たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

リーダーの倫理 <擁護論盛り上がる明石市長暴言問題を考える>を読みながら

2019-02-03 | 国・自治体のトップ 組織のあり方 民主主義とは

190203 リーダーの倫理 <擁護論盛り上がる明石市長暴言問題を考える>を読みながら

 

今日はこれで4つめのブログとなりました。さすがに疲れてきましたので、パスしようかと思いつつ、簡潔に取り上げておこうかと思います。

 

毎日朝刊記事<アクセス筋が通っているからこそパワハラ 擁護論盛り上がる明石市長暴言問題を考える >は、連日話題になっています。あえてとりあげることもないかと思いつつ、なにか釈然としないものがあり、一言触れておきたいと思うのです。

 

とはいえ、今朝の毎日記事は少し色合いが違います。

<明石市に寄せられた意見は?

 2日に兵庫県明石市長を辞職した泉房穂(ふさほ)氏が、道路用地買収で職員に「(立ち退きのため)火をつけて捕まってこい!」と怒鳴った一件。「地上げ屋」のような暴言で発覚時は批判が渦巻いたが、日を追うごとに擁護論が盛り上がった。この現象、どう考えるべきなのか。【宇多川はるか】>

 

ちゃんとグラフにして、批判論が漸増気味であるのに対し、擁護論が急速に延び、4日目にして逆転しているようです。

 

それがどうやら地元紙、神戸新聞の記事が影響しているとか。

<地元紙の神戸新聞が早い段階で当時のやり取りを詳報したこともあり、流れが変わる。同紙は「あっこの角で人が巻き込まれ死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ」「難しければ私が行って土下座でもしますわ」など、罵倒に続いて交通事故防止を力説する泉氏の言葉を紹介。>

 

ちょうど偶然、伊兼源太郎氏の著作『事故調』を読んでいる最中で、これは明石市人工砂浜陥没死事件を題材に明石市長を含む市職員の陰湿な体質?と地元神戸新聞の立ち位置などを背景に、変わり種の主人公の内心を通してプロットが進んでいくのです(まだ読み始めたばかりでどう進展するかは?)。ひどい公務員内でのパワハラなどが当たり前のように表現されていて、今回の事件を見ながら、えっこれって明石市の体質?なんて驚きの感覚で、思ってしまいました。まあ、事件は2000年に発生し、小説は14年に刊行されたものですが。

 

ところで、記事では、弁護士の見解をわざわざ紹介しています。

<ハラスメント訴訟を多数手がける笹山尚人弁護士は「訴訟で加害者側は『業績が厳しい中で叱咤(しった)激励した』などと弁明するが、正しい目的でも相手の人格を否定し、傷つければハラスメントだ。どんな理由であれ行為自体が人格権侵害かが法的に判断される」と指摘する。>

 

また、<パワハラ対策のコンサルタント・・・>の意見として<「交通死亡事故の抑止」という正当な理由があっても、パワハラが免罪されるわけではない。さらに2人は「政策がいいので頑張れ」「一生懸命やっているからこその発言」など、業績や人物を評価して暴言に目をつぶる擁護論を問題視している。>としています。

 

私もこれらの見解に異を述べるつもりはありません。

 

ただ、交通事故抑止の正当理由と前置きすることには少し躊躇を覚えます。だいたい交通事故の原因が道路狭小であったとか、角で見通しが悪いとか、と断定できるのでしょうかね。むろん法的には道路の欠陥ということが事故の原因であれば、死亡者の遺族から国家賠償責任を負わないといけないのは市になりますね。まあそういうことではなく、そういう理由で事故が多発するおそれがある、その結果として死亡事故が発生した、だから拡幅工事は喫緊の課題だった、それを促進させたのだから正当理由ありといった論法でしょうか。

 

しかし、交通事故原因が道路の狭小、角など道路形状によるとしても、解決策は必ずしも道路拡幅しかないとはいえないように思います。まだ状況がわからないので、ここはあいまいにならざるを得ませんが、交通施策はハードでも多様な手法があります。拡幅だけが唯一の手段ではないでしょう。また、仮にそうだとしても、さまざまな交通誘導策で危険を回避する措置は可能です。少なくとも暴言を許容するような正当理由は、私には今のところ考えがたいのです。

 

だいたい運転者も狭隘道路であれば利用を回避したり、渋滞があれば我慢するのがマナーでしょう。より安全に配慮して慎重な運転が求められるのです。無理な運転をすることが問題ではないかと思います。ちょっと事情が分からないのに、ここまでいえるかは留保付きですが、私は暴言を容認できるほど、交通事故対策としても拡幅工事、その前提の用地取得の緊急性を認めることに疑問を感じています。公共サービスを担う公務員の首長として、本来模範的な言動が求められるはずです。脅し文句で人を動かすのでは、公共サービスは一向に公共性を身につけることができないように思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


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