ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

生活費の話

2024年05月07日 | 介護
私は高校を卒業して就職を余儀なくされた。
最初にもらったら初任給で生活費を2万円家に入れた。
その後生活費は3万円になった。
時折別居する両親に、母の方についたら生活費が5万円になった。
そもそも家に生活費を入れるのは当たり前だと思っていた。
炊事も洗濯も掃除もしない娘だった。
母は働きながらそれらをやっていた。
そもそも母のパートのお金だけではアパートの家賃を払って私と弟と暮らすのは無理だった。
弟も生活費を入れた。
それが当たり前だった。
親の脛をかじる。
そのようなことはなかった。
専門学校に行くとこを反対され、泣く泣く就職を余儀なくされた。
弟は弟で浪人して予備校に通っていたが、半年でやめた。
世の中は上手くは行かない。
最初の職場が、傾いていた会社で、半年で辞めた。
その2年後にその会社は倒産した。
次の会社も、その次の会社もいじめに合うのだ。
私も二十歳の頃に訳合って一旦会社を辞めた。
どうしても働きたいと行ったところは話とは大違いで、毎夜泣いていた。
そんな中、私はうっかりミスをした。
そのミスを謝罪すれば雇い主からひどく怒られることはわかっていたので、わずか1ヶ月と一週間で雇い主に嘘を付いて辞めた。
自宅に戻りぶらぶらしていたが、母から家事を強いられるので、元の職場に話して復帰した。
ところがいじめに合うのだ。
いじめというのはどこまでもついてくる。
私が24の時に弟が22歳で結婚したので、私も結婚したいと相手もいないのに仕事を辞めた。
仕事をやめてクッキングスクールに通っていたが、自宅では家事を強いられるので次の就職先見つけてきて、働いた。
次の就職先でもいじめに合うのだ。
寿退社を夢に見て、32歳でお見合いした相手と結婚した。
結婚したら漠然と子供を産み育てることを夢見ていた。
2年後に不妊治療に4年間通い、最終的に子供を産むことも育てることも諦めた。
世間体を気にして特別養子縁組もしなかった。
その結婚した相手とはまもなく34年になる。
今では好きでもなかった相手が愛おしい存在なのだ。
その間に相手は多くの病気をし、私も母と同居した。
その母もペースメーカーを埋め込み、認知症になり胆嚢も悪くして入院している。


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