たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

ゴーン日産を少し考える <日産のクーデター失敗で>とか<日産検査不正>の一端から少し見えるもの

2018-12-13 | 企業・事業・研究などの不正 適正な支援

181213 ゴーン日産を少し考える <日産のクーデター失敗で>とか<日産検査不正>の一端から少し見えるもの

 

日産前会長のゴーン氏が1210日、起訴されるとともに、再逮捕されました。いずれも金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)で、期間が違うだけのようです。

 

ゴーン氏の逮捕からさまざまな情報合戦が続き、情報が錯綜しているようにも思え、この段階でなにかを言ったり、書いたりするのは控えようと思っていましたが、今日も仕事で時間をつぶし、業務時間が終わりに近づいたのに、とくに話題が見つかりません。

 

そんなわけでつい、アエラのセンセーショナルな記事に少し違和感を覚えたこともあり、ちょっぴり感想めいたことを書いてみようかと思います。

 

とりあえずそのアエラ1212日付け記事<日産のクーデター失敗で西川社長が明智光秀になる日 ゴーン再逮捕も特捜部敗北の危機>は、さすが週刊誌ですね、西川社長の明智説から、さらに特捜の敗北まで言及しています。いちいち気になることでもないのですが、どういう根拠でこういった議論をしているのかと思わず読んで見ました。

 

というのは、この件、特捜だけでなく、東京地裁も当然、ゴーン氏という世界的な経営者を逮捕するわけですから、しかも金商法違反の有報虚偽記載、その内容が報酬というので、極めて慎重に扱ったと推測します。当然、特捜だけで判断せず、最高検まで相談しているかもしれません。東京地裁も担当裁判官一人で判断したとは到底思えません。どこまで相談したかはブラックボックスですが、相当慎重に判断したと思うのです。

 

では、アエラ記事はどんな人からどのような言説なり根拠を得たのでしょう。

 

<金融相として1億円以上の役員報酬の開示制度を導入した亀井静香・元衆院議員は、法務省の現役幹部に電話>したときの内容を踏まえて、特別背任や横領が狙いであったという目算で、<大きな疑惑が明らかにできなかったら『幽霊の正体見たり枯れ尾花』。検察の失態となる」>という話を取り上げています。

 

そうでしょうか、むろん特別背任とか横領は重大な犯罪ですが、今回の有報虚偽記載もその金額からすれば、十分に反社会性・反規範性などの面で重いとみてよいと思うのです。いや、私なぞは、これで有罪立証できれば、検察の勝利と思っています。むろん簡単ではないですが、起訴にたどり着いただけでも、まず第一段階は成功でしょう。

 

次に<米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)>記事の西川社長更迭計画ですか。ただ、この話もとくに根拠は示されていませんね。今期の業績悪化の傾向を取り上げ、前社長の例を引き出して、推測しているに過ぎません。しかし、前社長は2期連続の下方修正ですし、今期の業績が悪化したとしても、それは後に述べる不正検査の発覚が影響している可能性が十分考えられ、それはゴーン体制によるマイナス面とも指摘されている中、簡単に首切りの話となるかは疑問です。

 

今度は<元東京地検特捜部検事の郷原信郎氏>の見解を取り上げています。西川社長の個人的な動機、それがアエラ記事になると光秀になるのでしょうか。郷原氏の見解がいかなる根拠に基づくのか、これだけではわかりませんが、WSJの記事自体どうかと思いますので、憶測の域を出ないと思うのです。

 

だいたい逮捕時期と更迭計画の時期の密着性を云々していますが、そもそも相当期間かけて特捜が内偵していたようですし、逮捕の時期もゴーン氏とケリー氏を一緒に逮捕できる状況をつくることもそれほど容易であったとは思えません。両者の時期の密接性を云々するのはまだ早いと思います。

 

郷原氏だけでは不足と思ったのでしょうか、こんどは匿名の特捜OBが登場して<「司法取引をしたんだから、逮捕前に証拠は十分にそろえたのかと思っていた。それが同じ金商法違反で再逮捕して、勾留延長なんて信じられない。>と、金商法違反が軽いとみていますが、私はその感覚自体に疑問を感じます。

 

