お里帰り、首都圏の小さな旅シリーズ第3弾。
今回の目的地はオヤジが高校2年、3年の時に住んでいた相模大野に行きました。
オヤジが住んでいた頃はまだ南口は区画整理前で、空地だらけで16号まで見渡せましたが、今や36年前の面影は全く無い街になっていました。
まずは駅が全くの様変わり。
オヤジが通学に毎日通っていた頃は、北口に比べてアッサリとした出入り口の階段があっただけだったのに、立派な駅ビルが駅の上に乗っかって、南口も壁のように見上げるようになっていました。

かつて駅の西側に、小田原本線、江ノ島線、車庫の出入りのため、ホントに有名な開かずの踏切だったところもアッサリと無くなっており、歩行者用の跨線橋になっていました。

右側の立派なマンション然とした建物がオヤジが住んでいた社宅があったところ。
さすがに36年前。それもすでに築10年以上は経っていた頃に住んだはずなので、建て替わるのも然りです。
ここから駅まで駆け足で3分。
車庫があるので朝の6時53分発(何故か覚えている。)始発の急行に乗るために、5分前に家を出て間に合って、タイミングが良ければ座れていました。(笑)

あまりの変わりように、歩き回る気力が起こらず、早々に小田急相模原へ電車で移動して、母によく連れていってもらった餃子屋に行きました。
当時から東海大相模高や学生たちに人気の餃子屋でしたが、今も繁盛店で、お店も立派になっていました。
記憶が曖昧なのですが、店の場所もちょっと変わったような気がします。

しかし、餃子の味は相変わらず美味しかったです。
厚めの皮で揚げっぽい焼き餃子は絶品。多分、その頃も食べていた二人前20個と、ホントはビールを飲みたかったのですが、その後の予定もあって我慢してライスにしましたけど大満足でした。

今回の目的地はオヤジが高校2年、3年の時に住んでいた相模大野に行きました。
オヤジが住んでいた頃はまだ南口は区画整理前で、空地だらけで16号まで見渡せましたが、今や36年前の面影は全く無い街になっていました。
まずは駅が全くの様変わり。
オヤジが通学に毎日通っていた頃は、北口に比べてアッサリとした出入り口の階段があっただけだったのに、立派な駅ビルが駅の上に乗っかって、南口も壁のように見上げるようになっていました。

かつて駅の西側に、小田原本線、江ノ島線、車庫の出入りのため、ホントに有名な開かずの踏切だったところもアッサリと無くなっており、歩行者用の跨線橋になっていました。

右側の立派なマンション然とした建物がオヤジが住んでいた社宅があったところ。
さすがに36年前。それもすでに築10年以上は経っていた頃に住んだはずなので、建て替わるのも然りです。
ここから駅まで駆け足で3分。
車庫があるので朝の6時53分発(何故か覚えている。)始発の急行に乗るために、5分前に家を出て間に合って、タイミングが良ければ座れていました。(笑)

あまりの変わりように、歩き回る気力が起こらず、早々に小田急相模原へ電車で移動して、母によく連れていってもらった餃子屋に行きました。
当時から東海大相模高や学生たちに人気の餃子屋でしたが、今も繁盛店で、お店も立派になっていました。
記憶が曖昧なのですが、店の場所もちょっと変わったような気がします。

しかし、餃子の味は相変わらず美味しかったです。
厚めの皮で揚げっぽい焼き餃子は絶品。多分、その頃も食べていた二人前20個と、ホントはビールを飲みたかったのですが、その後の予定もあって我慢してライスにしましたけど大満足でした。
