Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

感想文=FT氏の「郷土史に関するエッセイ」に感動し、賞賛を贈った記憶・・

2006-10-02 18:38:45 | つれずれ紀行
<飴風呂転載記事>
2005-04-15
Theme:「まず読む、自分の意見と意思を持つ、そして『書くこと』の大切さ、について・・」

<投稿記事本文>

自分の意志、意見を持ち、そしてこれを「発表」することの大切さ、このブログを始めてから後あらためて感じています。

添付の読書感想文、我が郷里のテレビ局勤務FT氏により書き下された、郷土史研究に関する「研究開始宣言?と解釈「エッセイ」を拝読した後に書いたものです。

我輩、ブログを始めて2ヶ月になろうとしている今、いろんな迷いが出ています。しかし、あらためて「継続は力なり」という言葉を思い起こし、加えて意をあらたにして自分自身を叱咤し激励する「意」を込め、ここに掲載することにいたしました。

本投稿、ブログのタイトルから若干外れるものの、すべからく「これが基本」でありますからして、まことにお恥ずかしい。されど是非、ご一読いただければ幸いであります。

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『読後感想』


Tさまのエッセイは友人SK氏よりの薦めによりさっそく拝読いたしました。二編とも一気に読み切れました。

読者をして一気に読みきらせる作品は、作者が良い作品を書かれた「証し」である、と、断言できます。

昭和2?年H市に生まれ、現在もH市に住所を置くわりには、地元での人的交友の希薄な私をもってして、H市在住の文化人の手による「エッセイ」に出会えた事、初めての体験であります。

めずらしく、私の背筋には「良い音楽に出会えたとき」のごとく感動の衝撃で弱電流が走りました。弱電流が流れれば目頭が熱くなり(銀座東京に始まり、いまや日本全国から世界を徘徊なさる愛すべき中年男性・赤マント氏、すなわち椎名誠兄いの定番行動と同様、夕方のビールが美味くなり、加えて小生の場合タバコの消費量が増加するのです。おっと、余談で失礼しました。

とにかく、このような良い読後感、久方ぶりに清々しい気分にさせていただきました事、まずは御礼申し上げます。たいへんありがとうございました。

さっそくですが率直に感想を述べさせていただきますと、

 (一) 切れ味の良いみごとなストーリーを展開にされる文面による説得力は、すなわち作者がすでにセンスよい筆力を基盤に持たれ、日々これを磨きぬかれている事を証明しており、

 (二) その力と技の冴えをもって、まずは平和ボケ都市『H市』のテイタラク、現行の状態のままでの推移すれば即ち、ふるさとの衰退さえあれ発展はなし、、、。このような夢なき将来展望に対し、絶妙な切り口から「苦言」を呈され、もって同感である小生を喜ばせて頂き、

 (三) 切りかえして、新たな、いや旧知であるべき多くの市民が気付くべくして見落としている「Hの魅力再発掘」の必要性の強いご進言があり、原爆ドームや平和運動を傍におき、「OO城」に着眼され、もって中世O島の歴史的考察を宣言される、

 (四) いまや、H県およびH市を取り巻く「将来環境」は八方塞であり、ここは一つ、直接市民県民の手で、「発展的な何か?」を考え、あわせて行動する必要性を再考する、その機会を「貴エッセイ」は与え、且つ「檄」を飛ばされており、小生さっそく「それ」に共感し、感動し、喜び、

 (五) 加えて腹立たしすぎて語りたくないことに、今一度敢えて言及すれば、すでに世界遺産?に指定されている『宮島』のありていについては、言わずもがな、「魅力創り」や「分かりやすい付帯的な前後関係」の解説など、とことん地元民の工夫が必要であり、そのイントロダクションに作者が触れられ、

 (六) テーマ広島城にもどれば今まで、市民の一人一人が考え付かなかった広島城の広大な全体像を筆者ご自身のフィールドワークにより小気味よいご紹介あり、

 (七) 結びとして、調査展開の継続をベースに、中世OOの有り体、を歴史考察し、ご紹介いただけるとの事!最近になって少しずつ、自分の生まれたこの地Hの歴史に遡行したくなった今の自分にとって、まさに、歴史の局面をテーマに書き進められるであろう次号を楽しみにしているのです。