ただ、郷原氏が指摘する、西川社長の関与との関係では無視できない部分があります。有報提出自体を論じている点は、西川氏が未記載報酬を知った上であれば、また、合意書にサインしていたのであれば、特捜の対応として疑問ですし、その後の西川社長の記者会見も含めて疑問であることは私も同感です。しかし、西川氏が郷原氏指摘の関与があったとの報道に私はいまのところ見ていませんので、郷原氏が何を根拠に知っていたというのかは不明です。アエラはそういった内容の「報道」があると言及していますが、重要な内容ですので、WSJのように具体的に報道主体を特定して指摘すべきです。

 

再び亀井氏を登場させ、捜査2課時代の昔話を話してもらい云々するのはどうでしょう。西川氏との関係で適切な事実の報道といえるのか、躊躇を覚えます。私は別に西川氏を応援する立場ではありません。むろん悪役をあぶり出したヒーローとも思いません。まだそういった議論ができるほど、資料が公になっていないと思います。

 

最後にアエラは<ゴーン氏が無罪になったらどうなるのか。・・・世界から日本の司法制度への批判が高まることは間違いない。・・・混乱を招いた日産経営陣の責任も厳しく問われることになるだろう。その時、西川氏は現代の明智光秀になる。>と言いたいようです。

 

はたしてそうなるか、金商法違反は割合、しっかり認定されるかもしれません。とはいえ、仮に無罪になってもそういった復帰劇はむずかしいように思えます。

 

この点、本日付ブルームバーグ記事<ゴーン被告の支援、仏政府動かず-エリート主義の印象払拭に躍起>は、すでにゴーン氏の報酬問題は事実として、日本国内はもちろん、フランスでも、おそらく各国で批判されていると思います。ゴーン氏は信長でも秀吉でもないのです。そして検査不正をやむなくしてきた、あるいはコストカットを強引に迫られた日産従業員、元従業員のいずれもゴーン氏は光り輝く存在ではなくなっていると思います。

 

ちょっと時間がなくなりました。途中ですが、これでおしまい。また明日。


奈良公園のあり方 <差し止め求め提訴「歴史的風土と相いれない」>などを読みながら

2018-12-12 | 公園の持つ多様性と活用 管理と責任

181212 奈良公園のあり方 <差し止め求め提訴「歴史的風土と相いれない」>などを読みながら

 

今日の毎日ウェブ記事に<奈良公園ホテル 差し止め求め提訴「歴史的風土と相いれない」>との見出しを見ながら、そういえば奈良公園はいいところだったなと思いつつ、その公園の範囲とか文化施設がいろいろあったように思うのですがはっきり思い出せません。

 

たしかに整った自然が豊かで、ちょっと普通の「都市公園」の範疇に入らない、いい印象が残っています。

 

東京都内に多くの造形美の優れた都市公園がありますが、それとは異なるより自然な印象を感じたものです。こういった印象は大阪ではまず感じません。京都でもそれほど感じません。やはり奈良の特徴でしょうか。

 

さて記事を見ると、<奈良市の奈良公園の南端にホテルを整備する奈良県の計画は都市公園法などに違反しているとして、周辺住民ら56人が11日、荒井正吾知事に対し建設差し止めなどを求めて奈良地裁に提訴した。>

 

都市公園法違反とは珍しいですね。などとなっていますが、他はなんでしょう。<県は土地を貸し出して宿泊・飲食施設を整備することを決め>とされていて、この施設が問題と言うことです。

 

なにが問題かについては<公園の一部なのに施設はごく限られた人しか利用できず、都市公園の目的に反するなどと指摘。>と都市公園の目的に反するというのです。

さらに、<「巨大で近代的な建物は、周辺の歴史的風土とは相いれない」とも主張している。>とのこと。

 

後者は都市公園法自体にはそのような限定がないので、風致地区条例(どうやら指定地区のようです)とか、あるいは古都法の規制地域でその趣旨に反するというのでしょうか。あるいは奈良公園が名勝であり、文化財が多くあって一体として歴史的風土を形成していることから、その本質を脅かすといったことでしょうか。これは風致地区条例とか、文化財法違反ということでしょうか。

 

