ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

凍結の朝

2011年01月16日 12時06分49秒 | Weblog
 昨夜18時には-2℃、夜半には-4℃と冷え込んだ我が家は、今朝6時には-6℃まで下がっていました。8時になっても-4℃でしたが、空気の冷たさの割には積雪は5㎝程度だったので、日差しが出てくると、そんなに心配はいりません。

 それにしても、風呂場では、室内の水蒸気が窓で凍っていましたし、ガス湯沸かし器は屋外にあるため、パイプ内の水が凍結したままなのか、温水は未だに出ません。

 

 そんな中でしたが、午前中、走ってきました。グラウンドは白くなっています。強い北西の風が吹いており、気温1℃。
 でも、ゆっくりですが、走っているとすぐに温まってきました。

 

 この寒さで寒波は緩んでくれるのでしょうか。
 この冬の雪はもう見飽きたので、もうそろそろ・・・という気持ちです。
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初マラソンの結果は・・・!  ~その4~

2011年01月15日 21時20分56秒 | Weblog
  

 山川港へと下っていく坂の勾配はいったい何%ほどの坂なんでしょうか。しかも、ゴールまで後10㎞という一番しんどくなる場所にあるこの坂はランナーの足腰や膝にかなり大きなダメージを与えるということは、単純にこの坂だけを走って下るだけでも十分に分かるほどです。

 ですが、この坂を下りきってからどれだけ自分のペースを保てるかが、この先10㎞のたたかいにとって大きな試金石であることは確かです。

 ですから、浜児が水あたりからずっと抜きつ抜かれつを繰り返してきた数名のランナーたちとここサヨナラすべく、平坦になったと同時にスパート。引き離しました。そして、33㎞地点で町の中から海岸沿いの道に出ると、私の前にいるランナーたちを100人抜こうと決意。

 ・・・ 疲れで、数えるのが面倒になってすぐにやめましたけど(笑)。

 かなり足にきているなと感じつつでしたが、走りのリズムは守れていたので、まだまだいけると確信できました。

  

 山川駅をちょっと過ぎた所が35㎞地点。
 正面には指宿フェニックスホテル前の最後の坂が見えています。この坂、菜の花マラソン参加者泣かせの坂と言われています。
 そんなに急な坂ではありませんが、だらだらと約1㎞も続くのが、きつさにつながっているようです。

 ここでタイムのチェックが不十分でした。私の時計は通過タイムはとれても自分の頭で計算をしないとラップは分かりません。
 ただ、30㎞で計測しそこねていたので、25~35㎞のラップになります。計算してみると、58分台だということは覚えているのですが、35㎞の通過タイム自体はそのまま忘れられてしまいました。



 この坂で一挙にペースを落としてしまったランナーたちをどんどん抜いていきます。
 高校の頃、練習でよく走っていた坂ですが、試走の時にはここでも心が折れました。それでもリズムを保って駆け登ることができました。もちろん、最終盤だけに体の動き・呼吸もきつくなっていました。

 さらに、JR指宿枕崎線の陸橋下から突然正面からの風が強くなりました。登り坂の頂点になればなるほどその風は強くなっていきました。

 坂道を登り切れば、指宿市街地の眺望が一気に開けます。
 今まで何十回、何百回となく見てきたこの景色ですが、登りきった喜びに浸る間もなく、下り坂に向かいます。

 確か、母がこの辺りで応援に来ているはずです。
 しかし、事前には膝の調子が今ひとつだから、13時頃に来れたらいい方だよと言っていたので、それより1時間ほど早く通過となれば来ているはずがありません。
 母はスーパー・ニシムタ(坂の頂点のすぐ近く)のところに行くと言っていましたが、姿は見えませんでした。
 間に合わなかったか・・・と思いつつ、国道から温泉街へと下るために右折です。

  


