ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

私と言う女遠い記憶part10

2018年01月16日 | 介護
2018.1.16
遠い記憶の糸を手繰っている。
並木和子と言う女についてはそのころの私は良く知らなかった。今倉千代子さんの恩人ということが嘘だとわかったのは後々のことである。彼女はいつも上から目線で物を言う女性であった。私は付き人とは名ばかりの体のいいお手伝いさんだった。青山のマンションに行くとそこには今倉千代子さんがいた。廊下だったと思うが私は今倉千代子さんに挨拶をした。私が自分の名前を言うと彼女は私のことを「クニちゃん!はダメね。クニちゃん、いるから!」みたいなことを言われ、私の呼び名はその日から「千恵ちゃん!」になった。
私の部屋にとりあえず廊下の突き当りのマージャンをする部屋があてがわれ、和子が布団を持って来た。その日から私はそこで働くことになるのである。やったことも無い出来ない家事をするのである。
マンションには和子の男も居た。男は肩から背中にかけて入れ墨があった。初めは私もびっくりしたが、すぐに男は見た目と中身のギャップのあることに気が付いた。男は今でいう暴力団の組長であった。しかし、自宅で見る男は至って普通のおじさんでしかなかった。朝から男はキッチンに立ち朝食を作っていた。男の作る卵焼きは隠し味にお酒が入っていたが、お酒の呑めない今倉千代子さんもそれだけは食べていた。
私はだだっ広いマンションの部屋の掃除を毎日した。大きな全面窓ガラスの24畳はあろうかというリビングダイニングの窓は拭くのにも苦労した。客用トイレが一つとユニットバスが2つあるマンションだった。外国人使用なのかキッチンがやたらと高かった。彼女の部屋は突き当りのマージャン部屋の隣にあった。クローゼットの付いた8畳間だったと思う。窓に向かってベッドがあった。手前の右側に鏡台があってその横に箪笥らしきものもあった。左側には桐たんすがあった。
マージャン部屋の右隣に今でいう主寝室だろうと思うが和子と男の部屋があった。そのころ私は料理も満足に作れなかった。ほぼ掃除と洗濯とアイロンがけをする日々だった。なれない私は一つやってはどっこいしょ!と、休憩するのであるときそれを和子に見つかりこっぴどく怒られた!大人になったが二十歳の小娘です。号泣したのは言うまでもありません。
彼女はその時莫大な借金を抱えていた。その借金を返すために彼女は昼夜を問わず働いていた。もちろん彼女の意にそぐわない夜の店でもお金のために歌った。今にして思えばそのころの収入の大半は借金の返済と和子の元に消えていったのかも知れない。

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