ところで、都市公園を舞台にした訴訟と言えば、思い出すのは70年代後半の日比谷公園事件です。といってもこれは公園内の施設が問題になったのではなく、公園横に、富国生命ビルや有名なプレスセンタービルなどの日比谷シティ街で、高層建物が計画され(特例措置で容積率・建ぺい率がアップして当時としては超高層建物になりました)、それが公園利用者の眺望・景観を侵害するといった理由で、建築工事差止め仮処分申立をした事件がありました。結局、訴訟適格が問題となり、原審は反射的利益に過ぎないと門前払いしたのです。これに対し、控訴審では、公園管理は管理者の権限で、公園利用者には差止め根拠となるような権利・利益はないとしつつ、一定の場合に妨害排除請求ができるとした点が当時話題になったと思います。この後段部分が里道利用者の妨害排除請求などとともに、環境訴訟では取り上げられる要素をもちつつ、実際に採用された例は残念ながらあまり聞きません。

 

私はプレスセンタービルとか、富国生命ビルとか、建設後よく利用させてもらっていたので、あまり不満はないのですが、公園散策をしていると気になる存在でしょうね。日比谷公園自体、ご存知のとおり明治時代に作られた人工公園ですが、日々の管理員の努力で木々はまるで自然のような力強さを持っています。葉っぱをかき集めて大事にしているのを見ていると、人工による都市公園としてはなかなかのものと思っています。テニスコートとか不似合いと思いながらも、まあ銀座のすぐそば、霞ヶ関街で憩いの場としては許容範囲かなと思ってしまいます。その他都市公園をめぐる訴訟なり保全事件なりありますが、さて奈良公園事件にぴたりというのは知りません。

 

少し前の214日付け毎日ウェブ記事<奈良公園ホテル建設計画県の説明不十分 日本イコモスが提言 /奈良>では、<文化遺産の保存に携わる「日本イコモス国内委員会」(東京都)は13日、市民に十分な説明などを求める提言を発表した。>

 

さらに<計画では、建築物が景観との調和に努めていることなどからおおむね理解できると評価。一方で、県主導のため、一般的な文化遺産の保存活用の事業よりも強い模範性や公共性が求められると指摘した。事業が同公園の保存などにどう役立つのか説明が不十分としたほか、専門家による歴史的建造物の十分な調査なども求めた。>とのこと。

これに対し<県奈良公園室は「真摯(しんし)に受け止めて対応を考えたい」としている。【新宮達】>というのですが、どのような対応をこれまでしてきたのでしょうか。この後がフォローされていないのでしょうかね。

 

その前昨年の1226日付け毎日ウェブ記事<奈良公園ホテル建設計画反対住民意見書 不許可求め /奈良>だと、都市公園法違反の趣旨が少し推測できます。

<意見書によると、都市公園法では高価格の宿泊料を前提とした施設は想定しておらず、許可は公衆の自由な利用という都市公園の目的に反するなどと主張している。>

 

それぞれごもっともな意見です。他方で、都市公園法自体、時代に応じて変化しており、裁量の幅と説明責任、十分に議論したかといった手続き的公正さがどこまで議論できるか気になるところです。また、訴訟では本論に入る前に権利・利益主体の問題が大きな壁となるので、どう闘うか検討をみたいですね。

 

621日付け記事では<県有地、宿泊施設整備にお墨付き 文化庁が現状変更許可 /奈良>で、<国の名勝に指定されている奈良市の奈良公園の県有地2カ所で県が進める宿泊施設などの整備計画について、県は20日、文化庁に申請していた公園の現状変更が許可されたと発表した。>ということで、文化財保護法の名勝指定にされている<奈良公園>の同法43条の現状変更許可がされていますので、この許可の適法性も問題にするのでしょうね。

 

これに対し、<服審査請求へ 文化庁に反対住民 /奈良>では、<整備計画に反対する弁護団が発足し、団長の田中幹夫弁護士(84)らが6日、県庁で記者会見した。田中弁護士は「住民の意向を聞かないなど、県の行為に対して法的に争う」と述べ、手始めに公園の現状変更を許可した文化庁に不服審査請求を行う考えを明らかにした。>とありますが、この不服審査請求の結果はどうなったかウェブ上では分かりません(まあ却下だったのでしょうか)。

 

と続けるとまだ記事がありましたので、この程度にして、最後に計画の概要の部分だけ取り上げます。

 

