犬猫奮戦記

困っているのに笑っちゃう!









  

新年おめでとうございます

2019-01-06 | 犬猫奮戦記
(第251話)
2019年 明けましておめでとうございます


娘一家、息子一家と一緒に過ごす3回目のお正月。
転勤などで何時まで一緒に過ごせるのか先の事は未定ながら、楽しく過ごせた新年に感謝です。今年も元気な一年である事を祈るバーバの挨拶と息子の乾杯の音頭で新年会がスタートです。

京都から来た大学生の孫も準備も揃ったので始めましょうかね


我が家の男性軍が“座り込んで待つ”のは家系かも・・。


バーバが忘れていた「蟹の頂き物」を思い出して、途中からママ達の仕事が増えた


”美味しそうだね”と手伝わないで口だけだす・・誰かさん達


「いいよ食べても」「本当?」「わあ、美味しい!」と、つまみ食い。賑やかに会話は弾む。


日頃は皆其々に苦労も悩みもあるだろうが、お酒が入って多弁になった息子の昔話や、5人も女性が揃ったのでは・・静かな筈がない。
大いに笑い転げながら和やかな新年の時が過ぎた。

秋の旅行で右肩を痛め、リハビリ中で右手がやや不自由な私・・おまけに新年画像をスマホとカメラとビデオに撮影して、何処に何をいれたか忘れ・・。画像が見つかったのに出力コードが沢山あって見つからない・・。その内パソコンのキーボードが動かなくなるし・・。
まあ、人生の折り返し地点を過ぎた私だから色々あっても当たり前、今年も等身大で歩きます。


市原ぞうの国

2018-11-29 | お出かけ

(第250話)一年前にママになるプロジェクトとして沖縄に行った11歳の象の“ゆめ花”が戻って来ているし、生まれて4ヶ月の赤ちゃん象(ゆめ花の妹)“もも夏”にも会いたくて、市原ぞうの国へ行った。

 



“ぞうさんショー”の始まる寸前に、象達は丘の上の象舎から歩いて会場まで降りてくる。
お客さんが既に着席しているというのに、私は大きな身体の象がノシノシと歩いて来る様子を覗きたくて・・急ぎ足で土手を駆け上った!!

眼の前に向かって8頭もの巨体が近づいてくるワイルドな迫力に興奮しつつ少しビビってカメラを向けながらも後ずさりした・・・。
一歩間違えたら命がないかも・・。
ビデオにも納めたくて直ぐに切り替えたが、撮影はできたものの後ろ姿の行列となってしまった。
それでも、象の飼育12頭は日本一の動物園。








 
生後4ヶ月になる子象の“もも夏”は晴天の日は水浴びが楽しくてバシャバシャと大きな音を立てながら走り回って実に可愛い!
お腹が空くとママにオッパイを貰ってから又走り回っている。
バッチリとビデオに納めたのでYou Tubeに載せられるか挑戦してみるつもり・・昔は出来たのに忘れてしまって・・。





  
象さんが初めて日本で生まれたのは、この動物園の”ゆめ花ちゃん”そして、その妹の“りり香ちゃん”は5歳。更に今年生まれた“もも夏ちゃん”を含めた三姉妹は勿論日本では初めての事。ここの象さん達はみんな芸達者で努力家ばかり。元気に育って欲しいし、維持費のご苦労に少しでも協力したくて三姉妹のぬいぐるみも買っちゃいました。可愛い象さん達に沢山の方が会いに行って下さる事を願ってま~す。

立山黒部アルペンルート・黒部峡谷・高瀬渓谷

2018-11-01 | お出かけ

(第249話)
昨秋“秘境の旅”の最終日に台風到来で高瀬渓谷の錦秋を目前に中止となった。
あの素晴らしい紅葉をもう一度見たくて娘と再挑戦。今年は一週間遅らせてバッチリ!
二人共、黒部のトロッコ電車に乗るのは2回目だが季節が違うと美しさも又違う。
車窓から黒部の紅葉と黒部川の美しさに感激しつつ、小雨と走行中撮影の難しさに苦戦しつつ下手な鉄砲を沢山撃ってみた。
 

 

二日目は日本一標高の高い(2450m)駅“室堂”は雪景色だった。
足元が危険なので“みくりが池”には近寄っただけで戻ってきた。
遠方の山々も周辺も全て白一色で、写真も上手に撮れなかった。
この季節に高山で雪に出会えてラッキー! 寒い!寒い!


