アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

108歳の生命力

2020-11-19 07:15:16 | 日記

娘9歳と祖母108歳の手、99歳違いのひ孫と曽祖母、爪は同じ形。

映画祭が終わった日、10日ほど前に心不全で入院し、1日で退院し(させた、という方が正しい)、数日落ち着き、そのあと危篤状態になり、もうだめかとみんな思ったけれど、主治医曰く「ほぼ奇跡と言っていい」回復をし、でも、またなんとなく下り坂状態にあるけれど、とりあえず落ち着いているらしい108歳の祖母が、歩いてすぐのところに住んでいます。


「大きいおばあちゃんの手、シワシワして気持ちいい」。

3日前に「これで最後かも」と言われて子供や孫やひ孫が数人ずつ召集され、なんとなく私たちのことはわかっている祖母と言葉をかわし、とりあえず帰宅し、2時間後に主治医が往診中で、なにやら必要なものがあるから持ってきて、と80歳の叔母に呼び出され、とりあえずまた帰宅し、その夜中に75歳の叔母から「今度は本当にもうダメかもしれないから、もう一度隣にいるママを起こして、連れてきて」と呼び出され、隣に住んでいる母を寝床から起こして、祖母の家に連れて行き、とりあえず娘3人(75歳と80歳の叔母二人と85歳の母)と孫娘一人(55歳の私)の顔と名前はしっかり認識し、でも虫の息で・・・という中、私にしては大きな仕事が次の日あるので、「もう帰りなさい」と叔母二人に言われて、リューマチで腰の曲がって足元のおぼつかない母を連れて、後ろ髪を引かれる思いで帰宅しました。


娘の描いたイラスト。

次の日の朝、地下鉄の中から携帯を使いこなしている75歳の方の叔母に「どうですか?」とメッセージを入れたら「私たちが仮眠を取っている間に、一人で立ち上がって2回もお手洗いに行き、今は椅子に座っています」と即答。


高尾山に「ムササビを見るツアー」に学校のキャンプで行った朝。

えっ!?虫の息で、ベッドから体を起こすことさえできなかったのに?オムツを当ててるけれど、とても嫌がるので、とりあえず同じ部屋に用意した簡易トイレにさえたどり着けない、と叔母たちが嘆いていたのに?
祖母の寝ている部屋からお手洗いまで、近いとはいえ、襖を開けて、廊下を
数メートル歩き、ドアを開けて、手すりにつかまって便座に腰掛けて、また起き上がって、という「重労働」ができてしまった・・・!?


夏のような日にお参りした明治神宮。

我が祖母ながら、すごい生命力です!!


明治神宮での菊の展覧会。

ホッとすると同時に、ずっとお世話をしている75歳と80歳、二人の後期高齢者の叔母たちは大丈夫かな、と心配しつつ、仕事をし、終わって、携帯を見ると留守電が入っています。


同じく菊の展覧会で。

「電話ください」と一言だけ、80歳の叔母から。一山超えて、元気になったと思ったら、すぐになくなってしまう、という話は
よく聞くので、なんとなくざわざわした気持ちで電話をすると、基本的には75歳の叔母がテキストメッセージで教えてくれた話を
さらに丁寧にして、この前聞いた話と同じ話を繰り返し、さらに生き返ったのは嬉しいけれど、ああいう状態がまたなん度も繰り返されるとしたら、80歳の自分や75歳の妹は、ヘルパーさんがいたとしても持たないだろう、という不安など、長電話が嫌いな人なのに長々と電話で話していました。



そうだよね、老老介護、自分のことだって大変だよねえ・・・などと複雑な思いで電話を切ったら、35年以上前に交換留学生としてスコットランドの高校に滞在した時のホストファミリーからのメールが来ました「悲しいお知らせ」というタイトル。なんだか嫌な予感です。



前回のメールはちょうど先月、ホストファーザーの83回目のお誕生日のメッセージを送ってください、というメールでした。2019年に倒れて、口がきけなくなり、歩けなくなってから1年ちょっと、みんなからお祝いの言葉をもらえるととても喜ぶと思う、というホストマザーからのメールでした。


明治神宮境内。

宛先には、私の他に、彼らが受け入れたインドネシアやメキシコ、アメリカなどの生徒たち(と言っても、今はみんな50代ですが!)など何人も含まれています。このグループメールで、季節の挨拶代わりに、1年に1度か2度、まずはホストファミリーからみんなにメールがいき、それに返信する形で、それぞれ近況を伝えています。


同じく明治神宮。

珍しく前回から1ヶ月経つか経たないうちのグループメール、今度は何だろう・・・と不安のままメールを開けてみると・・・ホストファーザーが3度目の発作を起こし、その15分後に亡くなった、というお知らせでした。