昨年35日付け記事<奈良公園ホテル建設計画古都の雰囲気、シカと継承>で、<奈良県は14日、奈良公園(奈良市)内の県有地(約3ヘクタール)に、和風の大型宿泊施設を整備する計画を発表した。開発業者に「森トラスト」(東京)を選定。インバウンド(訪日外国人)を含む観光客の取り込みを狙い、東京五輪開催前の2020年春の開業を目指す。>とあります。計画面積とか施設内容が変更したのかもしれませんが、現段階のものが明らかでありません。

 

<提案書によると、開発コンセプトは「奈良らしさを世界へ」。新国立競技場の設計で知られる建築家の隈研吾氏が建築デザインを担当する。庭園や知事公舎などは保存する一方、低層の建物を一部新築し、最高級の国際ホテルやレストランなどを整備。客室には、吉野杉や伝統技術を取り入れる。>と表現はなかなか魅力的ですが、奈良公園というものにふさわしいかとなると、気になりますね。

 

この点、神宮外苑でのオリンピックスタジアム建設とは大きく違うでしょう。絵画館前のイチョウ並木も見事な人工美ですが、基本的にさまざまな人工施設が配置されていて、自然豊かとはとてもいえないところ(というと失礼?)で、大議論になった元の計画の異様さは議論になっていいと思いますが、決定された計画は割合周囲と適合しているのかなと思います。でも奈良公園となると低層であっても、また公園利用の趣旨ともどう折り合いをつけるか、難しい問題があったことはうかがえます。

 

奈良の弁護士は、60年代には古都の文化的価値、景観的価値を守るために立ち上がっていますので、道は険しくても、まあ全国的な先駆け的存在ですので、今後の訴訟活動に期待したいと思います。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


オムツゼロ <『100の特養で成功! 「日中おむつゼロ」の排泄ケア』>紹介記事を読みながら

2018-12-11 | 医療・介護・後見

181211 オムツゼロ <『100の特養で成功! 「日中おむつゼロ」の排泄ケア』>紹介記事を読みながら

 

昨日でしたか、NHKおはよう日本だったと思いますが、オムツゼロの取り組みをしている介護施設が紹介されていました。

 

オムツをすることで、トイレ以外で排尿したり、排尿漏れを防ぐことができ、ご本人も介護をする人も負担が軽減するでしょう。他方で、排尿という人間にとって基本的な行為が意識的に行われなくなり、人としての能力が劣化していくことが避けられなくなることも予想できます。

 

介護施設を訪問していると、入所者のほとんどがオムツをしていて、その表情に活気というかやる気をあまり感じることができません。車イスの人も多く、寝たきりの人も少なからずいる施設もあります。オムツだけが要因ではないでしょうけど、オムツをすることで人間としての基本的な能力が減衰して、脚力も自然衰えていくように感じてしまいます。

 

そんな思いをもちながら施設を訪問しているとき、NHK番組でのオムツゼロの取り組み、しかも一旦、オムツをしていた人も外して、しなくてもすむようになるというのですから、これはすごいと思いました。

 

紹介された施設では、介護職員の中にも反対者がいて、余計な負担が増えるとか、かえって悪化することをおそれる人もいたように思います。でもよく話し合って実行したら、オムツを外すことで、入所者に元気が出て、車イスだった人が立って、歩くことができるようになったとか、たいてい全身の能力が改善しているようです。

 

オムツを外した当初がどうだったかは、私が見落としたのか、記憶に残っていませんが、それほど大きな問題にならなかったようです。

 

さて冒頭で紹介したのは書籍で、その内容を<100の特養で成功! 「日中おむつゼロ」の排泄ケア』>という見出しで紹介しています。せっかくですので、これを参照しながら、より詳しくみたいと思います。

 

2015年8月現在、全国老人福祉施設協議会が認定した「おむつゼロ」の特別養護老人ホームは全国で75。>ということで、15年段階ですでに100に迫る状況だったのですね。この書籍が162月に発行されていますから、相当知られていると思われます。当然、実践する施設も相当増えていると思われます。

 

<著者:高頭 晃紀(たかとう・あきのり)さん 介護施設組織開発コンサルタント、システムエンジニア。>で、<監修:竹内 孝仁(たけうち・たかひと)さん 国際医療福祉大学大学院教授、医学博士。>

 