私の紫外線調光レンズのサングラスが真っ黒になった・・雪山の紫外線の強さ!


大観峰より黒部湖方面を見下ろす


3日目は待望の高瀬渓谷を高瀬ダムまでタクシーで上り、帰途は車窓から錦秋を見下ろしながらパチリ。臨場感が上手に出せなくて残念・・・。


苔の森
 

白駒の池 



日頃ウォーキングで一日3000歩は歩く様に心掛けているが、最終日は平坦でない道を10,000歩以上歩いたので帰宅後は全身筋肉痛が2日続いてしまった。 でも元気!
好きな事をしている時は結構ハードな状況にも耐えられるらしい・・・頑張ろうっと!



親友との食べ歩き

2018-10-31 | お出かけ

東京駅と周辺

(第248話)
50年来の親友と年に一度は会う約束をしながら中々都合が合わない事が多い。
二人とも東京生まれの東京育ちなので、新宿か御茶ノ水か東京駅周辺で待ち合わせてホテルで美味しい食事をしながら話を弾ませている。
「この日はチョッピリ豪華にしようね」と、赤坂のプリンスホテルやニューオータニ、帝国ホテル、和食の美味しい御茶ノ水の山の上ホテルなどにも行ってみたが、今回は皇居に出て、和田倉門から噴水公園の前を通ってパレスホテルでの和食を楽しんだ。
年齢のせいで、以前の様にフルコース料理は無理そうなので少なめが丁度良かった。
雨続きの10月の中で貴重な晴天の青空が心地よかった。
マジマジと東京駅を眺めたりした事がなかったので、写真に納めてみた。



和田倉噴水公園



パレスホテル東京


回想録 2018年 7月~9月 クロリンとの別れ

2018-10-16 | 犬猫奮戦記

(第247話)
4月から始まったクロリンへの投薬が順調に続けば眼球の腫れや炎症が快方に向かい、猫が来なければ症状が悪化する事が歴然で、一進一退の状況に一喜一憂させられた毎日だった。
我が家にはBさん宅で餌を貰った後に来る訳で、何時来るのか予想がつかめずに私は家を空けられなくなった。状況を知ったBさんが「猫が来たら☎で知らせてあげる」と、毎日電話連絡してくれてからは気持ちが楽になった。
お腹いっぱいに餌を貰った猫が、薬だけ飲みに我が家に来る訳だから、工夫をしない限り誰だって薬なんか飲みたくない筈だ。
薬も抗生剤・鎮痛消炎剤・プロポリス・SOD酵素などをチーズに包んで準備して置き、その日の眼の状態に合わせて薬を選びながら、お気に入りの療養食(a/d缶)の上に載せて与えるのだから手間だけでなくテクニックも大事だった。
最初はチャロに会いたくて来ていたクロリンは缶詰もチーズも気に入った様で、私がクロリンの姿を見るやいなや慌てて投薬選びをする前に「クロリン待ってってね!」と、一声をかけると彼は必ず「ニャ~!」と言って答えてくれる様になった。食べ終わると「美味しかったニャ~~!」との表現である“顔を洗う”しぐさの後ろ姿にホッとする私だった。

