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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

気持ちと体の安全・安心 <気持ちよく働くためには・・>と<ヨガのトラブル>を見聞きして

2018-03-13 | 健康に生きるとは

 180313 気持ちと体の安全・安心 <気持ちよく働くためには・・>と<ヨガのトラブル>を見聞きして


今朝のNHKおはよう日本で、<健康志向の高まりで人気の”ヨガ” でもその陰でトラブルが急増>が放送されていました。

 

私自身は太極拳を昔、少し経験したものの、ヨガは一度もありません。インド人が行うヨガは人の体がもつ柔軟性を超えた自然の一部としての魅力を感じさせ、あるいは座禅とは形態において異質なものですが、それと似たような心の豊かさ、あるいは空の世界を体現してくれそうで、いつかは挑戦しようと思いながら、現在に至るも経験がありません。

 

ところで、ヨガブームはなんどか起こっていますが、現在も結構人気が高まっているようです。その一方でトラブルも起きているというのが報道の内容です。無理な体勢をとることについて、インストラクターが適切な人体(多くは骨格でしょうけど、神経系もあるでしょうね)に対する知識がないまま、集団指導していることから、ときに骨折などの異常が生じることが起きていることが判明したとのこと。

 

対応としては、理学療法士の資格を取得したヨガ・インストラクターの人が、安全講習を自主的に始め、たしか120名くらいのインストラクターが参加して、実地研修を行っていました。私も、以前長く理学療法士の治療を受けていたことがありますが、体の動きとその異変について、一定の知見をもち、その予防や治療をマッサージを含め多様な方法で行ってくれ、勉強になりました。スポーツ選手への指導も行っていましたね。

 

ただ、ウィキペディア情報では、<診療の補助として理学療法を行う[1]ことが主な業務であるが、一般には、加齢、事故などによる身体機能障害からの回復目的のトレーニングを行わせたり、脳卒中での後遺症が残った者、運動能力発達の遅れがみられる新生児ら、循環器・呼吸器・内科・難病疾患などの身体的な障害を持つ人に対して、医師の指示の下その基本的動作能力の回復を図ることを目的に、運動療法や物理療法を行わせる者をいう。>とどちらかというと、リハビリを中心に業務を行っているように思えます。とはいえ、そこで実践的に得られる情報はおおくの健常者にも役立つと思うのですが、さほど情報共有ができていないように思います。

 

私自身も、ベッドに横なって、体を動かしてもらいながら、いろいろ情報を得るのですが、どうも記憶に残らないままでした。これは私の問題ですが。

 

なにかよりよい情報のアウトプットなり、共有の仕組みができるといいのですが・・・

 

ともかくヨガは安全・安心なものと、安易な気持ちで取り組むのは危険だと思います。個別にきちんと指導を受けていれば別ですが、インストラクターの指導で、みんなと一緒に見よう見まねで同じような体の動きを無理にしていると(無理と思っていなくても体の内部は悲鳴をあげていることもあるでしょう)、劣化している骨や神経筋など、微妙な人間の体はいつ閾値を超えて破壊されるかしれません。要注意ですね。

 

ところでヨガは多くの場合、気持ちよく働くための、リラクゼーションとしての機能などもあると思うのですが、日常的に簡単にできる方法が毎日の昨日夕刊に掲載されていましたので紹介したいと思います。

どうすれば安全安心気持ちよく働くためには 目閉じれば脳の負担減>は、いずれも自分の体と心に対話しながら、安全・安心にできそうな、ある意味で簡単な方法です。続けられるかは本人次第ですが。

 

まずは<「15~20分間の仮眠を取ることで仕事の能率は上がります」。>

これは私も採用しています。だいたい昼間は眠いのです。ほんの5分、あるいは15分くらいイスに座ったまま寝るというのはよくやっています。電話の音で起こされ、別世界の感覚になることもまま、ありますが・・・

 

<仮眠によって眠気がなくなれば、午後の仕事は、頭がさえた状態で取り組めるはず。>そうなのです。眠気を及ぼしながら、仕事をしていてもはかどらないですね。ところが仮眠をとると、気持ちがすっきりします。これは是非、みなさんも試して欲しいと思います。

 

<仮眠前にコーヒーなどでカフェインを取ることがコツだという。>これはよくわかりませんが、リラックスするのでしょうかね。わたしはその必要を今のところ感じていませんが、それは個人の好みかもしれません。

 

