その昔、グレンラガンが面白い、面白いと評判であったことについて、私は知ってはいたが、ついぞその視聴機会を逃していた。
2014年の正月に、ニコニコ動画でグレンラガンの一挙放送をやるということを聞き、そこで視聴したのだが、これが私の心情にハマりにハマったのであった。
私の心をとらえるのは、絶望の淵に立ったとしても、それを乗り越えよ、と言うテーマである。
TV版グレンラガンは27話構成だが、最初の1話で、こんなやつに小型ロボットで勝てるわけがない、という敵が登場してそれを根性で勝ち切り、更にどうやっても勝てなさそうな敵がバンバン出てきて、それらにさえも勝っていく・・・と言う荒唐無稽のストーリーが続くのだが、これが実に爽快で気持ちが良い。
私自身は、社会構造の中でどうやっても勝てない絶望の壁にぶち当たって、もうどうにもならないと思っていたが、負け犬の人生を選択するか、それとも戦う人生を選択するのかと言う点でおおいに影響を受けた。
こんなことを書いていても、最後は負け犬として生きてしまうかもしれないけれども、それでもこの作品がアニメにおけるマスターピースであることには変わりがない。
自分の心を捉えるシーンはたくさんある。
キタン特攻やら、ニア消滅やら、シモンの言葉やら、カミナの言葉やら、ヴィラルの夢やらだが、その内の一つに、26話でシモンが多元宇宙迷宮からの脱出を図る際、多くの光の柱が、多くの人の人生を象徴する中、シモンがコアドリルを握りしめた手を天に突き出した時、上空に向かって伸びていた光の柱がうずを巻いてシモンに降り注ぎこんだ時のシーンが感慨深い。
関わってきた全ての人たちの運命を巻き込み、自分と言う一点に集中し、そして我々を抑圧する目に見えぬ圧力を倒す旅へと当然のように飛躍していく。。。
外国人の反応を見てみるとここにはそんなに感銘を受けていないように見える。
これに感動できないと言うのは外国人であるというのはグレンラガンを楽しめていない点、グレンラガンに感銘を受けていない点と言う意味において損をしているように思われてならない。おいしさを感じる味覚を消失したまま寿司を食べているようなものだ。
恥ずかしながら、私は大の大人ながら、このグレンラガンから人生に対する影響を受けてしまった。
立ちはだかる巨大な壁は根性で倒せること、努力と気合いが必要なことなど。。。
しかしながら、絶望をしていた私にとって絶妙のタイミングで救いとなったものに違いはなかった。
この他色々な名言があったので書き出してみたい。
「いいかシモン、自分を信じるな! おれを信じろ、 おまえを信じる、 おれを信じろ! 」
「お前を信じろ おれが信じるお前を信じろ! 」
「無茶で無謀と笑われようと 意地が支えのケンカ道 / 壁があったら殴って壊す 道がなければ この手で作る! 」
「「因果の輪廻に囚われようと! 残した思いが扉を開く! 無限の宇宙が阻もうと! この血のたぎりが定めを決める!」「天も次元も突破して!」「『掴んで見せるぜ己の道を!』」」
「おれたちがつかもうとしている明日は、てめえが決めるあしたじゃねぇ! おれたちが、おれたち自身が無限の宇宙から選びだした
おれたちの明日だ! おれたちは戦い抜く! 戦い抜いて、この宇宙をまもる! スパイラルネメシスもとめてみせる! /そんなこと、できるはずがない! /やってみせる! 」
「覚えておけ このドリルは、この宇宙に風穴を開ける。その穴は後から続く者の道となる。倒れていった者の願いと後から続く者の希! 二つの思いを二重螺旋に織り込んで明日へと続く道を掘る! 」
「俺たちは、一分前の俺たちより進化する、 一回転すれば ... 一回転すればほんの少しだけ前に進む」
「いいか、忘れんな。 おまえを信じろ。 おれが信じるおまえでもない。 おまえが信じる俺でもない。 おまえが信じる、おまえを信じろ! 」
「「もし」とか「たら」とか「れば」とか、 そんな想いに惑わされんな! 自分が選んだ一つのことが、 おまえの宇宙の真実だ。 」