ところが、猛暑の7月に入ってパタリとクロリンが来なくなった・・・。来なければ眼はドンドン酷くなる筈だし・・この暑さの中で何も食べなければ生きてはいけなくなる・・Bさんと二人で心配し続けた。
ついに一ヶ月も来ない・・毎日が憂鬱でこちらも食欲がなくなりそうだった。
そして、7月29日(日)台風一過の早朝に一ヶ月ぶりにクロリンが突然現れた!
生きていてくれた喜びとは逆に・・恐ろしく腫れ上がって今にもパンクしそうな酷い眼にショック!
その後、半月ほど隔日ながら通って来るクロリンに必死で投薬をしたものの・・・回復は以前の様にはゆかなかった。

8月14日を最後に又来なくなった数日後、地域猫の愛護員さんに頼んであったクロリンの飼い主らしき人が見つかったとの連絡を貰った。
この猫の眼を救えるのであるのなら、どんな協力をも惜しまないつもりで面会を申し出た。
我が家とは直線距離にしても250m程遠方に住む人が、室内で猫9匹を飼いながらクロリンは外からの通い猫の様子。目の怪我は去年の9月だったとの事で、飼い主を主張されながら治療には曖昧な発言・・ご家庭に事情もありそうな気配から私が立ち入る事は難しいと悟ってお別れした。

クロリンの血液検査結果を所持している私は、慎重に投薬をしていたせいか腎臓も肝臓も正常で白血球も高くないデーターから、既に目に細菌の感染症を興していながらも、今なら投薬で救えそうな状態である事が残念で残念で・・。
感染症はやがて眼の内部に広がってから全身に広がって死に至る・・との獣医さんの診断。状況をお伝えする時間も頂けないままになった・・。
餌を与えてもスキンシップが取れていないのでは通院も治療もできないままの野生・・。
可哀想で、重苦しい気持ちを抱えたまま無気力な日々が流れてしまった。
どんなに努力しても思う様にならない事は沢山あるのですね・・・。

回想録 2018年3月~6月 猫達に翻弄されて

2018-09-30 | 犬猫奮戦記

(第246話)
白内障手術は無事終了したものの、毎日眼がヒリヒリ痛いような物が見えたり見え難くなったりと何やら予想外の不安。抗生剤の点眼が3ヶ月続くのは一般的であるが、パソコン、スマホ、TVやLEDなどの光源に対して異常に反応して眼が真っ赤になっては更にヒリヒリ・・。
ドライアイだと言われても・・手術前にはドライアイでは無かったのに・・と不安。
セッカチな性格だから“何時まで続くのか・・”とストレスの悪循環。
術後の安静は大事なので、長年続けたヨガも小休止、家事も程々に無理のない生活を心がけながら、猫騒動が勃発していた。

我が家に住み着き始めた三毛猫(チャロと命名)は良い子なのに、彼女を追いかけて来る雄猫達に困った! チャロは不妊手術済みの雌であるのに、時折雄猫がしつこく追いかけてくる。

最初に来たのは白地に黒色のクロリン。彼はチャロと同じBさん宅で餌を貰っていたそうで大食いで元気。チャロの後にくっついて毎日我が家に来る。追われたチャロが我が家に逃げ込むとクロリンも入ろうとする。“ダメ”と言う私の言葉を理解するが・・不公平で何やら可哀想。
その内、クロリンの右目が異常に腫れている事に気付いた。(写真は未だ初期)
眼の痛みに苦しんでいる私はクロリンの眼の方が遥かに重症と感じて治療してあげたい。
しっかり太っているので飼い主がいるのではないかと探すと同時に20年間5匹の猫を育てた私のキャリア(?)から、出来る範囲の治療薬の投与も始めたが・・。
来たり来なかったりでは治療効果も半減して難しい・・出来る事なら獣医師に相談したい。
“見て見ぬ振りの出来ない世話焼きの私”ここでも又動き出してしまった・・。
クロリンは去勢手術がしてない猫なので、手術をする事で麻酔の掛かっている時に獣医さんに治療できるか相談する事になった。だが、決して触らせない野良猫の捕獲には大変な状況がある。それを私が・・・。毎日、心臓がパンクしそうだったが5月末にやっと去勢手術ができた。
不安から不眠症気味の私の眼がよくなる筈もなく回復が遠のいた感じだった。
クロリンの眼の状況も難しく、摘出手術が可能でも術後の通院が不可能であった。