次の対案はいいですね。<仮眠に対する職場の理解がなかったり、勤務環境によって仮眠を取るのが難しかったりする人も多いだろう。>おそらく大勢の職場で仕事をしている人はそうでしょう。その代替案は<そのような場合は、目をつぶるだけでも効果は期待できる。>

 

たしかにそうです。「五感で得る情報のうち、8割は視覚情報と言われています。仮眠を取るのが望ましいのですが、目を閉じることでも脳の負担を減らすことができます」と坪田さんは強調する。>納得です。私もときにそういうことで目を休まします。

 

これは違いますが、夜、年に一度くらいでしょうか、あるいは何年に一度くらいでしょうか、眠れないことがあります。そういうときでも目を閉じているだけで、そうとう楽になります。知らぬ間にわずかな時間でも眠りに入ることもありますしね。

 

やはり目を閉じるということは大事ですね。講演なんかでは、最高かもしれません?そのまま寝入ってしまうときの恍惚感は至上の喜びかもしれません?

 

もう一つ提案があります。<疲れを解消する方法には「アクティブレスト」がある。>

 

一体何だろうと思いきや、意外と誰でも一度はやったことはあるのではと思うのです。

<積極的な休養という意味で、スポーツ界ではよく行われる疲労回復法だ。試合や練習の後に適度な運動をして血液の循環を良くし、疲労回復を図る。運動後に軽いジョギングなどをする「クールダウン」もアクティブレストに含まれる。>

 

働く人にも活用できる方法が提案されています。

<一般社団法人「10分ランチフィットネス協会」(福岡市)では、有酸素運動や筋力トレーニング、ストレッチを組み合わせた10分間の運動プログラムを考案し、企業への普及啓発に努めている。>

 

それは<筋肉や心肺機能に適度な負荷がかかる動きを組み合わせたもので、トレーニングウエアに着替える必要はなく、音楽に合わせて10分程度、運動すればいいので継続しやすい。具体的には、丹田(へその下)を意識して、腰を落としながら膝を曲げる▽両太ももを腰の高さぐらいまで上げる▽両足を前後に開き、前脚の膝を曲げる--というような動作をする。>

 

この運動は、一人だけでも効果がありますが、社員同士で行えばさらに付加価値?が広がります。

<森山さんは「アクティブレストを職場に取り入れることによって、社員同士が円滑にコミュニケーションを図れたり、メンタルヘルスが向上したりする効果があります。また、夜の睡眠の質が良くなることも分かりました」と語る。>

 

これはよくわかりますね。一定の運動を共通体験することで、仲間内で一定の気持ちの熱流がわき起こって、以心伝心に心が打ち解ける部分があるのではと思うのです。

 

最後に今度は、気持ちの目標設定と優先順位といった心のコントロールでしょうか。これも大事ですね。

 

<斎藤さんは、仕事▽自己成長▽家族▽お金▽余暇▽地域活動--などといった幾つかのカテゴリーで、1年くらい先までの大事にしたいことをイメージすることを提案する。具体的には、年間で取り組みたいテーマや、月ごとの目標を設定して「いつごろに何をするのか」という時間を意識し、優先順位をつけることが重要だという。「コンサルティングでは、自分にとって何を一番大事にしたいかを考えて、緊急ではないけれども自分にとって大切な予定を先に入れるようにと助言しています」>

 

というわけで、私には役立つ情報でしたので、つい書いてしまいました。これで30分消化、私のリフレッシュでした。


○○女子もいろいろ <特集ワイド 手探りの「定年女子」>などを読んで

2018-02-01 | 健康に生きるとは

180201 ○○女子もいろいろ <特集ワイド 手探りの「定年女子」>などを読んで

 

最近、○○女子というネーミングでさまざまな女子・女性の活躍が華やかに取りあげられています。私のような高齢者には実体はよくわかりませんが、TVなどで時折見かけると、次々と新しい品種が出てくるので、なんだったか忘れてしまいます。

 

たしか「こ(-?)ふん女子」とか、「仏像ガール」とか、他にもいろいろあったように思いますが、すぐ忘れるので、勘弁願いたいです。そういう方はだいたい20代とか30代くらいの女子でしょうか。いやいや40代もいらっしゃるかもしれません。ま、わたしくらいになるとその辺りの年代はあまり変わらない、といっちゃおしまいですが、皆さんお若いということでご理解いただきたいわけです。

 

ただ、昔になんとなく身についた感覚だと、「女子」とか「ガール」は10代を意識していたようにも思うのですが、どうやらそういった年代感覚も柔軟になっているのでしょうね。

 

だいたい、このブログでも指摘したことがありますが、アメリカ映画では、あまり年齢に関係なくgirlと親しい女性を呼ぶことが少なくないように思うのですが、実際はどうなんでしょうね。

 

参考にgooの辞書で見ますと

1 女の子,女児,少女;娘;(通例)十代の女の子(boy)

2 ((古風)) 未婚の成人女性.

