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「弥勒下生」について、人智学のシュタイナーはどう語っているでしょうか。
「釈迦・観音・弥勒とは誰か」という本の中にあるシュタイナーの翻訳者西川隆範氏の「菩薩問題」という文章を抜粋して紹介させていただきます。
この本はシュタイナー他何人かの人智学派の仏教についての文章をまとめたもので、西川氏は、シュタイナーの考えを要約して書いています。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
ルドルフ・シュタイナーがはじめて「弥勒」について語ったのは、1909年、ケルンにおいてである(邦訳「輪廻転生とカルマ」所蔵)。
そこでは弥勒がマハーカシャパを訪れる時のことが語られている。
弥勒(=マイトレーヤ)という言葉は、慈悲、友情を表わすマイトリーという語から発したもので、「慈氏」と意訳される。
シュタイナーは弥勒を「言葉をとおして善をもたらす者、善き心の仏」と呼んでいる。
そして
「弥勒は将来、人間にキリストを完全に見出させるために、弥勒仏として地上に下るであろう。
彼はキリスト衝動の最大の告知者となり、多くの人々にダマスカスの体験を可能にするであろう(1910年)」、
「弥勒は人々にキリスト事件を完全に明らかにするために現れる最大の教師である。」(1911年)
と語っている。
「ダマスカスの体験」というのは、ダマスカスへの途上でパウロが“復活したキリスト”の姿を眼にしたことを指している。
なぜ弥勒菩薩が“キリスト”の意味を明らかにする存在なのか?
この問題を明らかにするには、「菩薩界」という領域で何が行われているかを見る必要がある。
シュタイナーは世界には12人の菩薩がいるとしている。
菩薩というのは、人間としての最高段階であり、この段階から一段上昇すると仏陀になる。
12人の菩薩たちは、それぞれ地球の進化のために果たすべき役割を持っている。
たとえば、釈迦の役割は、人類に慈悲の教えをもたらすことであった。
菩薩たちは次々と地上に下って、自分の役割を果たしていく。
霊的世界では12人の菩薩たちが共同体を形成しており、その共同体の中心に、“ある存在”がいる。
この存在から発する叡智を、菩薩たちは受け取り、人々に伝える。
この菩薩たちの中心にいるのが、インドではヴィシュヴァ・カルヴァン、ペルシアではアフラ・マズダ、エジプトではオシリス、そして今はキリストという名で知られている存在なのである。
ヴィシュヴァ・カルヴァンは「リグ・ヴェーダ」や「プラーナ」文献に登場する神で、美術、工芸、建築の神であり、“一切を作った者”という意味である。
キリスト=ヴィシュヴァ・カルヴァンが12人の菩薩たちの中心にいて、叡智を注ぎ出しているのである。
菩薩たちはキリスト=ヴィシュヴァ・カルヴァンから発する叡智を受け取り、その叡智を人々に伝えている。
シュタイナーは、「弥勒は紀元前1世紀頃にエッセネ派教団を指導した」、と述べている。
エッセネ派はキリスト教を用意した教団であったと言うこともできるから、その頃から弥勒菩薩はキリスト衝動の告知者であったのである。
日本では弥勒菩薩が下生するのは五六億七千万年後とされている。
しかしチベットには、別の見解がある。
西域五仏の曼荼羅を見ると、中央に大日、東に阿?、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就の五禅定仏。
そのかたわらに普賢、金剛手、宝手、蓮華手、一切手の五禅定菩薩。
拘留孫、拘那舎牟尼、迦葉、釈迦、弥勒の五菩薩が描かれている。
これらのグループの仏達はそれぞれ5000年間を統治するとされる。
現在は西の時代、つまり「阿弥陀―蓮華手―釈迦」の時代である。
未来は北の時代、つまり「不空成就―一切手―弥勒」の時代に変わるのである。
釈迦が悟りを開いてから5000年後に弥勒菩薩が下生し、成仏する、とシュタイナーは見ていた。
大事なことは、「弥勒が下生する時、人間は魂の自然な能力として、釈迦が説いた八生道を完成している」、とシュタイナーが述べていることである。
弥勒下生の時までに、わたしたちは、八正道の完成に努力する必要があるわけである。
また、シュタイナーはしばしば自らの精神科学=霊学を、薔薇十字的な流れに結びつけて語ったが、
「弥勒仏の流れは薔薇十字に結びつく西洋の流れと共同している」(1911年)とも述べている。
(引用ここまで・続く)
*****
wikipedia「八正道」より