悩んでいる間にもクロリンの兄弟かと思われる白地に黒の似た雄猫も来るし、白猫は車の下でチャロを待ち伏せする始末。チャロは落ち着かずに我が家に逃げ込んでくる。
    

可哀想に・・逃げ込むチャロの手足を綺麗に拭こうとする私に噛み付いたり猫パンチをしていた彼女。沢山の敵と戦いながら生き抜いてきた証だと感じた。
噛み付かれた私が“痛い!”と叫ぶ度に噛むのをやめるチャロ。
この子が人間を信じて生きてゆけるように私は“安心”をプレゼントしてあげたい!
チャロ、信じていいんだよ! 一緒に頑張ろうね!
だけど・・綺麗な襖をボリボリにするのは辞めよ~~!
犬と違って、相手の言う事に従わないのが猫だから・・う~~ん困る・・!。


回想録 2018年2月 三焦点白内障手術

2018-08-15 | お出かけ

(第245話)
近年白内障手術は頻繁になされ、単焦点であれば健康保険の適用もあり4~5日の入院か通院手術も可能で、一般的には気楽に考えられている様ですが、私は違うのです。
72歳の時に人間ドックの検査中に原因不明のまま、突然失明した身内がいます。
健康で、長寿家系であり、出来た人柄のこの方がどうして・・人生も家族の生活も一変しました。
小さなゴミが入っただけで痛くなる敏感な眼! 私はどんな病気より失明が一番怖いのです。大切な眼だからこそ納得のゆく最善な手術を望んでいました。
幸い、焦点が遠、中、近の三箇所ある三焦点白内障手術を選択できたのです。
望みが叶う喜びと同時に大事な眼にメスが入る恐怖心は隠せませんでした。
手術は左目の一週間後に右目で、両日共に娘が付き添ってホテルにも一泊してくれて大助かりでした。

一方、我が家にお泊りを始めた猫ですが、寒中の寒さより床暖房がお気に入りの様子なので、ペットショップをアチコチさがして自動給餌器を買って“お留守番”の練習をしました。

タイマーで餌が5回分食べられる仕組みで、餌皿が空になっても時間が経つと餌の入ったお皿が回ってくるのです。
猫はなんでも勉強しますので、猫用の出入り口も理解して不自由はなかったみたいでした。可笑しいのは、私が帰宅すると玄関に迎えに出てくれるのです。
どっちが家主なのか・・まるで「お帰りなさい!」と言われている様で、その後はペタペタ私に張り付いて・・・僅か1~2ヶ月でこれだけコミュニケーションがとれるとは驚きです。


回想録 2018年2月まで 白内障手術準備

2018-08-15 | 犬猫奮戦記

(第244話)
2年前から新聞の文字が見え難くなった。
近くの眼科医から「白内障の初期」と言われ、4ヶ月毎に経過観察が続いていたが、自宅には20歳の老猫が2匹いる。入院手術はこの子達を見送ってからでないと無理。
昨年春、21歳を目前にして最後の猫とも別れる日がやってきた。
介護疲れが消えて自由の身になる筈の予想は大きく外れ、心に大きな穴が空いて体調を崩した。親友と新緑の高尾山でリフレッシュしていた時に彼女が「白内障の手術をしたのに、焦点を近くに選んだら遠くが見難くなちゃって・・」と嘆く言葉に驚いた。
「エッ~? そんなのは嫌だ! 遠方も近場も両方スッキリ見たい!」と切望する私。
何か方法がないのだろうか・・色々調べ始めた・・。
白内障の手術は比較的歴史が浅く、レーザーを使用して多焦点レンズを日本で初めて行ったのが2012年。この先生の著書が1月に出版されたばかりで私が入手した8月には第4版。アチコチの書店でベストセラーにもなっていた。
  「人生が変わる白内障手術」 山崎健一朗著