3 ((しばしば軽蔑的)) お手伝い;女子従業員,女店員;レビューガール,女優

4 ((one's girl)) 恋人,愛人,情婦

5 娘(daughter)

 

まだ多数ありますが、省略します。ま、私が米映画でよく耳にするのは4番目でしょうか。古い日本の学校教育だと(現在も?)、1だけでしょうかね。

 

アメリカで使われる他の例では、あまりいい意味合いでないこと場合もあるように思えますが、それはそれぞれの国の風土の違いがあるでしょうから、日本人はガールにいいイメージを抱いても委員ではないと思います。私は見ていませんが映画「フラワーガール」というのが人気を博したことがあったかと思いますが、これも結構年齢は多様だったのではと思うのですが、見ていないので正確なことはいえませんけど。

 

なお、ついで「女子(じょし)」の意味をgoo国語辞典で見ると

おんなのこ。むすめ。⇔男子。

女性。おんな。

 

1が一般的な理解かもしれませんが、2もちゃんとありますね。そうすると年齢も既婚・未婚も関係なしで通用するわけですね。ま、日本で男性が使う場合は注意しないとある種のセクハラになるおそれがありますから、ご用心ですね。

 

ともかく、古墳女子とか、仏像ガールとかは、従来あまり女性・女子が関心を持たなかったと思われがち(これは勝手にそう思っていたに過ぎない可能性がありますね)だった分野に進出し、しかも、どちらかというと考古学や歴史学、宗教学、芸術といったお堅い方々が難しい顔して真剣にその場を占拠していたようなところに、この新旋風は若い人はもとより多くの人に関心を抱かせて、参入障壁ともいうべき壁と取り去ってしまった功績は大かなと思うのです。

 

今後も新たな○○女子なり○○ガールが登場することを期待したいと思うのです。

 

と前口上がまたまた長くなりましたが、本題の昨日毎日夕刊記事<特集ワイド手探りの「定年女子」 均等法第1世代、まもなく迎える節目>について、そろそろ取りあげたいと思います。

 

定年について取りあげられる場合ほとんどが男性ですね。いい意味でも悪い意味でも。そこのところ、田村彰子記者は女性もいまその課題に直面していることを指摘しています。

<「定年」という響き、その字面……。哀愁漂う男性の問題と捉えられてきたが、今は違う。正社員として働く女性が増え、会社員人生の節目をどう乗り越えればいいのかという悩みは男女共通だ。彼女たちは「いつか来る日」をどう考えているのだろう。>

 

田村記者は「定年女性」という書き出しでいくつかの例を取りあげていますが、途中でNHKドラマ「定年女子」が53歳の女性社員を主人公にした内容で放映され、高視聴率をマークしたことなどから、そのワードでこの問題を展開しています。

 

ただ、気になるのは<定年=老後>という意識が定年を迎えた50代の女性・女子にあることをいろいろな事情をとりあげつつ、そういう意識を当然のように取りあげていることに、少し違和感を感じてしまいました。むろん現実を直視しないといけないでしょうから、「定年」という制度と現在置かれている家庭・社会環境や労働環境を厳しくみることも大事であることは否定しません。

 

しかし、「定年」ということばに暗いイメージをもつより、ある種の社会的拘束から離脱できるという自由を強調してもよかったように思うのです。いやいや、現在多くの働く女性が抱えている状況は自由を拘束する縛りばかりで、とてもそんな意識を持てるものではないと言われると、たしかに田舎で仕事をしていると、多くの女性が性差別を含め厳しい条件にあることを痛切に感じますので、儚い夢を語っても意味がないことは多少とも自覚しています。

 

とはいえ、その束縛は、考えによっては変えうるものではないかと思うのです。NHK番組はどういうものだったか知りませんが、コミカルに描いたところに評判を得たのかもしれません。いや、厳しい人生をコミカルに生きたらどうでしょうというのではなく、考え次第で変わることが少なくないと思うのです。

 

