ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  佐志駅とその近辺の変化 ②

2012年02月12日 20時57分06秒 | Weblog
 「国鉄・宮之城線の今」シリーズを終えてからなかなか宮之城以北を訪れる機会も時間もなかったのですが、そんな中、TanaTooさんから佐志駅近辺の整備の話を聞いたのが昨年暮れでした。
 気にはなりつつも、なかなか時間が作れずにいたのですが、11日(土)に訪れることができました。

 今回の訪問で一番驚いたのは駅舎跡が完全に撤去されていたことでした。

 

 ↑↑↑これは2009年10月の様子です。
 それが今では↓↓↓こんなふうになっていました。

 

 旧駅前通りが新しい道路に向かって延伸されそうな感じです。


 これを反対側から見てみると

 


 なんの変哲もない景色です。が、宮之城線現役時代の様子↓↓↓を重ねて見てみると、その変貌ぶりが痛々しく感じられます。

 

 線路近くの電柱2本が過去の名残ですね。
 でも、それは知る人ぞ知ることでしかありません。悲しき過去の墓標に感じられました。




 地域の方々の要望があったにもかかわらず、プラットホームが削られてしまいました。

 

 駅舎跡の土台がない上にプラットホームのスロープもなくなってしまいました。


 

 駅跡の証明だった動輪はどうなってしまうのでしょうか。

 また、動輪の横にある鉄骨は何か分かりませんが、これまたどういう運命をたどるのでしょうか。



 全国各地で鉄道の遺構がなんらかの形でその存在を残そうとされています。
 厳しい地方財政の下では、こんな要望はぜいたくな相談の部類に入るようですが、それでもやはり私はなんらかの形で残してほしいと願います。
 それもできるだけ過去の姿をイメージしやすい形でと。
 この佐志駅跡も動輪とレールは本来のものとは垂直の関係でした。これではダメです。現役時代と同じ向きにすべきです。

 
 小さな要望かもしれませんが、産業遺産として見る場合、できるだけ現役時代を正確に想起させる形がいいと思うのです。

 京都や奈良の寺社仏閣同様に、「遺産」という物は、その場所にその形であるからこそ価値があるんです。現代人の価値観や都合で勝手にいじればいいというものではありません。その点だけは踏まえておかないと、とんでもないことになってしまうと思います。




 

 


 

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