私の願望、疑問や不安がすべて網羅されている内容に大きな光を感じて迷わず決断した。
数箇所の質問を直接先生から解答頂きたく、厚かましくも初診時に院長面会を希望し、納得した上で手術の予約を即決。
全国から訪れる患者が多いらしく、11月末に初診した私の手術予約は2月末だった。

いよいよ手術の日取りも手順も具体的になりながら、さて、我が家の床暖房がお気に入りで1月中旬からお泊りをし始めた猫ちゃんをどうしましょう・・。
手術予定の眼科病院は埼玉県の大宮市にあるので自宅から2時間以上かかるし、入院施設はないので必要に応じて近くのホテルに泊まる事に決めたのです。


回想録 2018年1月 三毛猫登場

2018-07-30 | 犬猫奮戦記

(第243話)
2017年の暮に時折三毛猫が庭に現れました。
まるで、この年の春に21歳を寸前に亡くなった猫のサムと、一年前に失った三毛猫の愛ちゃんへの私の寂しさを癒しに来てくれている様でした。寒中の厳しさを少しでも避けられる様にとダンボール箱に毛布を敷いて庭に猫小屋を作りました。

左耳先がカットしてあるのは、浦安市の費用で不妊手術をした地域猫として近隣のボランティアがお世話をしている飼い主のいない猫なのです。元日には家族で新年を祝っている我が家のリビングを覗いて、お刺身を貰った子でした。
その後も手招きをすると人懐こく室内にも入り、床暖房の暖かさが気に入ったらしいのです。
1月半ばにもなると、夜になっても外に出たくないらしく・・お泊りもする・・。
しかも、夜はグッスリねる猫だ・・・誰かに飼われていた気配あり・・お世話をしている人が心配するといけないし、私も翌月は白内障の手術で外泊する。
ちょっと困ったぞ! でも可愛い! 何やら猫も私を慕っているらしい・・・どうなるの?

回想録 2018年1月 ヨークシャーテリア作製

2018-07-17 | 犬猫奮戦記

(第242話)
去年の春、家族猫最後のサムが永眠しました。
この子は2歳の時に行方不明になり、私は毎日探し続けました。
2ヶ月過ぎた頃「もうダメかもしれない」と諦めかけていたのですが、4ヶ月目に近所の方が新聞の折り込みチラシを持って「これは絶対サムよ!」と駆け込んでくれました。
お陰でサムは我が家に戻る事が出来、この方の御恩は一生忘れませんでした。
サムの永眠はこの方にも知らせ、火葬車の来るのを待って火葬にも収骨にも立ち会って頂きました。
待って居る間、彼女の目に入ったのは、私が“羊毛フェルト”で作った我が家の犬猫達。
「何処に頼めば作って貰えるの?」と、羨ましそうな様子。
     

彼女の気持ちを察して「私が作ってあげる!」と、彼女の愛犬の作成を約束しました。
安請け合いはしたものの、いざスタートしてみると微妙な色あいの複雑さと長毛種でもある事から予想外の手間がかかり、昨年8月から始めたのに完成したのは今年の1月でした。
途中で何度も色合いや毛足の長さ確認に彼女の家を訪ねたり、吉祥寺の専門店(アナンダ)に毛糸探しにも行きました。Internet で犬種の特徴も調べながら・・。

ヨークシャーテリア作製の難しさを感じながら、目はショボショボ、手は腱鞘炎の一歩手前、うつ向き時間が長いので顎関節症で歯が痛いし、腰痛にも・・。
凝り性だから納得がゆくまで妥協しない私だし・・。
しかも製作中、日毎に可愛いさが増して完成しても手放したくない心境の私・・でも飼い主の彼女の感激は更に大きくて本当に良かった!


長いお休みをして・・ゴメンナサイ!