少なくとも定年は老後とかといった理解は誤解以外の何物でもないと思うのです。女子という若々しい人生の新たな第一歩になり得るチャンスとみていいのではないかと思うのです。

 

だいたい昔の人は定年に代わる「隠居」に憧れて、それまで一生懸命仕事に励んだ人も少なくないと思うのです。吉田兼好や鴨長明のような隠居生活を、江戸時代の人たちがどれほど憧れたでしょうか。伊能忠敬なんてその最高峰でしょうか。50代までは汗水垂らして仕事して、灌漑事業では命の危険を冒すまでのことをやって、ようやく息子に後をとらして、自分の好きな天文学の道を若い学生の気持ちで目指すのですから、すごいですね。

 

それは女子も同じだと思います。シワのない肌とか、黒髪にこだわるのもいいですが、50代だと後健康人生30年は堅いというか、注意すれば十分可能でしょう。それこそすばらしい第二の人生が開かれているといってよいのではないでしょうか。

 

男女の関係でも、男は若い女性を好むというのも誤った定説ではないかと思うのですが、実際若い男性が相当な高齢の女性の魅力に惹かれる例もあるわけですね。

 

ちょっと違う話に脱線しますが、化学物質過敏症の問題を担当していた頃、化学工業の大メーカーは決して「化学物質」という名称を冠することを許さないように医学界、科学界をリードしてきたと思うのです。それと似たような文脈というと飛躍になりますが、民放の放送ではいかに化粧品の宣伝が蔓延しているか驚きますが、たいていが20代の肌やふさふさの黒髪(最近はカラーがいろいろですね)を追いかけさせるように誘導しているように見えます。洗脳?でしょうかね。

 

ともかくそれぞれの年代に応じた生き方がありますし、そのあり方も十人十色でしょう。だから○○女子を自分の中で作ればいいのではないかと思うのです。「定年」女子というのは有効なそれでもいいですが、打ち破るための標識なら、その先の○○を生み出す踏み台として積極的に活用すればいいのかなと思っています。

 

記事にはいろいろ悩んでいる定年女子のさまざまが掲載されていますので、興味のある方はご覧ください。

 

私はその関連記事として上がっていた少し古い記事<女の気持ち夢かなう春 埼玉県吉見町・皆川いく子(会社員・52歳)>を取りあげたいと思います。

 

50代の大学新入生の意気込みが伝わってきます。

<春が来ると私は女子大に入学します。高校卒業から34年を経て、夢がかなうのです。

 父が亡くなったため大学をあきらめた私。主人も高卒後に上京して、バブル期に就職しました。私は出産後、2人の息子を学童保育に預けてフルタイムで働き、塾に送迎。夫婦でマイホームを建て、せっせと住宅ローンを返しました。>

経済的な事情で大学をあきらめても必死で生き抜いてきた皆川さん、気持ちがいいですね。

 

しかし、この後も苦難に出会うのですが、向学心とご主人の支援で道が開けるのです。

<次男が成人した1年前、私にがんが見つかりました。切除して日常生活に支障はないのですが、いつ再発するかわかりません。学びたい気持ちが強くなりました。私が通信教育で勉強していたのを見ていたからでしょう。主人が「十分働いてきたから今度はおかあの番だ」と背中を押してくれ、大学の社会人入試を受けて合格したのです。主人には感謝の限りです。>

 

その元気印の皆川さんの言葉はすばらしい。

<仕事を辞め、春から栄養学を学びます。息子より若い人たちに交じって一から学ぶことには不安もありますが、応援してくれる友人知人もいます。やりたいことを貫く必要性を実感しているからか、年長の方からの励ましは心強いものでした。

 通学には片道1時間以上かかります。老眼に悩むようにもなりました。でも、学びに年齢はありません。おばちゃん学生は頑張ります!>

 

でも50代はおばあちゃんと呼ぶには気の毒ですね。北米の大学では50代くらいの学生は時折見かけると思います。いや60代でもいるのでは・・・私にはそれだけの向学心はないですが。

 

ただ、北米の大学で、50代や40代と20代前後の学生がいろいろ議論したり話しをしているのをみていますと、社会の味わいが大学に入ってきて、大学自体も社会的存在として活気が出るように思えます。むろん昔から社会人が大学ないし大学院で学ぶ機会を増大してきていますが、極めて限られた印象を抱いています。まして高卒の方が大学ににゅうがくするとなると、制度的か、あるいは社会意識か、門戸が狭くなっているように感じるのは私だけではないでしょう。

 