 と・・・・・
 写真左のマンションみたいな建物の入り口の近くから母が私の名前に続いて「がんばれ~」と叫びながら、路上に飛び出し、私を追いかけてきました。

 今日、72歳の誕生日を迎えた年女の母がよたよたしつつ、追いかけてくるのです。
 びっくりでしたが、胸が熱くなりました。
 いくら年を取っても、私は子どもなんですよね。そんな母の愛をいっぱいに感じながら坂道を下りました。

 これがコースで最後の下り坂です。もう、ためらうことなく下りました。
 下りきり左にカーブをとりますが、そこが38㎞ポイント。ここから4㎞少々、ゴールの陸上競技場に向けて市街地をほぼ一直線になります。
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練習再開

2011年01月15日 17時29分54秒 | Weblog
 この半年間、目標にしてきた「菜の花マラソン大会」が終わり、久々に時間を気にせず済む週末の今日、ちょっと寝坊しました。
 ウッドデッキや庭、畑は白くなっていました。軒下からは水が滴り始めていたのでこれ以上積もることはないだろうと、膝の治療に出かけがてら練習に行くことにしました。

 筋肉痛はひきましたが、左足の膝の具合がまだあまりよくありません。
 
  

 家を出てすぐの場所から山を見上げると雪で白くなっています。

 今日はゆっくりと30分間走。
 「週末のホームグラウンド」でテニスコートなど含めた大回りのコースを4周でした。

 走っている時には特にどうということはありません。
 が、生活の中でちょっとした時に違和感や痛みを感じるのです。

 ですから、左膝だけでなく、他の部位もチェックしながら走りました。
 すさまじい筋肉痛から解放され、やっと走れる状態に回復しました。高校・大学時代に先輩たちから「走って痛めたものは、走って治せ」と言われてきました。別に根性・鍛錬主義の言葉ではなく、「自分の走り方を点検しろ」ということだと思います。
 しばしは、オーバーホールのつもりで走ろうと思います。


 さて、メタボ腹の体型から、「菜の花」一本に絞ってきた半年でした。せっかくなので、この体型は維持したいので走り続けようと思います。
 ただ、来年の「菜の花」を再び目指すのか、それとも別な目標にチャレンジするのかはゆっくり考えたいと思います。3月ぐらいまでには2011年度の目標を明確にできたらいいなと思います。

 

 
 
 

 
 
  
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とても冷たい一日

2011年01月12日 21時51分29秒 | Weblog
 今朝、目覚めると窓の外は白くなっていました。
 もちろん、デッキの手すりに積もっている量からして、車を動かす分には支障はないはずと思い、あわてもしなかったのですが、庭や畑、山は、木々とモノクロの世界をつくっていました。

 

 この冬は、ラニーニャ現象の影響のためか、降雪の多い寒い冬です。
 振り返ってみると、12/16の初積雪に始まって、クリスマス寒波、年越し寒波、成人式寒波と立て続きに寒波が襲来した日本列島ですが、ここ鹿児島でも山間部は、雪がとけきらない内に次の雪が降るということの繰り返しになっています。

 とりわけ、今日は昼間も冷たかったですね。
 

 週末は再び寒波が襲うとのこと。
 あ~、自然な暖かさがほしい。


 そんな中、我が家のしっぽちゃんは相変わらず、早朝から外へ遊びに出かけたがります。猫は元気です。
 
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初マラソンの結果は・・・!  ~その3~

2011年01月12日 20時55分33秒 | Weblog
 走りの目的をしっかりと確信したのはいいのですが、やはり膝の状態は下り坂で気になります。
 20㎞ポイントからの下りでは、違和感が弱いながらも痛みとして感じられるようになりました。
 この先、3箇所の急な下り坂があります。そこさえ無難に乗り切れればといいと思いながらも、不安は不安としてあります。


  

 その一方で、24㎞ポイントのあるフラワーパーク手前の長い登り坂は、すたすたすたとリズムよく登っていけました。
 ここは2回の試走で2回とも心が折れて歩いてしまった区間です。それだけに意地もありました。

