Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

Memory of SWISS AIR (1) ・・・・

2005-04-26 00:17:26 | 酔狂的欧羅巴徘徊記
スイス航空の思い出・・・
ヨーロッパの写真資料を整理していたら、今はなき「スイス航空」の機内誌、Shopping on Board が出て来た。
よく見ると、
Winter 1996/97
という、白抜きの文字が見える。
そうだ、
スイス航空をよく乗回していたのは、もう10年も前になるか、、、。
しかしこうして今見ていても、デザインの流行おくれを一切感じない。
今になって、スイス航空のセンスのよさをあらためて感じている。
そんなわけで、
是非読者にお見せしたくなり、さっそくスキャンしてみた。
スキャンしているときに、気が付いた。
表紙の色の中、大きくその割合を占めているネービーブル-の中から、あたかもスイス時計を象徴するかのように、さらに淡い白抜きで時計のメカニズムが描かれているのに気が付いた。
添付の映像からご覧いただけるかどうか、、、。
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 すてきなSR!
このデザインがお気に召した方もそうでない方も、上下の「キチガイバー」にクリックして頂きたい。
加えて、こんな古ぼけた機内誌を今も尚、大事に残している「エセ男爵」の変人者加減を笑ってやって頂きたい。

虚無僧的犬(2) La Rambla Balcerona, Spain

2005-04-25 16:15:27 | 酔狂的欧羅巴徘徊記
ものごとには、追加説明が必要な時もある。

ラ・ランブラでみかけた「コムソウ犬」には、ついつい追加説明を加えたくなったので、もう一枚画像を入れた。

残念ながら我輩はこの犬の品種がわからない。そして、これ以上我輩から説明を加える文言は、もう見当たらない。

そして、読者がご自身で、それなりの説明を付け加えて頂きたい。

    ?

働き者の「虚無僧犬」と比べ、怠け者のエセ男爵をお笑いめさるな、、、。

大道芸人と働く犬(1) La Rambla Balcerona, Spain

2005-04-25 09:15:41 | 酔狂的欧羅巴徘徊記
 
 見よ! 犬が働いているではないか・・・

ギターを奏でるご主人様に付き添い、今日も ラ・ランブラ の 歩行者天国の野外路上劇場で丸一日、赤のシルクハットをかぶり会計担当の看板を首に下げ、それでなくとも四六時中眠いまなこを半開きにし、道行く「顧客」に御捻りを求めて頑張っているではないか・・・

 我輩、目頭が熱くなった。

 なぜそうなったか?

 「・・・・・」

 「違う違う、、、」

「芸人のギター演奏の見事さに感激したのではない!」

そんな事で、感激するわけがない。たった今、ヴィセンテ・アミーゴの名演奏を聴いたばかりではないか。
比較にならん。
なぜか、いたいけな狛犬のごとき、いや、虚無僧が尺八を吹く心境のごとき世を儚んだ哲学者的風貌の犬、会計係を勤める「犬」の熱心さに心打たれたのである。

 スペインの犬が、こうして熱心に働いているにもかかわらず、方や日本では、我輩がブログ投稿記事作成にかまけ、時間をひたすら費やしている、、、。

 「世の中どうなっているか? なんということだ!・・・」

 あ~・・・
 エセ男爵の怠けさ加減、虚無僧的犬(コムソウテキ犬、と、読む)の真面目さ加減、ウヌ?如何せん、、、。

SALUTE, Spain! 天才ヴィセンテ・アミーゴ 「奇跡」

2005-04-25 00:40:30 | 音楽鑑賞蘊蓄録
好きなもの、良いもの、、、
あれば、
みぜびらかしたくなり、人に紹介したくなる。

我輩、今日は、そんな雰囲気だ。

スペインといえば「フラメンコ・ミュージック」・・・

灼熱の太陽のごとき情熱と、数千年にわたり洋の東西を流浪してきたジプシー風メランコリックな情緒を湛えたフラメンコミュージックは、思いのほか伝統と形式を重んじるがゆえ、その演奏表現は時代の変遷による極端な変化が見受けられないし、半端な変化はフラメンコの持つ美しさを損ねる。
と言いつつも、時の移り変わりは、今、典型的なクラシックなパターンから「より洗練された」新しい波が確実におこってる。
その変化は、むしろ、フラメンコ音楽のもつ芸術性をより深めている、、、。
このサウンドとリズムを聞く度に、いや、今それを思い起こすだけで、もうすでに背筋に弱電流が走ってきた。

