次は、宮之城駅と佐志駅の間です。
宮之城線にとっては最も急激に景色が変化した区間になります。
まずは、日本特殊陶業の鹿児島工場前です。
すっきりとした交差点になりました。
何も考えなければ、工場の入り口らしいゆとりのある大きな交差点です。
が、ここにはかつて、というよりも、昨年の4月までは、踏切の跡が残っていました。
↓↓↓ こんな感じです。
また一つ、遺構が消えてしまいました。
仕方がないこととはいえ、残念です。
さて、踏切跡の先では、川内川の支流である穴川を越えなければなりません。穴川はこの先、蛇行しつつも佐志駅の東側に開けた谷間を俎上し、薩摩永野駅の近くに達しています。
この稿としては、蛇足になりますが、薩摩大口~鹿児島間は肥薩線回りの方が速く到着していました。
鶴田ダムという巨大電源の開発や森林資源の輸送といったことを臨時の支線もしくは近隣の駅からのトラック輸送で行い、広橋から穴川に沿った谷間を利用してまっすぐに宮之城を目指して、高速化を図れていたら・・・。もし、これがために肥薩線より短時間で薩摩大口~鹿児島間を結べていたら、川薩・伊佐地区間の交流の少なさを補ってあまりある魅力になっていたのではないかと想像します。
話を元に戻します。
穴川を渡りながら、線路の勾配は急激にアップします。
きついですね。
しかし、短距離であるため、一気に越えられていたのではないかと思います。
さあ、登りきりました。
ここから先がさらに大変貌を遂げていたのです。
宮之城線にとっては最も急激に景色が変化した区間になります。
まずは、日本特殊陶業の鹿児島工場前です。
すっきりとした交差点になりました。
何も考えなければ、工場の入り口らしいゆとりのある大きな交差点です。
が、ここにはかつて、というよりも、昨年の4月までは、踏切の跡が残っていました。
↓↓↓ こんな感じです。
また一つ、遺構が消えてしまいました。
仕方がないこととはいえ、残念です。
さて、踏切跡の先では、川内川の支流である穴川を越えなければなりません。穴川はこの先、蛇行しつつも佐志駅の東側に開けた谷間を俎上し、薩摩永野駅の近くに達しています。
この稿としては、蛇足になりますが、薩摩大口~鹿児島間は肥薩線回りの方が速く到着していました。
鶴田ダムという巨大電源の開発や森林資源の輸送といったことを臨時の支線もしくは近隣の駅からのトラック輸送で行い、広橋から穴川に沿った谷間を利用してまっすぐに宮之城を目指して、高速化を図れていたら・・・。もし、これがために肥薩線より短時間で薩摩大口~鹿児島間を結べていたら、川薩・伊佐地区間の交流の少なさを補ってあまりある魅力になっていたのではないかと想像します。
話を元に戻します。
穴川を渡りながら、線路の勾配は急激にアップします。
きついですね。
しかし、短距離であるため、一気に越えられていたのではないかと思います。
さあ、登りきりました。
ここから先がさらに大変貌を遂げていたのです。
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