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技術革新生み出す「スタートアップ企業」 政府が支援へ | NHK | 人工知能
2022年6月2日 19時17分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220602/k10013655031000.html
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ベンチャー・スタートアップだけでは日本再興が難しい理由
2022.06.20
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01658/060800044/
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と言うことなのであるのだが、私の意見を記載しておく。
まず国の政策として、自国内における経済規模を拡大したいがためにスタートアップ企業の促進と成長を促したいと言う理屈は分かるが、それだけではいけない。
私は様々な職場を経験してきた。
それはブラックワンマンであったり、保守的な巨大企業の末端であったり、あるいは同じく巨大企業の末端であるがとにかく起業する人間が多かったりと様々だった。
ブラックワンマンのところは、とにかく皆が雷を落とされないように姿勢を低くしている起業であった。起業もしがみつきも考えられず、とにかく平身低頭で仕事を回さなければならなかった。思考の余白など許されなかった。
保守的な巨大企業を見れば、誰しもが定年まで自分がいる企業に定年まで所属していたいと言う空気を感じた。
中にいる人材が起業をどんどんするような巨大企業においては、起業するのが当然みたいな空気があった(私もどうしてだか「〇〇さんはいつ起業するんですか」などと聞かれたことがある)。それでなくとも、起業の選択肢を取らない、と言うのであれば、サラリーマンと言うものを辞め、個人事業主になるのが当たり前、と言うような感じだった。
そうしたばらけた集団意識のそれぞれに接する内に、日本の中で「(ソニーやホンダのような)元気なスタートアップがなぜ生まれないのか」と言う疑問をある程度整理した。
政府が用意できるのは直近の予算と言う形でしか提供できないとは思うのだが、日本はもっと別の、日本人の心理的内部の奥深くに潜む行動原理なるものを変更する必要がある。
基本的に高度経済成長期以降の日本人は起業をしなくなった。
「ここに入れば一生安泰なんだぞ」と言うような企業を選定して好む。
親が安心し、伴侶も安心し、子供も安定して育てられるからである。
そしてリスクを取るのを嫌がる。
SF作品「銀河英雄伝説」から次のセリフを引用したい。
「ルドルフの台頭は、民衆と言うものが、根本的に自主的思考とそれに伴う責任負担よりも、命令と服従とそれに伴う責任免除を好むという、例証であると言えるでしょう。
ルドルフが皇帝となった時、憤りを禁じ得なかった人々よりも、快哉を叫んだ人の方がはるかに多数派だったのですから。」
元々こういう性質が人間にはあるし、日本人にこの傾向は顕著だが、日本人は更にその日本の社会文化特有の固定的リスクを潜在的に認識する。
それはヤクザの存在である。
事業に失敗したら、女性家族が風俗業に契約と称して拉致され、それを黙認せねばならないと言うようなリスクは日本人の誰もが直感的に理解する。
この実際的実態の情報公開がなされぬことと、その回避方法を知らぬがために、誰もが起業せず、企業に属していたいと思ってしまう。それが保守的行動の所以だ。
保守的な大企業の中に末端としてでも長くいると本当に分からなくなるが、日本にはスタートアップベンチャーが数多く存在する。
そして更にそこから「保守的な大企業の中の人間」が思うのは、「いるにはいるかもしれないけれども、その先がねえ・・・」と言う皮肉だ。
起業から10年後の生存率は日本の場合は様々な数字が出ているが、6.3%〜26%と中々にきびしい。
生存できなかった人間はどうなったんだよということになる。
生存していった(成功していった)人間はどのような最初を歩んだのか。
逆に失敗した人間は、借金を残して別の企業に勤めだしたのだろうか。
借金はいくらぐらいで返済はどのくらいのペースなのだろうか。
その実態が分からず、日本人は尻込みをしている。
いや、底なし沼だと危険を察知して、そこに足を踏み入れようとしないのかもしれない。
日本人は様々な文化を吸収して自分を強化していく民族だ。
古くはインド・中国から吸収し、明治時代にはヨーロッパ各国から学んだ。
今は、アメリカからフロンティア・スピリットを受け継いで、自分のものにする段階ではないだろうか。
そしてその精神的素養を養うのと同時に、国内にある現実的問題のリスク排除、即ち、上記に書いた「事業失敗時の、人権を無視した家族の壊滅的破綻」と言うものを、意識改革や制度・法整備・刑罰などを携えて排除すべきなのである。