八正道(はっしょうどう)は、釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。
「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。
この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道と言う。
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「ブログ内検索」で
シュタイナー 3件
弥勒 15件
キリスト 15件
チベット 13件
マイトレーヤ 6件
弥勒下生 7件
仏教 15件
予言 15件
エッセネ 1件
オシリス 1件
などあります。(重複しています)
「釈迦・観音・弥勒とは誰か」という本の中にあるシュタイナーの翻訳者西川隆範氏の「菩薩問題」という文章を抜粋して紹介させていただきます。
この本はシュタイナー他何人かの人智学派の仏教についての文章をまとめたもので、西川氏は、シュタイナーの考えを要約して書いています。
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(引用ここから)
ルドルフ・シュタイナーがはじめて「弥勒」について語ったのは、1909年、ケルンにおいてである(邦訳「輪廻転生とカルマ」所蔵)。
そこでは弥勒がマハーカシャパを訪れる時のことが語られている。
弥勒(=マイトレーヤ)という言葉は、慈悲、友情を表わすマイトリーという語から発したもので、「慈氏」と意訳される。
シュタイナーは弥勒を「言葉をとおして善をもたらす者、善き心の仏」と呼んでいる。
そして
「弥勒は将来、人間にキリストを完全に見出させるために、弥勒仏として地上に下るであろう。
彼はキリスト衝動の最大の告知者となり、多くの人々にダマスカスの体験を可能にするであろう(1910年)」、
「弥勒は人々にキリスト事件を完全に明らかにするために現れる最大の教師である。」(1911年)
と語っている。
「ダマスカスの体験」というのは、ダマスカスへの途上でパウロが“復活したキリスト”の姿を眼にしたことを指している。
なぜ弥勒菩薩が“キリスト”の意味を明らかにする存在なのか?
この問題を明らかにするには、「菩薩界」という領域で何が行われているかを見る必要がある。
シュタイナーは世界には12人の菩薩がいるとしている。
菩薩というのは、人間としての最高段階であり、この段階から一段上昇すると仏陀になる。
12人の菩薩たちは、それぞれ地球の進化のために果たすべき役割を持っている。
たとえば、釈迦の役割は、人類に慈悲の教えをもたらすことであった。
菩薩たちは次々と地上に下って、自分の役割を果たしていく。
霊的世界では12人の菩薩たちが共同体を形成しており、その共同体の中心に、“ある存在”がいる。
この存在から発する叡智を、菩薩たちは受け取り、人々に伝える。
この菩薩たちの中心にいるのが、インドではヴィシュヴァ・カルヴァン、ペルシアではアフラ・マズダ、エジプトではオシリス、そして今はキリストという名で知られている存在なのである。
ヴィシュヴァ・カルヴァンは「リグ・ヴェーダ」や「プラーナ」文献に登場する神で、美術、工芸、建築の神であり、“一切を作った者”という意味である。
キリスト=ヴィシュヴァ・カルヴァンが12人の菩薩たちの中心にいて、叡智を注ぎ出しているのである。
菩薩たちはキリスト=ヴィシュヴァ・カルヴァンから発する叡智を受け取り、その叡智を人々に伝えている。
シュタイナーは、「弥勒は紀元前1世紀頃にエッセネ派教団を指導した」、と述べている。
エッセネ派はキリスト教を用意した教団であったと言うこともできるから、その頃から弥勒菩薩はキリスト衝動の告知者であったのである。
日本では弥勒菩薩が下生するのは五六億七千万年後とされている。
しかしチベットには、別の見解がある。
西域五仏の曼荼羅を見ると、中央に大日、東に阿?、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就の五禅定仏。
そのかたわらに普賢、金剛手、宝手、蓮華手、一切手の五禅定菩薩。
拘留孫、拘那舎牟尼、迦葉、釈迦、弥勒の五菩薩が描かれている。
これらのグループの仏達はそれぞれ5000年間を統治するとされる。
現在は西の時代、つまり「阿弥陀―蓮華手―釈迦」の時代である。
未来は北の時代、つまり「不空成就―一切手―弥勒」の時代に変わるのである。
釈迦が悟りを開いてから5000年後に弥勒菩薩が下生し、成仏する、とシュタイナーは見ていた。