著者のオムツに対する意識は明確です。<著者は、「おむつはずしは、利用者の尊厳を取り戻す旅」だと書いている。>つまりオムツは個人の尊厳を奪うか、貶めるほどの問題ある「分明の利器」といってもよいかもしれません。

 

最近、人工呼吸器や胃瘻、心マッサージなどの延命措置について選択の道が広がってきたかと思いますが、その根底には個人の尊厳を背景とした個人の意思の尊重があるかと思います。私はオムツもその一角にある問題ではないかと思っています。

 

ところで、<オムツゼロ>が進まないのは、私たち自身があきらめているからというのです。

<それは、私たち介護に関わる者が、失禁は改善不可能なものだと諦めてしまっているからです。諦めているのは私たちばかりでなく、高齢者も同様です。>

 

ではなぜあきらめるのかですね。それはオムツゼロに向かう適切な指南書がないからというのです。

<「便失禁をなくし、トイレに座ることができれば、おむつははずれる」というシンプルな考えは、監修者である竹内孝仁氏が提唱する、いわゆる『竹内理論』が元になっている。>

 

それは次の4つの柱を守ることだそうです。

<●水分:一日1,500cc以上の水分摂取

●食事:一日1,500kcalの食事

●排便:下剤をやめて、自然排便

●運動:とにかく歩く>

 

そしてオムツ外しは、関係者がその意識を共有し協力することが大事で、それはゴールでなく、その先を目指すための一歩というのは理解できます。

 

<おむつはずしの過程で、利用者への接遇、声掛け、座位姿勢の重要性、歩くことの重要性などを学んでください。それはおむつはずしにとどまらず、利用者の自立に向けた支援そのものです。>

 

利用者の自立、尊厳の回復ですね。賛成です。道は困難なものかもしれませんが、明るい光を当ててくれました。各地で取り組んで欲しいと思います。さらに在宅介護でも。

 

なお、トイレがあれば解決というのがここでは一つの解ですが、私はもう一つのテーマ、<Zeroトイレ>に賛意を表しているので、次のステップも考えておく必要があると思っています。この話題も途中で止まっていますので、いつか再開したいと思います。

 

今日は別の用件があり、ここでおしまい。また明日。


森林経営管理法(その8) <選ばれる林業経営者とは?>

2018-12-10 | 農林業のあり方

181210 森林経営管理法(その8) <選ばれる林業経営者とは?>

 

そろそろこの新法の話は一旦、終わりにして別の話に移ろうかと思ったのですが、今日も終日仕事に追われ、あまり考える気力もないので、簡潔にこの連載を続けて、今日で一時締めて、また政省令が出そろった段階で、今度は少し整理して書いてみようかと思います。まあ今回は少しでもこの新法に関心を抱いていただければと思いながら書いています。冗長で内容がないので、かえって関心を遠ざけたかもしれませんが、その場合はいつか捲土重来?をと思っています。

 

さて<森林経営管理制度(新たな森林管理システム)について>を見ていて、市町村の役割も大きいですが、林業経営者の役割こそ、この新法の盛衰を決めるかもしれないように思えるのです。むろん、森林所有者こそ重要なステークホルダーですが、知事、市町村、林業経営者がうまく連係しないと新法が有効に機能しないことは確かですが、経営管理実施権の主体である林業経営者が適切かつ効率的に経営管理を行わないと、市町村がいくら手綱さばきをうまくやっても経済的にも環境的もマイナスとなり、むろん森林所有者にもそっぽを向かれ、地球温暖化対策も含め公益機能が阻害されることになるでしょう。

 

さて、上記のウェブ情報12頁では<意欲と能力のある林業経営者の選定>と銘打って、その「意欲と能力」ある主体をどのような手続と基準で選ぶかを示しています。そこでは<経営管理実施権の設定手続き>と呼んでいます。

法文>では、知事がゾーン毎に公募し(361項)、応募者から一定要件に適合する者を絞り、その情報を整理・公表を行い(同条2項)、それを受け市町村がその中から選定することになっています(同条3項)。公募段階では民間事業者ですが、経営管理実施権の設定を受けると本法の林業経営者になります(374項)。

 

では本法が定める林業経営者になるに値する要件はというと、法362項に次の要件適合性を求めています。

一 経営管理を効率的かつ安定的に行う能力を有すると認められること。

二 経営管理を確実に行うに足りる経理的な基礎を有すると認められること。

 