ご存知、
若き「巨匠」、ヴィセンテ・アミーゴの旋律とリズムをお届けしたい。

フラメンコが好きな人は、もちろんの事、、、、
よくわからない人も、それなりに、、、

3分間待って頂きたい。

そして、
3分の後ち、このサウンドが背骨から延髄に染渡り、弱電流が流れてくること間違いなし。

軌跡 ~ベスト・オブ・ビセンテ・アミーゴ
ビセンテ・アミーゴ
ソニーミュージックエンタテインメント

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 カヴァーの写真、
   いかにも、天才Guitaristらしい指先の「綺麗さ」を、観よ、、、
     端正な面構えのヴィセンテ・アミーゴ・・・・
       みれば一瞬、ドキッとする、、、
         スペインの情熱を内に秘めた、そうとうな二枚目である。
           顔立ちそのものは、往年のアランドロン風・・・
                
 しかし、ちょいと違う。

若き Alein Delon をスペインの熱風に晒して燻製にし熱い血をBlendする。と、こんな風体になるであろう、、、。

ウ~ム・・・

我輩、男色の気は毛頭ない。が、まずは彼のコンサートに行き 磨ぎ澄まされたギターの音を聞き 演奏中の彼の熱気に触れてみたいのである。

Flower-Art (I hope you'll have a nice weekend!)

2005-04-24 08:01:07 | インドネシアとバリ島の話
 
   今日は午後から「ジャカルタの写真資料」の整理をしている。

  なぜか、活花や室内の観葉植物、あるいは公園の植え込み等の写真が出てくる。

 元来、
 花をめでる気分は持ち合わせていないが、こうしてみるとしかし、無意識に「それなりの花」が写真資料に納まっている。

であるからして、
これまた良し悪し抜きでこれからも少しずつ花の写真を紹介したい。

今日の紹介は、然るジャカルタの4星ホテル、かろうじてハイクラスの仲間にぶら下がっているタウンホテル、我輩が満足して宿泊、加えて数日の滞在に耐えうるもの、、、。

そんなホテルのロビーに活けられた「花」をご覧頂きながら、

しずかに・・・
I hope you will have a nice weekend,,,

カメラと自分・・・ そのスタンスと歴史など、、、

2005-04-23 00:05:21 | 趣味の話&本と雑学メモ
「カメラの話」、、、  少し整理しておきます。

まず、

1)私の持っている機材について:

フィルム仕様カメラ、
先にブログでご紹介した「京セラ・コンタックス系列」だけです。
デジカメは、
4年位前に購入した 「SONY DSC-F55DX」のみ、です。
もう、スペック的に劣っているし、2個持っているバッテリーも寿命です。
しかし、もう少し働いてもらわないといけません。

Ameblo投稿に使った写真は全て、デジカメ撮影のものです。
一両日のスペインの投稿、さらにハンガリーでの撮影は、ニコンF4とF90で撮ったものが6割、古いもの(ハンガリーでの撮影)は3~4割がミノルタです。


