ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

神の国(2課)――キリストの教えの中心をやさしく語る(抜粋)4

2017年03月13日 | 聖書




  きのうは、午後から教会に行きました。MCCでは、日曜日に二回の礼拝を行います。
  朝は、通常礼拝です。
  午後4時からはバイリンガル礼拝です。英語説教で、通訳がつきます。
  外国人の信徒さんが多いのですが、仕事のご都合で午後しか来られない人、
  また帰国子女のような人もお出でになります。
  その前に、二時から有志でBilingal bible study の学びをしています。

  さとうは、この学びに出て、そのあとバイリンガル礼拝に出るつもりでした。
  何を油断したのか、教会近くの道で段差を踏み外して転んでしまい、したたかに顔を打ちました。
  どうやら、あごと口で受け止めたらしく、口からものすごい血が出てあせってしまいました。


  けっきょく、病院で、唇を縫い、抗生剤、痛み止め、胃薬をもらうはめになりました。
  思ったより軽かったとホッとしていたのもつかの間、今朝鏡を見ると、
  下唇が異様に腫れていて、「わー、おばけ~」と自分の顔に驚いています。
  
  当分マスクが離せません。いくら、「もう嫁に行くわけじゃなし」といっても、
  やっぱり、顔は大切か~・・です。お祈りください!!
  
 

      

 さて、刊行予定の「神の国――キリストとの教えの中心をやさしく語る」

  きょうは、第2課 Ⅲ「神の国の約束」です。


神の国2課
Ⅰ、神の国の始まり



Ⅰ、A、神の愛の対象として造られた人間
Ⅰ、B、神に似せて作られた人間
!、C、神の愛の対象として造られた人間
Ⅰ、D、善悪を選ぶ試み
Ⅰ、E、人間の失敗



Ⅱ、人間の反逆の結果


Ⅱ、A、祝福の喪失、
Ⅱ、B、いのちの喪失
Ⅱ、C、道徳的無力、無感覚
Ⅱ、D、宗教の始まり、
Ⅱ、E、悪魔の支配


創世記についての囲み記事


Ⅲ. 神の国の約束


  悪を選んで罪を犯し、神の国から追放され、悪魔の支配の中で、すなわち、悪魔の国に生きて行かなければならなくなった人間に、神は、大きな望みを与えてくださいました。
  それは、人間の失敗にもかかわらず、神がご自分の国、すなわち神の国、天国を完成させ、その中に、人間を入れてくださるという約束です。


Ⅲ.A.  神がお与えになった約束
  神は、人間が罪を犯した直後、ご自分の前から追放する直前に、すでに神の国の約束をお与えになっています。人間を絶望の中に追放したのではありません。(創世記3:15)
 さらに、追放した後にも、さまざまな角度から、何度も何度も、約束をくり返しておられます。

  ただし、この時点では、まだ神の国という思想が人間の側に無かったため、他の表現が使われています。人間が神の国という思想を持つようになったのは、イスラエル民族が王国を設立してしばらくたってからのことですから、紀元前1000年以降になります。          

  神がお与えになった約束の神の国の姿は、じつに多くの内容を含んでいますが、罪の赦(ゆる)しと聖(きよ)め、失われた神との交わりの回復、敵に対する勝利、病の根絶(こんぜつ)、繁栄と平和などが、とくに明確に約束されています。


Ⅲ.B.  人々が理解した約束

  神がお与えになった神の国、すなわち神の支配の約束は、人間には間違って理解されてきました。この誤解(ごかい)は、現在でも形を変えて続いています。
  今ここで問題になるのは、最初の誤解で、もっとも深刻なものです。 


  神は、どんどん増え広がった人類の中から、イスラエルという民族を選び、これを通して、全人類(ぜんじんるい)を祝福する神の国の設立を計画してくださいました。(創世記12:1-3)
  神の国の約束も、当然この民族を通して、全人類に与えられたものです。ですから、イスラエル民族のことを、少し学ぶ必要があります。

  王国となったイスラエルは、2代目の王ダビデと、その子ソロモン王の時代に(BC1000年ころ)、空前絶後の繁栄を楽しみますが、その後は邪悪な王たちの悪政の下で、衰退(すいたい)の一途(いっと)をたどりました。

  ソロモンの死後、12部族から成立っていたイスラエル国家は、南朝2部族と北朝10部族に分裂(ぶんれつ)して、抗争をくり返し、たちまち弱体化してしまいます。
  そこを、アッシリア帝国に攻撃され、北の10部族は、跡形もなく離散(りさん)してしまいます。紀元前720年頃のでき事です。その後およそ130年で、残った南の2部族もバビロニヤ帝国の捕囚(ほしゅう)となり、ついに、イスラエル民族は国家消滅(しょうめつ)の憂(う)き目にあいます。

  幸い、その後バビロニヤを征服したペルシャ帝国の王は、神の介入(かいにゅう)によって、イスラエルに対して寛容な態度をとり、植民地ながら、イスラエル国家の再建(さいけん)を許します。しかし、これも長くは続きません。
  バビロニヤは、アレキサンダー大王に率いられたギリシャ帝国に滅ぼされ、イスラエルは情け容赦(ようしゃ)なく抑圧(よくあつ)されます。さらに、このギリシャもローマ帝国に滅ぼされ、イスラエルはそのまま、ローマの植民地国家として苦辱(くじょく)をなめなければならなかったのです。

 
  数百年にもわたるこのような歴史の中で、イスラエルの人々は、神の国の約束を自分たちの民族の望みに、都合(つごう)よく合わせて理解しました。それは、神がイスラエルの敵をみな滅ぼして、ダビデ王の時の繁栄にも勝る、イスラエル国家を再建して下さるというものでした。

  これは、完全な誤りではありませんが、神の真意(しんい)からは外れた解釈です。

  しかし、イスラエル人(ユダヤ人)は今でも基本的にこのように信じていて、現在のイスラエル国家は、そのための段階として、神が再建して下さったと考えているのです。
  (現在のイスラエルが、国家の安全という面では極端(きょくたん)に強硬(きょうこう)な背景には、このような思想があるのです)。