ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

我が家の近くにも春の気配

2010年01月23日 23時49分28秒 | Weblog
 今日、見つけました。

 我が家から6㎞ほど離れ、標高差も200m以上あるのですが、よく通る道沿いの民家の庭先の梅に花がいっぱいついていました。

 薩摩半島南部の某市の実家の庭まで届いた梅花前線は確実に、私の家まで迫っていることを実感しました。
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国鉄・宮之城線の今  195

2010年01月23日 23時41分26秒 | Weblog
 194の写真を撮影した1か月後、再び薩摩山崎駅を訪れました。

 すると、刈払い機で刈り取られた草は枯れてしまい、もともとの姿に近い姿がはっきりとしていました。

 そうです。
 プラットホームの跡がありました・・・!


 麦わら帽子のおじさんに感謝!

 
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国鉄・宮之城線の今  194

2010年01月23日 23時36分17秒 | Weblog
 この企画を思い立ち、取材に訪れた昨年9月末、薩摩山崎駅の構内は、背の高い草に覆われていました。
 どこが何だか全く分かりません。

 何か駅としての痕跡はないものかと歩き回っていましたが、何も見つかりませんでした。

 そんな時、耳慣れた草払い機の音がするなと思って、その方向を見てみると、麦わら帽子をかぶったおじさんが一人、刈払い機で草を払っている姿を見つけました。

 写真をクリックしてみてください。
 おじさんを探してみてください。
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国鉄・宮之城線の今  193

2010年01月23日 23時26分36秒 | Weblog
 薩摩山崎駅は、樋脇・入来駅同様に駅前に、「山崎駅」のバス停があります。
 鉄路がなくなって20年以上経ちますが、うれしい景色ですね。

 バス停横の商店は、往時は繁盛していたのでしょうが・・・

 他の駅とも、同じような景色の繰り返しでした。
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国鉄・宮之城線の今  192

2010年01月23日 23時23分43秒 | Weblog
 191の写真の草むらの中に、190の記念碑があると申しましたが、この記念碑の近くを見てみると、動輪があったり、「踏切制御区間」と書かれたコンクリート柱があったり。

 しかも無造作に。

 あればいいってもんじゃないんだけど。
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国鉄・宮之城線の今  191

2010年01月23日 23時18分34秒 | Weblog
 薩摩山崎駅前の広場です。
 けっこう広いですね。
 
 現在の姿と現役自体の姿ともちろん違っているんだと思いますが、それを調べるだけの写真等の資料がありません。

 廃線後にわざわざ目立つような物を作るとは考えられないので、草むらの中に立つ高い看板みたいなものは、きっと鉄道現役時代からあったのだと思います。

 この草むらの中に、190で掲載した記念碑がうずもれていました。
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送電線の下で。

2010年01月23日 22時06分45秒 | Weblog
 写真は送電線です。
 この送電線は川内原発を起点に、隈之城→入来→蒲生→黒木→中津川→永野を通り、伊佐市の南九州変電所までつながり、その後県外へ向けてさらに広がっていきます。

 今日は川内原発3号機の増設をめぐっての講演会が薩摩川内市で開催され、誘われた私も参加してきました。会場には推進・反対それぞれの議員さんも数名参加されていました。

 私? ・・・ そりゃあ、私は反対です。

 
 出力調整の難しい原発の発電量はいじらずに、電力消費の多少は火力発電等で調整するという仕組みがあります。
 そのために、原発自体は発電時にはO2排出はなかったとしても、日々出力調整のために火力発電所を稼働させなければなりません。したがって、原発の増設は火力発電の増設を必ず伴います。
 ということは、結果として温暖化対策にはならないという指摘は、ごく当たり前のことかもしれませんが、私にとっては、なるほどと思わされました。
 だって、原発を中心にしてその他で調整というベストミックスという考えは、推進の方々の理論的な支柱であり、これを根本から崩壊させてしまいます。

 しかも、1970年代はオイル・ショックを受けて「30年後には石油がなくなるから原発を」と言われました。その後、新しい油田が開発され、現在では後40年ほどは維持できるという見通しが立っています。 
 こんな時に「後40年しかないから」というキャッチフレーズはもう使えないと判断したんでしょうね。
 そして、現在は、温暖化対策。
 その時々の人々の危機意識にはたらきかけつつ、原発を推進していくなんて、まるで、「狼と少年」の物語みたいです。

 
 もちろん、クリーンなエネルギーと言われる太陽光・風力などの発電にも課題があります。ですが、原子力発電の研究にかける予算の1/10でもこういった発電の研究に予算をシフトすれば、もっと大きな進歩があるのではないかと思うのです。
 実際、東京電力はアメリカ・オバマ政権のグリーン・ディール政策に深く関与しつつ、この方向性を研究しています。
 この姿勢を国内でも生かしてほしいなと思うのですが・・・


 さて、原子力の持つ可能性にはとてつもなく大きなものがあります。
 ですが、技術的に未熟なこと、それを国策として商業ベースにのせようとすること、廃棄物の処理のあり方など、あまりにリスクが大きいです。
 この財政難の時代に、どうして原子力政策を推進するのか理解できません。
 どうして、もっと低予算で開発の可能性の大きい電源開発を進めないのか理解できません。

 私は数年前に鹿児島県北薩地区で台風による送電線倒壊で、数日間の停電の実態を目の当たりにするにつけ、やはり大規模電源から送電線による配電ではなく、世帯ごともしくは地域ごとの小規模電源からの配電に切り替えていくべきだと考えています。

 よく危機管理が叫ばれますが、こちらの方がずっと国全体のリカバリー機能を発揮できると思います。
 原発依存政策は、温暖化がどうこうではなく、エネルギー、危機管理の政策のあり方の根本の問題として間違っていると考えます。
 ましてや、交付金による地域振興なんて、全国のどこの町を見ても、ろくなことはないのが常識です。

 話したいことはたくさんありますが、とりあえずはここで留め置きたいと思います。

 

 
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