日和佐図書資料館にて、へんろ道の写真展が12月13日(日)まで開催されています。
その中に "復活させたいへんろ道" が紹介されています。
これで思ったのが自宅周辺にある里道(昔の生活道・赤線)に該当するかも知れないルートです。
一つが 寺野谷沿いからイギ谷(日和佐川支流)より、山河内府内・打越寺あるいは西河内地区より
薬王寺に抜けるルートがあります。
もう一つが、赤松原尻地区の藪内谷(やぶちだに)から日和佐川支流の椿谷(つばだに)に抜ける
ルートが思い浮かびました。
どちらも赤松人が、少し前まで血縁関係による行き来や 鮎獲り等に使っていた道です。
その両ルートの間には、影野城(城の台)があったという影野山と玉厨子山も有り、
お遍路としては 薬王寺の奥の院(泰仙寺)があるので、これらとの関係も何か・・!?
当地より御地に貫ける尾根やら峠道もありますし、御地より由岐地区(海沿い)に至る道も数々ありますね・・!
御地はもとより、町内各所の峠は昔の大きな文化・生活道だったのでしょう