とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

グレンラガンの思い出

2018-09-16 19:55:29 | 思い出
その昔、グレンラガンが面白い、面白いと評判であったことについて、私は知ってはいたが、ついぞその視聴機会を逃していた。

2014年の正月に、ニコニコ動画でグレンラガンの一挙放送をやるということを聞き、そこで視聴したのだが、これが私の心情にハマりにハマったのであった。

私の心をとらえるのは、絶望の淵に立ったとしても、それを乗り越えよ、と言うテーマである。

TV版グレンラガンは27話構成だが、最初の1話で、こんなやつに小型ロボットで勝てるわけがない、という敵が登場してそれを根性で勝ち切り、更にどうやっても勝てなさそうな敵がバンバン出てきて、それらにさえも勝っていく・・・と言う荒唐無稽のストーリーが続くのだが、これが実に爽快で気持ちが良い。

私自身は、社会構造の中でどうやっても勝てない絶望の壁にぶち当たって、もうどうにもならないと思っていたが、負け犬の人生を選択するか、それとも戦う人生を選択するのかと言う点でおおいに影響を受けた。
こんなことを書いていても、最後は負け犬として生きてしまうかもしれないけれども、それでもこの作品がアニメにおけるマスターピースであることには変わりがない。

自分の心を捉えるシーンはたくさんある。
キタン特攻やら、ニア消滅やら、シモンの言葉やら、カミナの言葉やら、ヴィラルの夢やらだが、その内の一つに、26話でシモンが多元宇宙迷宮からの脱出を図る際、多くの光の柱が、多くの人の人生を象徴する中、シモンがコアドリルを握りしめた手を天に突き出した時、上空に向かって伸びていた光の柱がうずを巻いてシモンに降り注ぎこんだ時のシーンが感慨深い。

関わってきた全ての人たちの運命を巻き込み、自分と言う一点に集中し、そして我々を抑圧する目に見えぬ圧力を倒す旅へと当然のように飛躍していく。。。

外国人の反応を見てみるとここにはそんなに感銘を受けていないように見える。
これに感動できないと言うのは外国人であるというのはグレンラガンを楽しめていない点、グレンラガンに感銘を受けていない点と言う意味において損をしているように思われてならない。おいしさを感じる味覚を消失したまま寿司を食べているようなものだ。

恥ずかしながら、私は大の大人ながら、このグレンラガンから人生に対する影響を受けてしまった。
立ちはだかる巨大な壁は根性で倒せること、努力と気合いが必要なことなど。。。

しかしながら、絶望をしていた私にとって絶妙のタイミングで救いとなったものに違いはなかった。

この他色々な名言があったので書き出してみたい。

「いいかシモン、自分を信じるな! おれを信じろ、 おまえを信じる、 おれを信じろ! 」
「お前を信じろ おれが信じるお前を信じろ! 」
「無茶で無謀と笑われようと 意地が支えのケンカ道 / 壁があったら殴って壊す 道がなければ この手で作る! 」
「「因果の輪廻に囚われようと! 残した思いが扉を開く!  無限の宇宙が阻もうと! この血のたぎりが定めを決める!」「天も次元も突破して!」「『掴んで見せるぜ己の道を!』」」
「おれたちがつかもうとしている明日は、てめえが決めるあしたじゃねぇ! おれたちが、おれたち自身が無限の宇宙から選びだした
おれたちの明日だ! おれたちは戦い抜く! 戦い抜いて、この宇宙をまもる! スパイラルネメシスもとめてみせる! /そんなこと、できるはずがない! /やってみせる! 」
「覚えておけ このドリルは、この宇宙に風穴を開ける。その穴は後から続く者の道となる。倒れていった者の願いと後から続く者の希! 二つの思いを二重螺旋に織り込んで明日へと続く道を掘る! 」
「俺たちは、一分前の俺たちより進化する、 一回転すれば ... 一回転すればほんの少しだけ前に進む」

「いいか、忘れんな。 おまえを信じろ。 おれが信じるおまえでもない。 おまえが信じる俺でもない。 おまえが信じる、おまえを信じろ! 」
「「もし」とか「たら」とか「れば」とか、 そんな想いに惑わされんな! 自分が選んだ一つのことが、 おまえの宇宙の真実だ。 」
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Range Rover の中国CM

2018-09-16 18:25:48 | 映像作品

Range Rover Sport - Dragon Challenge
https://www.youtube.com/watch?v=rBd0rlKE32o



私は見ていてあまりいい気はしなかった。
中国の文化財の上を車が走っていいものなのか? 