2)自分とカメラの歴史、その「スタンス」等について:
学生時代はカメラをやっていませんでした。そんなに優雅な学生ではなかった。
就職して、最初の夏のボーナスもらったとき、初めてアサヒペンタックスを購入したのがきっかけです。アサヒペンタックスは約8年使いました。関西のアマチュア写真クラブの方々とアラスカ撮影旅行に添乗員でお供したとき、たまたま撮ったアラスカの写真が郷里の県美展で入選しました。以来、この類のコンテストに応募したことはありませんで、たった一回個っきりの「応募と受賞」の経験です。事実、旅行会社勤務時代、写真撮影ねたには事欠きませんでしたが、カメラを持ち歩くのは自分自身邪道と心得ていましたし、実際問題、カメラ片手にお客さんのご案内は不可能でした。それから数年後の旅行中、ローマのホテルで置引泥棒に遭い、財布と領収書の入ったカメラバッグ共々一切合切みごとに盗まれてしまいました。当時給料手取りが8万円の時代でして、たまたま運悪く米ドル現金(日本円60万円相当)の入った封筒も、見事にやられてしまいました。それ以来、イタリアという国とイタリア人が大嫌いになりました。しかし、パスポートを別に確保していたのが不幸中の幸いです。そして悲しくも悲しくもその時、愛用のペンタックスを失ってしまいました。
その後は、15年間ほとんどカメラを手にしない日常が続いたのです。旅行会社を退職した後(すでに20年前になりますが)、カメラをやらない父親が何故か持っていたミノルタのオートフォーカスを必要に応じて使っており、今尚、健在です。
1993年の中頃から約8年間、仕事の関係でハンガリーのブダペストに住んでいました。もちろん日本とブダペストを行ったり来たりの生活でしたが、その時は仕事柄、時間の合間に撮影は可能でしたから、おもにミノルタを持ち歩いていました。一丸レフにオートフォーカスを最初に取り入れたメーカーらしく、当時これに勝るものなし、自動焦点の速度は十分で使い勝手の良い機材でした。が、いかんせん、レンズの甘さには閉口していました。でも、ペンタックスからの移行ですから、当時はレンズが甘くてもほとんど気にならない、ニコンが特別なのだ、思っていました。
ニコンを使い始めたのは1996年から約3年半の間でした。
ニコンレンズはシャープでこれに勝るものなし。
しかし特に人物撮影となると、レンズの持つ独特の冷たさが感じられ、情や温かみのないポートレート写真が手元に残っております。やはりこうなるとキャノンが良いのかな~。
このあたり、キャノンは使ったことないのでわかりません。
さて、今もっている機材CONTAXは、インドネシアから使い始めました。ヨーロッパにいるときはなんだか買っただけで眺めているだけ、つまり使い勝手が悪く、したがって、なんだかコレクションでお飾り的に持っていただけです。コンタックスを使い始めたのがインドネシアの仕事が始まってから、、、。
さて、ニコンとの別れ話。
かれこれ6年前、たいへん優秀な、さりとて重い35mm~75mm?ズームにカビが入ったのをきっかけに、ニコンのシステムを売り飛ばしてしまいました。一眼レフの重量に嫌気がさしていたのも一つの理由です。しかし今考えれば、F4のボディーと28mm単焦点レンズと標準レンズくらいは持っておけばよかった、と、悔やんでいます。
それから、コンタックスに絞りました。
コンタックスで撮影しているのは特に東ジャワ州ですが、今になってフィルム保管場所?が分からず、現地のスラバヤとバリ島に於いたままにしているらしく、ブログをはじめてからというもの、ようやく過去のフィルムをデジタルデーターに移し替えようと思い立ち、今も尚、しょっちゅう書斎の中を探しまくっているのですが、見当たりません。
フィルム取りにスラバヤに行かなければならないと思っているのですが、それをどこに置いていているか、すぐには思い出せないのです。また、保管状態も決していいはずがなく、今になってせっかく撮った映像資料の「大切さ」がわかってきました。
良し悪し別にして今日、自分の作品を「ブログで発表」できるなんて、ホームページは別格として考えて、まず、1~2年前まで考えもしなかった出来事です。
自分のカメラと向き合った歴史、さらに今、なぜ「ブログ投稿」を続けているか?
そんなこと、あらためて整理してましたが、結果、なんだか、先が楽しくなっているのです。

<添付画像>
* ’96年5月 ハンガリー・ブダペスト王宮を望む。
  手元にある、最も古いハンガリーの写真の一つ。
* 撮影機材:ミノルタ アルファー7700i
* レンズ: Minorta 35mm~105mm 1:3.5 (22)-4.5
* AF 自動露出
* コダック400 ネガティヴフィルムよりデータ移行

お知らせ!(外来でgooへ「アクセス」いただく読者の方のために・・)

2005-04-22 00:58:22 | つれずれ紀行
・・・・・ほんとうの「掲示板」・・・・・

 (エセ男爵、本人より)

少し早めに、gooからの「メッセージ」をお知らせしておきます。

4月25日の夜中から、明け方にかけてのご案内です。

せっかくお越しいただいても、おもてなしできませんので、さっそく執事に相談し、どうしようかと考えましたところ、

  「バリ風マッサージスパ」にておくつろぎ頂こうと云う事になりました。

写真でご用意した「アロマbaronオイル」をお使い頂き、マッサージスパでのひと時をお楽しみください。

さて、おくつろぎ頂けたら、
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 さらに「きちがい沙汰」にご理解頂きご納得していただく為、下記をクリック願います。
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「あ? なにか、おっしゃいましたか?」

「分かっていない?・・・ ウッ!!」

「我輩、実はまだ、バリ島で、マッサージしてもらったことないんです・・・」

おっと、簡単にばれてしまったか~、我輩のマッサージ嫌いが、、、、

ま、仕方ないでしょう・・・         


   ++++++++++


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歩行者天国:La Rambla, Barcelona SPAIN (歩行者天国、思い出した・・・)

