹田で仁政を
布き、名君として慕われしが、関ヶ原の戦いに石田三成に味方し、家康の怒りにふれ、慶長五年
十月二十八日鳥取真教寺で自刃、年三十九才、赤松氏は悲しくも断絶した。斑鳩寺の鐘楼は、
国宝三重塔を創建した父政秀の遺志を襲(つ)ぎ、竹田より寄進したものである。ここに有縁の
士相寄り、政秀、広英父子の霊を弔い、その文化的偉業を永遠に顕彰するため、この碑を建立す。
昭和三十八年十月建立
  東大教授文学博士  阿部 吉雄
  作家        有馬 頼義
  兵庫県知事     金井 元彦
  聖徳太子奉賛会長  嵯峨山作一
  太子町長      上田 勝信
  竜野市・医学博士  田中 敬三
  元竹田町長     足立壮太郎
  斑鳩寺住職     大谷 智真」
赤松広英は関ヶ原の戦いでは最初西軍に属し細川幽斎篭る田辺城を攻め、その後蟄居して
いたところ亀井茲矩(これのり)に誘われて西軍の鳥取城を攻め開城させますが、鳥取城下を
放火した罪を家康より厳しく咎められ亀井茲矩に罪を擦り付けられ自刃しています。
この顕彰碑の両脇五輪塔があり由来が刻まれています。
赤松満祐が室町時代の将軍義教を謀殺したため、細川・山名の大軍に攻められ、その最後の
本拠地とした城山(きのやま)城で一族郎党が全滅した(嘉吉元年九月十日)。
そのとき、援軍の将である東播磨の小田城主依藤左衛門大尉源惟次およびその家臣が、城山城
の落城を聞き、いまの新宮町千本の草庵で自刃した跡に散乱していた遺骸をまとめて、赤松氏
のシンボルとして政秀、広秀親子の碑の両側に合祀したものである。
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令和5年(2023)の沖縄全戦没者追悼式 on 2023-6-23

2023年06月24日 03時56分29秒 | Gooニュース
沖縄県民の4人に1人(約20万人)が亡くなった沖縄戦から78年が経ちました。
沖縄戦で組織的な戦闘ができなくなった6月23日を沖縄慰霊の日と定められ毎年
沖縄戦で亡くなった方々を慰霊するイベントが行われています。
2023年の沖縄全戦没者追悼式は、過去3年新型コロナウイルスの感染拡大防止のため
一般参列者が4年ぶりに参列する従来の形に戻った。

本年は式には岸田文雄首相が出席されました。首相の出席は2年連続となりました。
 
実施要項は以下のとおりです。
実施日:2023年6月23日
場所:沖縄県糸満市摩文仁 平和祈念公園
沖縄全戦没者追悼式スケジュール:
 11:50  開式の辞      沖縄県副知事 池田竹州
 11:52   式 辞       沖縄県議会議長 赤嶺昇
  12:00 黙とう
 12:01 追悼のことば 沖縄県遺族連合会会長 宮城篤正
 12:05 献花(児童合唱あり)
 12:21 平和宣言   玉城沖縄県知事
 12:30 平和の詩朗読 つくば開成国際高校3年 平安名 秋さん
 12:37 来賓あいさつ  岸田文雄内閣総理大臣       
             細田博之衆議院議長、尾辻秀久参議院議長
            
 12:50? 閉式の辞 沖縄県副知事 照屋義実

会の全容については琉球放送のYoutube動画にGooで共有させていただきました。
【LIVE】慰霊の日 令和5年沖縄全戦没者追悼式(6月23日午前11時30分頃~)【配信】  

上の2枚の写真は黙祷場面
出典:2023年6月23日19:00からの、2ch NHK総合テレビ News7
上の写真は玉城知事の平和宣言
出典:2023年6月23日19:00からの、2ch NHK総合テレビ News7

