Cafe Bridge 粉闘記

bridgetの日記の続編です。
カフェオープンからの日々のできごとや思ったことをつれづれなるままに。。。

韮山反射炉と蛭が島の夫婦(ふたり)

2017-02-25 | 旅行
昨日はブログに写真を送ろうとしたら、スマホがトラブってしまって、あきらめました。
というわけで、すでに遅れている内容がさらに1日遅れてしまいましたが、先日の水曜日のお休みに、歩こう会のお出かけで韮山反射炉に行ってきました。


韮山反射炉は、2015年に世界遺産にも登録されたので、聞き置覚えのある方も多いかもしれませんね。
伊豆の国市にある、唯一現存する反射炉跡です。
「17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達した金属をとかして大砲などを鋳造するための溶解炉で、内部の天井がドーム状になった炉体部をレンガ積みの高い煙突からなる。石炭などを燃料として発生させた炎と熱を炉内の天井で反射し、集中させることにより、鉄を溶かすことが可能な千数百度の高温を実現する。」 韮山反射炉のパンフレットより抜粋。

江戸時代末期に、日本の軍事力強化のために大砲をつくるために作られたのがこの韮山反射炉なのです。最初は下田で建設が始まりましたが、ペリーが来航して水兵が敷地内に侵入したため、韮山に移されたのだそう。
韮山で造られた大砲が運ばれて、城ケ崎/富戸にも砲台跡がありますし、東京のお台場(お台場の名前の由来はここから!砲台場)にも運ばれました。
24ポンドカノン砲。(再現)


こちらは青銅製。


順序が全く逆になってしまいましたが、まず行ったのが、今は何にもない韮崎城跡。なんにもない。


韮山反射炉に行く前にお昼を食べた場所が、蛭が小島公園。
ここにいたのが、源頼朝と北条政子。像のタイトルが、「蛭が島の夫婦(ふたり)」
1177年、源頼朝31歳、北条政子21歳、二人はこの地で結ばれる。と書いてありました。


頼朝と政子(頼朝の正室)の像を見て、八重姫(頼朝の最初の妻:伊東祐親の娘)や千鶴丸のことを思ってしまう私は、伊東の人になりつつある・・・のか・・?

18世紀中ごろに建てられたと思われる、上野家が歴史民俗資料館となっていました。




今回の歩こう会は、先月に続き平坦なところを歩いたので、楽チンでした。一度は見たいと思っていた韮山反射炉も見ることができて、良かったです。