 この24㎞地点辺りで、ネット上で知り合った方・Tさんのゼッケンが見えてきました。 
 思わず?! 
 私に、前半はじっくり行って後半しかければいいとアドバイスしたくださった方だったので、てっきりTさんはその計画に従って走っているかと思っていたのです。反対に、前半速いペースに乗せられてしまった私が、後半つぶれてしまい追い越されるかもなぁと思っていただけに意外な光景でした。

 一瞬の出会いでしたが、今後、練習などで出会うこともあろうかと思います。楽しみです。

 そうして迎えた25㎞は、2時間03分05秒。この5㎞は23分41秒と、15~20㎞と1秒違いのペースでした。

 26㎞ポイントの手前に、おしるこを出している家がありました。
 あ~~、食べた~いと、未練たらしく横目で見ながら通過。


 さあ、後半で私が最も恐れている浜児が水です。

  

 400m下って500m登るV字の谷になっている区間です。ここも試走で心が折れた区間でした。折れたというよりはつぶれたと言った方がいいかもしません。
 高低差で言えば何mあるんでしょうか。

 下り坂で左膝に痛みが走りました。ひどくはありませんが、かばってもかばってもかばいきれないほどの急坂ですし、これまでの疲労もたまっているはずです。

 一番低い所では、元気のいいおばあちゃんが「行け~~!」と檄をとばしてくれました。
 ガッツポーズで応える私。
 
 登りになり、このマラソンで初めて息がはぁ、はぁとなりました。
 が、ごぼう抜きにしていく感覚はいいですね。

 集落を抜けると正面には竹山、右手に佐多岬と大隅海峡を見ながら走ります。

  

 多分、このレースで私が初めて走る苦痛を感じた区間になります。
 山川港の入り口までゆるやかなアップダウンが続くのですが、ここまできて余裕をなくし始めました。

 そんな中で、つい30㎞ポイントの通過タイムをチェックするのを見落としてしまいました。こんなミスがいくつか続きました。
 
 ただ、私がきついということは他の方々もきついということだろうし、ここをしのぎきって山川港に駆け込めば、もう私の庭みたいな場所です。なんとかふんばって、きつさに潰されないようにしないといけません。

 山川小学校へ向かう三叉路(31㎞ポイント)を過ぎ、いよいよ下りになりました。はじめはゆるやかに下り、次第に急激になる恐い下り坂ですが、その途中、ゴールとなる陸上競技場のそばにある魚見岳が見えました。

 いよいよです。
 疲れで弱ってきていた闘争心が再びめらめらと燃え始めました。

 

 

 

 

 
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初マラソンの結果は・・・!  ~その2~

2011年01月11日 21時32分08秒 | Weblog
 池田小学校までの標高最高地点100mほどまで呼吸も乱れず、汗もかかず、商店のウィンドーでフォームチェック、膝などの体調チェックもまめにしていましたが、それでもまだたかが10㎞ほど。

 体調が十分な状態で臨めなかったとは言え、慎重なペースを維持して完走をと考えていたにもかかわらず、周囲のペースにのみこまれて、速いペースでの導入というのは、実に不安にさせるものです。

 しかし、もっとよくないのは、不安感に支配されてしまい、レース運びの組み立てが全くできないことです。どういった状態であれ、そうなってしまうと自分の力を発揮できないままに終わってしまうことになります。

 

 菜の花の咲く湖畔の道を走りながら、迷っていました。

 その時、ふと・・・
 膝に不安があるとは言え、極端に悪いわけでもない。体調自体はいいし(朝食をちょっと食べ過ぎたかな?)、むしろ心身ともに余裕がある。池田湖への下りで違和感を感じたとは言え、登りではリズムよく走れている。

 もしかして・・・悩むほど悪い状態ではないのかもしれない。ならば、試してみよう。

 と、14㎞地点を含む池田湖から開聞の高台へと駆け上がる急坂でペースとリズムを維持してみました。全くきつくないです。どんどん追い越していきます。
 
 