大事なことは、「弥勒が下生する時、人間は魂の自然な能力として、釈迦が説いた八生道を完成している」、とシュタイナーが述べていることである。
弥勒下生の時までに、わたしたちは、八正道の完成に努力する必要があるわけである。
また、シュタイナーはしばしば自らの精神科学=霊学を、薔薇十字的な流れに結びつけて語ったが、
「弥勒仏の流れは薔薇十字に結びつく西洋の流れと共同している」(1911年)とも述べている。
(引用ここまで・続く)
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八正道(はっしょうどう)は、釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。
「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。
この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道と言う。
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「ブログ内検索」で
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弥勒 15件
キリスト 15件
チベット 13件
マイトレーヤ 6件
弥勒下生 7件
仏教 15件
予言 15件
エッセネ 1件
オシリス 1件
などあります。(重複しています)
“人格としてのイエス・キリスト”を認めるか否か、というのは永遠のテーマであることと思います。
ユダヤ教との近親憎悪的な関係もあるのかもしれませんね。
キリスト教は、源泉を辿れば、いろいろな要素に分解してしまう、、。
分解しないためのくさびが、イエスという人格だとしたら、人格というものを成り立たせている文明とはなにか、ということかと思います。
仏教だと阿弥陀信仰、観音信仰、弥勒信仰、、などなどと相対的でいられますから、やはり一神教は大変だなあ、と思います。
西洋文明におけるユダヤ思想というのは、とても興味深いです。
キリスト計画の中間調整者として現れたエッセネ派のイエスを
救世主として祀り上げ、偶像崇拝に利用しようと考えた・・・
そのために邪魔な聖典を排除しイエスを神格化していくわけですが・・
後世に出現した愚者たちは皆が救世主を騙る(聖書を悪用する)わけでして
「私は聖書を黒魔術的曲解しているぞー!」と世間に公言するようなもの))笑
偽者を炙り出すために、聖書解釈を逆に利用した可能性も高いですね
暗愚の象徴=「ロバ」に神輿(真理)を運ばせる珍妙な手段として
「ロバ祭り」はヨーロッパで行われている祝祭です
http://weedweedweed.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-51d0.html
古神道の聖域に置かれた日本最古の祠のシンボル
http://yfrog.com/h04gezj
コメントどうもありがとうございます。
キリスト教の原典(外典)の研究によって、原初のキリスト教世界がだんだん明らかになってきていますね。
日本の古神道が国家神道の栄枯盛衰には関わらず生き続けているようなものかもしれませんね。
シュタイナーのキリスト論は独特だと思いますが、その弥勒論もまた独特ですよね。
彼独自の言葉で語っている“弥勒菩薩”は、キリストと共に人類の未来の希望の星という感じですね。
(英文版ナグ・ハマディ図書館、Harper Collins出版)
ナグ・ハマディ経典の各編の著者を含む、多くの聖人や神秘主義者たちは、
神あるいは最高の存在を、「万物を包含した純粋なまばゆいばかりに輝く光の神」
と述べています。
太古、偉大な神秘詩人曰く。「時間の神(魔王、マーヤ)が聖人たちの教理に
覆いをかぶせて(教理を)人類から隠してしまった」
聖書の原典を改竄し、外典として規範化、キリスト教会の検閲の過程の多くは、
四世紀中に起きています。「外典」のほとんどが聖書としての地位を失ったのが
この時期です。
ほんの少しの部分だけがこの四世紀の聖書となり、悲しいことに、
多くの重要な神秘的な部分が省かれてしまったのですが・・・・
イエスを磔にした、キリスト教会の中にいる悪魔崇拝者たちが
未来に出現する最大の脅威として三つの6(ミロク=666=反キリスト)の
のネガティブキャンペーンを行なってきたわけですネ
キリスト計画を擬人化し、イエスを救世主に祀り上げてしまった彼らが
一番恐れているものは「聖なる光」なのではないかと思います