サムエルは、サウルを全イスラエルの前で、王になる者として紹介しました。
だれよりも、頭一つ分背の高い美貌の青年は、歓呼で迎えられました。
しかし、それはほんの始まりでした。
サウルが事実上の王としてサムエルにも民にも認めてもらうためには、
まだハードルがありました。
その頃、イスラエルの北東に住むアモン人が攻めてきました。
そのことを聞いたサウルは、強烈なリーダーシップを発揮し、
イスラエルを勝利に導いたのです。
それはサウルの力というより、
神の力がサウルを奮い立たせられたからです。
サウルはこれらのこと(アモン人の侵略)を聞いたとき、
神の霊がサウルの上に激しく下った。
それで、彼の怒りは激しく燃えた。(Ⅰサムエル記11章6節)
彼は、強烈なリーダーシップを発揮し、迅速な対応で大勝利を治めるのです。
これで、わずかにサウルの適性を疑っていた者も従い、
サムエルは、改めてサウルが王権を持つ者であると全集会で、宣言するのです。
しかし、サムエルは、民とサウルの前に、強く念を押しています。
あなたがた(イスラエルの民と王)が、神に背くなら、罰が下る。
(同12章)
というのも、
サウル王は、あくまで神が選んでくださったのである。
神は、神聖政治ではなく、王制にしてほしいという民の無理な要求を聞き入れて下さったからです。
● ◎
サウルは即戦力として、用いられました。すぐにペリシテ人との戦いにも出ています。
サウルの能力や美貌は民を統率するのに意味があったようです。
まずまず、頑張っていると評価したい働きでした。
しかし、何分、前例のない王という立場でした。
戦場に祭司をともない、戦いのために神に祈り求めていました。
人間としての王の力と、神の後ろ盾の両方があって、初めて戦えたのです。
もし、王の考えと、神の示されること(祭司の考え)が異なるような場合、
サウル王の立場ははっきりしていました。
王は神に従う者だったからです。
◎ ●
神に従うというのは、いざとなると容易なことではありません。
神から任命を受けたサウルとて同じでした。
あるとき、ペリシテ人は大軍勢でせめ上ってきて、ミクマスという場所に陣を敷きました。
サウルは民を率いて、これを迎え撃たなければなりません。
ところが、イスラエル人は、今にも逃げ出しそうな哀れな群衆でした。
サウルはすぐにも号令を掛けて、戦いに赴きたかったのですが、出陣に当たって
いけにえをささげ、神に祈るためにサムエルの到着を待っていました。
約束の7日目になってもサムエルは現れません。民が逃げ始めたのを見たサウルは
自分で「全焼のいけにえ」をささげてしまったのです。
ささげ終わったところに、サムエルがやってきました。
サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」
サウルは答えた。
「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、
ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。
今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下ってこようとしているのに、
私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」
サムエルはサウルに言った。
「あなたはおろかなことをしたものだ。あなたの神、主(しゅ)が命じた命令をまもらなかった。
主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、
主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。
あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。
(Ⅰサムエル記13章11節~14節)
● ◎
きびしいですね。
サウルには、ここにあるように、言い分はありました。
敵の数の多さに、戦意を喪失している民を励ますために、
少しでも早くいけにえをささげて、民を落ち着かせたかったのです。
しかし、民の顔色を見て、現状の不利におびえる資質は、
王としてふさわしくないものだったのでしょう。
何があっても、たとえ死んでも泰然と天命に従う、
このような心のない者は失格だと、サムエルは断言しています。
美貌は、人間世界の人気取りには通じるのですが、
王は、民に気に入られるだけでは、ダメなのですね。