技術革新生み出す「スタートアップ企業」 政府が支援へ | NHK | 人工知能
2022年6月2日 19時17分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220602/k10013655031000.html
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ベンチャー・スタートアップだけでは日本再興が難しい理由
2022.06.20
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01658/060800044/
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と言うことなのであるのだが、私の意見を記載しておく。
まず国の政策として、自国内における経済規模を拡大したいがためにスタートアップ企業の促進と成長を促したいと言う理屈は分かるが、それだけではいけない。
私は様々な職場を経験してきた。
それはブラックワンマンであったり、保守的な巨大企業の末端であったり、あるいは同じく巨大企業の末端であるがとにかく起業する人間が多かったりと様々だった。
ブラックワンマンのところは、とにかく皆が雷を落とされないように姿勢を低くしている起業であった。起業もしがみつきも考えられず、とにかく平身低頭で仕事を回さなければならなかった。思考の余白など許されなかった。
保守的な巨大企業を見れば、誰しもが定年まで自分がいる企業に定年まで所属していたいと言う空気を感じた。
中にいる人材が起業をどんどんするような巨大企業においては、起業するのが当然みたいな空気があった(私もどうしてだか「〇〇さんはいつ起業するんですか」などと聞かれたことがある)。それでなくとも、起業の選択肢を取らない、と言うのであれば、サラリーマンと言うものを辞め、個人事業主になるのが当たり前、と言うような感じだった。
そうしたばらけた集団意識のそれぞれに接する内に、日本の中で「(ソニーやホンダのような)元気なスタートアップがなぜ生まれないのか」と言う疑問をある程度整理した。
政府が用意できるのは直近の予算と言う形でしか提供できないとは思うのだが、日本はもっと別の、日本人の心理的内部の奥深くに潜む行動原理なるものを変更する必要がある。
基本的に高度経済成長期以降の日本人は起業をしなくなった。
「ここに入れば一生安泰なんだぞ」と言うような企業を選定して好む。
親が安心し、伴侶も安心し、子供も安定して育てられるからである。
そしてリスクを取るのを嫌がる。
SF作品「銀河英雄伝説」から次のセリフを引用したい。
「ルドルフの台頭は、民衆と言うものが、根本的に自主的思考とそれに伴う責任負担よりも、命令と服従とそれに伴う責任免除を好むという、例証であると言えるでしょう。
ルドルフが皇帝となった時、憤りを禁じ得なかった人々よりも、快哉を叫んだ人の方がはるかに多数派だったのですから。」
元々こういう性質が人間にはあるし、日本人にこの傾向は顕著だが、日本人は更にその日本の社会文化特有の固定的リスクを潜在的に認識する。
それはヤクザの存在である。
事業に失敗したら、女性家族が風俗業に契約と称して拉致され、それを黙認せねばならないと言うようなリスクは日本人の誰もが直感的に理解する。
この実際的実態の情報公開がなされぬことと、その回避方法を知らぬがために、誰もが起業せず、企業に属していたいと思ってしまう。それが保守的行動の所以だ。
保守的な大企業の中に末端としてでも長くいると本当に分からなくなるが、日本にはスタートアップベンチャーが数多く存在する。
そして更にそこから「保守的な大企業の中の人間」が思うのは、「いるにはいるかもしれないけれども、その先がねえ・・・」と言う皮肉だ。
起業から10年後の生存率は日本の場合は様々な数字が出ているが、6.3%〜26%と中々にきびしい。
生存できなかった人間はどうなったんだよということになる。
生存していった(成功していった)人間はどのような最初を歩んだのか。
逆に失敗した人間は、借金を残して別の企業に勤めだしたのだろうか。
借金はいくらぐらいで返済はどのくらいのペースなのだろうか。
その実態が分からず、日本人は尻込みをしている。
いや、底なし沼だと危険を察知して、そこに足を踏み入れようとしないのかもしれない。
日本人は様々な文化を吸収して自分を強化していく民族だ。
古くはインド・中国から吸収し、明治時代にはヨーロッパ各国から学んだ。
今は、アメリカからフロンティア・スピリットを受け継いで、自分のものにする段階ではないだろうか。
そしてその精神的素養を養うのと同時に、国内にある現実的問題のリスク排除、即ち、上記に書いた「事業失敗時の、人権を無視した家族の壊滅的破綻」と言うものを、意識改革や制度・法整備・刑罰などを携えて排除すべきなのである。
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