Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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不良中年的中期滞在範例?「バリ島の一日」(転載分)

2006-09-29 10:12:25 | インドネシアとバリ島の話
 「インドネシア・ロングステイ(長期滞在)」に関し、昨年春先、一度纏まった記事にしたいと企画していました。
 この度「意」を決して、あらためて「それなりのエッセイ」として連載したいと考えました。
是非連載実行します。
(小説フォワイエ・ポウも書きかけですが、コレはこれとして・・・)
 以って本日、一度掲載した記事を再度掲載します。当記事、2002年度の春先から秋口にかけて約半年間、「例の安宿」に滞在中に、我が郷里における主治医の先生宛メール送信した「日記的メモ書き」記事、、、。
 いささか長文ですが是非ご通読を・・・

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2005-03-11
バリ島・隠れ家の一日
テーマ:苦悩のバリ島

乾季真っ只中の滞在です。

たぶん、一階の部屋は湿気(特に雨季)が多そうです。

わずか10数棟のコテッジの中、私は敢えて、わずか3部屋ほどしかない2階の部屋に2ヶ月近く滞在していました。

風通し良く、10畳程度の適度に日当たりの良いテラスが付いており、その奥の部屋も10畳程度です。
レラスを計算に入れなければ奥の部屋自体、そんなに広くありません。ツインルームですが、シングルベッド一つであれば逆に広く使えると考えました。さっそくホテルのスタッフに作業してもらい、もう一つのシングルベッドをテラスに持ち出し、昼寝用のスペースと訪問者が来た時の自分のソファーとして使用できるよう模様替えしました。正解でした。
昼夜を問わず、このテラスが私の居間であり、完全なプライベートな生活空間に組み込めていました。
コンピューターと携帯電話で、午前中は真面目に仕事をこなす。
室内には、(ホテル内すべての客室に)電話は一切なく、外部(外線)から電話が架かってきた場合まず事務所に架かり、ホテルスタッフがわざわざ客室まで連絡に来た後、滞在客は事務所まで出向き、電話にでる。という、大変複雑な、前時代的な単純人的作業でとり行われる訳ですから、たいていの場合、私の知人は直接私の携帯電話に電話をしてきました。最初は不便に感じましたが、部屋に電話が無いのもいいものです。

さて、私のホテル滞在の行動は、おおむね以下のとおりです。
おおよそ起床は7時半。低血圧ですからなかなか頭脳のエンジンがかからない。
まず、熱いコーヒー、ボトルウオーターをたっぷりとのむ。
この間約20分。
それからシャワーを浴び、着替えを済ませてのったりとカフェに向かい、バリ・コーヒーとトーストにジャムとバターを基本としたコンチネンタルスタイルの朝食をとります。オプションで必ずフレッシュフルーツを注文します。日本円約30円ですが、私の感覚では大変価格的に高いのですが、健康を考え、必ず注文していました。このフルーツ、時として出来損ないの未熟フルツを食べさせられます。ですから、自分で買出しに行ってパパイヤを丸ごと冷蔵庫に入れさせてもらう。朝、必要な量をカットしてもらって、朝食に具していました。さらにはチーズも持ち込み、冷蔵庫に預け、優雅な自分のオリジナル朝食を楽しんでいます。
週一回は必ず、朝食時間に仕事の打ち合わせがあり、そのときは迎えの車でデンパサールかサヌールにでかけてゆき、仕事仲間で朝食を取ります。
それ以外の通常日、特別なアポイントや外出予定がない限り、朝食は約一時間半をかけて、ゆっくりとくつろぎます。その間に読書したり、あるいは仕事の段取りの為にメモ帳やダイアリーなどをチェックしたりしながら、コーヒーは最低3杯くらいおかわり(追加料金なし)します。
場合により、部屋のテラスまで朝食を運んで持ってきてもらい、そのままパソコンに向かって仕事時間に移行することもあります。

昼時間(私の昼時間とは、午後1時過ぎです)になれば、その日の気分により(毎日ではありませんが)はたまた、先のコーヒーショップから冷たい瓶ビールを一本持ってこさせ、食前の一杯を引っ掛ける。私の場合、さしたる「つまみや酒の肴」等、これを一切必要としません。
気分がなごんだ所で近所の屋台店で中食するか?安レストラン(オーストラリア人がよくつかっている)でインドネシア料理を食す。ここのナシゴレンは野菜たっぷり、変な脂っぽさが一切無く、最高です。いつもがら空きですから1時間以上、たっぷり時間をかけてくつろぎます。ホテルに帰ればすでに午後2時過ぎです。
帰ってきてからまたシャワーを浴び、テラスのベッドで昼寝開始となります。
(昼寝の時間、携帯電話が架かってきても出ない事にしています)
二階部屋のテラスを通る快適なそよ風の中、硬めのベッドで一時間半ばかり眠ると、もう気分爽快です。昼寝覚め時に、ミネラルウオーターをビアグラス程度の大きめのグラス一杯。一息に飲みほします。こうしておけば、あまり酔いは残っていないのです。
早い夕方から日が落ちるまで、ほとんど読書に時間を費やしました。
夜はパソコンに向かって気分が集中する限り何時になろうとも仕事をする。(朝の早い時間、あるいは夜になってからが、仕事に集中しやすいのです。理由は?涼しいからか?)
夕刻になると、部屋の中に一箇所とテラスに2箇所、蚊取り線香をセットしていますが、風向きにより、それでも十分に蚊に噛まれます。