2005-04-21 12:20:39 | 酔狂的欧羅巴徘徊記
思えば十数年前、サラリーマン現役時代である。

転勤先のマンションの4階に住んでいるとき、何所かで飼われていたセキセイインコが飛来し、我家に迷い込んできた。

我家で、飼うことにした。

鳥の話に戻る。
色は、スカイブルー、綺麗な色で、よくよく見れば比較的身体は小さく顔も幼い優しい顔つきである。ようやく飛べるようになった「小鳥」だったらしく、餌をやっているうちに馴れてきたので、小鳥の羽先を少し切って「手乗り」インコにした。羽先を切ってから飛ぶ調子が良くなった。広くもないマンションの部屋から部屋に見事に滑空し、さりとてマンションから逃げ出そうという意志も伺えない。人間の間をかいくぐり滑空し、上手に遊びはじめた。

そのうち我輩や家族の呼び合う「家族の名前」を少しずつ覚え、しゃべれるようになった。
飼いはじめて一年半だったか、またまたグリーン色のセキセイインコが迷い込んできた。こうなったら一羽も二羽もかわりない、一緒にまとめて鳥かごに入れて於いたら、いつの間にか仲良くなり、ある朝、二羽が「交尾」しているところを垣間見た。なんとその時、先に飛来してきたスカイブルーの手乗りセキセイインコが雌である事が確認できた。

しばらくしたら、かわいくも3個の卵を産み、数週間で雛がかえった。その雛たちは、近所の子供のいる家族に差し上げたら、また元の通り、親鳥の番が残った。

さらに3年経過、その間に一二度産卵した。またまた同じように、生まれてきた雛鳥を近所に配った。
その頃から、最初に我家を尋ねて来た雌鳥が、我輩をはじめとする人間様に対しての目つきが鋭くなり、人間に対する「態度」に変化が現れ始めた。今までは、鳥かごに手を入れたら指先に乗ってきたのに、なんと今はもう、鳥かごに入れた我輩の指を食いつくではないか!食いつかれると、やはり痛い。さらに今迄は、機嫌のいいときは特に、喋る真似事をしていたのが、今、もう何も云わなくなった。かの有名な小学校唱歌「歌を忘れたカナリアは・・・」の詩歌のごとく、セキセイインコも「真似喋り」を、忘れてしまったのである。

この小鳥の態度と立ち居振る舞い、なんとなく意味が解ってきた。

雄鳥と一緒にいる。
雛を生んだ。
そんな雌鳥の実績が、その鳥自身を変化させたに違いない。

鶏の雛は「ひよこ」である。夜店で「ひよこ」を買って来て帰り自宅で飼う中、最初に出くわし自分お目で確認した「人間」が親であると思う、と。すなわち、餌を与える我々人間を自分の親鳥である、と、かん違いして大きくなる、という話を聞いたことがある。
当時、まず我家に飛来し、小鳥は育った。思えば、その小鳥は、雄鳥と一緒に飼い始める以前は人間社会の一員と信じきっていたに違いない。だから、人間の手に乗るし、人間の声の物真似をしていたのであろう。
しかし本来は人間ではなくトリは鳥であるからして、同じ種類の鳥と生活が始まったとたん、すぐに鳥自身に還ってしまったのである。それは、当然であろう。

転勤先のマンションで、そんなことを思いつつ、すでに3年が経過したある年の3月中旬、再び転勤の辞令を受け取った。

さっそく引越の準備を始めたが、この番のセキセイインコをどうするか?ということになった。まさか、転勤先に連れて行くわけには行かない。ペットとしての可愛さもあるが、こちとら転勤先で新たな戦闘態勢モードに入らなければならない生きるか?死ぬか?の生存競争がひかえているのだ。まさかそんな時、新たな戦場まで小鳥を引き連れていくわけにいかない。
我輩は選んだ、この小鳥たちを再び自然に帰してやる事を、、、。

引越の当日、2羽の小鳥たちをかごから出してやった。2羽が仲良く?マンション4階から大空へ飛び立った。
鳥かごで飼われ続けて来た小鳥たちにとって、自然界には途方もない危険が待ち受けているであろう。まず、餌は自分たちでうまく確保できるのか?はたまた、鷹に襲われるのではなかろうか?
いろいろと、心配した。
そして、その後どうなったか。
数日間、数週間、いくら長く生き延びたか、それはわからない。

さて、
生き物であるペットとの同居、お互い元気で付き合っているときはいい。が、しかし、生き物である「ペット」と、飼い主である「人間」の間には、必ずや「死」という現実がある。
ペット愛好家が増加し続ける、日々の生活に癒しを求める、悪くない。
しかしペットも生きている限り、意志があり、人格?いや、ペット各があり、人権?いや、「ペット権」があるはず、それを尊重してやりたい。

写真映像:
スペイン・バルセロナ、ラ・ランブラ通り、休日の歩行者天国、ペットショップ前にて、素人三流的「駄作」のワンショット・・・
 (まことお恥ずかしいが、さりとて少しの追加説明にはなるであろう・・・)
 (なんですか?こんな写真、載せない方がいい!)
 (ムム! ムウ~・・・・)= 男爵的落胆也!