 下りに入って迎えた15㎞ポイントは、1時間15分44秒。10㎞からの5㎞を25分05秒でした。

 この後、コース上には何ヵ所か急な下り坂があります。そこを慎重にクリアしていけば、上り坂は今の感じでいい。そして、指宿市街の平坦地に入ったら全力で行く。
 と同時に、自分の足が壊れてレース自体を棄権してしまうことを恐れていた私でしたが、壊れてもいいから力を出して走っても、壊れないことがあるなんて、おおよそ膝を痛めている人間の発想とは思えない大胆なことを思いついていました。

 走り自体はリズムに乗っていましたが、それ以上に周囲の方々は速く、私を追い越していきました。

 開聞神社を過ぎ、国道を渡り、開聞山麓へと登っていきます。

 

 この登り坂で私の思いつきは確信に変わります。
 
 登りに入って、歩くランナーの姿が目に入りました。また、私が追い越すランナーも増えていきます。
 登り坂での走りはリズム感を維持、下りは膝をかばって慎重に、そして、ラストは全力での方針を確信しました。

 8月の試走でやっとたどりついた地点、高校時代の駅伝でへろへろになった中継点、2回目の試走で膝を痛めた、このいわくつきの松林にはさまれたこの峠を今、自分は自信を持って闘争心に満ちて越えようとしている、その自覚を感じました。

 高校時代の駅伝の中継点を通過した瞬間、はぁ!と咆哮し、ガッツポーズをしてしまいました。
 さらに、ここで、ふと「夏が来た!」のメロディが頭に流れ、その手が頭の上でリズムをとろうとしましたが、その手をそのまま両足にあてて、足に刺激を入れました(笑)。

 峠が下りにかかる20㎞ポイントは1時間39分24秒。この5㎞は23分40秒。1㎞平均4分44秒です。下り6割登り4割の区間ですが、一気にペースアップしました。

 

 中継点からの開聞岳です。
 大会当日はこの景色を意識している余裕はなかったのですが、ここからゴールまでの走りの組み立てができた私には、もう恐いものはありませんでした。
 順位はどうあれ、初マラソンはそこそこの記録を残せるだろうという確信を持った瞬間でした。

 
 
  
 
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初マラソンの結果は・・・!  ~その1~

2011年01月10日 21時00分33秒 | Weblog
  
 
 昨日は第30回菜の花マラソン大会でした。
 大会前日と今日はとてもいい天気でしたが、大会当日は曇り空の肌寒い天候でした。

  

 試走をしているとはいえ、やはり本番は競走です。勝ちたいし、記録を出したいし、恥ずかしい結果にはしたくはないしなどといった功名心がプレッシャーを勝手に自分の中に作ってしまいます。
 同時に、膝を痛めていますし、初マラソンなので、無難なペースで完走することを第一義にすることも考えていました。
 私が選択したのは後者。

 ですから、大会前に私が設定した3時間31分0秒という目標(大会本部への申告タイム)は、申し込み時点では調子よかったので、自分で勝手に「プロジェクト3310」なんて命名して、あながち・・・なんて、うぬぼれていましたが、その後、膝を痛めてしまい、それどころではなくなってしまいました。
 実際、クリスマスの頃は歩くことすら困難な状態でしたから・・・。「とにかく今は休んで本番に備えなさい」と練習に対して、ドクターストップもかかりました。

 そして迎えた本番。スタート地点は申告タイム通りの場所。写真の左端に紫ゼッケンの方は・・・と書かれています。
  
  

 恐いのは、スタート直後に周囲の方々が全力ダッシュされることです。
 が、ぎゅうぎゅうづめですから、逆に遅いと思うほどのゆったりさでした。正式のスタート地点まで45秒かかりました。
 それでも、次第にペースがあがり、平均して1㎞5分程度のペースで周囲は動いていましたし、私もそれにつられて走ってしまいました。足の状態からして1㎞6分程度を想定していたので、ペースを落とそうと努力しても引きずられるようにして、そのペースを維持していくことになりました。
 