午後9時近くになって、蚊取り線香持参で、ホテル入り口左横の「ホテル事務室」に向かいます。事務所のコンピューターケーブルを拝借し、Eメール通信をする。(なにしろ自分の部屋からは、通信不可!ですから、、、)もちろんメモにまとめて週一回、通信料は必ず払います。1分間80ルピア。日本円で1円10銭程度、納得の通信料金設定です。しかし通信速度が極めて遅いので通常メールだけで10~15分繋ぎっ放しになります。 返信の緊急を要するメールがある場合、さらにそこで作文し、送りなおす。さらに10分かかるか。それが終了してから、ようやくビールを飲み始める。
以上全て、テラスで「作業」し、且つ、テラスで「くつろぐ」のであります。
夕食は取ったり取らなかったり、、、。
時には、ホテルの近所の屋台で買ってくる焼き鳥と、「買い置きのチーズ(乳製品は輸入商品だから大変高価なのです!)」をかじりながら、ビール(主食か?)で済ませたり、時にはふらふらと近所の高級?観光客向けレストランに出かけて雰囲気を楽しむ。大体、一週間に2度の間隔で地元の連中と食事しています。
時には昼食、あるいは夕食を共にするのですが、たいていの場合、昼食ミーティングをしていました。
月に2~3度、朝食ミーティング等もやり、朝7時半位に車で迎えが来てからスミニャック海岸に出向く。
高級ホテルや高級レストランの並ぶ「クタ・ビーチ」沿を避ける。観光客が多くて、うるさい気分になるからです。
クタ海岸からほんの2~3キロ、少し西北に向かったところ、「スミニャック地域」の然るべき行きつけのレストランに集合し、朝食ミーティングなどしていました。スミニャックとは、最近になってコッテッジなどが開発され、主として欧米人の長期滞在者が住み着き始めた地域です。おしゃれで高級感もあり、逆に、まだ田舎っぽさ(バリ島らしさ)が十分に残っている大変環境のよい場所です。

さてさて、
住み着くには「足の確保」が必要です。
レンタカーはもちろん、貸しバイク(ホンダの250cc単機筒が多かったです)があります。
中長期滞在している豪・欧・米人の若い?連中は、ほとんどこのバイクで行動しています。
私も一時は、この手のバイクを借りようか?とも思ったのですが、「危機管理」を第一と考え、自らの運転ましてや二輪の運転は拒否しました。

同じホテルに長期滞在している白人連中、OO出身の30代の男性JICAスタッフとも仲良しになり、ホテル内の狭っくるしいプールサイドカフェに集まる。ホテルの冷蔵庫にそれぞれの飲み物を常にキープしており、適宜自分のものを取り出し自分勝手に飲みながら小宴会を開催します。気が向けば、その気になれば、コーヒーショップの安物オーディオで自前のCDを楽しむ。時にはスミニャックの海岸沿レストランまで足を運び、ささやかな夕食や豪華なブランチを楽しんだりしていました。

豪州人の老人夫婦が滞在していました。
が、
全豪州で約80数ヶ所のモーテルを経営している旦那がにわかに忙しくなり、先にオーストラリアのパースに帰ってしまったとのこと。結局、奥方(年のころどう見ても70代後半)だけが一人で居残り、昼となく夜となく、大きくて派手なストローハットを小粋にかぶってサングラスをかけ、ゆっくりとした口調の丁寧な英語を使い従業員に話しかけ宿泊客とは挨拶を交わし、いつもご機嫌麗しく、一人でうろちょろとホテルから出入りしていました。あるとき、ある日、この奥方は私が聞くオペラのCDが気に入りました。数年前にヨーロッパで買ってあちこち持ち歩いていたオペラのCDを聞いていたサウンドが、夜風に乗ってホテルの中庭を伝わり鳴り響き、部屋に居たそのオバ様がわたしのCDを聞きつけ、
「なんといい曲だこと、いいオペラですね。私も聞きたい、が、宜しいか?」
「どうぞ、歓迎いたします」
といったら、
「幸せですこと。まさか、バリ島まで来てオペラを聞けるとは思っても見なかった」
と、プールサイドでオーストラリア人のオバア様と一緒に、CD鑑賞会?を開きました。

