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ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

一目会うことも声を聴くことも?

2020年08月10日 | 介護
母の入院している病院に着替えを持って行った。
着替えを持って来た旨を伝え、待たされる。
病院の人が母の洗濯物を持って来た。
パジャマがあと1枚しかないと告げられる。
夏用の薄手のパジャマが3枚しか無い。
洗濯にと渡されたパジャマを洗って持ってこないと無いのだ。
自宅にあるのは冬用のパジャマです。
面倒なのでレンタルのパジャマを借りることに!
持って行ったお箸と飴を返される。
コロナの影響で母に会うことも声を聴くことも出来ないでいる。
悲しい現実が立ちはだかるのだ。
母の様子を聞くことも出来ない。
聞いても教えてはくれない。
持って来た着替を渡し、洗濯物をもらって帰る。
皮肉だった。
実母なのにコロナでないのに会えないのだ。
あんな母でも母は母なので、寂しいと思う。
その足でホームセンターに行き、安価な風呂のふたを買う。
隣の家電量販店で母の部屋の新しいエアコンも買う。
このエアコン、ただいま品切れ中らしく、来月初旬に入荷とのこと。
古い壊れているエアコンの引き取りと新しいエアコンの取り付け工事も頼む。
関西人のようにうまく値切れなかったが少しだけ負けてもらう。
エアコンは9月5日に付くと言う。
長い目で見たら買い替え時だった。
残暑も厳しそうなのでエアコンは必要だと思うのだ。
その後、ショッピングモールのスーパーで食材を買って帰る。
自宅で勝手に何かを食べるように電話していた主人は何も食べずに待っていた。
「何でも食べて!」と、言うも何かを作るのを待っている。
私はキッチンで残っていた400円の安価なさして美味しくない赤ワインを使い、隠し味に八丁味噌を加えて、チキンカチャトーラを作る。
それとご飯を出したらお腹が空いていたのか?美味しかったのか完食した。
私は途中で休憩をしたので食べずにいた。
その後、ブログを更新しながら「これって浪曲みたいじゃん!」と…。
「一目会うことも声を聴くことも許されないんですね」
「おっ母さんはあたいのたった一人のおっ母さんなんだよ!」
「なぜ?会えないんだい?」
「お前さん!私がおっ母さんに会っちゃあいけないわけでもあるのかい?」
「会えないならせめて一言!せめて一言伝えておくれ!元気になって帰ってくるんだよ!」
「おっ母さん!」

何度も聴いた!

2020年08月10日 | 介護
何度も聴いた!
いろんな他人のを聴いた。
いろんなことを思った。
良く通る声!
微笑んだ笑顔!
好みの顔かたち!
努力の現れ!
思い起こせばいろんな他人の浪曲を聴いている。
相手の良いと探しをするので、悪いところは見つけても言わない。
この他人無理して声を出しているな?
とか、この声辛そうだな!
と、思っても言わない。
どこか一つでも良いところがあればいいのだ。
相手の努力は認める。
でも、好みがあるのだ。
辛そうに声を出している他人は苦手だ。
芸歴はさることながら、努力の片鱗が見えればいいのだ。
気に入れば浪曲十八番は聞き逃し配信も一週間あるので聴く。
気に入らなければ一度聴いただけで聴かない。
一度贔屓になったら余程のことがない限、贔屓なのだ。
相手の嫌がることはしない。
もしもしたら直ぐ様謝罪をする。
どうも影ながら応援は嫌な言葉なのだ。
堂々と応援は出来ないのか?
応援は堂々とするべきだと思う。
人間完璧な他人など居ないのだ!
相手の良いとこ探しをして、多少の悪いところはめをつぶるのだ。100%
完璧な人間などいないのだ。
私とて完璧な人間だとは思っていない。
相手の悪いところを突く!
これこそ良くないと思うのだ!
この文章が綺麗事だと思うならそれでもいい。
ただし、このブログのコメントはいただかないことになっています。
他人が誰を好きになろうとファンになろうと大きなお世話なのだ。
芸能人のファンになるならその他人の良いところを探そうよ!

