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キンラン・5~ながいけの道

 GWで大賑わいの軽井沢から抜け出し、高速道路下り線の大渋滞を横目に一足先に帰京した。これからの連休は自宅でゆっくりと過ごすつもり。今日の夕食はいつものようにお土産で買ってきた横川の “峠の釜めし” に野沢菜。明日の朝食のトーストには沢屋の苺ジャムを乗せよう。 
 さて今年も長池公園ながいけの道で咲き始めた「キンラン(金蘭)」。ラン科キンラン属の多年草で、この界隈では公園や緑地だけではなく、駅前の遊歩道脇などでも見られるのでとても楽しい。キンランは他のラン科植物がラン菌と共生していると異なり、樹木の根にある外菌根(外生菌根)と共生している。この界隈には、樹木と外菌根の条件が上手く揃っているらしい。残念ながら魅力的な花ゆえ盗掘の話も聞くが、キンランを移植して栽培するのは極めて難しく、持ち帰っても恐らく育たない。
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オオバヤシャブシ・3~若い果実

 長池公園林縁に生育する「オオバヤシャブシ(大葉夜叉五倍子)」。カバノキ科ハンノキ属の落葉高木で、早春に花を咲かせ、若い果実が出来始めていた。マクロで見ると均整の取れた形でまさに自然の造形美。果実はこのあと秋に成熟する。
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アミガサタケ・2~蓮生寺公園

 先日、上柚木公園バス停付近で見たものはずいぶん黒ずんでいたが、ご近所ブロガーさん情報で、蓮生寺公園や上柚木陸上競技場付近で綺麗な姿で見ることができた。「アミガサタケ(編笠茸)」はアミガサタケ科アミガサタケ属のキノコで、フランスでは高級食材として珍重されている。今まで私が見つけていた場所は必ず桜の樹の近くで、 『アミガサタケは花見が大好きに違いない。』 という仮説を立てていたが、新しい2ヶ所の周りには桜の樹は見当たらない。私の仮説は簡単に覆された。
 さて、ここ蓮生寺公園は四季に亘りいろいろな野草や花木が楽しむことができて、私のお気に入りのジョギングコースのひとつ。ニュータウンにある寺だが、その由緒はなんと鎌倉時代まで遡る。
 源頼朝が母の由良御前のお腹にいた時、円浄というお坊さんが、由良御前がつけた岩田帯に安産祈祷をした。そして頼朝誕生の12年後の平治の乱(1159年)で、父の義朝が尾張で殺され、頼朝は伊豆国へ流された。円浄坊も平治の乱ののち、京から武蔵国由木に来て蓮生寺を草創してそこに住んでいた。その後、頼朝は鎌倉に幕府を開くことになるのだが、鎌倉幕府の歴史を記録した 『吾妻鏡』 によると、幕府が開設される3年前の寿永元年(1182年)に、円浄坊が頼朝に召し出され、祈祷に励んだ功績によって、田畑を蓮生寺に寄付したとある。このことから蓮生寺は1159年から1182年の間に開設されたことになる。
 我々の世代は鎌倉幕府と言えば “良い国作ろう” で、1192年と覚えたが、この年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年で、今の教科書では幕府が実質的に始まった1185年を採用している。大化の改新は645年と習ったが、この年に起きたのは “乙巳の変(いっしのへん)”というクーデターで、その翌年幸徳天皇が改新の詔を出したということで、今は646年と教えられているそうだ。また大阪府堺市にある巨大な前方後円墳は、私は最近まで仁徳天皇陵だと思い込んでいたが、これは今は大仙陵古墳というらしい。知らなかった。我々が覚えていた歴史がどんどん変わっていってしまう。
 先日、歴史教科書から “聖徳太子” が消えてしまうという騒動があった。中学校学習指導要領改定案で、聖徳太子は死後に与えられた呼称であり、当時は厩戸王(うまやどのおう)と呼ばれていたので、そのように表記すべきだというのがその主張だ。いろいろ議論されて結論は元の聖徳太子のままの表記に落ち着き、 “聖徳太子派(私を含めほとんどの人はそうだろう)” は胸を撫で下ろした。
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