ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

キリストの教え・テキスト「神の国」抜粋

2017年03月05日 | 聖書



   本や・野の草が現在出版を準備しているキリスト教のテキスト「神の国」の抜粋をお届けします。
             著者は日本アッセンブリ・オブ・ゴッド教団の佐々木正明師です。

             ※色はじっさいの本と異なります。


第1課
キリストの教えの中心


Ⅰ、キリストの教えの中心をさがす
Ⅱ、神の国という言葉の意味
Ⅲ、神の国の反対 
Ⅳ、悪魔の支配の実態  
Ⅴ、悪魔の支配の限界  




Ⅵ. キリストがもたらした神の国


ところが、この世における神の国はやがて来る「未来の国」で、人間はただひたすら忍耐をしてそれを待ち続けなければならない、というものではありません。神の国は、現在この世界で体験できる、現世的なものでもあるのです。

Ⅵ.A. 神の国は到来した
キリストは、「神の国は近づいた」と宣言して、働きをお始めになりましたが、これは、神の国がずっと彼方(かなた)から、ゆっくり、そろりそろりと近付きつつある、という意味ではありません。神の国が、もうここまで来ている。到来しているという意味です。キリストは、神の国が今この世に存在していることを、明言しておられます。(マタイ12:28、ルカ11:20、17:21) また、この神の国は、現在、悪魔の国を打ち破ながら侵略(しんりゃく)しつつあるとも、お教えになっています。(マタイ11:12 英語INV訳聖書)

Ⅵ.B. いま入ることができる神の国
それだけではなく、キリストはこの神の国を、現在、人々が入ることができるものとして教え、是非(ぜひ)とも、今、入るように勧(すす)めておられます。キリストによれば、人間は今のこの世界で神の国、すなわち天国を体験できるのです。(マタイ21:31、23:13、ヨハネ3:1-10、マタイ13:44、4-46)

聖(きよ)い生活  神の国は聖(きよ)い神の支配ですから、その中に入った人が体験するのは、聖い神の聖い力に助けられる聖い生活です。自分でがむしゃらに聖い生活をしようと頑張(がんば)って、難行苦行(なんぎょうくぎょう)の聖者(せいじゃ)になるのではなく、神の力に助けられて、ゆったりと、おだやかに、聖い生活を築(きず)き上げて行くことができるのです。

秩序ある生活 
 また神の国は、秩序ある神の支配です。悪魔によってもたらされた、人間生活のさまざまな混乱(こんらん)から解放され、人間として生きるべき、秩序正しい生活を営むことが可能になるのです。   .

満ち満ちた幸せの生活  さらに、悪魔によって奪(うば)い取られた、人間の人間としての喜び、神との霊的交わりも回復(かいふく)され、他のどのような快楽(かいらく)でも満たすことができなかった、人生の空しさが取り除かれてしまいます。俗な言葉で言いますと、恋人がいっぺんに10人もできたような喜び・・・・・ではなく・・・・恋人ができたときの喜びを10倍にしたような、喜び、満ち満ちた幸せにつつまれるのです。
 
       

健康な生活  悪魔の支配の特徴(とくちょう)に、病気があります。神の支配が来ると、病気も治されます。聖書には、キリストが神の国の証拠(しょうこ)として、病気をお治しになった物語がたくさん記録されています。(マタイ12:28)

悪霊を恐れない生活  悪霊たちはキリストの力を知って、恐れていました。神の国は悪霊の活動を許しません。神の国、すなわち神の支配が人間に及(およ)ぶと、悪霊はその人間に危害(きがい)を与えることができないのです。(Ⅰヨハネ4:4)

死を恐れない生活  神の国に入るということは、命の源(みなもと)である神との交わりに入り、新たな命をいただくことです。この命を、キリストは永遠の命と呼び、この命を持つ者はいつまでも死ぬことがなく、たとえ死んでも生きると、約束(やくそく)してくださいました。ですから、死も怖(こわ)くはなくなるのです。(ヨハネ11:23-27、Iコリント15:51-57)

希望の生活  現在私たちが体験できる神の国は、完全なものではありません。神の支配が悪魔の支配を攻撃(こうげき)し、侵略(しんりゃく)し、破壊(はかい)しつつある、「戦いの中にある」神の国です。ですから、この神の国を体験しつつある私たちの生活も、まだ不完全です。聖さも、秩序も、幸せも、健康も、まだ完全ではありません。悪霊に悩(なや)まされることもまったくなくなりはしないかも知れませんし、死が心配になることだって、時にはあるでしょう。

しかしキリストは、やがて来る完全な神の国を教えています。悪魔の力が完全に打ち破られて、 「勝利の神の国」が出現するのです。その時、現在の神の国のあらゆる不完全さが、まったく完全なものに変えられるのです。ですから、現在の神の国に生活する者は、目の前のありさまが、たとえどのように望みのない状態であっても、大きな希望を持って、力強く生きることができるのです。(マタイ6:10、黙示録21:1-7)



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以下は囲み記事です。


 お祈り
 お祈りは、あらゆる動物の中で、人間だけにできる行為であり、もっとも人間らしい行為です。
 人間だけが神に似せて造られ、神を感じ、神と交わることができるようにされているために、いかなる環境に育ち、どのような教育を受け、どう訓練されても、祈るという気持ちが消え去ることはありません。
 ですから、お祈りは単なるお願いではなく。神との会話であり、神との交わりです。
 祈る動物として作られた人間は、祈りの中にこそ、本当の心の満足を、感じることができるのです。