ポスターに抱きつく水玉娘。
「直島で大きな水玉のかぼちゃ、見たでしょ?あれを作った人の展覧会に行かない?」と娘に尋ねたら「行く!」。
木々も水玉模様になりました。
一番最初の展示は巨大な富士山の絵、それを見てびっくりした娘は「これ、本当にあの年寄りが描いたの!?」
ポスターを見て、この人が描いたという認識はあるのですが、いやはやボキャブラリーが足りなくて(汗)。
写真OKの超カラフルなスペース!
その次には、壁一面を埋め尽くす「わが永遠の魂」と題されたカラフルな2mx2mのキャンバス群、その真ん中にラフレシアをさらに奇妙に
したような巨大な立体の花が鎮座している空間です。
踊りたくなっちゃう。
思わず、うわ〜と声を出してしまうほど圧巻ですが、娘は巨大な花に感心して、その周りで少し踊り(?)、壁いっぱいの
無数の絵には関心なし。
「アボリジニの絵みたいだ」と夫は妙に感心していましたが。
中に入れなくて残念な屋外展示のかぼちゃ。
次の部屋にあった「Ocean」と題された、巨大な白地のキャンバスを埋め尽くす無数の白い網の目。
オブセッションを視覚化すると、こうなるんだろう、とうならずにはいられない作品で、これには娘も驚いていました。
「うわ〜〜〜〜!!でもあんまり海に見えない」
展覧会場外にある、自分でシールを貼れるスペース。
ニョロニョロのような物体が生えた椅子やらハシゴやらの立体を見ながら、「ほら、あそこに手がある、靴もある!」
とこれまた大喜びする5歳児。
模様と一体化しつつある娘。
鏡の間と題された、鏡の部屋に無数の色が変化する電球が釣られた空間は、とてもマジカルで、娘は何度も何度も
入りたがりました。入るたびに、確かに「もしかしたら魂はこんな風に宇宙空間を漂っていて、何かの偶然で体を
与えられ、しばらくするとまたここに戻るのかもしれない」と思わされます。
はるか昔、初台のギャラリーで見たと記憶している、大きな壁一面に青いLEDの数字が変化しながら点滅していた宮島達男の作品を
見た時も、ちょっと似たような感覚になったことを思い出しました。
ただ、宮島達男の作品の方が、数字が変化して行くせいか、もうちょっと上の視点というか、神とか何かの支配者の視点、あるいは
少し「意図」を感じさせました。
草間彌生の空間は、もっと恣意的、「そうなっている」、という感じ。
娘の反応を見ながら、なんとなく草間彌生って子供の欲求表現みたいなものを、80なん年ずっと驚異的に維持していて、だから生きづらくて、
でもだからオブセッションにならなくてはいけないのかなあ、なんて思ってしまいました。
とても生々しくて原始的な力があり、それは、たいていの場合、いわゆる大人になるうちにある程度社会的に矯正されたり、抑圧されたりするんだけれど、
そのプロセスを免れてしまった、とでもいうような、根源的な力を突きつけられ、圧倒してしまうのです。
卵子と精子がくっついて受精卵になる時の力とか、細胞分裂する力とか、そういう生命力、とでもいいましょうか。
いやはや、すごいわ、って一言で片付けちゃいますが(笑)。
子供のアトリエにて。
圧倒されたまま一晩寝て、月に1度の「子供のアトリエ」に行きました。
http://www.i-m.mx/renkonan/renkonan-miwayuko/home.html
鳥の指人形作ったよ。
手を動かしている子供たち、熱中しているときは、みんな静かです。
なんか、こういう雰囲気、好きだな〜。
指人形のお家作り。
一応のガイダンスはあるけれど、それに従わずに好きに作っていいので、子供達も自由にやっています。
でもちゃんとみんな自分の作りたいものに行き着きます。
いつもながら、のびのびと楽しく、何か作りたくなっちゃう空間を提供してくれる、お友達でもある先生に感謝です!
ずっと楽しみにしていました!
ディズニーチャネルを見ていた娘は、この「モアナと伝説の海」を見るのをず〜っと楽しみにしていました。
海の色が綺麗なので、私も密かに楽しみでした(笑)。
そして本当に海がとっても綺麗な映画で、こういうところで泳いで見たい、と心から思わせられる映画でした。
強い女の子の成長物語なので、娘に見せるストーリーとしても好ましい(笑)。
可愛らしい戦闘シーンを、でも娘は怖がっていて、見終わってから「面白かったけど、怖かった」そうで・・・。
4月7日公開です。
アカデミー賞6部門にノミネートされた、奇跡的な実話に基づく映画「ライオン 25年目のただいま」の原作の著者である
サルー・ブライアリーさんが来日し、通訳させていただきました。
ユニセフの試写会で質疑応答。
インドの田舎で育ったサルーくんが、お兄さんについて電車の駅に行き、お兄さんを待っている間に止まっている列車に乗り込んで
眠り込んでしまい、気がついたら遠く離れたターミナル駅についてしまった。迷子になったサルーは様々な危険をくぐり抜けて、
孤児院に入れられ、オーストラリアの養父母に引き取られます。元気に育ち大人になったサルーはどうしても25年前に離れた故郷や生母、兄弟が
忘れられず、記憶にある光景を頼りに、グーグルアースを使って、探し始めます・・・
ネットより拝借。寺田心くんと一緒に。
これでもか、というほど泣きました。泣いて、泣いて、見終わってからも、涙が止まりません。
こんな奇跡が起こるのか、これほどまでに母は子供を想い、子供は母を想うのか、そして養父母になった夫妻の広くて
深い愛情と優しさとある種の神秘さ。
心と体の声に従って、未知に飛び込んだ時に初めてみえる新しい地平。
インターネットが登場して、(そしてこの映画の元になる奇跡もグーグルアースがあってこそ成立したわけですが)指でタッチすれば
いろんなことがすぐにわかってしまう時代ですが、それでも検索するのは自分の知識経験の範囲の中だったりします。
想像を超える恐ろしいことや、素晴らしいことが実際の世の中でたくさん起こっている、とこの映画を見ると改めて思い出させてくれます。