昨今、やたら物書き志向が流行している中、作品の中に作者の確固たる信念やアイデンティティーのかけらもなく、あまた感情のみが先行し、読み終えると何も残らず残れば後味悪き、読者に伝えるべき内容のかけらも持ち合わせていない物書きがあまりにも多いのではないか。そんなこんな憂慮や憤慨などしておりました中、本作品のリズミカルにして簡潔な文章表現、早くも次号を拝読したくなる爽快感に、一本筋の通ったお考え(アイデンティティー・ポリシーなどなど)が、核として力強く作品の基盤に存在する。くりかえしますが、作品の根底にある作者の頼もしいご意志と凛とした持論や意向をお持ちであり、その持論に同感です。

文章で「論陣」を張る!

書いたもので意見発表するのが論文であり、評論・論評文でありましょう。頭脳で考え、頭脳で描いたモノを文面にする難しさは、口頭で表現するより難易度が高い、と、小生は断言します。

過去の実績や訓練も無く、はずかしながら数年前から突然、自分も「ものを書いてみたい」という意欲に駆られ、切れ切れツレズレに小説執筆を重ねて約三年、思いのほか長編になりそうで、はたまた時代考証人文地理的論証の収集などに手間取り未完成の作品を引きずりつつ今日に至ります。いずれにしてもまだまだ修行が足りないようで、この度のTさまのエッセイを拝読させていただいた事、大きな刺激となりました。他人が書いた作品を批判するのは大変に楽な作業です。コロンブスの卵と同様、物書きの世界も、書いた人が一番、二番三番が無くて、論評する立場の人は、どうあがいても十番目。書いた人物の下の下の下の下にようやく位置します。論評者が大上段に構え、いくら大きな事を論評しても何も始まりません。が、時に作者は、論評を待っていることもあり、そんなときだけ論評者が作者に貢献できると信じます。

思うに、

どのようなジャンルの文章であれ、「文字で書かれているもの」の内容を理解するにはそれなりの知識の蓄積と未知の対象物に興味を持つ「意欲」が、あらかじめ「読み手=読者」に必要です。
くわえて、
書かれた作品内容を「論評」として批評表現するにあたり、当事者が面と向かって対峙し、「口頭」による議論(意見交換か?)の方法もあれば、「文章」の遣り取りによる「論議」もあります。
口頭(しゃべり)で「自分の意見発表」を正確に行い、且つ、相手の口頭(しゃべり)による意見を正確に捉え、さらに、より正確に「答える」難しさが存在します。時に誤解を生じ、時に、より深遠な相互の理解を推し進めるも可能となるのです。

さて、

これが文章による「批判論評」となった場合、上述の「口頭による方法」より、さらにその難易度は高くなるが、難易度が高いゆえ「より大きな誤差」が生ずる危険性はますます大きくなるわけでしょう。しかし、確立された信念と筆力の持ち主により、『文章』としてしたためられた場合、著者の意思から読者への意思伝達事項はけっしてその誤差は生じない。むしろ、伝達の正確性はその精度を増す。あわせて、豊かにして含蓄のある文章表現には思想の奥行きが醸し出され、そうなれば読み手それぞれ自らが無限大の想像力をもって勝手に先を創造し始める。つまりその引き金となるものが、作家の筆力というものである。その筆力により、文章全体にちりばめられたセンテンスの織り成す作品の行間には、さらなる含蓄が秘められる。

Tさまのエッセイは、すでに右の域に到達された作品であります。

作風にもいろいろ千差万別の所作があります。読者すなわち読み手側にも、作品・作風・テーマやシナリオに対する好みというものがありまして、ここは、決してそれらの良し悪しを一くくりには出来るものではない。と、思いますが、当作風は私の「好み」であります。

今ここに、

次の執筆を待ちわびている読者がまた一人増えました事ご報告するとともに、今後継続され必ずやご発展を遂げられる文筆活動に敬意を表し、恐れながらひとまずエールと喝采をお送り申し上げる次第であります。

平成十六年九月OO日

エセばろん(こと、ジョージ青木)拝

<以上、感想文・完了>


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追記(平成18年10月2日当日):