いずれにしても大学で学ぶもよし、道は大きく開いているのですから、後は心持ち次第と思いたいですね。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


心の健康 <女性のひきこもり>と<離婚歴を隠す彼という人生相談>を見聞して

2018-01-29 | 健康に生きるとは

180129 心の健康 <女性のひきこもり>と<離婚歴を隠す彼という人生相談>を見聞して

 

今朝のNHKおはよう日本では、女性の引きこもりが取りあげられていました。登場したのは30代や40代の女性でした。これまで取りあげられてきた男女の引きこもりと異なり、取材に対して割合普通に対応されていました。そして家事は自分でしっかりできているようです。ただ、買い物に出ることはできても、人と話すことや人の中に入っていくことができないようです。ある女性は、就職試験の面接で落ちたショックから、人と話すことができなくなったという引きこもりの契機を話していました。

 

彼女たちまだこれからという女性たちは引きこもりですが、一般の統計からは落ちこぼれてきたようです。家族との関係とか家事とか普通にできるようですので、対象にならないのでしょうかね。もっぱら親の年金で暮らしているけど、外で働くことに恐怖感があり、収入が得られず、きっかけもなく、悩んでいるのです。通常は、幼友達が救い手になるのでしょうけど、そういう女性たちも就職したり結婚したりして、そちらの生活も忙しいでしょうし、話題も共通しなくなるのでしょうか、まったく話す相手がなくなっていったようです。

 

ま、いえばまだ40代前後の若々しい孤独状態で、独身を謳歌しているのではなく、収入の目処もなく生活の糧もない、将来は孤独死になりうる予備軍になる危険を感じているようです。

 

そういう問題について、過去にひきこもりを経験した林さんという女性が、ひきこもりで悩む女性の集う会を立ち上げ、彼女たちの社会への一歩を手助けしています。やはり同じ悩みを抱えた女性同士だと、また、抜け出したリーダーの林さんみたいな人がいると、自然に悩みを打ち明け合い、まずは自分一人が抱えている悩みでなく、ちょっとしたきっかけで、あるいはほんのわずかな気持ちの切り替えと勇気で、社会の中に踏み出していけるのだと気づく人も次第に増えているようです。

 

彼女たちの会話を断片的にですが、聞いている限り、普通の感覚の方ばかりのように思います。他方で、ちょっとした言葉や所作に敏感なのかもしれません。ある種大事な心の持ち方ですが、現代の競争激しい社会では、気持ちが萎えてしまうのかもしれません。

 

家事は大変な作業ですが、人と接しなくて済むので、そういった脅威に向き合わなくてもいいかもしれません。そういう彼女たちを見ていて、多くの離婚に踏み切れない夫婦の関係をふと感じてしまうこともあります。最近は女性も外で働くことが普通になり、離婚に躊躇しないというか、壁が低くなったかもしれません。

 

遡って考えれば、安易に結婚していることにも問題の本質があるのかもしれません。

 

すこし飛躍があるでしょうけど、今朝の人生相談<彼が離婚歴を隠していた>は、回答者・高橋源一郎氏による、いつもの明快な回答で、すがすがしいものでした。それが効果的な影響を与えるかは相談者次第ですが。

 

相談内容は<付き合って1年の彼がいます。彼に冗談で「離婚歴ある?」と聞いたところ、バツイチで5歳の子どももいることが分かりました。子どもとは2年ほど前から会っていないそうです。年齢も42歳と言っていたのに46歳で、隠しごとが多く信用できなくなってきました。ただ、彼のことは好きです。彼はこれ以上隠しごとはないと言っていますが、このままお付き合いを続けるか悩んでいます。(35歳・女性)>

 

多くの女性、そして男性、いずれもひきこもりなど関係なく、自然に多くの人と交わり会話をそれなりに楽しみ、そして中には親しく交際したり、ついには結婚し、子どもが生まれることもあるでしょう。

 

その男女の会話は、引きこもりの方のように、まじめさだけでなく、多少の虚言もあるでしょう。それがどこまで許容されるかが問題ですが、多くは失敗の要因になり、心の健康を害する場合もあるでしょう。

 

高橋氏は開口一番、相談に対し<相談者の「彼」は根本的に信用することができない人のように思えます。>と明言します。私も同感です。

 

