ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑯椿越トンネル手前の鉄橋

2011年02月27日 21時20分56秒 | Weblog
 2/4に「4本の橋脚の今」と題した記事を書きました。

 薩摩永野駅を出て2つのトンネルを抜け、宮之城線最長のトンネルの椿越トンネルの手前までは、その記事でも書いたと思うのですが、間伐の関係車両が出入りしているらしく、一般車両でも入っていくことができます(運転は慎重に)。

  

 
 これについては、ずっとひっかかっていました。
 というのも、まずは、下の写真を見てください。

  

 宮之城線が現役だった頃にカレンダーの一ページとして撮影されたものです。真ん中の一本は強固なコンクリートの塔のようです。その両サイドにも立っています。
 
 ここで、背景の山の稜線の位置と鉄橋手前の植林を覚えておいて、次の写真を見てください。

  

 これは現在の姿です。
 植林された杉が成長し、鉄橋跡どころか山の稜線すら超えています。
 大事なことは両方の写真の共通点として、写真中央部の植林が切れていることです。ここには小川が流れており、その川幅の分だけ、植林に隙間ができています。

 この「隙間」の先にあるのは、カレンダーの写真で言えば、中央の最も強固な橋脚ですが、2/4に私はこれを2本目の橋脚と書いてしまいました。
 
 間隔からして、橋脚は5本あったと考えるのが妥当でしょう。

 実際、現地で「隙間」を確認しつつ、どのコンクリート塊がその位置に座しているのか確認してみました。

 つまり、2/4に述べた1本目は実は2本目、2本目は3本目(真ん中)、3本目は4本目、4本目は5本目となります。

 では、1本目と橋台はどうなってしまったのでしょうか。
 
 そこで、かつて紹介した写真を再び載せたいと思います。

  
 
 赤い服を着てピースをしているのは、3~4歳頃の二女です。奥の白いセーターを着ているのが私。だいたい15年くらい前の写真、つまり1995年頃で廃線になってから8年と鉄道の遺構もたくさん残っていた時代です。

 ガードレールの先に盛り土がしてあります。

 ということは、現在も残るこのガードレールの先に橋台と1本目の橋脚があったと考えるのが妥当でしょう。
 しかし、現在、ここには伐採された木々の枝が山となり、確認のしようがありません。

 
 より正確な調査をするには、当時の記憶の確かな方と一緒に訪れるか、鉄橋の図面や当時の詳細な地図が必要となりましょう。

 ぜひ知りたいところですが、呼びかけてもそんな方はなかなか現れないのでしょうね。
 

 

 
 
 
コメント (8)
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娘の引っ越し その1

2011年02月27日 20時58分27秒 | Weblog
 今日は娘の引っ越しでした。

 家賃が安い所へ、というのが引っ越しの理由。

 これまでより7000円も安くなったのに、借りる部屋は今までより上の階になりました。

  

 
 鹿児島中央駅近くで、眼下をJR指宿枕崎線の菜の花号が走っていきました。

 桜島も城山もばっちり見えています。


 が、この2年間で4度目の引っ越しだけに手伝いに来ていた妹は「定住してぇ~!」
 私も年度末で週末はとても貴重なのですが・・・


 でも、「その1」って・・・・・?!
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