外来語を訳し、日本語として流通させるとき、そこには語感からなる直感を受けられる言葉にした方が、その文化を取り込む際にとても有利だ。
日本語の言葉を聞いて直感的にピンと来るか来ないかで、その言葉の利用度、概念の共有、社会への応用と運用の差が段違いにあるからである。
できれば言葉の語感からくる意味の理解を受けた方がいい。もう少しきつく言うなら、言葉として流通する異常、それは誰しも受けなければならない。
ここに訳語のセンスが問われる訳だが、今になって成功した例と失敗した例があるように思われる。
成功しているのは主に音楽、失敗しているのは主に数学のような気がする。
1.
例えば、Sir Edward William Elgarの作曲した"Pomp and Circumstance"を聞いてみよう。
Elgar - Pomp and Circumstance March No. 1 (Land of Hope and Glory) (Last Night of the Proms 2012)
https://youtu.be/Vvgl_2JRIUs?t=306
Pomp and Circumstanceの解説は次のブログから引用したい。
<
「威風堂々」 Pomp and Circumstance とイギリスの愛国歌:上級英語への道:So-netブログ
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2007-08-24
原題の "Pomp and Circumstance" は、「オセロー」のセリフに出てくる。シェイクスピアの原典は持っていないので、ネットで探してみた。
Farewell the neighing steed, and the shrill trump,
The spirit-stirring drum, the ear-piercing fife,
The royal banner, and all quality,
Pride, pomp, and circumstance of glorious war!
(第3幕第3場)
この部分、私が持っているちくま文庫の翻訳(松岡和子)では、
堂々たる軍旗、栄光の戦場にそなわるすべてのもの、
誇りと誉れ、威儀を正した行進や儀式!
となっている。この文庫版シェイクスピア全集は、注でしばしば原文の表現を併記していて勉強になるが、残念なことに、ここには pomp and circumstance を紹介する注はついていなかった。
書店で他の翻訳をのぞいたら、松岡訳とはちょっと違っていた。
- 軍旗の荘厳、輝かしい戦争のすべて、その誇り、名誉、手柄
(福田恆存、新潮文庫)
- 堂々の軍旗、名誉の戦さのあらゆる特性、誇り、光栄、はでやかさ!
(菅 泰男、岩波文庫)
- 堂々たる軍旗、輝かしい戦場におけるいっさいのもの、その誇り、壮絶な光景!
(小田島雄志、白水社)
辞書で pomp and circumstance を引くと、確かに「厳かさ」そのものと、もっと具体性を持つ「厳かな行列や儀式」の、2つの意味が載っている。こういうとき、ネイティブはどういうイメージを思い浮かべるものなのだろうか。
ちなみに、エルガーの行進曲の邦題は「威風堂々」が定訳だが、子供の時に読んだ、父の持つ古い音楽解説の本には「威風堂々たる陣容」となっていたのを覚えている。
>
と言うことで、「威風堂々」と聞くと日本語的にも英語的にもかなりしっくり来る訳語で、皆が直感できる訳語である。
2.
失敗しているのは数学だ。
「ほとんど整数」は、無理数からなる数式から整数に近い近似値を生み出したものに使用される言葉だが、これは英語の「almost integer」をそのまま訳してしまったのだろう。
これは「疑整数」だとか「擬態整数」だとか「亜整数」だとか「贋整数」だとか「騙整数」だとか「扮装整数」だとか「模整数」だとか「建前整数」だとか「忖度整数」だとかにできなかったのだろうか。「ほとんど整数」は訳語として正確かもしれないが、しかし直感的ではない。
必要条件、十分条件も同様で、これはa necessary condition/sufficient conditionの正確な訳語だが、しかし直感的ではない。
「野菜は人参のための必要条件です。」ではなくて、
「野菜は、人参を示す際の包含概念です。」と言えばかなり通りがいい。
「トマトは野菜であるための十分条件です。」ではなくて、
「トマトは野菜概念を構成する一部部品です。」が直感的だ。
日本語の言葉を聞いて直感的にピンと来るか来ないかで、その言葉の利用度、概念の共有、社会への応用と運用の差が段違いにあるからである。
できれば言葉の語感からくる意味の理解を受けた方がいい。もう少しきつく言うなら、言葉として流通する異常、それは誰しも受けなければならない。
ここに訳語のセンスが問われる訳だが、今になって成功した例と失敗した例があるように思われる。
成功しているのは主に音楽、失敗しているのは主に数学のような気がする。
1.
