ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

あれは一目惚れやったんや!

2018年06月03日 | 介護
あれは一目惚れやったんやと思う!
正に一目惚れやったんやと!
まるで食いついたら離さないすっぽんのように、私は電柱軒清月の浪曲を聴きに行った。この際旦那に何か言われたら他のことは蹴っても清月の浪曲だけは聴きに行きたかった。
全てを諦めても清月の浪曲だけは聴きに行きたかったのだ!ここで好きになったクニコ諦めても小野美子を諦めても清月の浪曲は聴きたかったのだ。
それほど短期間の間に私は清月の浪曲に惚れ込んでいった。
そりゃあ、時々他の浪曲師に目はいくが、他の浪曲師にない魅力がそこにはあったのだと思う。
それには清月の飾らない人柄も加味される。今までにないタイプだったかもしれない。研鑽された芸の奥深さもさることながら決して上から目線でものを言わないことにひかれていた。やたら年上だと上から目線の物言いをしてくる他人がいるが、清月にそれらは見受けられなかった。ましてや例外で年下でも偉そうに上から目線の他人はいるが、私は何かにつけ上から目線の他人は嫌いだった。他に知識をひけらかす他人も苦手だった。
一番困るのは知ったかぶりの他人で、そう言う他人は本当に苦手だった。
わずか数ヶ月でこれだけ私が電柱軒清月に熱をあげたのはなんだったのだろう?そこには清月に対しては尊敬の念さえ感じられる。
無論清月以外の浪曲師にもいいなと思う浪曲師はいるが、それはそれにしても、清月が一番だと思う。この時点でまだまだ浪曲初心者の私がおこがましくも清月のことや浪曲のことを語るのは少々はばかられると思うが、せめても月に1回は金馬亭に通って清月の良さを発信して行きたいと願っている。
これは一種の運命だったかもしれない?私と清月は出会うべくして出会ったのだ。
ただ私が願いたいのは清月が私に対して一般の浪曲ファンと同じ扱いを望みたい。それは時として心が折れてしまうからに他ならない。清月ファンだが、だからといって私を贔屓にされることは私の意に反するのだと…。
私は今倉千代子が亡くなるまで、千代子は私を贔屓にしなかった。えこひいきにしなかったのだ!あくまでも一般ファンと同じ扱いだったのだ。あのクニコさえ名前を覚えてはくれたが私に対して特別な扱いは無いに等しい。
従ってそんなことをされた場合は心が折れてしまうので、出来ればない方を望みたい。
そう言えばいつも今倉千代子の場合には私と彼女の間には見えない壁があった!その見えない壁、いわゆるバリアが私と清月の間にあった方がいいのかも知れない?見えない壁やバリアを取り払われることは今まで芸能人を好きになっても一度も無いのだから、私はそう言うことを望んではいけないと思うのだ!
しかし、浪曲師はほぼ優しいし、話しかけられる身近な芸能人だと!終演後客席に出てくるのだ。声を掛ければ気軽に話が出来るのだ。お高く止まった芸能人がいる中、そこには親しみも感じられる。どの浪曲師も話しかければ答えてくれる。私は芸能人がこれほど身近に感じ取れたことはなかった。
こと、歌手に至ってはCDを買うときだけニコニコする芸能人も中にはいるのだ。場合によってはさっさと外車で帰ってしまう芸能人だっている世の中だから、気さくに話をしてくれる浪曲師の存在はありがたい。

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