これだけだと抽象的ですね。法文では361項、2項いずれも、省令で定めるという規定になっていますが、それが区域のことか、公募のことか(1項)、法定要件のことか、応募内容、整理・公表のことか、などなにを対象としているのか必ずしも分明ではありませんので、省令をみて検討することになるかと思います。

 

通常、省令では実体的な内容についてまで踏み込むことがなく、手続き的な事柄が対象となりますので、私見では、上記の法定要件はあまり内容が明確にされないかもしれないと危惧しています。

 

とはいえ、応募内容について一定の書類提出を求めることで、「効率的・安定的に行う能力」を確認することは可能かと思います。たとえば宅建業者のように決算書類の提出とか、従業員情報とか、業務実績とか、ある程度判断できるでしょうね。林業経営・作業に必要なさまざまな資格保有者の情報提供も当然、必要になるのでしょう。

 

市町村としては、知事から提供を受けた公表資料から、経営管理実施権を設定するのに適切な業者を選定すればいいので、「意欲と能力のある」の判断はある程度、知事の絞り込みでやってもらっているから、安心して?選べるともいえます。とはいえ、森林所有者の理解を得ないといけませんから、当該森林ゾーンに適した林業経営者といえるかの判断はやはり市町村の責任になると思われます。

 

ところで、上記2要件の1号については、ウェブ情報では「考慮事項」として、

    森林所有者及び林業従事者の所得向上につながる高い生産性や収益性を有するなど

    主伐後の再造林を実施するなど林業生産活動の継続性の確保

を掲げています。

 

①の所得向上とか、②の継続性確保とか、当然の内容とはいえそうですが、法文上はそこまで明記されていないので、省令の前触れとみるのでしょうか。いやいや当然のことを書いたまでというのでしょうか。

 

この点、<Q&A>15頁では、回答として

 ① 経営改善の意欲の有無

素材生産や造林・保育を実施するための実行体制の確保(関係事業者との連携も可)

伐採・造林に関する行動規範の策定(主伐後の再造林の確保)等を考慮する事項と考えており、都道府県が地域の実情に応じて判断すること

とより踏み込んだ内容になっています。

 

③も当然の内容でしょうけど、いずれも法文では明記されていないので、省令で補充するのでしょうか。

 

市町村が「公正な方法により選定」(363項)となっていますが、この公正な方法というのは具体的に基準なり指針を設けないでよいのでしょうか。おそらく通知で補充するのでしょうかね。このままだと、まさかとは思いますが、市町村が競争入札みたいなことをするかもしれませんが、それは本法の趣旨に添わないおそれがありますね。

 

そんなことをあれこれ考えながら、一時間が経過しました。

 

当分の間、この新法の話はこれで打ち止めとします。また明日。


森林経営管理法(その7) <森林所有者はどうなる?>

2018-12-09 | 農林業のあり方

181209 森林経営管理法(その7) <森林所有者はどうなる?>

 

なんの準備もせずにいつも書き出しますが、そのためいつも前置きを書きながらどう進めようかと思案するのです。今日もそうしようかと思いつつ、それ自体を考えるのもしんどい感じで(これは昨日の歩きの影響もあります)、即座に始めます。ということは何がでてくるか、私も分かりません。

 

7回目ですが、<本法>の狙いともいえる森林所有者に焦点を当てようかと思います。といってもすべての森林所有者を念頭に置いて作られたものでないことは明らかです。といいたいところですが、条文上は必ずしもはっきりしません。

 

そこで<Q&A資料>では<本法律は、森林所有者が自ら責務を果たして経営管理を行えない場合の措置を定めたものであり>と限定しています。そして<自伐林家などが自ら施業して適切に経営管理されている森林については、市町村が権利の設定を行う対象とはなりません。>と自伐林家などが適切な経営管理している森林を対象外としています。おそらく政省令か通知で明確にするのでしょうね。

 

しかもおそらく初めて森林所有者の責務として、3条1項で「森林所有者は、その権原に属する森林について、適時に伐採、造林及び保育を実施することにより、経営管理を行わなければならない。」と明記しました。

 

平成21年農地法改正で創設された2条の2の「農地について所有権又は賃借権その他の使用及び収益を目的とする権利を有する者は、当該農地の農業上の適正かつ効率的な利用を確保するようにしなければならない。」を思い出させる規定です。