また、
40代最前半の男性アメリカ人とも、ヒョンなことで知り合いになりました。
彼は何と、バリ島とジャワ本島間の遠泳世界記録保持者なのです。世界一の男であり、そういう男と知り合うのもうれしいものです。本人、もともと水球のオリンピック選手で、ロサンゼルス大会だったか、バルセロナ大会?に出場経験があるそうです。二人の妹がいて、二人ともオリンピック選手だとのこと、親父さんはふるさとのカリフォルニア州ドイナカにて今尚「開業外科医」を営んでいるとのこと。優雅なモンです。
彼は大学卒業後、ヨーロッパ界隈で男性ファッションモデルをやり、欧州と米国といったりきたりの生活が続き、(無論そんな中あらゆる女性モデルとの交際経験があり)そんな中、在米有名日本人音楽家や邦人服飾デザイナーならびにスポーツ選手と交流があるらしく、ポンポン私の知っている日本人なら誰でも知っている有名人の名前が正確に出てきました。そんなことで、ごく最近まで、東京にも長期滞在し、且つ、個人的なスポンサーが東京にいるので日本もしょっちゅう行ったりきたりしているとの事。東京では「英語教師」として小遣い稼ぎをしていたようですが、バブルがはじけて余りよくないとの事でした。彼は、必ず朝一(午前6時頃)でバイクに乗ってレギャン海岸に出かけていました。帰ってくるのは午前十時頃、私が朝食でカフェにいる時間帯です。バリ滞在理由は、もちろん水泳のトレーニング。しかし、第二番目の理由は「ガールハント」のようでした。彼は時に、一週間くらい外泊していた。にわかに彼女が出来ると、そちらの「滞在先」に出向き、出張サービス?をしていた様子です。
彼は彼なりの人生観があり、
『一生、贅沢せずに、人に迷惑をかけないようにしながら、しかし遊んで暮らしたい!』
と、こう本人が言っているのですから、もう手のつけようがありません。
彼の風貌は、
アラビアのロレンスの映画の主演男優(=ピーター・オツール)をもっと端整な面構えにしたような純金髪、正統派の、きりりとした甘さを持った二枚目です。こんなのが典型的なアングロサクソン男であると再確認した次第です。絶え間なく、あちこちうろつく私にとっても、こんなレベルの輩とは久方ぶりに会見した次第です。もちろんスポーツマンですから、かなり背は高く(188cmとか云ってましたが)、水泳をやっていますから体つきは決してマッチョ的ではなく、みごとに均整の取れた、きれいな身体をしているのです。まあ~、何と申しましょうか、こんな男に「正しい上流社会英語」(=流暢で、且つ、会話進行速度が適度に遅く歯切れがよく、発音やアクセントに癖がなく、すなわち聞き取りやすい英語の事、を、いう)で、上品に丁寧に話しかけられたら、洋の東西を問わず年齢問わず、どんな女性でも「イチコロ」でしょう。受け取る内容は、理解する側のレベルにより若干?大いに?違えども、、、。
ここで小生、男女問わず美しい「人物もの」には、やたらと「納得」できる性質(たち)なのです。人間だって、ある種の美術芸術品なのでしょうか?
でも正直言って、こんな男とは、一緒に歩きたくないんです。比較されたくないという、悟りきれない「下種な見得」が未だに残っているのか?!?
(ま、私もそれなりに年取ったから、もう、どうでもいいのですが、、、)
なかなか上品で雰囲気のイイ男でした。
実は、
彼が「私の観光開発に関する論文」を一晩で読破してくれました。(彼、一応、UCLAの経済学部卒業です)
さらに二回通読してくれたそうで、加えて、採点?「優」の評価を出してくれたのです。その評価基準とは、「バリ島観光開発の将来に関する発展的な構想の良さ」と、あとは「英文法を基調とする英語力?」である、というのです。
にわかに、うれしくなりました。
しかし、惟二箇所、どうしても治しておいたほうが良い「好くない文章=センテンス」があるとの事でした。
その箇所を、聴こう聞こうと思いながら、彼も私も時間がミスマッチ。で、私が日本に帰ってきてしまいました。
彼とは、あれからまだ会っていませんし、通信もやっていない。
縁があればまた会えるでしょう。
などと、
いつも思って海外旅行(滞在)を続けつつ、すでに30数年経ってしまった今日なのです。
<本記事・完・・>

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<添付画像>:安宿Pホテル中庭にあるプール。極狭なるプールサイドカフェテラスから撮影。尚、このプールにて泳いだり水に浸かったことすら、一度もありません。その理由、消毒目的にて塩素は満々、且つオーストラリア人オランダ人たち人間の垢(あか)だらけにて(我輩にとっては)不潔この上ない「悪しき水質」なのです。