離婚歴、子どもがいること、収入や借金など、まじめに相手のことを考えるのであれば、真実を伝えることが相手に対する真心ではないかと思うのです。そういうことがおろそかにしている結果、ときに弁護士に相談するような破局を迎えるのですね。子どもがいることを正直に話す人でも、養育費は支払わなくてもいいなんて、平気で話す人は危ないですね。借金はあったが返済したという人が、結婚した途端、その借金返済のために働いて欲しいなんて平気で求めることをなんとも思わない、こういう不健全な精神の持ち主が世の中いますね。

 

安易に相手の言葉を信頼して社会生活を営むのも、この世の中、いかなる荒波が待ち構えているかわかりません。その意味で、引きこもりを選んだ選択が完全な間違いとも言い切れません。こういった敏感で慎重な女性、おそらく男性もいると思いますが、そういう人たちに社会参加への支援策が必要ではないかと、改めて思いました。その意味で林さんの活動がより多くの賛同・支援を受けることを期待したいと思うのです。

 

他方で、男は、同時に、女は、「オオカミ」というか、自分の描いた仮装の世界観で言葉巧みに生きる人も少なくない、これも世の中ですね。これはそういうオオカミに対しても、またオオカミに補食される人たちにも、適切な支援策がどう仕組むことができるか、これからの課題かもしれません。

 

世の中、アメリカファースト、自分ファーストが蔓延しているわけですから、政府がこのことに注視して対策を講じないと、もっとひどい状態になるおそれがあるように思うのです。それは社会全体の改革の一つかもしれません。


禁煙は可能か <禁煙 治療の道拡大 補助薬の成功率3~4倍 保険適用、若い人にも>を読んで

2018-01-24 | 健康に生きるとは

180124 禁煙は可能か <禁煙治療の道拡大 補助薬の成功率3~4倍 保険適用、若い人にも>を読んで

 

私は学生時代、なんどか、おそらく酒の席でタバコを吸ったことがあります。基本的に好きになれなかったから、吸い続けることもなかったのでしょう。他方で、パイプはしばらく吸い続けていたように記憶しています。香りがなんともいえないものですし、若いから格好いいと思っていたのかもしれません。

 

私の世代やそれ以前はもちろん、おそらく90年代くらいまでは、喫煙は大人の証みたいな感覚で、若者が手を出し、どこでも吸っていたように思います。その中で伊佐山さんや渡辺文学さんらが新幹線などでの喫煙制限を求める嫌煙権訴訟を提起したのはすごい勇気があったと思います。

 

私自身、タバコはあまり好きになれませんでしたが、友人・先輩、多くが吸っていましたし、一緒に話したり、酒を飲むときに吸っていても、特段体に違和感も感じず、気持ち的にも普通に受け止めていました。

 

その後タバコの成分自体、それに燃焼による化学変化で膨大な種類・量の有害物質が排出されていることが世界の医学界で常識になってからは、私も少しずつ意識が変わっていったように思います。というか、伊佐山さんの影響が大きかったと思います。

 

それはともかく、タバコ病で苦しんでいる人を、伊佐山さんの運動で知るようになり、これは大変な問題だと初めて理解するようになりました。それが90年代の終わり頃でしょうか。

 

タバコは嗜好品、数か吸わないかは、個人の自由とほとんどの人が思っていた頃でした。しかし、WHOの調査ではタバコは依存症があり、個人の自由な意思で選択できない性質もかなりの程度あきらかになってきていました。

 

アルコール依存症の方も結構いますね。私も毎日飲みますが、日本酒なら一合、ビールなら缶ビール一杯なので、百薬の長ということで許容範囲と医師からお墨付きをいただいています(おそらく?)。

 

しかし、アルコール依存症やタバコ依存症は、そういう症状が認定される状態であれば、それから脱するのは自由意志では容易でないというか、無理に近いと言って良いのではないかと思います。家族も本人もあきらめていることが多いのではと思うのです。

 

そういう状況で、この記事は朗報かとつい取りあげることにしました。

<たばこがやめられないのは意志が弱いのではなく、ニコチンの依存症だからだ。>そうですね。

 

禁煙治療に保険適用が広がっているのですね。

<公的保険で禁煙治療を受けられるのは(1)禁煙を希望し、ニコチン依存症の診断テストで5点以上(表参照)(2)1日平均の喫煙本数と喫煙年数をかけた数が200以上--の要件を満たす人だ。2016年からは、35歳未満の人は(2)の条件が外され、喫煙年数の短い若い人も保険で治療できるようになった。>

 

