今回の衆院選の投票率は、60%を切る低い投票率だった
前回、美味い事ばかり言って女性を騙す結婚詐欺のような
公約を掲げた民主党に投票した多くの有権者が、民主党に
落胆し棄権に回ったのが原因という
棄権した有権者は言う。「自分一人が何かしたところで
何も変わらない」と…
だが実際は、前回は「自分ひとりが投票」したことで
民主党を大躍進させ、今回は「自分ひとりが棄権」した
ことで、民主党が惨敗し自公が政権に復活したのだ
その「大変化」を「変わらない」という彼らの感覚に驚く
そんな彼らの根底にあるのは「無力感」だ。そのどんよりと
濁った感覚が、この変化を感じないでいるのだ。もしかしたら
自分の変化にも気づかないでいるのかもしれない
どんどん堕ちていく自分の変化にも…
また、濁った感覚だから、誰もが“自分と同じ無能”に見え
「誰がやっても同じ」と思ってしまうのだ。猿が、己以上の
能力の者がいることを察知できないのと同じだ
「自分がしたところで何も変わらない」という思考は
一見、世の中に失望したインテリな人間、つまり「世の
中のことが判っている才人」のようにも思える
「変わらない」発言する人の多くも、どこかでそれを意識して
発言している。「どう、僕って頭良いでしょう」と。だが、前
述したように、それは本来のインテリとは正反対、人間として
の向上の発露の人とは逆の、愚かな無気力思考なのだ
「私は烏合の衆の一員です」と白状しているものなのだ
一人ひとりの「無力感」が自らの人生の力を萎えさせ、社会を
力無いものにしていくのだが、そんな彼らも「誰かが現状を変
えてくれる」のを心待ちにしている。自分では何もしないのだが…
この他力本願思考は、何処から来ているのか…
また不思議なのは、「誰かの現状打破行動」を心待ちにしているくせに
誰かが現状打破の為に行動を始めると、揚げ足取りと批判を始める
黒澤映画「七人の侍」で、百姓上がりのニセ侍・菊千代(三船敏郎)が
「(侍に冷たい態度の百姓だが、自分たちの命が危うくなると)お侍さまー!
お侍さまーって、手を合わせて拝んでけつかるっ!」
「正直面してペコペコ頭下げて、嘘をつく、なんでも誤魔化す!」
「けちんぽで、ずるくて、泣き虫で意地悪で間抜けだ!」と、百姓の
悪態をわめき散らす場面があるが、「百姓」を「有権者」に変えても
違和感はない…と言うのは言い過ぎか
口の悪い友人が「愚民が愚かな議員を選ぶ。前回の選挙をみろ
バカが馬鹿を選んだから、大震災の復興もならず景気も更に悪化し
隣国から舐められ領土も侵されそうになった。今回はバカが棄権し
てくれたおかげで、無能政権が終わってくれた。バカに投票権を与
えるとロクなことがない。投票権は試験制度にして、合格点を取った
人間だけに与えるべきだ」と酒席でまくし立てた
自民党の森元総理の「(自民党に入れない有権者は、投票に行かず)
寝てくれていればいい」発言を思い出したのだが、それは酷い暴論
賛成しかねるものだが、一理はあるとも思ったのだ
だが、口の悪い友人のいう「バカ」も、一瞬で「賢人」に変わる
それは意識を変えることによってそうなるのだ。つまり「自分ひ
とりが何をやっても…」から「自分ひとりの強い意思で、自分を
変え、周囲を変え、やがて社会も変えていく」という意識だ。時
間がかかっても、必ず変わっていくという信念の人が、更に信念
の人を増やし、その数が増えれば、本当に社会は変わっていくは
ずなのだ。信念の人に諦めはない
誰もが「イチローは凄い」という。だが彼は自らの「今」を「常に
難しいことに立ち向かい」「諦めず続けた」結果という
ある日突然、何かが“降臨”して、偉大な野球選手になれたのではない
のだ。「今度こそ!」「今に見ていろ!」「絶対にやり遂げる!」と
日々の地道な練習に励んだ結果なのだ、と
「日々の奮闘が自分を変え、世界を変えられる」との信念の人の
人間としての質は高い。そんな質の高い人の目には、有名だとか
見てくれが良いとか、金持ちだとかの基準はない。自分と同じ“匂い”
の奮闘の人、信念の人、努力の人がよく判るのだ。
その目を持った有権者が増えれば、「バカ議員」が世に出ることはないはずだ
だから「何も変わらない」「誰でも同じ」とうそぶく前に
「自らを変えろ!」だ