玉城デニー知事の平和宣言(全文)
「1945年、今から78年前、ここ沖縄で一般住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられました。
90日に及ぶ鉄の暴風は島々の山容を変え、豊かな自然と文化遺産のほとんどを破壊し、20万人余りの尊い命を奪い去りました。
沖縄県民は、地上戦だけではなく、南洋諸島からの引き揚げ船の撃沈や、学童疎開船の犠牲、10・10空襲、学徒の動員、戦争マラリアなど、想像を絶する被害を受けました。
 毎年、6月23日を迎えるたびに、戦争体験者が戦争の不条理と残酷さを、後世に語り継いできてくれた実相と教訓を胸に刻み、あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと、決意を新たにするのです。 戦後27年に及ぶ米国統治を経て、1972年に本土に復帰してから51年となりました。
 しかしながら、現在もなお、在日米軍専用施設面積の約70・3パーセントが本県に集中し続け、航空機騒音をはじめ、水質や土壌等の環境汚染、航空機事故、米軍人・軍属等による事件・事故など、県民生活に様々な影響を生じさせています。 このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小、日米地位協定の抜本的な見直し、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と早期閉鎖・返還、辺野古新基地建設の断念等、基地問題の解決を強く求め続けてまいります。
 昨年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」及び「防衛力整備計画」においては、沖縄における防衛力強化に関連する記述が多数見られることなど、苛烈(かれつ)な地上戦の記憶と相まって、県民の間に大きな不安を生じ
させており、対話による平和外交が求められています。
 ロシアによるウクライナ侵攻から1年4カ月が経過しようとしており、現在も憂慮すべき事態が続いております。沖縄県民は、国際社会の連帯と協力による一日も早い停戦が実現し、平穏な生活を取り戻せることを切に願っております。
 今ある命、今に残る文化、自然環境、これらを未来を担う子や孫達に受け継いでいくことが、人々が共有する願いであるということを確かめ合ってまいりましょう。
 アジア太平洋地域における関係国等による平和的な外交と対話による緊張緩和と信頼醸成、そしてそれを支える県民・国民の理解と行動が、これまで以上に必要になってきています。
 私たちは、アジア太平洋地域における観光、経済、環境、保健・医療、教育、文化、平和など多分野にわたる国際交流を通じて、沖縄県が築いてきたネットワークを最大限に活用した独自の地域外交を展開し、同地域における平和構築に貢献できるよう努めてまいります。
 沖縄県では、ここ平和祈念公園に、「沖縄県平和祈念資料館」と「平和の礎」を建設し、戦争の犠牲になった多くのみ霊(たま)を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次世代に伝え、世界の恒久平和を願い続けております。
 民間においても、幅広い世代による平和への行動が様々な場面で行われており、平和を願う輪が広がっています。
また、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てた「ちゅらうちなー草の根平和貢献賞」や「沖縄平和賞」を通して、平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信するとともに、沖縄がアジア太平洋地域の国々との架け橋「万国の津梁(しんりょう)」となることを目指しております。
 非暴力の信念を貫いたガンジーは「平和への道はない、平和こそが道なのだ」という言葉を残しています。
 「平和」とは、戦争や紛争のない状態にとどまらず、貧困、暴力、人権の抑圧、差別、環境破壊等がない、安らかで豊かな状態であり、本県が発信する「沖縄のこころ・チムグクル」には、人間の尊厳を何よりも重く見る「人間の安全保障」も含まれます。
沖縄県は、全ての人への不当な差別は許されないことを宣言するとともに、人々が互いに人格と個性を尊重し合いながら共生する誰一人取り残すことのない優しい社会の実現に全力で取り組んでまいります。
 私たち一人一人が平和について考え、沖縄から世界へ平和のバトンをつなげ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。
 沖縄(うちなー)ぬ人々(ちゅぬちゃー)が幾世代(いくゆー)かきてぃ生活(くらし)ぬ指針(みやてぃ)にっし育(すだ)てぃてぃちゃる
相互(たげー)ぬ相違(ちげーみ)ぬ在(あ)し尊重(うむん)じ合(あー)いる肝心(ちむぐくる)
生命(ぬちだから)大切(てーしち)にする心(くくる)持(む)ち(命ぬちどぅ宝たから)、
平和時代(てーふぃーゆー)求(とぅ)めいる人々同士(いぇーじゅーどぅーさー)ぬ連結心(ちなじぐくる)。
戦争(いくさ)ぬ悲惨(あわり)んかい体験(あた)てぃちゃる被災者(ちゅぬちゃー)からぬ未来(さちじゃち)んかい向(ん)かてぃぬ教訓(ゆしぐとぅ)、次世代(あとぅぬゆー)んかい伝承(ちてー)てぃいちゅしが私達(わったー)ぬ使命(すくぶん)やいびーん。
万人(うまんちゅ)が今(なま)、あんし未来(さちじゃち)んかいぬ幸福(しやわし)とぅ安息(ゆーゆー)とぅそーてぃ希望(ぬじゅみ)ぬ持参(むたりーる)時代(ゆー)共(ちむてぃーち)なてぃ築上(しーな)ちいちゃびらな。
 We, the people of Okinawa, have long cherished the spirit that appreciates the diversity in each and every one of us.
 We have always known in our souls that it is life, itself,that is more important than any treasure.
 We are united, as a people, by the longing for peace.
We sincerely believe that it is our noble mission to bear witness to the painful lessons from the countless war experiences and to pass on these messages to future generations.
 Let us endeavor to build a society where all people are able to imagine happiness and eternal peace for everone, for now and forever.
本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊(たま)に心から哀悼(あいとう)の誠を捧げるとともに、先人達から語り継がれてきた平和の尊さを伝え続け、未来を生きる子や孫達のために、よりよい沖縄の未来の創造を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。
2023年6月23日
沖縄県知事 玉城デニー」
日本政府が反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有など防衛政策を転換したことについて、
玉城デニー知事は「平和宣言」で「県民の間に大きな不安を生じさせている」と懸念を示し、
対話による平和外交を求めています。

上の写真は平和の詩を朗読するつくば開成国際高校3年の平安名 秋さん
出典:2023年6月23日、6ch夕方報道番組 Jチャンネル
平和の詩 「今、平和は問いかける」【2023年度沖縄全戦没者追悼式】


上の写真は岸田首相の来賓挨拶 
出典:2023年6月23日19:00からの、2ch NHK総合テレビ News7
岸田文雄首相は「不断の努力を重ねていくことを改めて御霊に誓う」と挨拶。
強い沖縄経済が実現されるよう引き続き国家戦略としての沖縄振興にしっかりと
取り組んでいくとも述べられました。
 全文は下記サイトを参照してください。

上の写真は平和の礎(いしじ)の前で夫々の想いで祈る人々
出典:2023年6月23日19:00からの、2ch NHK総合テレビ News7

当日は「慰霊の日」ということで沖縄県の各地で異例の行事が実施されています。
その中から第62回 平和祈願慰霊大行進がNHKニュース(6/23の午後の番組)で
紹介されていましたので添付しました。





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