2018-07-17 | 犬猫奮戦記

(第241話)
2月に眼の手術(3焦点白内障手術)をして以来回復が思わしくなく、パソコンやスマホ、テレビ等ブルーライトにも反応が強く、目が痛くて真っ赤になる・・日常生活に支障をきたしていました。
やりたい事は山ほど有りながら目を使わずに出来る事など無く・・不安と焦りの日々でした。
元々セッカチな私なので、今回は「医学を信じて気長に時を待つ」事に徹しました。
現在は少しずつ楽にはなって来たものの、最初から「完治には3ヶ月~1年掛かる」との事でしたので今後も無理をせずにマイペースで進みたいと思います。

留守中に訪問下さった皆様、ご心配をお掛け致しました。閲覧を有り難うございます。
空白の日々は回想録として記させて頂きます。

新年

2018-01-06 | 犬猫奮戦記
(第240話)
2018年 あけましておめでとうございます

 
娘一家の3人と息子一家の5人が、昨年同様に我が家に集合してのお正月。
去年忘れた記念撮影を今年こそは・・と思いつつ、写真も撮り忘れ、お節も食べ終えた満腹組と、ほろ酔い加減で寝込んだメンバ-発生の後から気付いたスナップ写真・・また失敗からスタートした新年でした。 


昨春、サムの永眠から一人ぼっちになり、予想以上に落ち込んで心身ともに不調だった私。それでも新年は家族揃って賑やかなお正月。子育て時代の極秘失敗談のご披露に大爆笑。


大学2年生になった最年長の孫はリトルリーグ時代に国内代表チームとして海外遠征も経験した長身の名(?)ピッチャー。最年少の孫(小2)は野球を始めたばかりとの事。
「教えてもらいなよ!」との私の言葉に、すっかりその気になったおチビさん・・。
「グローブもボールもないよ」と言うので「ホラ、あるよ!」と、幼児用の野球セットを出してきた私に、また大爆笑!
 


あの身長差で、近所の公園に出かけたらしい二人はどうなっのたか・・また大笑い! 




最近は、アレもコレも間に合わなかったり、忘れたりと、ピッチの上がらない私。
年末ギリギリになって、ようやくサムと愛ちゃんの二匹を我が家の動物たちのお墓に納骨出来たばかり。我が家に来て21年になる最後のサムを含めて、犬猫との生活は最初の犬のベアちゃんから数えて36年だったかと思います。みんな仲良しだったので、天国でも仲良く走り回る事でしょう。
彼らから私はどれほど大きな幸せを貰っていたのかを噛み締めながら、これからも思い出と一緒に暮らすことになりそうです。
今年も、日本中、世界中に良い事がありますようにと祈ります。



秘境の旅

2017-11-03 | 風景・植物
(第239話)
娘と二人で、奥越後と奥信州の”秘境の旅”に出かけました。
さすがに秘境と言う名にふさわしく、渓谷を滝壺まで下ったかと思えばまた登る。ロープウェイで次なる山を目指して更に登山をしないと絶景に辿りつけない・・。遊覧船あり、雨の中を修験者の荒行のごとくビッショリ濡れながら細い山道の岩場をストックで歩く・・大揺れの吊り橋は度胸と体力勝負! 珍道中も最後には、笑い転げながら久しぶりの絶景に心躍らせた旅でした。

 






奥五十沢(イカザワ)渓谷

















八海山の山頂より






奥只見湖の遊覧船より 





松川渓谷「裏見の滝」と「滝の裏側」














八段になって流れる「八滝」















信州松代ロイヤルホテル

 




悪天候の苗場「ドラゴンドラ」 




我が家のお盆

2017-08-18 | 犬猫奮戦記
(第238話)
今年は猫のサムちゃんと愛ちゃんにとっては新盆である。
本来なら盆提灯を飾る筈なのに、高い戸棚から下ろして組み立てたり、後片付けをする折に、病み上がりの私が椅子から落ちたりしたら危ないので辞めにした。
ついでに迎え火も送り火もサボった。
家族達の霊は、お盆でなくても家の中にいる気がするので、仏壇の周辺に全員集合してもらった。 