引いたおみくじ。

コロナ禍での集まりは最小限にしなくてはいけないので、たくさん集まれないけれど、お葬式の後の集まりで、来てくれた人の前で読みたいから、ホストファーザーの思い出を書いて送ってくれると慰めになる、という内容でした。


明治神宮内のテラスカフェで。

祖母の生命力に驚いた直後に、このメール、なんだか体がどう反応していいのか、戸惑っているような変な感じ。
何かを強く感じているけれど、体の奥の方で渦巻いていて、表面に出てこない・・・。


明治神宮内で、インスタレーションもやっていました。

帰宅して、夕食の支度をしていたら、娘が帰ってきました。「パパから聞いたよ。大きいおばあちゃんは助かったけど、
スコットランドのお父さんは亡くなったって。昨日の感じだと、大きいおばあちゃん、もうダメだって思っていたから、
驚いた〜。もしかしたら、大きいおばあちゃんは、他の人の分まで生きてるのかも」


外苑前の銀杏並木もきれいでした。

とりあえず、大きいおばあちゃんの顔を、また見に行こう、と夕飯を早めに切り上げ、お風呂も入っちゃって、パジャマも着て、あとは
寝るだけの状態にしてから、歩いてすぐの祖母に家へ。
前の晩には、娘と私の名前がごっちゃになったりしていたのですが、この日はしっかりしていました。
呼吸も安定している。



少し安心して家に戻り、ホストファーザーとの思い出に浸りつつ、何を書いて送ろうかつらつら考えておりました。

高校時代の1年間のホームステイの後に、大学時代のヨーロッパ旅行でまた遊びに行ったこと、26歳の時のイギリスでの最初の結婚式に来てくれたこと、離婚後の傷心旅行で訪ねたこと、ホストファーザーの70歳のお誕生日にイギリスに住む日本人の友達と一緒に参加した時のこと、10年前のオーストラリアでの2度目の結婚式に来てくれたこと、4年前には娘と夫と3人で遊びに行ったこと・・・。


ホストファーザーと娘。スコットランドのお家の前の小川で鴨に餌やり。

かなりの夜更けに、また電話がなりました。ドキッとして電話を取ると、この日に終わったはずの仕事の追加注文、それも今晩中にできないか、との話。できません、と丁寧にお断りしたけれど、ベッドに入ってからどんどん怒りが湧いてきます。
「夜中近くに電話して、今晩中ってどういうこと?寝るなってこと!?」



でも、気がつくと寝ていました(笑)。
次の日の朝、目覚めた時にもまだ怒りが残っています。怒りというか、何か重いものが胸に乗っかっている。


外苑前の道路。

午前中に外出し、用事を片付け、夏日のような暖かい日差しの中、まだ気分はどんより、怒りなのか、あるいは何か重苦しいもの。
あるいは、何か欠けてる感じ。よくわからないけれど、何かいつもと違う・・・。

ちょうど原宿にいたので、明治神宮に行くことにしました。



こんなにいいお天気なのに、なんでこんなに気分が重いんだろう・・・?

足取りも重いまま、境内に入り、菊の展覧会を見ながら、手を洗います。

思い切って、いつもよりうんと気張ったお賽銭を入れ、ゆっくり2回おじきをして、2回柏手。

そのまましばらく手を合わせたまま、祖母を助けてくださってありがとうございます、
ホストファーザーが静かにお休みできますように、と自分勝手なお祈りをいろいろと唱えました。

またおじぎをして、境内をのんびり歩き始めると、あれ、なんだかスッキリしています。

いいお天気だな〜と空を見上げ、暖かくて気持ちいいなあ、と少し襟元を開けて空気を感じ、
ちょっと小腹がすいたな、と栗のミルクチョコレートガナッシュケーキとコーヒーをテラスに座っていただきました。

そのまま明治神宮を出て表参道を通り、外苑前の銀杏並木まで歩きました。
少し汗ばむくらいの、ちょっとした夏のような天気の昨日。

地下鉄に乗る頃にはすっかり気持ちも晴れていました。
いいお天気の日にいつも感じる、楽しい気持ちが戻ってきた。


元気な野菜たち。

お友達のご両親が育てた立派なお野菜がたくさん入った箱が、今日届きました。

祖母のうちにもお野菜のおすそ分けしに行き、前の日よりはちょっとだけ辛そうだけど、安定している祖母の顔を見て
きました。
私の名前もわかるし、「気をつけてね」と帰り際に声をかけてくれたので、しばらくは大丈夫かな。

でもね、もしそうでなくても、108歳の今の今、とりあえずは呼吸も安定して、苦しんでいなく、来てくれた人がわかり、「気をつけてね」と気遣いを示せる、そのこと自体がとっても幸運でありがたいことだ、と思っています。