薬による治療が効果的とのことで、それも多様なものがあるそうです。

<薬を使わずにやめることは可能だが、最近の報告では、薬による治療は自力より成功率が3~4倍高くなるとされる。たばこをやめると、ニコチン切れの離脱症状で吸いたい気持ちが高まる。この症状を和らげるのに、皮膚からニコチンを補充する貼り薬(パッチ)や喫煙による満足感を感じにくくする飲み薬がある。飲み薬は開始から1~2週間は吐き気を伴うことが多く、食後の服用を徹底することが大切だという。服用後に意識障害が起こった例もあり、仕事で車などの運転をする人は使えない。>

 

もう一つは、精神的なサポートであり、段階的なプロセスに応じた対応でしょうか。

<阿部医師は「吸いたい気持ちが出てくるのは当たり前。気をそらす対処法をあらかじめ考えておき、自信を持って取り組んで。1本吸ってしまっても終わりでなく、また禁煙を始めたらいい」とアドバイスする。>

 

禁煙外来が意外に多いのですが、治療を継続できていない、それが禁煙を成し遂げられない要因のようです。

<受診回数が多いほど禁煙成功率は高かったが、5回すべて受診した人は全体の30%に過ぎず、7割が途中で脱落していた。理由はさまざまだが、同省の過去の調査では、途中で喫煙し受診しにくくなったり、仕事で受診の継続が難しかったりする人もいた。>

 

その対応策として、アプリを利用するという事業が始まったようです。その内容は

<ベンチャー企業「キュア・アップ」(東京都)は昨年10月から、スマートフォンの「禁煙治療アプリ」の効果を調べる治験を始めた。禁煙治療では、次の受診日まで2~4週間の間隔がある。この空白期間にも、患者の状況に応じた指導やアドバイスを定期的に届けて、禁煙意欲を高めようという試みだ。約30の医療機関の禁煙外来を訪れた計580人を、通常の治療だけの組とアプリを併用する組に分けて禁煙の継続率を比べる。ソフトウエアとしての保険適用を目指している。>

 

この概要では中身がぴんときませんが、最近のアプリの有用性から、今後さらに多様な形態が増えるのではと期待したいです。

 

近くに禁煙外来がない場合などでは遠隔診療という手法が活用されているようです。

<通院の負担を減らすため、健康保険組合と提携しオンラインの遠隔診療で禁煙治療を提供する企業もある。>

 

禁煙指導プログラムもあるようですね。

<日本禁煙推進医師歯科医師連盟と同協会は今年、禁煙指導者へのトレーニング事業を強化する。>

 

最後に<ニコチン依存症のテスト>が掲載されていて、このテストで「はい」は1点、「いいえ」は0点とし、5点以上を診断とのこと。興味のある方はテストに挑戦してみてはどうでしょう。

 

私の友人・先輩などは、おそらく、死の床まで趣味として吸い続けるのでしょうか。あるいは体調悪化すれば当然吸う元気もなくなるでしょうけど。ま、私も彼らといるときは、あまり気にならないので、仕方がありませんが・・・


靴選び大丈夫 <NHKおはよう日本・「子どもの足を守れ」>を見ながら

2018-01-24 | 健康に生きるとは

180124 靴選び大丈夫 <NHKおはよう日本・「子どもの足を守れ」>を見ながら

 

今朝も結構寒さが厳しいですね。その中、2時間くらい家の駐車場でああでもないこうでもないと話をしてしまいました。

 

駐車場にカーポートがないので、取り付けようと昨年から検討したのですが、この分譲地の駐車場は普通車だと少し窮屈な大きさに作られています。そのためか、たいていコンパクトカーか軽自動車を駐車しています。

 

私は車をできるだけ乗りたくないものの、腰痛持ちなのでイスの具合やタイヤの衝撃を考えると普通車を選択してしまいます。それで狭い駐車場になんとか入れてきました。はじめは慣れないので擦ったりしていましたが、相当使い込んでいるので多少の傷はなんとも思いませんでした。乗り換えた車はそうはいきません。私も物を少しは大事にします。

 

雨風埃に触れると汚れが目立つのは以前は気にならなかったのですが、どうも気になるようになり、狭い駐車場にカーポートを設置しようと、まず販売店と相談しました。柱の大きさを考えるとぎりぎりの印象でした。ただ、新しい車でなんどか駐車を繰り返しているうちに、なんとかなるかなと思い、カーポートを発注し、今日ようやく業者が施工にやってきたのです。

 