何年か前に友人から「仏壇の上に物を載せるものではない」と、注意された事があったが、この数の犬猫では仏壇の中には入り切れない。

常識は別として我が家流でOKにした。
犬も猫も高い所が好きなのだから主人だって「いいよ!」と言う筈だし。









それにしても、家族が生前に大切にしていた物を処分するのは大変な勇気!
お盆前に、ようやく主人の背広やゴルフシューズなどを沢山市役所に運んだ。
焼却処分されてしまうのかと思っていたが「生活困窮者、難民、外国人、身体傷害者と必要な人は沢山いるの」と、そっと教えて下さった。
どこかで使って下さる人がいるなら主人も喜んでくれるでしょう。
没後6年過ぎて、やっと夫の衣類の片付けが始まったばかり。未だ日常着も沢山あるし、ゴルフセットが3つもある。
休日にゴルフのクラブを磨いていた姿を思い出すと捨てがたい。

先日、体調を崩した折に自分のブログを読みながら、事実を思い出して笑い転げてしまった。型破りな夫に振り回されながらも活気も冗談も溢れていた様な気がする。それがいつの間にか消えている。私自身は、夫がいない事でメソメソしていた訳でもなく、困るような事も特別になかった。けれど自分の周辺に苦しんでいる者があると一緒に悩み込んでは気を重くしていた様な気がする。なんとか泥沼から引きずり出してあげた後は本人に頑張ってもらうしかない。

これからは自分の楽しみも大切にしよう!
当面、猫達の動画をカメラやスマホからかき集めてDVDに編集する事に夢中。
スマホに正常保存されていなかった部分の取り込みに四苦八苦しているものの、好きなことをやっている時は楽しくて5~6時間があっという間に過ぎている。
とかなんとか言いながら、解らなくなると何度でもauスマホのお兄さんの所に駆け込んでは助けて貰っているから有り難い!
頑張りま~す!

秋田へ・・・帰宅後はダウン

2017-08-16 | 犬猫奮戦記
(第273話)つづき
飛行機に乗りさえすればなんとかんると、早朝の羽田行のリムジンバスに乗った。
バスの冷房が寒くて数日前から始まった咳がひどくなってきた。
搭乗券を持たずに空港に向かうシステムは初めての私にとって少し不安だ。
羽田に到着後、搭乗券を取得すべく発券機の前に立ったが解らない。直ぐに係の女性に教えて貰った。手荷物も機内に持ち込む予定だったのに、自分で高い棚に載せるのは無理と判断して預ける事にした。
出発ロビーに向かう途中の検査場で呼び止められた。持っていたアルカリイオン水のボトルをチェックされた。最近は検査も厳しい様だ。
早くから搭乗口で待っていたのに15分前になっても人気が少なくて変だ。気になって尋ねてみると、「搭乗口が変更になりました。急いでください。間もなくバスが出ます」と言われ、係員と一緒に走り始めた。秋田行は羽田空港の一番右端なので遠い。なんとかバスに間に合って飛行機にも乗れた途端に又咳が出始めた。飴をなめる。

東北に向かう飛行機は初めてだったが、眼下に広がる広大な山脈や豊かな緑に目を奪われたながら一時間で秋田空港に到着。市内とは大分隔たった場所にポツリとある小さな空港だった。昼食を済ませていよいよ目的地である老人施設に向かってリムジンバスに乗ること40分。
指示されたバス停で降りたものの・・・広い国道沿いで人など歩いていない。
「大きな施設だからすぐ判る」と言われて来たのに方向がつかめない。「東京よりかなり寒いかも」とも言われていたが、炎天下の暑さの中を傘を差しながらながらウロウロする私。
大きな商業施設の客に聞いたが「遠方から来たので解らない」というし、ガソリンスタンドで聞いても若いお兄さんは「知らない」と。途方にくれそうになった頃にスタンドのお兄さんが「判りました」と追いかけて来てくれた。
反対方向に歩いていたらしい私が施設に到着した時には汗びっしょり!
施設の受付の皆さんが私の訪問を知っていて歓迎してくださったのには驚いた。

