ノアの小窓から

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聖書に見る美貌――1

2016年09月04日 | 聖書

聖書に見る――美貌



     一年前の9月4日の記事がGOOから送られてきました。
     この社会で永遠の課題であるかのような「美醜」というより「美貌」。

     今は化粧が進み、整形術も普及して、
     テレビなどを見る限り、望めば美貌はいくらでも手に入りそうです。
     身長、骨格、年代の外観を変えることだって夢ではないかも知れません。

     しかし、聖書に見る限り、
     美貌=玉の輿=楽々セレブ生活などという等式は成り立たないようです。
     いや、そういう人もいたかもしれませんが、

     そのような等式は、聖書に載るだけの価値はなかったのでしょう。
     わざわざ美貌と記録されている人たちは、みな、たいへんな試練を受けています。

     去年取り上げなかった何人かを、明日から、ピックアップしてみたいと思います。
     
     
     
             ◎ 



     2015年9月4日
     美貌――容姿が美しいというのは、神さまの目からご覧になるとどんな意味があるのでしょう。
     「天与の美貌」などと言う表現もあり、もとより、それは神がお与えになったのです。

     自分は美しくない、または、外見が醜いと卑下して成長する人が、ときどきいます。
     きれいでないから損をしていると考える女性は、昔から多かったかもしれません。

     しかし、人間が思っているほど、美貌は幸運を運んでくるでしょうか。
     もし、そうなら、神様は不公平な方だということになります。


      サウル王は、当時のイスラエルで一番の美青年で、長身でした。
      神は、新しい政治制度・王政に初めて用いる人物として、
      民が憧れ、好感を抱くような青年を王にお選びになったのです。
      その上、彼は家柄も人柄も良かったのです。

       
      けれども、そのような美形ゆえに、サウルは王に選ばれ、
      王になったゆえに、穏やかな生活を送ることもできず、
      いつも周辺国の外敵との戦いに悩まされ、あげくに
      息子たちとともに、悲惨な戦死を遂げるのです。(旧約聖書・Ⅰサムエル記)


               ★  ★ ★



       聖書の中で、サウルより美男子であったかもしれないと思えるのは、
       創世記に登場するヤコブの息子ヨセフです。 

       彼はヤコブの11番目の息子でした。
       ヤコブの4人の妻のうち、最もヤコブが愛したラケルが、
       長い不妊期間のあと生んだ待望の息子でした。

      ラケルは美しい女で、ヤコブは最後までこの妻を一番愛していました。
      ラケルに似て美貌だったヨセフを父ヤコブは、特別にかわいがります。
      兄たち10人と比べても、目に余る依怙贔屓の扱いに、若い時のヨセフは多少いい気になり、
       鼻持ちならない面もありました。

       当然、ヨセフは兄弟たちから憎まれ、兄たちの奸計で、砂漠の隊商に売り飛ばされてしまうのです。

       およそ金になるものなら、なんでも運んだ砂漠の商人たちは、
       ヨセフをエジプトで、奴隷として売り飛ばしました。

       ヨセフはエジプト王パロの側近ポティファルに買われ、その家の奴隷となりました。
       彼は能力に恵まれ、雇い主から重宝がられ、やがて家の管理ぜんぶをまかされるようになりました。

       しかし、その美貌ゆえ、ポティファルの妻から誘惑を受けます。ヨセフは
       彼女の誘惑を退けるのですが、これを恨んだポテファルの妻に、濡れ衣を着せられ、
       牢に入れられてしまいます。

       美貌は、何度もヨセフを窮地に陥れるのです。

       試練の中で、神はヨセフに知恵をお与えになります。
       そうして、やがて、ヨセフは、イスラエル民族の形成のために
       大変大きな働きをするようになるのです。(旧約聖書・創世記37章~50章)