 

とはいえ、<Q&A資料>では<「林業経営に適した森林」>について、経営管理が適切に行われていない場合に経営管理権設定を含むその集積計画の作成を市町村に義務づけていますが、そもそも<「林業経営に適した森林」>という用語が法文になく、<Q&A資料>だけで定義づけるのもどうかと思います。少なくとも政省令で明確な基準を設けてはどうかと思うのです。実際は各地で異なるだけでなく、さらにいえば山ごと違う条件になるので、容易でないかもしれません。むろん民間事業者によっても異なりますね。となると、森林所有者だって、一体どんな森林でどんな責務を負うのかはっきりしないと不平を言うかもしれません。なんとなく循環論法みたいになってしまいました。

 

ただ、ここは大事なところですので、しっかり森林所有者同士、市町村や民間事業者などと意向調査を通じて明確にしていく作業が必要ではないかと思います。

 

森林のある山であれば、しっかり手入れをしている人と、そうでない人で、山の景観が大きく違います。むろん最近では入会利用がされてきた時代と異なり、兼業農家が増え、山に滅多に入らなかったり、他方で専業林家も大規模林地を持っているところ以外ごくわずかでしょう。

 

新法による意向調査を契機に、もう一度森、山への意識を見直してはどうかと思うのです。とりわけ元の里山であった森林であれば、まだ手入れをしてきた世代が残っているでしょうから、まだ新法の制度が生かされるチャンスがあると期待しています。

 

ところで、<Q&A資料>を見ていると、計画に同意した後、森林所有者が死亡したらどうなるのかといった質問がありますが、相続や売却により計画自体、影響を受けないこととなっています(14頁 Q2-14 )。他方で、経営管理権は市町村と森林所有者(承継した)、経営管理実施権は市町村と林業経営体の合意で取り消すことができるとしています。これはそもそもそれぞれの実質的な合意で成立している権利の設定ですから、当然かもしれません。それと権利の承継の関係が曖昧ですが、経営管理実施権となると林業経営体の利益を一方的に侵害することができないので、承継した権利者としても、受忍せざるを得ないでしょう。

 

肝心の所有者不明の問題と確知所有者不同意の問題に入る前に一時間となりました。これが新法の究極の狙いの一つ?といってよいと思うのですが、この手続自体は、経営管理が適切に行われていない森林という認定が合理的かつ適正になされていれば、さほどやっかいな問題にはなりにくくなっているように思えます。所有者不明の「探索」といった奇妙な用語はともかく、所有者が不明という調査自体は新法では簡易化されているので、市町村側に大きな負担はないと思います。しかし、不適切な経営管理森林をどのような基準・根拠で認定したかは、今後審査手続、さらに問題が紛糾すれば行政不服審査や行政訴訟で議論されることになりかねません。

 

憲法の財産権保障との関係でも、法文自体が必ずしも明確でないため、政省令で相当程度合理的な目安を示していないと、市町村の裁量に委ねるのでは問題とされる可能性があると思うのです。

 

ここは重要な問題ですので、こういった安直な話にしないで、また別の機会に考えてみたいと思います。

 

なお、災害対応のための緊急時の措置としては、「第五章 災害等防止措置命令等」が重要です。

 

42条1項で、「災害等防止措置命令」が発令され、さらに代執行まで規定(43条)されています。

 

それは、経営管理が適切に行われていない森林といった以上に明確にされています。

「伐採又は保育が実施されておらず、かつ、引き続き伐採又は保育が実施されないことが確実であると見込まれる森林」と荒廃したとか放置された森林という表現が当たりますね。

 

それは次のような災害の危険性がある場合です。

一 当該森林の周辺の地域において土砂の流出又は崩壊その他の災害を発生させること。

二 当該森林の現に有する水害の防止の機能に依存する地域において水害を発生させること。

三 当該森林の現に有する水源の涵養の機能に依存する地域において水の確保に著しい支障を及ぼすこと。

四 当該森林の周辺の地域において環境を著しく悪化させること。

 

これは<要間伐森林制度>をより条件を絞り込み、緊急措置など手続の迅速化を図ったものでしょうか。

 

ちょっと時間がオーバーしてしまいました。途中ですがおしまい。また明日。