広島市内において、地元の歴史を留める史跡遺跡とは一体全体何なのか?
まずは広島城?
一番有名なものは、「原爆ドーム」と平和公園内の「原爆資料館」か、、、。
想えば、まことに以って味気ない「歴史的史跡」の見当たらない街である。
その様な我が郷里に対し、常々想ってやまない「我輩のはがゆさ」在り!
具体的には、何か?と問われれば、本来存在しなくてはならないの特徴たるものが見当たらなく、いかにも「情緒無き街の佇まい」である。
同期生のS氏(現在大学職員退職、趣味の絵画創作を続ける粋人にて、玄人画家!)の紹介された元地元テレビ局役員FT氏により著された「エッセイ」を拝読したのである。FT氏のエッセイには、今尚人知れず我が街に残る中世期の城下町的「歴史的史跡」を見出し由緒経緯を検証され、原爆投下とその後の平和運動の続行によりあまりにも有名になりすぎた「平和都市ヒロシマ」の存在により、逆に「掻き消された歴史」を再発見する必要あり!と、宣言された訳である。
我輩は「かくなる嗜好と意義」に賛同し、氏のご意志とご活動に感動するものである。

<添付画像>:約8年前に求めた[我が郷土]歴史に関する「一冊」。当記事との直接的関連性は無い。
けれども、
「あたらずと言えども遠からず」的な画像と思い、アルコール純度の軽い酒成分的気分にて添付した。広島県内の歴史の始まり「前篇」は、縄文・弥生の時代から戦国時代を経て江戸時代。後半は、ひとまず明治維新をむかえ、先の大戦終戦に至る一連の近代歴史を県史として捉える。読進めれば読むほどに、魅力乏しき地域にて、顕著にて興味深々たる史実は少ない。したがって一度読んだら二度と目を通したくない無味乾燥的な一冊か? 否、(初読当時)少なくとも記述内容には魅力を感じ無かった。魅力乏しき土地柄ではあるけれど、好むと好まざるに関わらず、自分の生まれた「郷里」の歴史は、やはり知っておきたい・・・



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3 Comments

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歴史ですか (tono)
2006-10-04 11:41:49
自分の住む地域の歴史なんか、全く興味がありませんでしたが、何気なく記憶にあった「元寇防塁跡」がすぐ近くにあり、「黒田52万石」という菓子があったり、「長政」という焼き鳥屋があったり、それを話しのネタ程度に調べていると、いろいろな事が分かってきました。

幸い、近くには「福岡市立博物館」「福岡市立図書館」「福岡市美術館」最近は「九州国立博物館」まで出来ました。

博多港から高速船で超賤(プサン)まで僅か3時間という我が街。

少しは歴史を勉強しないと罰があたりますかね。
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Unknown (TS@捻くれ者)
2006-10-07 18:55:19
>まず読む、自分の意見と意思を持つ



簡単な事のようで難しい事ですね。

全ての事に当てはまる事だと思います。



>自分の生まれた「郷里」の歴史は、やはり知っておきたい・・・



私自身も旅行なら海外と、

ついつい遠くの事ばかりを考えてしまいがちです。

しかし自分が生まれた狭い日本、そして東京の事すら知らない事がたくさんあります。

勉強し、大切にしていきたいです。
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tonoさん、TSさん・・ (エセ男爵)
2006-10-28 22:02:20
コメントありがとうございます。

故里だからこそ、知っているつもりになって、郷土の歴史を見逃しているケースは多いと実感した時の感想文です。

福岡の歴史は実にすばらしく、元寇まで遡るとめくるめく歴史のダイナミズムを包含するtonoさんの故里。羨ましいです。それにひかえ、毛利元就を生んだ中国山地の貧困さはいまだ変わらず、まして、戦国時代の末期、福島正則の築城した広島城。浅野藩になってからは、徳川幕府への典型的なイエスマン、、、。明治維新以降、旧日本帝国陸軍2部隊の置かれた軍都広島。歴史は単純にしてあまり面白みの無いもののようです。でも、歴史をフィールドワークにて研究し者にしようとする尊敬すべき御仁の居られる事、驚嘆した次第です。

さて、

私自身、幾度か郷土の歴史を紐解こうと思いつつ、今尚足踏み状態です。けれども、一度、瀬戸内の「海賊」、すなわち「村上水軍」に関わる栄枯盛衰には興味あります。実際瀬戸内の島々まで足運んで調査し、歴史物語を書いてみたいというのは夢の一つです。
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