と思った。
どういうことかと言うのを説明する。
例えば寿司は誰が食べても美味いと感じる。
カレーもだいたいの人は美味しいものとして食べる。
しかしごく稀に味覚が完全にない人たちがいる。
この人たちはどうも味の感動と言うものが味わえない人種であるらしい。
これは音楽や映画についても同じことが言える。
音楽で感動したり、あるいは映画で涙を流したりして、そのモーションが大きい時には感銘を与え、人生を変えたりする。
この音楽・映像に関しての不感症の人間はそれらの一切の機微が分からない。
これを前提にして次の論を進める。
私が社会を観察すると、どうも、こうした音楽・映像の不感症の人たちは俗に言う「リア充」、社会の上位で何かを差配している人たちに多い。
そして感銘や感動の感想よりも、「うぇーい」と言って盛り上げることを優先する。
私が思うに、ひょっとしたら、寿司の味が分からない人と同様、映像や音楽の感動に関する感受性が完全にゼロになっているので、その感動をなんとか共有したり、自分はその感動を味わえたりしてますよアピールのために、「うぇーい」と言って盛り上げているのではないか。