昨日の日曜日、教会では、五人の方々が洗礼を受けました。
九歳の女の子、二十歳前後の女性、二十代後半の男性、五十歳くらいの女性。
バイリンガル礼拝である夕方の礼拝では、やはり二十代の女性が一人。
聖書の神(私たちを創造して下さった神、救い主として御子キリストを地上に送って下さった神)に
信仰の誓いをし、みずから神に導かれた経緯を会衆の前で証しして、
洗礼槽で全身を水(じっさいにはぬるめの湯)に浸す、浸礼でした。
洗礼には、滴礼といって、牧師から頭に水を振りかけてもらうだけの洗礼もありますが、
町田クリスチャンセンター(私が出席している教会)では、病人やお年寄りなど特別な方以外は、浸礼です。
洗礼を受けたから信徒になるのではなく、
神様を信じたという事実が先にあって、洗礼はその社会的表明にすぎないともいえます。
ちょうど、受胎するのと、この世界に誕生するのが同じでないように、
すでに、信仰が宿っていて、ある時を選んで、産み出されるのです。
「神の国」に生まれてくるのです。
「神の国」とは、目に見える領土や国境や世俗の権力のある国ではなく、
「神様が支配される世界」という意味です。
神の国(天国)は死んでから行くだけのところではなく、いま、ここにもあるのです。
新しく生まれた方々(新生といいます)が、すくすくと信仰を成長させ、
神の愛を大きく体験して下さることを願わないではいられません。
若者も疲れ、たゆみ、
若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者はあたらしく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(旧約聖書・イザヤ書40章30節31節)
BC740年頃から半世紀以上も活躍した預言者イザヤは、
たくさんの救い主預言を残したことでも、知られています。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、
ダビデの王座について、その王国を治め、
さばきと正義によってこれを固く立て、
これを支える。今より、とこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。(イザヤ書9章6節7節)
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すでに、二千年前に、救い主は来られたのです。
私たちは、いま、イエス・キリストを信じる信仰だけで、神の国に入ることができます。
イエス様は仰せです。
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。
(新約聖書・ルカの福音書17章20節21節)
感謝!