 4㎞地点から登り坂になります。
 が、きつさもなければ、足の調子もいいし、呼吸も全く乱れません。まるでベルトコンベアーに乗っているかのように引きずられて、結局、10㎞は52分39秒。
 それでも池田湖へ向かう下り坂では左膝に違和感。無理はできません。ですから、私からすればオーバーペースなので、これ以上のペースはこの先維持できないと判断して、走るリズムだけを守っていくことを優先させることにしました。

 池田湖畔を走りながら、(記録よりも)走りきれるかどうかという不安感にさいなまれ、この後の30㎞をどう走るのか組み立てもできず、ひたすら走るリズムを守っていくことだけを考えていた私でした。
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ウンがいいのかも・・・・・鬼火焚きで。

2011年01月08日 00時01分21秒 | Weblog
 今朝も寒かったですね。
 日中の気温のために少しは庭の雪も溶けてはいますが、まだまだたくさん残っています。日本中が寒気に包まれているようです。
 仕事のために家を出た頃、ちょうど朝日が出てきました。その光が山の雪に当たって美しい景色を作っていました。

 

 思わず、車を停めてパチリ。

 
 結局、終日、寒い一日でした。

 それでも、「菜の花」を控えた私にとってランは欠かせません。おかげで耐寒性がずいぶん身につきました。

 それと、今日は、1時間の休みをいただき歯医者へ。昨日の続きの治療です。
 麻酔2本打ちましたが、患部の感覚をなくすことができていないことは自分でも分かります。それだけに身構えてしまいますが、二○三高地攻めの乃木軍と同じことはしないだろうと思って、彼の攻め方を待ちます。
 私の痛み具合を確かめつつ、神経の周囲を削っていきます。そして、神経に直で麻酔。
 完全に痛みが沈黙してしまった瞬間、一気呵成に神経を取り去ってしまいました。
 真っ赤にただれた神経を見せてもらいました。

 痛みから解放された喜びで「夜のホームグラウンド」へ。

 

 この間、膝と歯の痛みで12月の月間走行量は11月の半分以下でした。 
 大会2日前なので無理はできません。じっくりとなら走れますが、1回だけでもスピードを引き上げて、リズム感を取り戻すとともに、呼吸器系への刺激を入れなければなりません。
 足が痛むことなく、無事にランを終えられました。

 さて、ランが終わると、すぐに帰宅です。
 今日は七草。鬼火焚きです。

 強風で傾いた上に、雪で湿るだけ湿っているので、火がなかなかつきません。例年並みの火勢になるまで1時間ほどずれこみました。
 底冷えするような寒さなので、自然、焼酎が恋しくなります。

 

 火がどんどん大きくなっている時に、恒例となった菓子まきとお金まき。
 私、600円近く拾いました。

 鬼火焚きも一段落すると、残った竹を全て燃やし尽くさなければなりません。
 雪のために乾燥が今一つだった孟宗竹は、その中に水分をたくさん蓄えています。それが熱せられたために、時たますさまじい音とともに破裂します。これが楽しいのですが、今年は水分が多い分、破裂というよりは爆発です。
 私にも火の粉とともに節の部分が飛んできて、左肩に当たりました。

 

 ↑↑↑ こいつです。直径10㎝ほどあります。
 「今年はウンがいいぞ」などと勝手に都合良く解釈します。

 次の更新は10日になると思います。明日(もう今日か・・・!)
 2泊3日の「菜の花」です。
 みなさんにどんなお知らせができるのか分かりませんが、楽しめる走りをしたいと思います。
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情けない口元

2011年01月06日 22時35分14秒 | Weblog
 特段、寒くはなかったのですが、出勤のため玄関を出ると、雪が降っていることに気づきました。山を見上げると・・・うっすら積もっていました・・・。