母が入院して数日

2020年08月10日 | 介護
母が入院して数日経つ。
普段うるさい認知症の母でもいざ自宅に居ないとなると寂しい。
産んでくれたこと以外は感謝をしていないが、寂しい。
あんな母でも母は母なのだ。
旦那にゆっくり風呂に入るように言われるが、いつもの癖で10分少々で出てくる。
理想の食卓があってやっと母の入院中に豆皿を買った。
安価な豆皿が10枚欲しかったが8枚買った、
認知症の母のことを書いたら、次に料理の本を書きたいと思うのだ。
陳腐な食器が食卓を飾る。
私は安物でもいいから希望の食器で食卓を飾りたかった。
思い浮かんだのが蕎麦猪口と豆皿だった。
他にもぐい飲み等があるといいと思う。
いつもの癖で食事も10分もしないで終わる。
母が居ないのにやることは山積みで、時間の使い方がわからないでいる。
一人であれもこれもは無理なのだ。
早く寝ようと思ったらいつものように夜中まで起きてしまう。
作ろうと思ったマスクもお休みしている。
地元のマスクしない警官にマスクは意味が無いとか?効果が無いとか?
言われてしまいに62歳のバカ女よばわりされたので、ちょっと休憩をしている。
時間の配分がわからないので、気が付くと夕方になり、何も出来ずにいるのだ。
せめて母の部屋だけでも掃除をしたいと思う。
母は比較的に身の回りのことは自分でしたがるので、認知症の母の介護と言ってもこれと言って何かをしているつもりはないのに疲れるのだ。
その母がたとえ8日でも入院となったらさぞや楽が出来るかと思えば逆に疲れているのも事実なのだ。
お風呂のふたが良く行くスーパーでも高かった。
ホームセンターに行きたいのだが、行けずにいる。
家電量販店にも行って母の部屋のエアコンも何とかしたいと思えども、行けずにいる。
自分の部屋も片づけて要らないものは処分したいが、それさえも出来ずにいるのも事実だ。
他所の主婦は実に上手に時間を使うものだと感心してしまう。
せめても料理だけはきっちり作ろうと、数年前から素の類をやめた。
あれは邪道だと思う。
目下の課題はカレールーを使わずに簡単にカレーを作ることを模索している。
シチューやビーフシチューはルーは使わない。
テレビの料理研究家が麻婆豆腐は丸美屋やミツカンやクックドゥなどと言うのを聞いたことが無い。
そもそもそれで作ったことを自慢はしたくは無いのだ。
安物でも和食は出汁を取る。
昆布とかつお節は必需品だ。
これに粉末の顆粒のあご出汁は常備している。
もちろん忙しいときはほん出汁も常備している。
めんつゆをやめた。
出汁を取る。
汁を作る。
おでんの類は地元に練り物の専門店がないので、市販のおでん種を買う。
市販のおでん種が美味しくないのでしっかり出汁を取り、作る。
すき焼きは割り下を使う。
作るのだ。
市販の割り下は買ってはこない。
出来合いの物は嫌なのだ。
食べないわけは無いが、作るのだ。
添加物だらけのお惣菜は嫌なのだ。
インスタントは味気が無い。
出汁巻き卵の焦げていないのが好きだ。
焼き色の付かない卵焼きが好きだ。
世に言うインチキ料理は嫌なのだ。
冷凍食品をほぼ排除した。
唐揚げ、コロッケ、ハンバーグの類は排除した。
旦那の弁当に排除した。
素材は買ってくるが、チンするだけのおかずはやめた。
天ぷら、コロッケ、揚げ物の類もほぼ作る。
煮ものも作る。
和え物もサラダも作る。
出来て当たり前なのだ。
インチキ料理が並ぶ食卓は嫌なのだ。
「お夕飯出来たわよ!」でスーパーのコロッケとポテトサラダが並ぶ食卓は嫌なのだ。
インスタントの味噌汁を出すなら作らない方が良いのだ。
そんなもので育った子供はインスタントや出来合いのおかずは当たり前になっている。
お母さんの得意料理が丸美屋のマーボー春雨だったりするのだ。
情けない世の中だ。
おやつも手作りの類はないのだ。
我が家では子供の頃にホットケーキや炭酸饅頭などが出てきたことがあった。
スナック菓子が幅を利かせていない時代のことだった。
隣の家では炊飯器で作ったケーキが出てきた。
遊びに行くとおやつに出された。
私の家ではサンドイッチで余ったパンの耳を油で揚げて砂糖をまぶしたのがおやつだった。
世の中は便利になって美味しいものが増えたが、添加物も増えた。
買い物するときの表示を見て驚くこともある。
料理研究家になりたかったこともあった。
専門学校は母に反対されるので、平野レミさんよろしく、自由な発想で料理を作ってみたかった。
自宅に料理本が大量にある。
餃子の本に至っては何冊あるのかわからない。
いかめしを自分で作ったら美味しいので市販のいかめしを買わなくなった。
餃子は市販のも買う。
買うが、自分の餃子と比べるために買うのだ。
唯一自慢できるのが餃子だ。
ということで餃子の画像を



ついでにいかめしの画像も