例えば、Sir Edward William Elgarの作曲した"Pomp and Circumstance"を聞いてみよう。
Elgar - Pomp and Circumstance March No. 1 (Land of Hope and Glory) (Last Night of the Proms 2012)
https://youtu.be/Vvgl_2JRIUs?t=306
Pomp and Circumstanceの解説は次のブログから引用したい。
<
「威風堂々」 Pomp and Circumstance とイギリスの愛国歌:上級英語への道:So-netブログ
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2007-08-24
原題の "Pomp and Circumstance" は、「オセロー」のセリフに出てくる。シェイクスピアの原典は持っていないので、ネットで探してみた。
Farewell the neighing steed, and the shrill trump,
The spirit-stirring drum, the ear-piercing fife,
The royal banner, and all quality,
Pride, pomp, and circumstance of glorious war!
(第3幕第3場)
この部分、私が持っているちくま文庫の翻訳(松岡和子)では、
堂々たる軍旗、栄光の戦場にそなわるすべてのもの、
誇りと誉れ、威儀を正した行進や儀式!
となっている。この文庫版シェイクスピア全集は、注でしばしば原文の表現を併記していて勉強になるが、残念なことに、ここには pomp and circumstance を紹介する注はついていなかった。
書店で他の翻訳をのぞいたら、松岡訳とはちょっと違っていた。
- 軍旗の荘厳、輝かしい戦争のすべて、その誇り、名誉、手柄
(福田恆存、新潮文庫)
- 堂々の軍旗、名誉の戦さのあらゆる特性、誇り、光栄、はでやかさ!
(菅 泰男、岩波文庫)
- 堂々たる軍旗、輝かしい戦場におけるいっさいのもの、その誇り、壮絶な光景!
(小田島雄志、白水社)
辞書で pomp and circumstance を引くと、確かに「厳かさ」そのものと、もっと具体性を持つ「厳かな行列や儀式」の、2つの意味が載っている。こういうとき、ネイティブはどういうイメージを思い浮かべるものなのだろうか。
ちなみに、エルガーの行進曲の邦題は「威風堂々」が定訳だが、子供の時に読んだ、父の持つ古い音楽解説の本には「威風堂々たる陣容」となっていたのを覚えている。
>
と言うことで、「威風堂々」と聞くと日本語的にも英語的にもかなりしっくり来る訳語で、皆が直感できる訳語である。
2.
失敗しているのは数学だ。
「ほとんど整数」は、無理数からなる数式から整数に近い近似値を生み出したものに使用される言葉だが、これは英語の「almost integer」をそのまま訳してしまったのだろう。
これは「疑整数」だとか「擬態整数」だとか「亜整数」だとか「贋整数」だとか「騙整数」だとか「扮装整数」だとか「模整数」だとか「建前整数」だとか「忖度整数」だとかにできなかったのだろうか。「ほとんど整数」は訳語として正確かもしれないが、しかし直感的ではない。
必要条件、十分条件も同様で、これはa necessary condition/sufficient conditionの正確な訳語だが、しかし直感的ではない。
「野菜は人参のための必要条件です。」ではなくて、
「野菜は、人参を示す際の包含概念です。」と言えばかなり通りがいい。
「トマトは野菜であるための十分条件です。」ではなくて、
「トマトは野菜概念を構成する一部部品です。」が直感的だ。
https://twitter.com/toopiltzin/status/992565618938298368
まず、私の感想は次の通りです。
「この記事で触れられているように、自然な訳というのは大事である。あまりに自然な訳だと原語(つまり元々の意味)と切り離されてしまうのは残念だが、それはそれとして<新しい日本語>と定着する利点がある。そういう意味で、自然な訳とは翻訳というより新たらしい単語を作ることなのかもしれない」
数学の下手くそな訳は、原語が分かるようにあえて不自然な訳にしたんでしょうか?
あまりに自然な訳だと外来語の気がしませんからね。とはいえ、言葉として使う時に苦労するようでは、本末転倒ですが。
そして私のコメントのタイトル「似たような関心」について。
最近、和訳した方がよさそうな言葉がカタカナのまま使われていることに興味を持っています。
これは訳自体を放棄してしまっている訳で、数学の例より悪い例…なのでしょうか。
「デート」について
https://twitter.com/toopiltzin/status/992010479928098816
「エロ」について
https://twitter.com/toopiltzin/status/982987064281972737
勉強している立場としては、「虚ろで意味のない数を学んで何になるんだ」的な感じになる(個人的意見)。
発見時は役に立たないから、ロマンチシズムを伴った「虚数」もある意味ミーニングであっているのですが、今は電気の計算でバリバリ登場するのだから、「異元数」とかにすれば良かった。