酒の用意が出来てないぞ~ 失礼!シャンパンがありま~す・・・

2005-04-21 00:08:39 | 趣味の話&本と雑学メモ
「ム、ム・・・」

「どうもな~ 松花堂弁当だけじゃな~」

「オット!たいへん失礼しました」

「お忙しいところ、せっかくお越しいただいたにもかかわらず、酒の肴だけ用意して、かんじんの酒が用意できてないとは・・・」

「オウ! ようやくわかってくれたか、、、」

「ハハッ・・・ 何と、我輩としたことが、行き届かないことを・・・」

「・・・・・」

「遅くなって、失礼・・・」

「さっそくシャンペンをご用意いたしましたので、御弁当を肴に召し上がれ・・・」

「・・・・! 。。。?」

「いや~ 日本酒はごかんべんを、 我輩、やらないもんで日本酒と焼酎だけは、此処においてないのでして・・・」(まいったな~)

「・・・・!!」

「なに?グラス持って来い? いやはや、我輩に執務室にはホステスがいませんで、今からおきやに行って芸者を呼んでも、そう、明日になりますので、ここは一つ色気抜きという事で、お客様のセルフサービスでお願いして、、、、」

「アッ、、 グラス? ボトルの傍に置いてあるもの、適当に持ってってください」

「・・・・・??」

「なに、シャンペンの銘柄は?いやはや間に合わせのもので、、、」

「しからば、どうぞボトルに張ってある『ラベル』でもご覧頂いて、ご確認くださいまし・・・」

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シャンペンがお好きな方もお嫌いな方も、酔ってる方も酔ってない方も、どうぞ上記バーをクリック頂いて、エセ男爵の再起奮闘ぶりをご確認ください!

好きな作家(その1)「佐藤賢一」

2005-04-20 00:11:50 | 趣味の話&本と雑学メモ
「好きな作家」を紹介する?
ば、ばかな、、、
ついつい、アマゾンから抜き出したのがこの著作である。
ほかならぬ、「gooの投稿システム」のチェックをかねて、あれよあれよとアマゾンにアクセスして、キザにも「本の紹介」をするに至った。ほかにもあるが、今日は気楽に且つ中身濃く「エセ男爵」のブログの趣旨に若干ながらも則った上で、いざ投稿。
ちょっと、いってみようじゃないか、、、。

傭兵ピエール

集英社

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著者は佐藤君、たしか3年前、国立山形大学の文学部歴史学西洋史専攻の大学院生であった。
もう卒業していると思う。
彼はすでに『ジャガーになった男』で「小説すばる新人賞」をとっており、たしか、2作目がこの「本」である。
「傭兵ピエール」も「ジャガーになった男」も、背景は西洋中世の歴史である。
大学での彼の専攻は、西洋史。
紹介の2作とも、まずはしっかりと歴史的考証をバックボーンに当時の時代背景と風俗を描ききった舞台装置を用意し現れ出でる主人公脇役共々生き生きとストーリー内を奔放に駆け巡る独創性のある小説、と、看た。
作品の中に、作者の若さがあり知性があり見識がある。
専門的学問分野を修めた「緻密にして膨大な」脳味噌の引き出しから飛び出した『比類なきエンターテインメント小説』である。

さて、
我輩の極めつけ、
『何故に、ブログに取り上げたか?』・・・
理由がある。
すこし、それを述べる。
この本、一昨年まえ、我輩がバリ島に数ヶ月滞在中、日本を発つ前に購入した数冊の書籍に混じっていたものだ。
400ページを越える長編であるが、一気に3日で読みきった。
おもしろかった。
それで、
我輩、小説というものを読んで初めて涙を流したのがこの本なのだ。
なぜ涙が流れたか?
いわずもがな、感激したからである。
何に感激したからか?
それは、
私生児誇り高き不肖の輩、若き「傭兵ピエール」がジャンヌダルクを奥方に娶るまでのあれやこれや、という恋愛ものストーリーであるが、恋愛ごときで涙を流す我輩では、ない!
若いピエールの、気高くして不器用、一直線の人生観をそのままにさらけ出した「男の生き様」に感動したのである。
ドウってことはないが、品性を持ち、庶民の支持を得、凛として歩む人生を描かれると、なぜか涙が出てくることがある。
「エセ男爵」のブログタイトルも、無意識にor意識的に、これに似た『出処』はたまた単なる野暮な『粋がり』があるのかもしれない。