ようやく友人の部屋の扉を開けて彼女の姿を見た瞬間、本人と確認できるまでに呆然とした私。スマートだった彼女の顔は小太りで面影があまりない。薬でむくみが出ているのかもしれない。それでも、なんとか動く左手を私に差し出したので、彼女の手をしっかり握り締めた。
私が一方的に話すだけで彼女は言葉を発せられない。”うん”、とか ”まあね”とか同意する程度で会話がつながらず時々ウトウトと寝そうになる。車椅子で施設内を動き回れると聞いていた想像よりも遥かに状態が悪いことを知って私のショックは大きかった。長居をして彼女を疲れさせない様にと早めに退散して翌日も尋ねるつもりでいた。

バスで秋田駅に向かい、駅近くに予約してあるホテルを探した。東京周辺と違って地方の駅はバスのロータリーも実に広い。方向を間違えたら戻るのに時間がかかる。広いのに人影がまばらだ。高校生の集団に道路名を確認したら「僕達は千葉県から来たばかりで判りません」と。誰も頼れそうにないので、スマホの地図と周辺を合わせながら歩いたらホテルは目の前にあった。ホッとした!秋田空港にあったチラシ広告の土産物産展の位置だけ確認してホテルへ。
あ~~疲れた~~・・。早朝から緊張の連続で体中ガチガチになった。
夕食と入浴を済ませ、ぐっすり寝たいので8時にベッドに潜り込んだ。
それなのに・・9時半にスマホが鳴った! だ~れ、電話なんかして・・・。
もうろうと出ると、八王子の友人からだ・・「今、秋田なの、疲れてるから明日電話する・・」熟睡していたので頭も痛い。一度起こされると寝られないタイプなので入眠剤を飲んだ。
 


ホテルの9階から裏手(日本海側)の家並を撮った唯一のつまらない写真。気が張り詰めて写真撮影など忘れていた私。


翌朝8時半には秋田の友人のご主人から前日のお礼の電話が入った。「なんだかショボンとしちゃってるよ」と。繊細で頭の良い女性だから彼女の現実を知った私が何を感じたかを危惧しているのかもしれない。私はご主人に「どんなに外見が変わっても、昔からの友情は全く変わらない事を彼女に伝えて下さいね。彼女は自分の意志が伝えられないだけで、相手の言う事は全部理解していますよね。中見はどこも変わっていなかった事を伝えください」と頼んだ。
どれほど彼女が歯がゆい思いをしているか・・ポロポロと涙が出てきた。

久々の遠出なので、日頃お世話になっている方々にお土産を少々買って帰路を急ぐ事にした。秋田駅のリムジンバス停で隣り合わせた高齢の女性と犬好き、動物好きから意気投合し、ずっと楽しい会話を弾ませて東京に戻った。積年の願いが叶ったと同時に咳き込み(風邪ではなく)が酷くなって通院が始まった。昨年は猫たちの介護や実家での相続問題、更に今年はサムの永眠後の睡眠不足の日々がすっかり体力を失わせた様だった。
喉の腫れ、目のかゆみ、咳込に対しては、アレルギーと器官拡張剤、精神安定剤などが処方され、落ち着くまでに一ヶ月もかかってしまった。7月末に手配しておいた秋田の友人への「しろいの梨」が昨日届いたとの電話を貰った。彼女の声も受話器の奥から聞こえてきた。
かつて野村證券立川支店でバリバリと活躍していたこのお二人。深い信頼で支え合う日々がいつまでも続くことを祈りながら、次回は新緑か紅葉の季節にでも訪問したいと思う。
健康はどんな財産より大事であるかを噛み締めながら、今ある元気に感謝する私です。