レンジローバーを出しているランドローバーはイギリスの会社だが、ストーンヘンジをドリフトで一周してみましたとかいう企画がUK国内で通るかっていう話なんですよ。



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決意の無いナメた目が嫌い

2018-09-16 18:09:06 | 映像作品
これは映像作品だけではなく、現実でもそうなのだが、決意の無いナメた目は嫌われる。
要は物事に真剣でないということで、現実で嫌われるのだから映像作品では殊更やらない方がいい。

にも関わらず、実写にしてもアニメにしても、そういう目をした登場人物が存在し、尚且つ、そのような人物が主人公や主要登場人物を担っていたりする。
そしてあまつさえは、したり顔で周囲に説教をし、そしてそれを肯定したテーマで物語が進んでいく、と言うものがあって、中々に気分が悪くなって気持ち悪くなってくる。

そしてこれがアニメやマンガであるならば、
「画力が高くてそういうキャラクターをわざわざ書いている」
のであるならばまだしも、そうではなく、
「単に画力がないからそういうキャラクターデザインになってしまった」
と言うことになってしまったこと、そして大変残念なことに、それが多くの日本人が読むマンガに加わってしまい、決意もなく、覚悟もなく、道義もなく、薄っぺらい根性を持つようなキャラクターが日本人に受け入れられているのを見て、日本人のマンガを求めるレベルの低さに最低な気分になってくる。

いや、絵の下手さで言っても、福本伸行さんやしりあがり寿さん、とがしやすたかさんや風間やんわりさんくらいまで行けば全然いいのだが、絵の上手さも下手さもものすごく中途半端でこれまた後味が悪い。
(ちなみにこれを言っても理解されないのだが、西原理恵子さんの画力は、少ない線で多くを表現する点においてものすごく秀逸なので、私から見れば上手い系に入る。)

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積分がやっと分かってきたのでメモ

2018-09-16 15:25:01 | 哲学・学術・教育
今まで、無限小を無限に集積すると一定解になる、と言うよく分からない理論をどう理解したら良いものかと思案していた。
と言うのも、その具体的イメージの着地点が見いだせなかったからだ。
しかし、これに関して、まだ考察の途中だが、段々分かってきたのでメモ。

まず理論と理論値と言うものがどういうものであるのかというのを簡単に書き出しておきたい。

新聞紙をおおよそ43回折ると、その厚さが地球上から月に到達し、100回折る(134億光年)と観測可能な宇宙の幅(930億光年)の1/7になるということは大体の人が知っていると思う。

正直こういう計算は理論値としては分かるものの、頭の中のイメージとして具体的にどうだと捉えることができない。
理論値が理論値たるのは、それが頭で理解しうるものの、現実的に手が届かないものであるからだ。

さて、その現実的でない理論値を現実的でない理論値で割ったり足したりするとどうなるだろうか? 
答えは収束、もしくは発散するが、この収束するケースが定積分に当たり、発散するケースは無限に当たる。
(昔、ニュートンと言う雑誌の解説では無限にも様々な種類があると書かれていたが、しかしその内容は忘れてしまった)。

さて、この「現実的でない理論値を現実的でない理論値で割って足した値が定積分によって現実的な値になる」のが、我々で言うところの積分なのである。

いきなり無限小の無限の集積と言うから訳が分からなくなる。
要は、無限に小さくする分割単位をその分無限に集積するという操作の中での収束値を「理論的」に求めるのが積分であるのだ。

であるのだ。であるのだった。。。

本当くだらん感じでもんもんとしていたけれど、やっと決着がつきそうな感じです。
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プログラミングと言霊

2018-09-16 13:25:14 | 雑感
言霊信仰と言うものがある。
言った言葉がそのまま真実となり、現実世界に影響してしまうと言う宗教思想であった。
これは自己に内在する思念の現実化と言う意味合いでは日本が中心のものであるが、
自己の思念を言葉にした時に影響を与える、と言う意味では欧米の色合いが強い。

どういうことかというと、ユダヤ教の伝承での動く泥人形であるゴーレムの話である。
ゴーレムの額にある「אמת」(emeth、真理)により起動し、壊す時(停止する時)には、「אמת」(emeth)の「א」( e )の一文字を消し、「מת」(meth、死んだ)にすれば良い。

普通に考えれば、泥人形がこのような文字の呪文で起動したり停止したりするわけもないのだが、これも一つの言霊信仰の例だろう。

日本の場合は基本的に言霊とは感覚的だが、海外の場合は理念的・論理的な部分がある。

さて、これと似たような例で、実際に科学的な分野で現実的な部分も存在する。
プログラミングである。

コンピュータプログラミングは、ゴーレムの如くロボットの制御やマシンの走行順路を規定する。
そこで人間の書いた文字列がその命令のママに動くのだが、これはゴーレム思想のママであろう。

このようにして、人間とは科学的に現実として稼働する言霊、つまり即ちプログラミング言語を手に入れたのであった。



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