2014年の正月に、ニコニコ動画でグレンラガンの一挙放送をやるということを聞き、そこで視聴したのだが、これが私の心情にハマりにハマったのであった。
私の心をとらえるのは、絶望の淵に立ったとしても、それを乗り越えよ、と言うテーマである。
TV版グレンラガンは27話構成だが、最初の1話で、こんなやつに小型ロボットで勝てるわけがない、という敵が登場してそれを根性で勝ち切り、更にどうやっても勝てなさそうな敵がバンバン出てきて、それらにさえも勝っていく・・・と言う荒唐無稽のストーリーが続くのだが、これが実に爽快で気持ちが良い。
私自身は、社会構造の中でどうやっても勝てない絶望の壁にぶち当たって、もうどうにもならないと思っていたが、負け犬の人生を選択するか、それとも戦う人生を選択するのかと言う点でおおいに影響を受けた。
こんなことを書いていても、最後は負け犬として生きてしまうかもしれないけれども、それでもこの作品がアニメにおけるマスターピースであることには変わりがない。
自分の心を捉えるシーンはたくさんある。
キタン特攻やら、ニア消滅やら、シモンの言葉やら、カミナの言葉やら、ヴィラルの夢やらだが、その内の一つに、26話でシモンが多元宇宙迷宮からの脱出を図る際、多くの光の柱が、多くの人の人生を象徴する中、シモンがコアドリルを握りしめた手を天に突き出した時、上空に向かって伸びていた光の柱がうずを巻いてシモンに降り注ぎこんだ時のシーンが感慨深い。
関わってきた全ての人たちの運命を巻き込み、自分と言う一点に集中し、そして我々を抑圧する目に見えぬ圧力を倒す旅へと当然のように飛躍していく。。。
外国人の反応を見てみるとここにはそんなに感銘を受けていないように見える。
これに感動できないと言うのは外国人であるというのはグレンラガンを楽しめていない点、グレンラガンに感銘を受けていない点と言う意味において損をしているように思われてならない。おいしさを感じる味覚を消失したまま寿司を食べているようなものだ。
恥ずかしながら、私は大の大人ながら、このグレンラガンから人生に対する影響を受けてしまった。
立ちはだかる巨大な壁は根性で倒せること、努力と気合いが必要なことなど。。。
しかしながら、絶望をしていた私にとって絶妙のタイミングで救いとなったものに違いはなかった。
この他色々な名言があったので書き出してみたい。
「いいかシモン、自分を信じるな! おれを信じろ、 おまえを信じる、 おれを信じろ! 」
「お前を信じろ おれが信じるお前を信じろ! 」
「無茶で無謀と笑われようと 意地が支えのケンカ道 / 壁があったら殴って壊す 道がなければ この手で作る! 」
「「因果の輪廻に囚われようと! 残した思いが扉を開く! 無限の宇宙が阻もうと! この血のたぎりが定めを決める!」「天も次元も突破して!」「『掴んで見せるぜ己の道を!』」」
「おれたちがつかもうとしている明日は、てめえが決めるあしたじゃねぇ! おれたちが、おれたち自身が無限の宇宙から選びだした
おれたちの明日だ! おれたちは戦い抜く! 戦い抜いて、この宇宙をまもる! スパイラルネメシスもとめてみせる! /そんなこと、できるはずがない! /やってみせる! 」
「覚えておけ このドリルは、この宇宙に風穴を開ける。その穴は後から続く者の道となる。倒れていった者の願いと後から続く者の希! 二つの思いを二重螺旋に織り込んで明日へと続く道を掘る! 」
「俺たちは、一分前の俺たちより進化する、 一回転すれば ... 一回転すればほんの少しだけ前に進む」
「いいか、忘れんな。 おまえを信じろ。 おれが信じるおまえでもない。 おまえが信じる俺でもない。 おまえが信じる、おまえを信じろ! 」
「「もし」とか「たら」とか「れば」とか、 そんな想いに惑わされんな! 自分が選んだ一つのことが、 おまえの宇宙の真実だ。 」