  

 さて、「菜の花」本番まで後3日。
 私を含め7人もの大量参加となった私の職場では、お茶の時間の話題は当然「菜の花」です。

 寒波が来ているらしく、終日、寒かったのですが、ふだんから寒い空気の中を走っている私にとっては、同僚たちほどふるえることはありません。
 
 私が気になるのは歯の治療・・・・・
 今日は神経を抜く予定でした。麻酔を2本打ちました・・・・・が、ドリルが動き始めると、痛くて痛くて・・・結局、中断でした。
 麻酔でマヒしたままの口元の筋肉をひっさげてランへ。

 「菜の花」に参加する友人と一緒になりましたが、話すのがおっくうなくらいに、口元の筋肉は動いてくれません(情けない!)。
 明日は治療の続きです。
 とにかく、なんとかしてもらわないと、膝プラス歯に気を遣うなんて嫌なのです。
 

 
 
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駅伝雑感 ~駅伝のルールはどこへやら~

2011年01月04日 22時20分30秒 | Weblog
 日本の一年は駅伝で明けると言っても過言ではないでしょう。
 1/1が実業団、1/2~3が大学の関東地区大会。

 中継を全て見たわけではありませんが、実業団はさすがという感じです。
 一方、大学の関東地区大会、つまり箱根駅伝・・・・・こちらは、いただけなかった。

 往路。
 給水・・・あれ何?
 選手の健康を考えるのはいいけど、あきらかに走力の異なる方々がよたよたしながら選手の前を横切ったり、他校の選手の進路を妨害したり。
 しかも、給水をする場所は狭かったり、カーブだったりと、選手からしてみれば迷惑千万です。
 あれは関東地区では許されたとしても、全国の他の地区は絶対に真似してほしくないと思います。
 国際レベルの選手を育成したいのなら、マラソン同様にした方がいいと思います。

 私がTVを見たのは2区の途中まででした。自分のランを済まして5区・山登りを観戦。柏原選手の意地は素晴らしいと思いましたが、あの区間で早稲田の優勝を確信しました。
 登りでは勝てなくても最後の下りで1秒でも縮めてという駅伝の鉄則をしっかり果たした早稲田の選手の意地に感動しましたね。あれが逆転はもちろんですが、最後の逃げ切りのタイム差につながったんだと私は思います。その意味で、5区・猪俣選手が早稲田優勝のMVPだと思います。

そして復路。
 山下りの6区は、首位・東洋大に早稲田が追いついて抜きつ抜かれつの大接戦。駅伝のルールを知らない方々は、その展開に興奮したのだと思います。
 
 が、私・・・・・実に、冷めていました。
 一緒にTVを見ている家族(早稲田びいきです)が燃えれば燃えるほど、興ざめでした。

 早稲田の選手、何度となくセンターラインを割って、短距離コースをとっていました。
 しかも、東洋大の選手を腕振りにみせかけて、走路を妨害したり・・・いえ、もちろん、無意識にやってしまったかもしれませんね。でも、無意識にやればやるほど、選手自身の規範意識の低さを露呈するだけです。
 知ってか知らずか、TVの解説者は「こんなに性格のいいやつはいないですよ」なんて選手の人格評価までその瞬間にやっていて・・・
 
 途中、監察車からでしょうか、センターラインを割ったことに対して注意が聞こえてきました。が、それも無視でした。

 大会運営側もしくは東洋大なりから早稲田に対して苦情はあったのでしょうか。
 私が見る限り、微々たることかもしれませんが、あれは反則ですし、スルーしたもん勝ちなんておかしいです。
 もちろん、早稲田だけでなく、何校かセンターラインの内側を走っている姿が見られました。

 TV局は「よい子のみなさんは真似をしないでください」ってテロップを流してほしかったですね。

 全国から注目される大会です。
 駅伝のルールはしっかり守って競技してほしいと思います。
 
 


 

 

 
 
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