施工業者は、駐車場と車を見て、これは厳しいですよと、開口一番です。そうかな、カーポオート柱用に木製柱を用意してもらい、なんどか駐車を試してみました。業者曰く、柱に当たらないように余裕を持ってというスペースが思った以上で、そうなると運転席からドアを開ける空間がわずかしかありません。これはまいったでした。

 

それでも注文した以上、頑張ってみようとなんども挑戦しましたが、私の下手な運転技術ではその余裕を開けないと、擦ってしまう可能性大というのは納得せざるを得ませんでした。

 

結局、販売店の担当者を呼び、事情を確認して、キャンセル料を払って、材料を引き取ってもらうことにしました。

 

駐車場の大きさとカーポートの柱の大きさ、そして車両の幅とそのスペース、それをよく考えて、しかも前面道路の幅も考慮して、決めないとこういったお粗末なことになりますね。

 

むろん無理してぎりぎりで駐車することも不可能ではありませんが、それは毎日神経をすり減らして、必要のない余分な気遣いで精神的な負担になります。それを楽しむ運転技術の特異な方もいるでしょうけど、私はそういう選択はあえてとりません。

 

やはりカナダで車を乗り出したことも影響するのでしょうか、すっと駐車して、すっと走り出す、そういう乗り方、スペースの取り方が本来的だと思うのです。カナダでドライブしていたとき、ほとんどストレスを感じることがありませんでした。

 

話変わって、同じ足でも、車や駐車場・カーポートと違って靴を選ぶことはとても大切です。私自身も以前は凝ったことがあり、しっかりした靴店で自分のサイズに合った靴を選んでいました。少し高価でしたが、履き心地は抜群でした。それは20年も30年も前の話ですが。

 

最近は適当になり、安物買いの銭失いみたいで、ネットで適当に買ったりすると、大きすぎたりしますが、我慢して履いています。でも隙間があるととても疲れます。

 

そんなことを思い出すような、今朝のNHKおはよう日本のニュースでした。<「子どもの足を守れ」>は当たり前のようなことですが、意外とできていないのではと思うのです。

 

格好いいハイヒールを履いている女性を見て、ときどき大丈夫と思うことがあります。かかとの隙間が見えるのです。あきらかに本人の足にあっていないサイズです。足がかわいそうと思うのです。

 

そういうわが家も、以前、子どもが小さい頃、すぐに成長するからと言って少し大きめのサイズの靴を買っていました。私自身は靴のサイズは常に足に合うことが大事だと思っていましたが、あまり採用されませんでした。子どもも小さい頃からそんな履き方をしてきたものですから、それが当たり前になってしまったように思います。それが大きくなった今、その足の成長や、運動力に影響しているのではと反省したりもしています。

 

番組ではちらっとしか見ていませんが、たしか保育園とか、保育士を集めての研修で、シューフィッターのような方が、靴の選び方、履き方を指導していました。

 

まず、子どもの実際の足の大きさを測り、その足に応じた靴を選ぶこと、そして靴の履き方はヒモやバンドでしたかそれを外して、しっかり足を入れて、ヒールが靴底にぴったり収まった上で、足指や甲の幅に余裕があるかを確認する、という基本作業をしっかり指導していました。

 

それができていない子どもが多いようでした。保育士も若い方が多く、そういったことを知らない人もいました。それでは子どもの成長に大きなマイナスになるように思います。

 

靴は、車の駐車場とは比べようのないくらい、大事です。足指の変形や、歩き方にも影響するでしょうし、しっかりと土への着地と反動を体全体で受け止めるという人間にとって大事な機能を小さいときから育てることに支障をきたす要因にもなると思うのです。

 

「靴カルテ」を作って、保護者向けに参考資料としている保育園が紹介されていたと思いますが、大事なことですね。子どもはすぐ成長するからと言って、だぶだぶの靴を履かせることは避けてもらいたいです。子どもがかわいそうです。経済的に厳しいなら、ほかの出費を減らしても対応してもらいたいように思うのです。

 

これは高齢者も同じで、とりわけ認知症患者などだと、家族などが選ぶと思うのですが、きちんとした履き方をしていないと、大きさがあってなく、転倒のおそれが高まったり、歩くことを怖がり、ますます歩かなくなり、認知症状が進行するおそれもあるでしょう。歩くことは人間の能力にとって、おそらく死亡に至るまで最も重要な機能維持の根幹ではないかと思っています。

 

その意味で、NHKの今日のニュース、改めてより広く取りあげて、活用してもらいたいと思うのです。