<「夢の超特急」0系がラストラン>
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com 2008年11月30日
昭和39年にデビューし「夢の超特急」と呼ばれた初代新幹線「0系」が30日午後、営業運転から引退する。
最後の運転は岡山発博多行き「こだま」で、午後2時51分に岡山駅を出発し、午後6時21分に博多駅に到着。両駅でセレモニーが開かれる。
0系は東海道新幹線の開業とともに登場。世界一の最高時速210キロで、東京-新大阪を3時間10分で結んだ。老朽化などから新型車両への移行が進み、現在は山陽新幹線でのみ運行している。
JR西日本によると、152席の指定席券は10月30日午前10時の発売開始後わずか数秒で完売。248席ある自由席を求め、鉄道ファンらが殺到しそうだ。
0系は12月に3日間、臨時の「ひかり」として「さよなら運転」し、正式に引退する。
--------------以上 引用-----------------
NHKの朝のニュースでもトップ級の扱いでした。日本の高度成長を支えた立役者の重要な一つであったのは事実でしょう。
オヤジが父の転勤で京都から東京に移る時は建設中の新幹線の高架を横目に視ながら、当時の超特急「こだま」だったとおぼろげに記憶しています。
当時は大阪から東京への転勤は途中1泊が認められていたそうです。
それから新幹線が開通して、オヤジは祖父母の家に休みのたびに遊びに行くのにどれだけ0系新幹線に乗ったでしょうか。それはそれはもう数え切れないくらいです。
そして小学校3年生の時にした初めての一人旅が、東京駅から京都駅まで新幹線「ひかり」でした。
その時に隣に座ったのは年頃まで全く記憶がありませんが若い女性の人というか、当時の感覚でいうお姉さんでした。
京都までの2時間50分の間、根気良くたまたま隣になった見知らぬガキの話し相手をしてくれたことだけは印象に残っています。
ホームで最後の営業運転を見て号泣している人がテレビに映っていましたが、そこまで・・・と思う反面、それだけ多くの人の人生に関わってきた44年の歴史の重みを自らの初めての一人旅を思い出しながらひしひしと感じました。
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com 2008年11月30日
昭和39年にデビューし「夢の超特急」と呼ばれた初代新幹線「0系」が30日午後、営業運転から引退する。
最後の運転は岡山発博多行き「こだま」で、午後2時51分に岡山駅を出発し、午後6時21分に博多駅に到着。両駅でセレモニーが開かれる。
0系は東海道新幹線の開業とともに登場。世界一の最高時速210キロで、東京-新大阪を3時間10分で結んだ。老朽化などから新型車両への移行が進み、現在は山陽新幹線でのみ運行している。
JR西日本によると、152席の指定席券は10月30日午前10時の発売開始後わずか数秒で完売。248席ある自由席を求め、鉄道ファンらが殺到しそうだ。
0系は12月に3日間、臨時の「ひかり」として「さよなら運転」し、正式に引退する。
--------------以上 引用-----------------
NHKの朝のニュースでもトップ級の扱いでした。日本の高度成長を支えた立役者の重要な一つであったのは事実でしょう。
オヤジが父の転勤で京都から東京に移る時は建設中の新幹線の高架を横目に視ながら、当時の超特急「こだま」だったとおぼろげに記憶しています。
当時は大阪から東京への転勤は途中1泊が認められていたそうです。
それから新幹線が開通して、オヤジは祖父母の家に休みのたびに遊びに行くのにどれだけ0系新幹線に乗ったでしょうか。それはそれはもう数え切れないくらいです。
そして小学校3年生の時にした初めての一人旅が、東京駅から京都駅まで新幹線「ひかり」でした。
その時に隣に座ったのは年頃まで全く記憶がありませんが若い女性の人というか、当時の感覚でいうお姉さんでした。
京都までの2時間50分の間、根気良くたまたま隣になった見知らぬガキの話し相手をしてくれたことだけは印象に残っています。
ホームで最後の営業運転を見て号泣している人がテレビに映っていましたが、そこまで・・・と思う反面、それだけ多くの人の人生に関わってきた44年の歴史の重みを自らの初めての一人旅を思い出しながらひしひしと感じました。